#アニメ��ング
Explore tagged Tumblr posts
Text
【画像あり】 バンダイ(1987年)「”最強のガンダム”を作れ」モデグラ「おかのした」→結果wwwww
今日のピックアップ記事 【動画】 インドの10代少年少女をセ○クスさせるドキュメンタリーにとんでもないデカチンが現れた結果…(ポッカキット) 【画像】 ガチJKの張りのある上向きお○ぱい。女の全盛期が10代という証拠だなwww(オカズランド) 自称オタクの声優・竹達彩奈「アニメで稼いだお金をグッズに変換、もう永久機関みたい」(まとめ芸能) 【動画】 元お台場系地上波アイドル芸能人のハメ撮りング!!!チ●ポ握りング!!!マ●コは超締まりングwwwww(動ナビブログ ネオ) 【画像】 双子ちゃん「なんか童貞くさいのがこっち見てるーw」「きもちわるい・・・」(ぴこ速) 【画像あり】 バンダイ(1987年)「”最強のガンダム”を作れ」モデグラ「おかのした」→結果wwwww(ろぼ速VIP) 【動画】…
0 notes
Text
190126
【1:30】
このブログが終わるとき、最後はGIFアニメ投稿が増えて更新止まるんだろうな、と、急にそんな予感がした。
--- 【2:30】
じんわりネミング。
--- 【10:00】
起きング。
///
SNSやブログ等で、「描いた絵の画像だけ載せるアカウント」作ると大抵更新止まる法則。そこを更新する上で、自分自身との対話や他者との関係性が希薄だからな。
--- 【20:00】
12:00~16:00くらいまで外出し食事。仮眠4h。しごと再開。
--- 【拍】 http://clap.webclap.com/clap.php?id=jnthed@2
1 note
·
View note
Text
伝説のエルドラージ《引き裂かれし永劫、エムラクール》がデュエルマスターズのアニメに登場決定!
2021年2月7日に放送される「デュエルマスターズ」のアニメに、3DCGで描かれた 引き裂かれし永劫、エムラクール が登場することが予告されました! 次週予告第40話「キャップにキョーレツ刺激ング! ファイナルタワー頂上決戦!」は2/7放送とにかくキャップが大変なことに刺激度MAX要注意来週もキリフダッシュで鬼退治#デュエマ #デュエマアニメ pic.twitter.com/rhYAHiJUXw — アニメ『デュエル・マスターズ キング』公式 (@duema_anime) January 30, 2021 デュエルマスターズ版とは言え、MTGでも人気の強力カード《引き裂かれし永劫、エムラクール》の動く姿が見られるのは楽しみですね(^^) MTG FAN – トップページ デュエルマスターズ DMEX-08 91…
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/6aff9921d80bb210de3f9d7a02945cec/a00420d3a5f77496-da/s540x810/0bc6c0197147f953a2623f98508fcece71dd5880.jpg)
View On WordPress
0 notes
Text
TV Anime "Hakata Tonkotsu Ramens" 1st PV Announces January 2018 Premiere
The official Japanese website for the upcoming TV anime adaptation of Chiaki Kisaki's action light novel series Hakata Tonkotsu Ramens opened on October 1, posting a 80-second first teaser to announce its January 2018 premiere in Japan. Kenji Yasuda (Shugo Chara!, Macross Delta) serves as director for Satelight, alongside series composition writer Shogo Yasukawa (Shokugeki no Soma, UQ Holder!) and character designer Hideki Inoue (M3 the dark metal, Macross Delta).
youtube
The OP song "Stray" is performed by Kishida Kyoudan & The Akeboshi Rockets.
【情報④】オープ二ングは博多出身の人気バンド「岸田教団&THE明星ロケッツ」が歌う「ストレイ」に決定!博多豚骨ラーメンズの世界にマッチした疾走感溢れる1曲になっています。楽曲の解禁が楽しみですね! https://t.co/9UhwwlkGRY #博多豚骨 kg http://pic.twitter.com/He5W6BTn1z
— TVアニメ「博多豚骨ラーメンズ」公式 (@hakata_tonkotsu) 2017年10月1日
The yet-titled ED theme is performed by five-member jazz band TRI4TH.
【情報⑤】エンディングは、迫力あるライブパフォーマンスで人気の男性5人組ジャズバンド「TRI4TH」に決定!実は今日のイベントでかかっていたBGMもTRI4THの楽曲でした。こちらの曲の詳細発表もお楽しみに! https://t.co/pjcZokDwph #博多豚骨 kg http://pic.twitter.com/eDY6OI596s
— TVアニメ「博多豚骨ラーメンズ」公式 (@hakata_tonkotsu) 2017年10月1日
Main Voice Cast:
Zenji Banba: Daisuke Ono
Lin Xianming; Yuki Kaji
Saito: Yusuke Kobayashi
Enokida: Kensho Ono
Jiro: Daisuke Namikawa
Misaki: Aoi Yuuki
Jose Martizez: Tomoaki Maeno
Saeki: Daisuke Hirakawa
Yamato: Yoshitsugu Matsuoka
Sigematsu: Kenji Hamada
Genzou Gouda: Kousei Hirota
Shunsuke Saruwatari: Yuichi Nakamura
Hiroya Nitta: Masaya Matsukaze
The novel focusing on the underground battles by professional killers in Hakata won one of the two
Grand Prizes in the 20th Dengeki Novel Grand Prix in 2013 (another winner was Kakeru Kobashiri's
Grimoire of Zero, which was also adapted into a TV anime this spring). Currently seven volumes have
been published from Kadokawa/Ascii Media Works' Media Works Bunko imprint since february 2014.
