#��の子を知らざれば其の友を視よ
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--深海人形-- 今度から全部AIに書かせれば良いや
※画像も小説も、(※鶏の餌レベルなら)好きなものを好きなだけ幾らでも作ってくれる世の生成AI達に感謝!!(※生成AI!!有難茄子〜〜!!!!)。
※閲覧&キャラ崩壊注意
※クロスオーバー?注意
戦役の最終決戦で野獣大尉があーがまにでも神風特攻して戦場から離脱させてたら、100しきは兎も角(※赤いあれは基本逃げるのが大変上手いので)、Zは大幅に排熱と補給のチャンスが無くなるから、普通に無視してガン逃げしてれば、勝てた(※流石のZ君も排熱出来ない状況には勝てないと思う)。皆様も、びぐざむ君が、特に、宇宙空間で短時間しか動けない時点で分かると思いますが、宇宙でのMS&MAは補給より排熱を如何するかの方が余程重要だったりします(※…故に、F91はああ言う排熱に特化した機構を持って居る)。
…。
※クロスオーバー?注意
SD劇場 ハロだけがシロッコの友達 編
※キャラ崩壊注意
※主宮慈愛に死んで欲しくない、 生きて欲しい人向け
※現パロと言うかアニメSDシリーズのパロディ注意
※メッサーラとソロモンの悪夢さんが酷い扱いを受けて居る。底辺の如き扱い(※作者の趣味)
※星屑月間に何やってんだろうね(※真顔)。
「ハロ!ハロ!元気!」
「やぁ、ハロ!今日も実に元気そうで何よりだわ!」
機械・車両の製造修理工と同棲して住み込みで働いて居るレコアが、今日も元気なハロに声を掛ける。
そして、其処でシャッターを開けて、機械工定番の繋ぎ作業着姿のシロッコが出て来る。
「…シロッコだ!シロッコ!」
すぐさま、その御主人様の姿を見たハロは、シロッコの元へ駆け寄る。
「…よしよし、ハロ、本当に良い子だ。」
その何時もの光景を見たメッサーラとボリノークが陰口を叩き始めた。
「シロッコの奴、熱心にハロを可愛がるよなぁ。」
「だって、シロッコって、元々、友達一人も居ねぇし……、」
「…あ゛っ゛??」
其の言葉を聞いたシロッコがガンをつけながら凄む。
「……本当の事じゃねぇか。」
(…彼等は友達認定されて無いのね……、まぁ、彼等の場合は、ハロとは違って、シロッコが親みたいな物だから仕方無いか……。)
…。
「ハロ!シロッコのこと!とても大事!大切!大好き!!」
「よしよし〜〜!!」
街の、郊外の道路で、ハロを散歩させるシロッコ。……だが、其の時、何かを察知したシロッコ。嫌な予感で胸騒ぎがしたので、思わず、ハロに声を掛け、少しだけでも、精神を安定させようとする。
「ハロ……!!…危ない!!!……逃げろ!!」
然し、其のシロッコよりも、其の何かを先に察知して居たハロは、咄嗟に苛烈な威力の体当たりで、シロッコを自分の近くから突き飛ばす。
「…早く逃げろ!!…シロッコ……逃げ……!!」
「……?!!……ハロ!?!」
その時、シロッコの目前で、ハロが何よりも威力が高く強い衝撃によって大破する。
そして、そのシロッコが大事にしているハロを一瞬にして引き潰した、とてつもなく大きな大火力大出力重装甲機体に乗った銀髪ポニーテールの美形青年が毅然と言った。
「何か玩具的な機械がぶつかって来たと思ったら……矢張り、杞憂、気の所為であったか!!」
それから、その青年は、そのすぐ後に、その場を、凄まじい迄の猛スピードで去って行った。
そして、シロッコは、その銀髪の青年と彼が乗って居た、大変、大型で大出力の機体が、ハロを引き潰した後に、残した、無惨極まりないハロの大破した残骸を見て、…そ、そんな…ハロ、ハロ!!!!!!!…と、其処で蹲りながら、行き場の無い感情を爆発させた。
「…あっあ〜〜、…ハロ、ハロぉ〜〜!!!!!」
…。
--次の日。
「なぁ、シロッコ、お前唯一の友のハロが壊れちまったのは分かるけどな……。」
そうやって、正直言って、励ましでは無く、冷やかしに来たヤザンが----一応ではあるが、----シロッコを慰める。
「あああっ〜〜〜〜、…ハロ、ハロォ……、、」
「でもねぇ、大の大人が玩具が壊れた位で悲しむんじゃないの。」
