Tumgik
#jyuugai
march0320 · 5 years
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2019/07/07
【ヒグラシの鳴き声を聞きながら】
夏になると、夏至を過ぎたといえど、まだまだ日が長い。
なので、暮らしのあれこれも、内容をみて、あれこれする時間帯を決める。
畑作業は基本、朝早くか夕方の夕食前や仕事終わりから。
今日は、鹿の食害から大豆とそこまめを守るため、夕方の時間を使ってネットで囲む作業。
夕方は特に、アブやらブヨやら蚊がやってくるけれど、私には腰からさげる蚊取り線香がある。煙るけど無敵に近い。
そして、ヒグラシの鳴き声が数日前から。気温が低めなのもあるけれど、なんか涼しい。
「カンカン音しよるけん見に来たわだ。」
「道普請は15日8時から頼むのー。」
「ホットケーキ焼いたけんデザートに食べえ。」
休日の夕方18時からの作業というのに、畑をやっていると色々な人が覗きに来てくれる。それもまた楽しみだったりする。
鹿の食害問題はかなり深刻ですが、自分が今すぐできることをコツコツと。
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田んぼのほとりでは、ご近所さんの豆の葉っぱが、容赦なく鹿に食べられました。
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さらに、植えていたあわ(粟)も食べられてる・・・
鹿は、なんでも食べるそうです。好きなものから食べて、最終的にはトリカブトのような毒のあるものも食べるとか。。。うまいこと共存していかないといけません。
昨年、台風明けに大豆が風で倒れ、翌朝起こす作業をしようと窓を開け大豆を見たら、なんと葉っぱが一枚もなく、軸だけ残っている状態。
「え?!」
空高く、茎だけが伸びて立っている状態・・・
あの映像は、今でも忘れません。
そうならないように、今年は早めに鹿避けネットを。果たして今年は無事に育ってくれるのか?我が家のお味噌用の大豆なので、採れなかったら困るのです。
ちょっと手間がかかる畑作業も、夕方ヒグラシの鳴き声を聞きながらすると、涼しくて効率よくできるのです。そして、心地よい。
今時期の晴れの日の木頭の夕方は最高です。
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march0320 · 4 years
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2020/04/01
【ヒトと動物の関係】
木頭の特産物の一つとして、ゆずがあります。
昔、田んぼだった場所にゆずを植え、木頭内のあちこちでゆずの木を見ることができ、春になると新芽が芽吹き、初夏には白いゆずの花が咲きます。秋になると、黄色いゆずの実があちこちに。
どこよりも早くゆずの栽培を手がけ、品質の良いゆずの栽培に力を入れ、2017年にはGI認定されるなど、ゆずの栽培には今もなお力を入れています。(「木頭のゆずの歴史」は以下参照)
木頭では、高齢化が進んでおり、それに伴い、ゆずの生産者の高齢化も問題となっています。
生産者が減少し、管理できなくなっているゆずの畑も増えてきています。
そのため、年々『収穫されないゆず・できないゆず』が増えています。
よって、収穫されず放置されているゆずが鹿や猿の餌となり、『無意識に餌付け』をしていることになり、ますます鹿や猿などの獣たちを集落し呼び寄せる原因となっています。
「ゆずとってないけん、猿が来て、来てしょーないわだ。」
取り残されたゆずが熟れるころ、猿が木に登って、ゆずを食べて食べてしています。
「もぉ、猿や鹿が出てきてのぉ、葉っぱ食べられてしもうたんよだ。木のおろ(幹)だけになってしもうたわだ。」
春になり、柔らかい草が茂ってくるまで餌がないので、ゆずの硬い葉っぱを食べにきます。
そうやって、里に下りてきて、畑の作物もかなりやられます。大豆の葉っぱを鹿が食べたり、サツマイモやきび(トウモロコシ)を猿が食べ散らかしたり。人が育てる作物に、どんどんと手を出しはじめます。
そうやって、無意識な餌付けが、獣をおびき寄せるきっかけになっています。
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そこで、2014年から、木頭ゆずクラスター協議会と四国大学が協力し、高齢化、地主不在などで収穫されず放棄されたゆずを収穫し、ヒトとサルとの共生を目指し、獣害防止の活動を行っています。
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その現状を、より多くの人に知っていただきたいと、ゆずの加工は(有)柚冬庵にご協力いただき、ラベルは、ゆずを収穫した大学生らと考え、収穫したゆずを使用したマーマレードを作成しました。
これらのマーマレドは、
◎四国大学食堂(予定)
◎徳島市内ローソン@徳島大和町店(販売中)
にて、1個300円にて販売しています。
獣害の問題を解決することは、そう簡単ではありません。
自然との関係、人の暮らしとの関係、様々な要因があります。まずは、その第一歩として、多くの方に『知ってもらう』ことからはじめることができればと考えています。
このマーマーレードを通して、一人でも多くの方にメッセージが届きますように。
ぜひ一度、製品の背景(原料がどこからやってきて、どう製品になっていったかなど)から見えてくるメッセージにも目を向けていただけたらと思います。
●木頭のゆずの歴史●少しだけでも知っていただけたらうれしいです^ ^
木頭では、ゆずの栽培がはじまる前から、どの家にもゆずの木が2~3本あって、自家消費用として搾汁した果汁を食酢として使用したり、皮を佃煮など加工して利用していました。販売用としては、果汁を食酢として販売する程度でした。
生果ゆずは、昭和35年(1960年)頃まではほとんど市場に流通する品目ではなかった。
そんな状況で、走川徳祝さんという方が、この全く未知の品目ゆずを全国へ、世界へ流通する可能性を見出しました。
●昭和35年(1960年)●
助ひなどりクラブを発足(11名)
●昭和36年(1961年)●
木頭地域の品種の系統選抜のための育苗開始
●昭和40年(1965年)●
木頭村果樹研究会を発足(30名)
●昭和45年(1970年)●
木頭村果樹研究会を再結成(40人)
大阪市場で注目されるようになり、大量の注文が殺到
①接ぎ木、②剪定・誘引、③根接、④施肥法・除湿法・管理歴の確率、⑤貯蔵法・適温・湿度の研究などの新たな技術が開発される
●昭和52年(1977年)●
朝日���業賞受賞→日本一のゆず「木頭ゆず」の誕生
●昭和63年(1988年)●
第1回全国木頭ゆずサミットの開催
上記のように、様々な苦労の末、現在のゆず栽培の技術があり、2017年「木頭ゆず」が地理的表示(GI)登録され、木頭ゆずのブランド化に力を入れています。
現在でも、自家消費用として搾汁し、お寿司や酢のもなどの料理には欠かせないゆず酢です。
大工さんがつくったり、自分で作ったりした、木製のゆずを手搾りする機械でゆずを搾り、一升瓶に入れて、保存して、またゆずが採れる時期がやってくるまで、そのゆず酢を料理に使っています。
木頭の暮らしには欠かせない、ゆず酢です。
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