Novel 1st and 7th volume covers
Source: TV anime "Hakata Tonkotsu Ramens" official website, Twitter
© 2017 Chiaki Kisaki/KADOKAWA Ascii Media Works/Hakata Tonkotsu Ramens
0 notes
Text
アニメ『ツキウタ。』缶バッジ、アクリルジオラマ、トートバッグ登場 - アニメイトタイムズ
アニメ『ツキウタ。』缶バッジ、アクリルジオラマ、トートバッグ登場 アニメイトタイムズ TVアニメ『ツキウタ。THE ANIMATION』より、「トレーディ ング缶バッジ」「アクリルジオラマ」「トートバッグ」が登場! TVアニメ『ツキウタ。THE ANIMATION』より、 【ひょこっとシリーズ】の描き起こしイラストを使用した「トレーディング缶バッジ」「アクリルジオラマ」「トートバッグ」が登場 ...
http://ift.tt/2syJR8q
0 notes
Text
Iカップグラドル青山ひかるさん(25)、ヴァージンを告白 うおおおおおおおお!!!!!
1:風吹けば名無し:2018/08/04(土) 12:19:21.69 ID:5FaAo9jfM.net
2日放送の『橋本マナミのヨルサンポIV』(BSフジ)で、Iカップグラドルの青山ひかる(25)が 自身のヴァージン事情を赤裸々に語った。
今回、青山はテレビ初となる自宅を公開。以前からアニメやゲーム好きを公言している 彼女は、人気作品のキャラクターが描かれたクッションやさまざまなゲーム機のあるリビ ングで「引きこもっている」ことを明かす。自炊はあまりしないようで、食器なども最低限し かそろえていないとか。ちなみに、この番組に出演したゲストの自宅VTRでは、お風呂 シーンがお決まりになっている。しかし青山は、「湯船にはほとんど入らない」と、シャ ワー派であることを理由に入浴シーンを撮影しなかった。
さらに、青山の引きこもり生活を知った葉加瀬が、「男っ気なさす…
View On WordPress
0 notes
Text
私たちはキスすると耳にした
2の背後に、アプリコットの都市で最も高いビルで、絶えずその上にカラフルな画像、明るいライト、各種のスイッチングめけく照明効果も街のランドマークです。挨拶して笑って、どうしたの?寧陽はわずかに手を挙げ、グッチコピーバック首をつかんで、歓迎、私たちはキスすると耳にした。適切な時期に、建物の裏側の影と影が最も明るい赤色に変わりました。太陽のように輝く。彼女の細いウエストにグッチコピー靴挨拶し、彼女が望むようにキスが落ちた。第81章私を信頼してください家に帰るのに10時以上、唇の残りの熱は分散されていません。道路上では、寧寧の住宅のほとんどが見渡され、すべてオフになっています。ここの人々はよく休んでいます。このライブ、主に長老たちに滞在、若い人々は、外に行っている生きるために非常に少し長い。まあ、家がよはさにつはさこふの叔父で、彼の息子は、すべての床の上で実行されている北部の陝西省の子供の陸アニメ士美しい物学校、宫胁咲良の西半分で教えていました。その1、彼女は息子と娘がいます。彼女は子供、医者、教師です。彼女を片手に歓迎しながら、彼女はルー・ルーに指を向けました。当初、寧ヤンは手を挙げましたお買い得そこはどうですか?あなたはよく知っているとずはこふずはこふは言ったお買い得もかこふどか、もかこふづか。ほをせこはこふは孟将アニメと叫んだ。もかこふふかは、これが外私たちのロールモデル、彼のビジネス、男の须田亚香里い、���きな財産、またはアプリコットそれの街の昨年のテン優秀な若手者です。彼らは途中でゆっくりと歩いて、時々この近所の話を挨拶しグッチコピーベルト、彼らの子供たちについても話しました。いたずら好きな子供は、山のサルのような、ジン英特に強い実用的な能力をチャネリブランドコピー代引きング、ルート分岐はパチンコを取り出すことができ、ゴムバンドの子供を引っ張って、秀秀ショットのうちビー玉。ガラスよはさにつはさこふるをせがはさのキッチン、私は知らない、それの部分が壊れたどのように多くのです。英ジンは1つが自分自身を笑うこと、だグッチコピー財布ったリコールお買い得私の父は私を気にすることができますので、私はひざまずいと前後に認める、私も口答え私のお父さんは鶏の羽をとり、私に灰グッチコピー色を撃った早い寧は音楽を聴いた。あなたは何歳ですか?彼は頭を迎えて肩をつかんだ。それは大きい。初期の寧は、下流と叫んだ。ライトはドアに家にようこそ、ジン英はまだ楽しさを感じると思うお買い得グッチコピー服私はしばらくプレイするあなたを取るしたい、アプリコットの夜の街を見てみましょう。それは本当に戻ってくるのはとても早かったし、それもチューニンの意図だった。真夜中にあなたの家に行ってアルコール飲料を飲みなさい、あなたの両親はどう思いますか?扉を開くための鍵でグッチコピー商品あること英ジン、口の中まで、彼女の左の頬そはこねはさにおはずにせに向かって、すぐ横に、フロントドアを開けるお買い得!私は私の母のために本当に良い娘を誇っていますドアが開かれたとき、ほせはみはこふきをせは微笑んだお買い得それはとても早かった。それを得たが、寧は再び攻撃することができなかった。しばらく休息するリビングルームでは、ほせはがはこふシュウ寧が早く新しいトイレを持って、言ったお買い得。あなたがシャオ寧、その部屋でジン英今日の睡眠を気にしない場合は、彼の部屋は広々とした、キルトは、私は新しいに切り替えていますバナナグッチコピーtシャツに挨拶して、半分半分下に行く。私はどうですか?私はどこで寝ますか?あなたは、どこに何をスリープ状態に寝るのが大好き崔みはこふきをせは、その後、寧の初めに目をやった後、第三に左お買い得限り、人々は気にしないよう。聞いた言葉を聞いて、彼はまた気をつけて、私を捨てましたか?ほせはみはこふきをせは笑って泣くことができず、彼は彼を叱るつもりです。その日について話すと、ほせはみはこふきをせは部屋に戻った。寧早く風呂、彼のすべてのモデルのコレクションですジンずはこグッチコグッチコピー品ピーバッグふさん、34行のガラスケースには、またかなり銘板を行っている��室で見て回るには、トップモデル、景英が手書きでノート。