此んな感じで、レコアが「もうあなたは大人だから、あんな玩具に其処迄執着しちゃダメ。これは大人になる良いチャンスだと思って。良い加減、大人になって。」…と言う風に言っても、
「……ハロ、…ハロォ……、」
矢張り、シロッコは、とてもハロへの思いを振り切れない。
そして、其処で��ヤザンが、「だけどよ」と、シロッコの気持ちに配慮した様に言う。
「仕方無��だろ。…ハロは、彼奴唯一の友達なんだから。」
これでは、まるで「俺はあいつの友達なんかじゃねぇ。」…と言う言い方だ。…其れでも、そんな事、自分がとても大切に大事に可愛がって居たハロを、例のよく分からない自己中心的テロリストに破壊されたシロッコにとっては、如何でも良かった。
「ううぅ〜〜〜!!!!!!…ハロォ……、」
…。
其れから、未だ未だ、ハロへの未練を断ち切れないシロッコは、地下格納庫と言うThe Oが何時も居る所で、何が何でもハロを破壊された悲しみを癒し切ろうと、其の自身が作り上げた機械の子供とも言うべき、其の様な機械人形に、只管、甘えて居た。
「…The O……、…あのハロが……ハロォ……。」
「御主人様……。」
「あんなの酷いだろ……。…毎日、毎日、ずっと一緒だったし、色んな事、教えたのに……、…刀の事も、戦車の事も沢山教えたのに……。」
(…うわっ…、…相変わらず、趣味全開だな……)
「何で急に事故で破壊されちゃうんだ……、…ハ、ハロぉ……、」
(…御主人様、…もうこんなに弱々しくなって……。)
その後、十二分にThe Oに甘えたシロッコは其の機体が居る地下格納庫から出て来る。
「……さぁ、仕事する気にはとてもなれないけど、仕事するぞ……。」
その時、レコアが声を掛けて来る。
「…社長……。」
「…一体、何だ、レコア?」
「…あのハロを引き潰して破壊した機体について調べました。…其のハロを轢き逃げして破壊した機体は、どうやら、ノイエ・ジールと言う機体の様です。そして、その機体を愛機にして居るのが『アナベル・ガトー』と言うテロリスト、政治思想犯で国際指名手配されてるとの事……。」
「そ、そいつかぁ……。ハロの仇は……。」
拳をプルプルさせながら、ハロを破壊された怒りに震えた(※…然し、一体どれだけ、この人、ハロの事が好きなのだろうか……??)、
其の後、早速、ハロの仇を取る為に、対テロリスト会議が行われた。其の会議の為に、シロッコ製造の機械人形達とレコアが駆り出され、そして、急遽、ヤザンが呼び出された。
「ガトーの手配書にはDead or Aliveと書かれて居るんだが。」
其のヤザンの発言に、シロッコはあっさり此う答える。
「然し、テロリストとは言え、無闇に殺してはいけない。何とか生け捕りにして、奴に轢き潰されたハロ以上の生き地獄を見せねば、此の怨みは晴れんぞ。」
(…ハロは玩具よ……。)
(…ハロに異常な執着心を持ち過ぎだろ……)
レコアとヤザンは、其々、其う、心の中で突っ込んだ。さて、其の次に、戦力の話についてで、突然、柄にも無く「物量作戦を決行して袋叩きにしよう」…と言い出したシロッコに対し、森の熊さ��が此う意見した。
「それでも、ノイエ・ジールは、途方も無く強力な機体で、幾ら戦いは数だよ兄貴みたいな物量作戦でも、生半可な戦力では、返り討ちにされますよ。」其処でヤザンが提案する。
「俺もメッサーラ辺りに乗って、奴に食らいつこうとは思うが、幾ら、電力と推進剤は足りて居てもな。」
其の言葉を聞いたメッサーラは、此処で、はっきりと言う。
「俺、あんな奴に真っ向勝負を挑むの嫌だなぁ。」
其んなメッサーラの事を、何処かで聞いた事がある様なフレーズでレコアが罵る。
「情けない機械!」
そして、此処で、情けない機械であるメッサーラを後目に、The Oが言う。
「メッサーラは情けないけど、The Oも協力するからね。」
此処で、パラス・アテネが言う。
「The O、意外と親孝行……、」
「…『意外と』は失礼だなぁ……。」
…と、当の本機が反応した、其の時、更に此処で、メッサーラが言う。
「あんな化け物機体に出て来られたら、正直、本当の物量作戦でも無ければ、The Oくらいしか話にならないしな。」
其れに続いて、レコアが、又、メッサーラを罵る。
「そうやって、戦闘から逃げ続けるなんて、本当に情けない機械!」
「好きに言いな!俺は絶対にスクラップにはなりかねぇんだ!」
其んな中、ヤザンがポツリ言う。
「…御前等は生物じゃないんだから、スクラップになっても修理するか作り直せば良いだけのじゃねぇか??」
然し、此の言葉を誰も聞いては居なかった。
…。
其れから、余り時間が経たない頃に。例のテロリスト ガトー、奴は来た。
「…現れたか!例のテロリスト(奴)が!!」」
「今度こそ、テメェの様なテロリストの最高峰を、ティターンズ本部の門前に突き出してやるよ!」
まるで、予め出現場所を熟知し、其の出現場所で待ち伏せて居たかの様に、賞金稼ぎとテロリスト対策支部の軍が、すぐさま、其のテロリストとノイエ・ジールと対峙する。
……されど、然し。
「駄目だ!ヤツの乗っている機体が早過ぎる!此の儘では追いつけもしない!!」
余りの、ノイエ・ジールが誇る速さと圧倒的大出力に、彼等も戦う前から諦めて居る最中、只、其の中で、一機だけが、其の関取体型の機体だけが、ノイエ・ジールに追い付こうと速度を上げる。御存知、シロッコとThe Oだ。
「あっ、あいつだ!!!あいつが俺のハロを!!…ハロのカタキィ〜!!!!絶対に許るさんぞ!!ガトォオオオオオ!!!!!!!!!」
……この形相ではほぼウラキである。
「賞金稼ぎか?!…面白い奴だ。」
今迄全然、The Oには、興味無かったが、自らの背後にピッタリとトレース��る様にいるThe Oに、例のテロリストは、自分達についていけるレベルの機体に興味津々になりはじめる。相変わらず、シロッコに対しては、何にも興味が湧いては居ないが……、
…さて、此処で、The Oとシロッコが会話をする。
「The O?未だ加速出来るか?」
「大丈夫でございます!!御主人様!!ちゃんと追いつきますよ!!」
其のThe Oの自分達との互角振りを見て、例のテロリストは惚れ惚れ感心する。
「…感心した!此のノイエ・ジールの速度に追い付く機体が存在するとは!」
此の恐るべきThe Oの追走劇を見て、ノイエ・ジールに追いつけなかった者達が次々に言う。
「何だ彼奴等は?!自害的な加速だ!」
…完全に蚊帳の外に居る彼等の、其の言葉等気にしていられる暇も余裕も無く、The Oもシロッコも、必死に、ノイエ・ジールに食い付く。
「ハロのカタキぃ〜〜!!」
やがて、ノイエ・ジールと其の操縦者は口喧嘩をし出した。
「…ええい!もっと速度上げんか!ノイエ・ジール!」
「駄目です!」
「それでも速度を上げんか!此のポンコツが!!」
「俺は悪く無いです!彼奴が関取体型の癖に速過ぎるのが全部悪いんですよ!」
「弱音を吐くな!お前は公国の魂が形になっているのだぞ!良いか、私が全てこれからお前の操縦をやる!…公国の為にも、あの関取と真っ向から勝負するのだ!」
「そんな事ならアンタ一人でその生身の体だけで、全部やって下さいよ!」
そう、其の操縦者とノイエが口喧嘩と内輪揉めをして居る内に、シロッコはThe Oに隠し腕を伸ばさせる。
「今だ!マニュピュレーター伸ばせ!」
「その手があっただと?!?!」
その隠し腕は、ノイエにダメージを与えず、テロリストだけをガッシリ捕縛する。
「よし!テロリストだけ捕まえた!」
…其処で、----自分が人質の様な立場になった事を自覚しながら----例のテロリストが叫ぶ。
「ノイエ・ジール!何をボーっとしている?!操縦者が居なくても戦うのだ!我等が公国の為に!!」
「うわっ!逆に有難いです!其の人の事は其方で如何か宜しく御願いしますね!」
「」
此の瞬間こそが、ガトーから逃げられるチャンスだと思ったのか、そう言いながら、ノイエ・ジールだけが逃げて行く。
「彼処迄、あっさりと、裏切られるとは……。」
「…ノ、…ノイエ・ジール!戦闘を放棄するな!然も、土壇場でこの私を裏切りおって!!」
何とも、SD時空らしいノリと展開。其処で、The Oとシロッコはコソコソと話をはじめる。
(何だか拍子抜けですね……)
(おっ、其うだな。)
…だがな、此れで、
「これでハロの仇は取った!…後は、テロ狩り専門家ティターンズに任せよう!」
…すると、例のテロリストは、何やら抗議をして来た。
「良い加減に、このふざけたタラバガニの腕を何とかしろ!必要以上にキツく締め過ぎだろう?!全身の骨が折れるでは無いか!!