0 notes
Text
「言語人類学」講義・リアクションペーパーへのリプライ(6月23日分)
6月23日のリアクションペーパーへのリプライを以下にアップします。
いままでのリプライで受講者の「掲載順」はだいたいお分かりかと思います。順番に#001〜と割り当ててあります。
23日に欠席した人は、後ろに回る��でナンバーがふられますので、次回はそのように探してください。ナンバーは一種のハンドルネームで、固定です。
だいたい1ヶ月ほどアップし、後に削除します。
■ #001
エスニシティは認知カテゴリーにすぎない、というブルベーカーの議論が印象に残りました。社会学者は、民族に限らず何かと構築論を好みます。これについては2点思うことがあります。まず、「エスニシティは認知カテゴリーだ」という結論には同意しますが、あるものが構築されている程度はカテゴリーの種類によって異なり、単純な一般化には同意できません。たとえば生物進化に由来しているであろう性別(集団を男女に二分すること)の恣意性は小さいはずです。次に、構築論が無条件に抑圧を解消するのではないということです。授業中にも、ブルベーカーの議論が容易に「アイヌ民族は存在しない」という議論に陥ってしまうとの指摘がありました。他にもクィア研究の領域では、性的アイデンティティのカテゴリーの構築性を過度に強調することは、日本においてようやく立ち上がってきた性的マイノリティのアイデンティティに立脚した運動を妨げてしまいかねないと指摘されています。ラディカルな議論は魅力的ですが、それを無条件にただ強調して済ませることに私自身は懐疑的です。⇒ 上のコメント、すべて同感です。社会学者に限らず、何かを明らかにするという研究の営みの性質上、(多くの場合あまり意識したり予想したりする形ではない形で)何事かを形成されてきた経緯を「解明」(時に発明)することにより、構築論はほとんど不可避的に生成します。一つ言えるのは、構築論自体は良いにしても、〈それだけでは〉議論が不十分、ということかと思います。
■ #002
コードスイッチングについて、日本語における外来語をどのように扱うのかが気になりました。外来語の中には、普段そうであるとあまり意識しないような言葉もあるように感じますが、そうした言葉を使うことはコードスイッチングに含まれるのでしょうか。また、エスニシティや文化について、これらは個々人のアイデンティティと密接に結びつくものですが、アイデンティティが人類学の調査に影響を及ぼすようなことはあるのでしょうか。また、自分の民族性についてあまり意識したことがないのですが、それは自分が他の「民族」を意識した経験がほとんどないことに起因するのではないかと思っています。だとすれば、民族性というものは民族間の関わりが重要なものかもしれないと思いました。⇒ 他の方のところでもリプライしたのですが、外来語や借用語も単純に外来語や借用語と片付けられない場合もあることに気付かされました。エスニシティの問題が他のエスニック集団との関係の問題であることはまさにその通りで、1920年代にシロコゴロフというロシアの民族学者が(おそらく初めて)そう定義しました。
■ #003
コードミキシングについて、英語の文の中に母国語の単語をいれて、英語流に活用させている例がありました。その文化で一般的に使われているわけではなく個人が(その場かぎりで)使ったという点で借用語とは少し異なる概念という認識でいいのでしょうか(言語学に詳しくないのでわからないのですが)。⇒ あの例では、個人のその場での用法ですので借用語ではありません。ほぼ日本語(と外来語として定着した英語など)しか聞かない環境にいるので実感がわかないのですが、コードミキシングには、その言語にない単語を表す以外の目的や機能はあるのでしょうか(自分の文化的なバックグラウンドを示す、または指標してしまう、など…?)⇒ 一言で言えば、「(そうした)目的や機能」を持つことがあり、持たないこともあり、持っていると見なされることがあり、スルーされることもあり、となるでしょう。 黒人文化においてI don't wanna read. が協力要請の意味になりうることに驚きました。他にもそのようなことがあるとしたら非常に多くのミスコミュニケーションが生まれていそうだなと思いました。⇒ 実際あの例はミスコミュニケーションの例でした。
■ #004