「喧しぃ!!」
そう必死にクレームを付けて来る自己中テロリストを後目に、逆に、シロッコはThe Oのマニュピュレーターの出力を上げる。それによって
、足と胴体が締め付けられた、そのテロリストは、大きく呻き声を上げる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!」
…。
それから、The O達は例のテロリストをティターンズに引き渡し、帰って来た。
「「ただいま!」」
「御疲れ様!The O、大金星で大活躍だったそう��!」
すると、其のレコアの言葉を聞いたThe Oは説明をする。
「いえいえ、確かにノイエ・ジールには勝ったも同然なのですが、本格的な戦闘にならなくて命拾いました。もしも、あの機体と一対一の差し合いをして居たら、自分は負けておりました。」
「何処迄も、謙虚だな。The Oは。作りの親とは違って。」
其のヤザンの発言を聞いたシロッコは、本気であきれる。
「はぁ???」
「でも、良かったじゃねぇか。ハロの仇(あだ)が討てて。」
「…The Oは謙虚過ぎる!私が居れば、例えあのノイエが相手でも、十二分にサシだろうが何だろうが勝てたぞ!」
其の、シロッコの、最早、傲慢不遜で無謀な発言を聞いて、「…勝てる訳ねーだろ……。」とヤザンは半ば無視するが、其れでもシロッコに次の事を伝える。
「…後な、朗報がある。あれから、ハロのパーツを、かき集められるだけ、俺達で、かき集めといたんだぜ。お前は機械の専門家、部品があれば、ハロを自分で、直せるだろ?」
「だけど、どうしても、集められなかったパーツもあるから……、…破損して使えなかったり、足りないパーツがあるなら新造するしか無いけどね。」
「…本当に有難い!ハロの壊れたパーツを回収してくれるなんて!これで私のハロが蘇る!ありがとう!!これでハロが治る!」
--それから数日後。
「…遂に!!ハロが蘇ったぞ!!!!!!!」
「おぉっ!やったじゃねぇか!!」その報告を聞いて、ヤザンも喜ぶ。
「見ろ!此れが新生ハロだ!」
だが、その時、ハロとして姿を見せたのは、犬型のロボットだった。
「ワン!ワン!元気!オマエは犬か?!」
「何でそうなるんだよ!??!!!」
…。
没
其れに、原作とは髪型も違う。まるで、某異能生存体の如く、大変、短く髪を刈り込んで居る。
…。
※…以下、Effigyネタ注意
※初見の方は此処↓参照
R-9Cとエンジェルパック、R-9/0と幼体固定処理済パイロットはバイドとの、そして、エレブ���陸の魔竜は、人間との生���競争の為に『加工』されたけど、Effigyは『自分達が家畜か奴隷、生体部品にしたい人間を家畜や奴隷等として貶める』為と『スペースノイドを呪詛する為』に作られたからね。其処からして、作られた意図が違う。
…。
やっぱりハロは友達!
…シロッコが、EffgyのRXQ-03にされて暫く経った後に、上官から遊び相手兼御目付け役として、ハロを貰った。早速、深緑の----RXQ-03好みの----クリアボディをしたハロは耳の部分をパタパタさせながら、RXQ-03に話し掛ける。
「ハロ、元気!オマエ、元気か?!」
「……いいや。」
「…ところで、オマエ、RXQ-03 オーキッドだな?」
すると、ヤザンがハロとRXQ-03の間に割り込む。
「RXQ-03でもオーキッドでも無ぇ。シロッコと呼んでやれ。」
その発言を聞いたハロは此う答える。
「使用不可。シロッコと言う単語を参照できない。」
「このポンコツが!」
「何する?!やめろ!ハロ、大切に!」
そう言ってハロを鷲掴みにし、シャカシャカ振り回そうとするヤザンから、RXQ-03は、ハロを腕と胸の中に抱いて守ってやる。
「何で守ろうとするんだよ!シロッコ!」
其んな自分のハロをヤザンから守りながら、-03は其のヤザンの居る場所から逃げ出す。その後、-03の御陰で、安全な場所に避難出来た、其の行動に救われたハロも感謝する。
「オーキッド!オマエもハロの友達!!」
其の後、何時も静かな顔でハロを溺愛して可愛がる-03を見たサラが言った。「パプティマス様はハロの事が大好きなんですね。毛玉が好きな子猫みたいに、ずっとハロで遊んでます。」そんな中でも、サラが見守るのを後目に、RXQ-03は、ハロを抱き締め続ける。
…。
…後日、「ハロ、元気!元気!」RXQ-03は、ハロを侍らせながら、色々な事を学習させて居た。それくらい思い入れ深く、可愛いがっていた。「パプティマス様は本当にハロが御気に入りなんですね〜〜。…正直、其のハロが羨ましいです。」あのサラも、何処はかとなく、嫉妬を感じ、認める程の可愛がり振りであった。…だが、然し。
…。
其の時、RXQ-02が、ハロ達の通るL字通路の先に居た。彼は、自分の近くにいる03とサラの事など何も気にしていない。…そして、----…嗚呼、何か私の通る通路に何かおもちゃみたいな邪魔な物があるな、…と感じたのか、RXQ-02は、ハロを大きく蹴り飛ばす。
「!??!!」
「…ハロ……!」
其うして、RXQ-02の蹴りによって大きな衝撃を受けたハロは瞬く間に空中分解し、無惨にもバラバラになった。
「……!!」
「此のEffigyの男、パプティマス様のハロに、何て酷い事を!!」
「?」
だが、相手の方は、彼のハロが、自らの勢いで破壊されようが、何にも気にしていない。きょとんとした真顔でサラと-03の方を見つめて居るだけだ。
「…許るさん。」
「パプティマス様!!一体何を?!?!!」
「?!?!?!?!!!」
そうして、-03は、-02に、カナディアン・バックブリーカーを決めた。
※ハロクラッシャー⭐︎ガトカス(※Rebellionでは、逆に壊れたハロの修理してたのにね……)。
…。
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この研究所で出される食べ物を食べ続けていると、不思議と段々と調子が悪くなる。なるべく避けようとしているが、どうしても出席せざるを得ないと、嫌でも食べ続けなくてはならないといけない日々が続く。そして必然、調子が悪くなる。どうもドイツとの相性が良く無いのか、単に、今まで住んでいた場所は、自分が好きなものを好きなように調理して毎日を暮らしていたからなのか、意味不明である。母が作ってくれるものを有り難く食べていても、調子が悪くなる訳では無いので、多分、こちらの水や土との相性が良くないのだろう。上五島の安藤先生が仰っていたように、ドイツは土地が良く無いのかもしれない。
Corkでの学会で明大で博士を取ってから、二個目の博士を取りに渡仏し、おパリ在住6年目と仰る御人に会った。ロックダウン中もおパリで過ごしていたらしい。その彼が曰く、久しぶりに日本に帰って驚いたのは、色と景色が三次元だという。エッ、とワシ。チミ���二次元の世界にいるなら、どうやって移動しているの?と聞いてみる。苦笑いしながら彼曰く。いやぁ、ヨーロッパって風景はきれいかもしれないですが、死んでいますよね。全てが。。。抑圧されているというか、色がのっぺりしていて生気が無いというか。。。ワシは良い意味でピクチャレスクそのものって事?と聞くと、破顔で、そうそう。そうなんですよ。油絵ベタベタ塗ったくった平面的な絵画なんですよ。そして日本は美しくすぎる。見る風景、見る風景に、気が宿るというか、キラキラしているんです。生命が溢れているというか、生命のキラメキを全ての物から感じるんです、と。日本は美しい。八百万の神の概念が生まれざる得ない場所だと思うんです。神道は、全てが死んで、のっぺりしているヨーロッパ人には絶対に分かりません。と、ヨーロッパ人は感性低いのに、それが良いと思う日本人は、死んでいるものが好きで、死者の上に君臨したいんでしょう、と。日本みたいに、全ての物が生命に満ちあふれていて、全ての物が一斉に自分に話しかけて来ない。ヨーロッパは死んでいます。と断言した。日本の喧騒は、人間ではなく、モノなんです。でも、今は、五月蝿、人間が増えすぎていて、モノの声が聞こえない。だから僕、日本の田舎が好きです。ヨーロッパは物が死んでいるから、人間が五月蝿。うるさく、あーでもないこーでもないと、銀蝿のようにたかってブーブー言っている。僕、6年目にしてやっと、ヨーロッパと日本の違いが分かって、ヨーロッパへの違和感が言語化できたんです。だと。
アホで単純なワシ、彼の感性に感動。伊達に6年もおパリに幽閉されていた訳では無いようだ。ドイツも全く同じ。生気が無い。なので、美しく無いのだ。生気好きには、つまらない。色が踊らないからだし、陰影が無いからだ。また、何かにつけ権威主義的な癖に中味無いし。それにしても、彼の御実家は、どんだけ資産家やねん。。。と思った。ワシがドイツ渡航前の昨年、会津の馬皮職人の伯父さんからバッグを購入した時、バブル時代にエルメスだの、グッチだの、シャネルだののハイブランドのバッグの、一番高い奴は、実は伯父さんが作っていたんだよと、笑いながら教えてくれた事を思い出す。そして、ワシはその伯父さんから花豆の煮物を頂戴し、彼のバッグで通勤して、伯父さん元気かなって、毎日思う。
日本も、アメリカも、ドイツもそうだが、知識人と称する輩は驚くほど無知で、芸術の消費者でしか無く、ファッションセンスも皆無に近い。だから、手っ取り早く、有名ブランド、ミシュラン有名レストラン、有名な芸術家と名声がある所に、アホな奴ほど群がる。そして、あいつのチケットは300ユーロもしたのに、対した事無かったとか���訳わからん批評をしまくる。要は、自分が楽器を弾くわけでも、洋服を縫ったり、料理を作ったり、掃除したりという日々の繰り返しをバカにして、日常を軽々しく生き、それら日常の美を軽蔑しているために、審美眼が全く養われていないし、センスが無いのだ。実に下らない。ミシュランのレストラン行って幻滅したことを思い出す。