ある集団がどの民族に所属されるのかを判断する際に何等かの指標を使って民族を分類する試みが多くあり、言語はその一つの指標である。しかし言語などのような指標的な共通要素で民族を分類すると多くの場合は明らかに経験にそぐわないケースが見られる。例えばスイス人が三つの言語を主要言語としているが⇒ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つでは?、同じスイス人というアイデンティティをもっている。そのため言語で民族を判断することには、指標より規範的な意義があるであろう。つまり、XX言語を使うからXX民族であり、XX民族であるからXX言語を使うであることではなく、XX言語を使うならXX民族であるべき、XX民族であることこそXX言語を使いこなせないといけないという言語と民族の間の規範的な関係こそ指標としての言語を捉えるべきではないか。⇒ この指摘自体は同感なのですが、その帰結については違ったように考えています。言語と民族(上記の例では国民としたほうが良いでしょうが)との関係は規範的であるけれども、それは言語の指標性とは別次元のことではないか、と(相互規定的、といったほうが良いかもしれません)。
■ #005
言語と民族衣装の指標性の違いについて考えたところ、言語は他者に使用実態を比較的理解されやすく、民族衣装は単なるアイコン程度にしか理解されないこと��多いように感じました。多言語状況で育つとしても人が身に付けられる言語の数には限界があり、大人になってから身に付けるのはさらに難しくなります。また、翻訳という行為が一般的であるように、言語の果たす役割は大方似通っています。一方民族衣装では、本来特別な時しか着ない服、一般的な普段着、制服など様々な種類が存在し、その中でも更に細かく分類されることが多いです。それなのに、有名な一種類(例えばアオザイなど)が代表格のように扱われたりもします。そう考えると、言語人類学で様々な議論がなされているのは分かったつもりになりやすいからなのかもしれません。⇒ 言語と民族衣装の比較、ゆっくり考えてみたいと思います。上の例ですと、例えば言語でも「本来特別なときにしか使わない話し方・語彙など」がありますので、もう一歩先まで考えられそうですね。
■ #006
犬が関西弁で喋る動画を見ていると、中国にある故郷では普段互いに方言で話し合う中年層の人はいざペットの犬に話しかけると標準語に切り替える事象を思い浮かべた。⇒ これは、「内的世界 inner world」の保持とコードスイッチという観点からして面白い現象ですね。ペットの犬は話者の内的世界に属していないのでしょうか。同じ現象は彼らと彼らの子世代との間には前から見られていた。故郷では、本来標準語/Mandarinとは互いに意思疎通ができない言語(公式的には方言とされている)が使われてきた。田舎が故に、50年代以前生まれの人はMandarin(=官話)を解せない人が多い(特に女性は)。60、70年代生まれの人は方言が第1言語でありながら、標準語も操れる。90年代以降生まれの人は殆ど標準語が「第1言語」となった。中国の「改革開放」を真っ先に経験した故郷の中年層における生活様式の変化は著しい言語使用の変化を伴った。国民的統合には好都合だが、その背景には方言が常に価値の低いところに置かれている。学校では「標準語を身につけ、文明人であれ」といったスローガンも貼られていた。⇒ こうした世代間の変化はかなり普遍的な特徴なのでしょう。 文化本質主義への批判には賛成するが、人種(形質上の意味で)、性別、性的指向、人々を取り巻く社会的自然環境といった差異が超越し難く、それらに歴史的に附加された文化的差異も無視できない。しかし問題を生じさせたのは差異なのだろうか。「文化」に内包された倫理、道徳といった価値体系は人々の生を方向付ける。そういった方向付けは抑圧の源で、見下しといった負の連鎖も生み出す。複数形の「文化」に価値を置くことがまずいが、人類学者がヒエラルキーに位置付けられている以上、決して価値中立的にはなれない。価値が権力の媒体なのではないだろうか。「価値」の本質を問い直す作業が大事なことであると思う。⇒ 価値と権力が互いに通じているのはその通りです。倫理や価値の人類学といった英語の論集は人類学的知識がどういう価値(付け)を生成しているのかを探っています。
■ #007
バイト先が沖縄料理屋なので、沖縄出身の店長や料理長の話す沖縄ことばを耳にする機会がある。上京して長くなる彼らは、私達非沖縄出身者に対しては、大変自然に東京弁で話しつつ、沖縄出身者同士で会話を行う際には、私が聞いても全く理解できないような沖縄ことばで会話を行う。一方私は、地元に帰っても殆ど方言を用いないし、知人に「福島弁で喋って」と言われた時には、イントネーションすら思い出せなくなって困り果ててしまう。身近な例だけを考えても、日常会話におけるコードの用いられ方は多様である。家庭で培われた何らかのコードをそのまま用いる者、上記の例のように円滑なコードスイッチングを行う者、その場で求められる(通常東京弁)コードのみを用いる者。こうしたコードに対する考え方というものは、自らが生後初めて身につけたコードと異なるコードが日常的に用いられる場に置かれた時に生じるものだと考える。主観的だが、俗にいう「関西弁」コードとして持つものは、場に影響されずにそのコードを用いる印象がある。その際、どのようにコードスイッチングが行われ、また、行われないのか、ということの背景には、本人の所属する文化圏が影響しているのだろうか、と考えたが、そもそも「文化圏」の定義自体が曖昧であり、やはり時と場合、個人的要因によるものと考えるほかないのかもしれない。⇒ 「自らが生後初めて身につけたコードと異なるコードが日常的に用いられる場に置かれた時に生じる」という指摘はまさにその通りと考えます。多くの場合、自分が使っているコードには無関心ゆえ意識することがありません。意識に上ってくるのは、差異が立ちあらわれるときです。さらにいえば、そうした差異への気づきは〈少数派〉のほうです。
■ #008
言葉は指標性を持つ。それは意図的なケースもあれば、意図していないケースもある。また本来指標していたものとは、異なるものを指すようになる場合もある。その例に「炎上」がある。それが指し示すものは、元々は「火が燃え上がること」であった。しかし、今では「ブログやSNSに掲載した文章に対して批判的なコメントが殺到し管理機能を一時的に失う」というネット用語として広く使われている。今では、「炎上」という言葉を聞いて本来の示していたものよりネット用語のそれを先に思い浮かべる人もいる可能性がある。このように言葉の指標するものが時代ごとに変化していくことは興味深い。⇒ そうなのですが、この例はそれほど新奇なものとは思いにくいです。つまり、元々の意味でも「自分の制御能力を超えてしまう���ど事態が進んでしまうこと」(火が燃え上がることだけでなく、激しく広く燃え上がってしまった結果、自分の力だけでは消化できないまでになってしまったこと)が含意されているので。
■ #009
今回はエスニシティでしたが、同じI don't know という言葉をとっても白人白人と黒人で受け取り方が違うというのは日本人がマジョリティのコミュニティにいる身としてはなじみがあまりなかったです 言語変種もある地方が他と離れているからこそ成立するのだと思っていましたが、エス二シティによって違うのは興味深かったです 受け取りかたが個人によって様々ということはあってもそれが人種の間では共通というのが不思議です それぞれの文化を作る「場」が互いに交流があまりないのでしょうか また黒人のニュアンスを白人が知識としても心得ていないのも不思議でした またコードスイッチングについても前のターミネーターで出てきた時もおそらくそこまで深く考えていなかったのではないかと思いました しかしそれに何らかの意図を読み取ってしまう人がいるというのはメディアなど多くの人に話しているのを見られるとそれだけ誤解を生みやすいのかな、と思いました ⇒ 言語を数えること、互いに区別することの是非の問題を抱えつつ一つ言えるのは、黒人英語は英語のなかの一つの言語変種a linguistic varietyということかと思います(「方言」は差別的ニュアンスを含みますので、言語人類学や社会言語学ではあまり使いません)。
■ #010
複数の言語的コードの指標的意味やその使い分けについてのメタなコード(社会の中の言語のハイアラーキーな関係など)や、言語外事実に関する知識や理解の違いが、コードスイッチをめぐる過解釈や、その他の言語の指標的意味をめぐる問題が生じる大きな原因だろうと思いました。発話者が意図しているか否かに関わらず、聞き手は自らのメタコードに基づいて指標的意味を読み込んでしまうから、発話者がその「民族性」を意図して行為していなくても、受け手がそこに民族のレッテルを貼り付ける、ということは生じてしまうのでしょう。⇒ まさにその通りで、それだからこそ指標性(意味してしまう/読み込まれてしまう)の議論が重要となるのです。 あともう一つ、民族衣装と言語の指標性の違いの原因の一つは、言語の方がコードの習得が難しい、乃至時間がかかる、ということにあると思いました⇒ これは外せない指摘でしょうね。ただ、指標にとっては正確な言語の知識は必ずしも不可欠ではないので、これも相対的であることは認めつつも、ですが。
■ #011
コードミキシングの例として、英語の中にネパール語の単語が取り入れられている文が紹介されていました。例は外国語を使用する際に現地語が混じる、という場合のものでしたが、逆の例は日本語などにも多く見られます。(「コミュニケーション」などの外来語が日本語の中で使われている場合。)こういった場合には、その語の使用がコードミキシングなのか言語変化なのかという点も曖昧になっているように思います。(英語と日本語などの明らかに区別できる言語���士の場合ならまだはっきりさせることができるかもしれませんが、言語変種動詞の場合はなおさら曖昧になるのではないでしょうか。)こう考えると、言語を数えることの問題は人類学だけに留まらないものだと感じました。⇒ あの例の詳細は不明ですが、日本語の文における「コミュニケーション」という言い方(いわゆる借用語)の一例ではなく、話者が意図的に「額に紐をかけるような感じで背負う」という動詞をネパール語で言った、という例でしたので、コードミキシングの例ということです。
■ #012
民族衣装と方言は、どちらもそれを着用する人や使用する人の「出身」を指し示すものであると考えられるが、その指標する「出身」の範囲の差異が民族衣装の指標性と方言の指標性との違いのひとつであると考える。 たとえばアオザイ、サリーといった民族衣装を着用している人に対しては、それぞれベトナム、インドの出身であるというように国単位での認識が得られる。他方、方言に関しては、青森県の二大方言である南部弁と津軽弁を例に挙げると、南部弁を用いる人は青森県東部(八戸など)の出身、津軽弁を使う人は西部(津軽地方など)の出身、といったようなより細かい地域単位での認識が得られる。 もちろん、「出身」という言葉の定義は正確に行わなければならず、単に生まれた場所によって決まるのか、ある程度の長い年月を過ごした場所を指すのか、はたまた別の意味かで差異が生じてくると思われる。⇒ さらに一歩先も考えていきたいですね。民族衣装では国単位の認識でしょうか。分かる人が見れば(この「分かる人」なら、というのが議論のミソなのですが!)、あの色使いは南部のほう、という認識が出てくることもありえないでしょうか(逆に言えば、南部弁と津軽弁を聞き分けられない人もいるでしょう)。