本当に良いものは、高い物の中にもあるかもしれないが、縫い物なら始末の仕方、裏地の始末、模様合わせなど、色々と観察ポイントがある。家庭科の授業は、それらを見極めるための教養だったし、絹のジャケットにライニングで金の鎖を仕込んで風でフラップしないようにするのよ、その重さが丁度良いのが金の鎖なんですってとか、そういう、日常的な生活の中の、ゆとりと贅沢な楽しみを知らない人々が、ブランドに飛びつくのだろう。まぁ、私もそれが分かるようになるまでには、色々と買い物をしたけどね。。。
という訳で、ワシはチクチクとクロッシェレースを楽しむ。別に意味が無いクロッシェレースを編むのは、正に贅沢の極み。ワシは幸せだ。そしてワシは手先が器用である。そして、夜は久しぶりにタンゴを聞きに行く。ワシの愛するブエノスアイレスの風。ErnestoやRomina、Doloresを思い出して涙する。ワシはドイツで、半生を振り返らせてもらっているような気がしてならない。人生も折り返し地点。もう、自分に鞭打たなくても良いのじゃないだろうか。父が十分、頑張ってくれたわけだし。ワシはどっかのアホ嫁と違って、疲れたフリして倒れてみたりとかできないし。農家の祖父母を持ちながら、祖母の作るサクランボを嫌い、子供に農家をバカにする発言させて、体力ある癖に大袈裟に体弱いフリする演技でサボる事なんてできないし。上手に気付かないフリして無視して旦那にお任せとかできないし。適当に甘えられて嬉しがっている旦那も終わっとると思うが、それも人生だし。ワシはそんなアホな旦那なら飽きるからいらないし、そもそも旦那いないし。いなくて良いし。20歳で腫瘍取ってから、もう結婚とかめんどいし、身体触られたり、体液交換するの気持ち悪くてゾッとするし。ベムのヨダレを拭くだけで十分。ワシの周りにも、案外ワシと同じように、子供を持つリスクよりも、ペットで良いという方は多いし、おまけに、種としての人間増えすぎやし。環境が心配だとほざく癖に、自分は子供産む権利があるとか思っているバカ見ると、マジで特権階級左翼オワッテルと思うし。
ってなわけで、白居易を思う。「君子居易以俟命、小人行険而僥倖」。『礼記』の『中庸』である。小人は冒険をして幸せを求めるが、君子は居やすくして命を待つ。また、「楽天知命、故不憂」である。『易』の一文。白居易は、別名、白楽天としても知られる。ワシも中学三年生から麻貴楽天を意識して生きてきたが、人生の後半戦は麻貴居易、麻貴楽天として生きよう。ワシは小人を自負していたので苦労を厭わなかったが、もう良いかな。そして他人がどうであれ、「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸佛教」と『法句経』の一部を胸に、善を意識して生きよう。諸悪莫作まで行くと、ワシは完璧主義者なので、自分の存在を消したくなる。ワシが存在するだけで、気付かない内の悪行の数々は底しれない。だから、責めても、衆善奉行止まりでね。ほどほどに。
アホなドイツ人に、鴨長明の『方丈記』について、そいつが間違った解釈をされているので訂正して上げたら(そして、ワシ、なぜ丁寧語?)、自分が如何に正しいかを懇々と説明され、おまけに、俺は方丈記は全部読んでないけど、の枕詞までつけて、延々と説明される屈辱を味わいつつ、コイツバカ死ねと心底、心の中で思っても顔は引きつりながらニコヤカに。そして、彼が行ったことも無い京都の方丈庵からインスピレーションを受けたとかいう下らない建築物を褒めて、そいつのエゴを満たしてあげて逃げる。もうこうなると、国籍関係なく、エゴ高めの無知な人間が、ようここまで偉そうに闊歩しとる時代やわいと感心しかない。
しかし、多分、ワシの親族の誰かが同じようなことを他人様にやった、しっぺ返しとして、ワシにこうした気付きの機会が回って来るのだとしたら、ワシはアホな親族に代わって、このアホなドイツ人のエゴを満たしてやる事でしか、ワシのアホな親族に代わって代理謝罪できない。全ては繋がっていて、全ては円環と循環の中で、跳ね返ってくるだけだから。また、気付かないバカは素通りできるが、気付いた限り、対処するのが世の常。踏ん反り返って悦に入るドイツ人建築家を前にワシは、そいつにではなく、そいつが気付かせてくれた因果に頭を下げるのだ。でも、後で愚痴るのだ。そして笑い種にしてやった。それも、良し。いい加減にしろよな。。。と誰もが思う事まで我慢する必要は無し。いくらワシを慕おうと何しようと、親族の関係も同じ。いい加減が丁度良い。ワシは人生後半戦は、共にいて心穏やかに楽しく居られる人達と共にいたい。もうエゴ高めの面倒な奴は年齢関係なく御勘弁申し上げしたい。
まだワシは天命を知らぬが、麻貴楽天でいれば、命も自ずと開けよう。なにせワシは生まれた時に祖母の占い師から、若い頃には苦労するが大器晩成と言われとるらしいし、そいつの選んだ命名では別の占い師によると強すぎるらしいし。そりゃ麻に貴いだぜ。最強すぎて名前負けせんように生きていると、そんじょそこらの男に甘えるなんて事、できなくなるし。甘えているフリだけする女子力高めのエセ女見ていて反吐出るし。それに振り回されて、子供が良い歳になってから嫁選び間違ったわー告白されても、今更なにゆーとんねん���ケ。肉欲負けしただけやろアホ。男なら最後まで責任取りやーと、見知らぬ女の離婚の危機を救ってあげるしかないし。ワシ、ホンマ何やっとるんやろうねぇ。。。溜息。まぁええわ。ワシは男友達多めなんで、それはそれなりに楽しませてもらっておりますねん。そして、ワシが心から好きな人々はみんな、とてつもなく良い女で良い男。何故なら、ワシが良い女だからじゃ。がはは。
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其の十八彫目 「過去と現代の客層の違い」
今回も自身の経験に基づく独断と偏見の内容となっておりますのでその辺はご勘弁あれ〜🙏
さてさて、過去と現在のお客さんの違いを少し深掘りして考察したいな〜と思います。
過去、、、とは言ってもいつの時代か?となるところなのでざっと約35年ほど前〜現代という期間に絞って考えます。
昔は彫り師さんが看板を掲げて営業されているという事はほぼ稀であり、稼業の方々またはその交友者の方々をご専門にお仕事をしておられました。
稼業の方という言葉は「裏の世界の方」を表す丁寧語であり、交友者は主に職人関係の方々と言ったところです。
ざっくり括れば出張はせず特定の稼業組織に専属的に従事するタイプの彫り師さんもいらっしゃれば、特定の組織に属さず様々な地方に出張で呼ばれ数日から一週間程度ガッツリ彫って稼ぐタイプのスタイルがございました。
また稼業組織に専属的に従事しながらも友好関係組織の土地には出張するスタイルもございましたね。
昔は彫り師がご職業の方は大変希少で貴重な存在であり、��な彫り師さんは殆ど見た事はないと言っていいくらいの存在であり誰からもリスペクトされる存在でありました。
当時はどこかの一門に弟子入りし修行し独立するというのが基本的な彫り師になる流れだと思います、、、、、がしかしそれはそれは大変厳しく大概の方々は門戸すら叩くことすら許されないくらい畏怖される存在でもありました。
その時代はお客さんも稼業人が多いので自然とそういう気質になる傾向があったのだろうと推測します。
その流れで彫り師🟰怖いというイメージが今もあるとは思っています。
お客さんも知り合いに稼業人がいなければほぼ彫る事も場所もわからない時代でもあり、日本伝統刺青以外の彫り物は「イタズラ」と揶揄される事もしばしばでございました。
本当に古い時代に彫った方々で���ンポイントなどの現代風タトゥーデザインのものは殆ど見かけません。
みな大きな日本伝統刺青を入れるので大変な時間と金銭がかかり、制作途中の方々が多く「金がないのか?痛いのか?」と矯正施設の中などではまたまた揶揄される対象でありました。
また彫り師さんが出張で来られる場合、招く方はその地方の裏の顔役の方々が多いです。
そうでなければお客さんは集まりませんので、、、、、、
さてここからは現代のお客さんの特徴を見ていきましょう。
有名な著名アーティストなどがタトゥーを入れて様々なメディア媒体に出演する事で彫るハードルも下がり、気軽にスマホ等で簡単に彫り師にコンタクトを取ることが可能である時代です。
Tik tok等の動画を多用する彫り師さんは若い客層を狙う傾向が強いと感じ、比較的ファッションタトゥーに比重を置いたお客さんに焦点を当てており商業的に間違っていないと思います。
確かにお若い方はインスタやTikTokからのDMアクセス率が高いですね。
SNSに頼り切ってしまうお客さんはファーストタトゥー率が極めて高いので、クオリティー重視ではなく値段重視の思考なのでアマチュア彫り師にコンタクトをしてしまう確率も高いです。
逆に素敵に歳を重ねた方々のお客さんはインスタやTikTokからのDMアクセスはあまりせずに、公式サイトを通して電話などのアクセス傾向が高いです。
周りの知人にも評判等を確認している傾向が高く目も肥えています。
また公式サイトを持たずに広告媒体がSNSのみでレベルの高い彫り師さんも多くいらっしゃるので一概にも悪いとは言えず、やはりご自分の鑑識眼が必要とされます。
なのでまずはたくさん作品を見て目を肥すことをした方がいいとは思います。
近年はお客さんの需要に対して彫る側の供給が極端に増えたため安易な考えでスタジオをオープンさせ乱立してしまう状況ではあります��、まだしばらく増えるだろうと予測いたします、、、、がおそらく徐々に自然淘汰されていくであろうと考えます。
またはセミプロのように片手間で細々と彫っていくパターンも考えられます。
この世界に「安かろう良かろう」は存在しません。
また逆に「高かろう良かろう」が必ず正しいかと言うとそういう訳でもない訳で、最終的には彫り師のテクニック、人格をお客さんが見抜かねばなりません。
責任は自分自身の選択の結果なのでよくよく考えてタトゥースキルはもちろん電話対応、言葉遣い、話しやすさなどから見抜くようにして欲しいと思っています。