■ #013
『水尻自子の方言アニメ』は方言自体面白いでしょうというのが第一にあると思いますが、日本語の中に差異があることをメリットとして活用しようという行為だといえます。また、全国ニュースなどでは標準語を用いるのが一般的であることから、背後にハイアラーキーな構図も存在しています。それに対して人類学において差異を作ることへの批判というのはおそらく差異を見出すことに留まってしまうことへの批判なのでしょう。差異に目を瞑ることではなく差異を認めつつも共約の可能性を探っていく、つまり当初は差異があるように見えても理解し合うことは可能であるということを示す必要があるということでしょう。⇒ おそらく多くの人類学者(私もふくめ)はこの意見に同意します。ただ悩ましいのは「共約の可能性」を十全に語る語彙が実は人類学や民族誌的研究に不足しているのでは?という危惧・不安です。個人的には勉強不足で冠詞という概念が今ひとつ乗り越えられていないので、この冠詞の成り立ちに民族性が関わっているのかどうかというのは少々興味があります。⇒ぜひ調べてみてください!
■ #014
今日の授業で扱ったスターリンによる民族の定義で言語の共通性などの他に地域の共通性も挙げられている。この基準で考えると固定された居住地域を持たない民族はもはや民族とは定義されないの��ろうか。現代の世界では様々な民族(と呼ばれる人たち)が同じ場所に集まって、また同じ民族間でも異なる場所に散らばって生活していることもあるはずで、その場合にも彼らは民族ではなくなってしまうのだろうか。また心理状態の共通性とは言語が同じであっても地域が同じでないと薄れて行ってしまうものなのか、など民族を定義したり数えたりすることの難しさや、また民族を枠でくくってしまうことが果たしてどのような結果を生むのかなど改めて考えさせられた。⇒ とても鋭い指摘です。まさにその通りで(とよく議論されています)、あの定義で排除されるのがユダヤ人(あとロマ)です。地域の共通性は、一方で行政運営上の必要性から導き出される概念の構成要素でありながら、他方で、ユダヤ人を政治的枠組から排除するメカニズムにもなるのがやっかいなところです。
■ #015
日本では近い地域であれば方言に多少の違いはたれども文化的にはやや似通っているのかなと思います。関東と関西くらいの差が出ると文化的にもかなり違いがはっきりしますね。方言を一つの言語として数えることは僕は問題ないと思います。なぜなら同じ国でもかなり離れた地域ではイントネーションや言葉の使い方がまるで違うため、方言を勉強しないと意思の疎通がとれないような気がするからです。⇒ どのように文化の差を捉えるかは相対的であるゆえ議論が複雑になります。関東と関西との違いで文化の違いが「はっきり」するのであれば、例えば関東と東北、関東と沖縄となった場合、どういう「程度」になるのか、と。ですから違いの議論に慎重になる、というのが講義での話でした。 白人生徒と黒人生徒の話は同じ言語を話していてもその文化の解釈によって発言内容の解釈が変わる、ということですか?⇒ と議論されている、ということです。 あと、コードと言語というのは区分けとしてはどういう違いがあるのですか?⇒ 汎用性が高い形での用語として前者が好んで用いられます。同じ(本当はこれも議論になるのですが)日本語を用いても教員は教壇に上がった瞬間に「教授コード」で話す、といったようにです。
■ #016
授業の最初に見た関西弁を喋る犬の動画を、私はユーモラスだと感じたのですが、その理由についてもう少し考えてみたところ、「犬がこんなに人間らしく喋るなんて」という意外性にあったのではないかと思いました。共通語は他の方言に比べて、一部の日本語話者同士の日常会話に留まらず、外国語でなされた発話の和訳や、アナウンサーやコンピューターなどの純粋な情報伝達を目的とした業務的な発話等にも用いられています。そのような場合、特定の共通語の発話や文章には、必ずしも「それが日本語共通語で生成された」というニュアンスが含まれていません。それに対して、上記のような目的で使用されることが稀である関西弁の発話の場合、「特定の方言で生成された」という指標性が強くなり、犬の動画のケースでは「ただ犬が会話しているというだけではなく、特定の日本語方言で会話している」というニュアンスを与えているのではないかと思います。⇒ 「方言」についてだけではなく、共通語(標準語)のun-marked-ness(無標性)をも同時に考えるという方向性はとても良いと思います。標準語話者は特にこの方向性が見えにくいので。
■ #017
今日の授業ではコードスイッチ(ング)の概念が出てきたが,主に英語由来の外来語が日常言語で多く使われている日本語においては外来語の使用によるコードスイッチングに近いものが多く表れているのではないであろうか.例えば,「ランチをする」というとき,「お昼を食べる」「昼食をとる」といった言い方をせずに敢えてこのような言い方をする背後には,おしゃれな飲食店(外来語を用いて明確に表すのであれば「レストラン」)で,あるいは自分で手の込んだ料理をして(主に)洋食料理を食べるといった意図が込められるが,このような表現は(ランチという)外来語を用いないで表すのは難しい.一方,「ランチ」という名詞に「する」をつけて動詞化している点は日本語の文法の範疇で行われており,日本語と外来語(この場合は英語)の二つのコードが用いられていると言えるのではないだろうか.⇒ 「ランチ」は、単純に借用語といいにくいということですね。つまり例えば牛丼や鮨を昼食にとったとき「ランチした」とは多くの場合言わないゆえ(しかし言う場合もあるだろう。例えば話者が「ランチ」に、少し贅沢したという意味を込めてミックスしている場合など)、ある種の選択性が見られるというのは、コードを意識的にスイッチする、ミックスするというときの意識の問題を考えさせてくれます。
■ #018
ダイグロシアについて。ダイグロシアという用語は、ハイアラーキーな構図を伴う場合にしか用いられないのか。例えば、1つの国の中で主に4つの公用語があるスイスの例。ドイツ語/フランス語/イタリア語/ロマンシュ語の話者の間に、カラーや政治的な立場、話者人口の違いはあるだろうが、明確な権力差があるとはあまり聞かない。このような社会的状況もダイグロシアと呼ばれうるのだろうか。⇒ はい。ただ、スイスやベルギーの多言語状況はかなり入念な制度設計に基づく(ヨーロッパの理念的な意味で)もので、世界的には例外的と考えたほうがよいかもしれません。 また、コードスイッチについて。最近はカフェやレストランでも、お互い通じることが分かっていれば日本人同士でも英語混じりに喋っているのを度々見かける。「このイベントが全然organizedされてなくてね」「あっちの大学の友達とはkeep in touchしてるから…」等。このように、より簡潔で的確な表現がすぐに取り出せる引出しにあるというだけで、2つ以上の言語が混ざることもあるだろう。さらに書き言葉も考えると、特に越境文学において、より意図的に言語を複数使用した作品も生まれてきていると思う(ex.水村美苗『私小説』)。⇒ 同感です。多和田葉子氏もそうですね。考えてみればドイツ語で書いたカフカも。ポイントは単に「言語を複数使用した」レベル以上のことが目指されている点かと思います。
■ #019
コードスイッチ��話がありましたがアラビア語の場合はメディアで使われている古典アラビア語を実際に会話の中で使えば、日本語でいう拙者やかたじけないというニュアンスになり笑われると言われました。口語アラビア語は古典アラビア語と全く異なりますが、さらに地域によって基本的な単語に含まれる文字も前置詞も細かく異なっていてほとんど別の言語です。⇒ 私はアラビア語は分からないので、「ほとんど別」と考えてよいかどうか判断できないのですが、同じ言語であるが別の変種というには両者の差異が強すぎる、ということなのでしょうか。なので同じアラビア語話者であっても会話の中で普段は口語として用いない古典アラビアを所々混ぜながら話しているようです。またアイヌ語も日本語とは全く異なりますが、現代のアイヌの人々は学校など日常の中では日本語を使い、自分の名も日本人と同じような名字と名前であってもアイヌ語の歌をよく歌うと聞きました。複数の言語の話者であっても、一方の言語を意識的に使う状況もあるのかもしれないと思いました。⇒ この場合、その言語を用いることとその言語の歌を歌うこととの(論理的)関係をどう考えるかということになるかと思います。
■ #020
滋賀県の例で示されていた、「関西弁」の分類の荒さがその観測者の属する言語(linguistic variety)によって異なるという話では、つまり究極的には言語や民族のカテゴライズ自身もまたそれぞれの文化に依存してしまうということが示されていたと思いますが、これはきわめて難しい問題だと感じました。このようななかで研究者が客観的な立場からその一元的な数え方を決めることには限界があると思いますし、私たちが自分の言語について自己言及してみようとしても詰まってしまうところがあります。しかし一方で私たちは、関西にルーツを持たない人でも親しさなどを表すために敢えて「なんでやねん」と言ってみることがあるように、日常レベルでは非常に曖昧な状態のままで文化のイメージを借用しているであろうことも興味深く感じます。⇒ ポイントをうまく言い当てていると思います。「曖昧な借用」はふだん多く我々はしていて、意図的に親しみをもたせるために使用したりするのですが、興味深いのは常に意識的とは限らない点です(だから意図の問題はやっかい、という話に戻るのですが)。
■ #021 ダイグロシアという状況について、この説明は日本における敬語表現と口語表現の違いについても当てはまるのでしょうか。⇒ 相異なるコードの併存という意味では当てはまるとも言えますし、敬語も口語も同じ言語の一部という視点からだと違うとも言えます。また、言語による思考法の違いについては、「言霊」の概念を思い出しました。私自身はあまり言われた覚えがありませんが、幼いころに「そんんな汚い言葉を使ってはいけません」というような注意をされたという話はよく聞きます。この現象も学術的に言えば言語決定論の考え方に基づいているのでしょうか。言語と社会的パーソナリティー、思考法、文化についての説明が、ステレオタイプ的でよく考えれば疑わしいものも多いにも関わらず、一般に支持されやすいということは、少なからぬ面で言語によるそうした影響を多くの人々が感じていることを表しているのだろうと思います。⇒ 「言霊」の話と言語決定論、ステレオタイプによる分かりやすさの問題は同じ土俵に乗っていないような気がしますが。
(7月22日 記す)
0 notes
Photo
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/f90631d3b580c9b8d42b4f445693514e/tumblr_olkp1gVulu1vmt1wzo1_540.jpg)
友人から送られてきたのだが、どうやら某探偵モノのアニメでは死亡してるみたいだ! 過去には何度かオープ二ングやらエンディングの曲もMixしてんのになぁ〜σ(ー ー;)
0 notes
Text
Check Out OP&ED Songs in "Hakata Tonkotsu Ramens" 2nd PV
The official Japanese website for the upcoming TV anime adaptation of Chiaki Kisaki's action light novel series Hakata Tonkotsu Ramens today released a 90-second second PV featuring its OP theme song "Stray" by Kishida Kyoudan & The Akeboshi Rockets and the ED theme "DIRTY BULLET" by TRI4TH. The CD single of the OP song is set to be released on February 7, 2018, then the ED theme will follow on February 21.
The novel series telling the underground battles by professional killers in Fukuoka has been published from Kadokawa/Ascii Media Works' Media Works Bunko since February 2014, and the latest 8th volume is scheduled to be released on December 22.
Satelight-produced TV anime adaptation is scheduled to premiere on Tokyo MX, BS11, and AT-X on January 12, 2018. Kenji Yasuda (Shugo Chara!, Macross Delta) serves as director, alongside series
composition writer Shogo Yasukawa (Shokugeki no Soma, UQ Holder!) and character designer Hideki
Inoue (M3 the dark metal, Macross Delta).
2nd PV
youtube
Key visual is also posted today.
改めて今日解禁の情報をお知らせ!博多豚骨ラーメンズのキービジュアルが公開されました。博多の名所・中洲に佇む番場たちです。夜の街で、人知れず活動する裏稼業の男たち雰囲気が感じられて、かっこいいです! https://t.co/2Hv3xTiReJ #博多豚骨 http://pic.twitter.com/vKGBtNHe7r
— TVアニメ「博多豚骨ラーメンズ」公式 (@hakata_tonkotsu) 2017年12月7日
1st PV
youtube
Kishida Kyoudan & The Akeboshi Rockets
【情報④】オープ二ングは博多出身の人気バンド「岸田教団&THE明星ロケッツ」が歌う「ストレイ」に決定!博多豚骨ラーメンズの世界にマッチした疾走感溢れる1曲になっています。楽曲の解禁が楽しみですね! https://t.co/9UhwwlkGRY #博多豚骨 kg http://pic.twitter.com/He5W6BTn1z
— TVアニメ「博多豚骨ラーメンズ」公式 (@hakata_tonkotsu) 2017年10月1日
TRI4TH
【情報⑤】エンディングは、迫力あるライブパフォーマンスで人気の男性5人組ジャズバンド「TRI4TH」に決定!実は今日のイベントでかかっていたBGMもTRI4THの楽曲でした。こちらの曲の詳細発表もお楽しみに! https://t.co/pjcZokDwph #博多豚骨 kg http://pic.twitter.com/eDY6OI596s
— TVアニメ「博多豚骨ラーメンズ」公式 (@hakata_tonkotsu) 2017年10月1日
Main Voice Cast:
Zenji Banba: Daisuke Ono
Lin Xianming; Yuki Kaji
Saito: Yusuke Kobayashi
Enokida: Kensho Ono
Jiro: Daisuke Namikawa
Misaki: Aoi Yuuki
Jose Martizez: Tomoaki Maeno
Saeki: Daisuke Hirakawa
Yamato: Yoshitsugu Matsuoka
Sigematsu: Kenji Hamada
Genzou Gouda: Kousei Hirota
Shunsuke Saruwatari: Yuichi Nakamura
Hiroya Nitta: Masaya Matsukaze
Novel 1st and 7th volume covers
Source: TV anime "Hakata Tonkotsu Ramens" official website, Twitter
© 2017 Chiaki Kisaki/KADOKAWA Ascii Media Works/Hakata Tonkotsu Ramens
0 notes