次回は「彫り師のプロとアマの違い」についてお話し致します〜😊
DMS TATTOO
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#いわきタトゥー#いわき刺青#福島県タトゥー#いわき彫り師#福島県刺青#茨城タトゥー#dms tattoo#南相馬タトゥー#DMSTATTOO#japanese tattoo#いわき和彫り#郡山タトゥー
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いよいよ、ついについに、 四月二十一日金曜日午後府立洛南病院との 第三回目の団体交渉が設定できました 素晴らしいです。 団体交渉のために出した、【「心神喪失者医療観察法病棟」新設を巡っての公開質問及び意見書公開質問状】をアップしておこうと想います よーーし、ヤルゾーーーー 京都府立洛南病院 吉岡隆一院長殿並びに内谷看護部長殿 「心神喪失者医療観察法病棟」新設を巡っての 公開質問及び意見書
いよいよ、ついについに、
四月二十一日金曜日午後府立洛南病院との
第三回目の団体交渉が設定できました
素晴らしいです。
団体交渉のために出した、【「心神喪失者医療観察法病棟」新設を巡っての公開質問及び意見書公開質問状】をアップしておこうと想います
よーーし、ヤルゾーーーー
京都府立洛南病院 吉岡隆一院長殿並びに内谷看護部長殿 「心神喪失者医療観察法病棟」新設を巡っての 公開質問及び意見書
私たちは、1976年設立の精神病患者会前進友の会と申します。また、患者会が設立母体運営主体となって1988年に認可を受けたやすらぎの里作業所とも為っております。40年以上拠点としていました山科区の日ノ岡から、昨年の10月伏見区の石田大山に引っ越して参ったトコロです。貴院とは、距離にして、4キロ弱、車なら10分ほどの距離に居ります。コレもナニかの御縁でしょうか。地元であり身近であると、言えましょう。ジックリとおつきあいくださいませ。身近な患者会作業所として、貴院の医療内容の充実に微力ながら協力を惜しまない決意と覚悟でございます。さて、身近であると云うコトは、貴院において此のたび観察法病棟を拵えて運用を始めるということに、不安に想っているなかまが多いと云うコトであります。町内会の皆様方が『迷惑施設』ができるので不安だと云うとても差別的な不安とは、全く意を異にする精神病者の精神病患者のセーカツから来る不安と云うものです。ただでさえ我々精神病患者は『セーシン病』の『キチガイ病』の『キタナイ』は『キケン』やは『キツいキチガイ』やは『異常者』やは『生活保護』やは、だのと、世間様から散々に言われ続けワルう見られ続けてるのです。しかも、なんとかかんとかフツーにセーカツしていても、この町内から、アパートから、学校から、会社から、出て行けと、表裏なく言われ続けているのです。そこにさらに、上乗せで、『観察病棟帰り』の『触法精神障害者』となったら、『ハクが付き過ぎ��』、『スティグマに為りすぎて』、外で暮らせなくなるのではないか、出歩けんようになるんじゃなかろうか、と、ますます、ワシ等キチガイは、暮らしにくくなる、のでは、と不安でいっぱいです。
さてと、吉岡さんや、不思議なもんやなぁぁぁーー一緒に友の会の夏レクにも行ってたやん、写真もあるんよ、今度持っていこう。懐かしいよ。京都滋賀精神医療人権センターで、一緒に活動してたこともアッタもんな。最後に京大で会ったのは2005年ごろ、「懲りない精神医療 電パチはあかん!!」を売りに行ったときじゃなかったっけ、確か、15か16冊その場で買ってくれたような記憶がある。あれからずいぶん過ぎた。えばっちは、相も変わらず患者会にいるよ。吉岡さんは、ずいぶん変わったのかなぁぁぁーーエロウ為って変わってシモウたんかなぁぁぁ、『立場』ってモンがアルようになってしもうたんかなぁぁぁーーーそれとも本当に『観察法病棟バンザイ』の考えになっちゃったのか、、、、アンタもタイヘンかもシレンが、延々と患者会でレクやって食事会の食卓をなかま達と囲んでセーカツをみんなで、みんなで続けてきた、高齢のなかま達を看送ってきた、週一で精神病院に面会し続けてきた、なかまの入院をなかま達で説得して連れて行った、ソンな患者会を開き続け、クリスマス餅つき大会をやり続け、セーカツからくる「保安処分やらイローーンなモン」に終始反対してきたこっちの身にも為ってくれや。しかも、クスリ飲みながらやで、殺生なハナシやないかい、、、、、、、
山下院長とは第二回2021/2/17も第一回2020/10/21も、団体交渉は、内谷看護部長さん含めて、実のあるハナシが出来たんよ。吉岡さん、その二回の話し合いのうえで、少なくとも、次の点が問題点だと了解できたはずナンよ、だから、次は、吉岡さんと実のある実質的な話し合いをしたいのんや。やりたいんや。ハナシ合いやろうや。ヤルで、コレは、、、事務長なんか連れてくるナや、患者と看護士と精神医とでハナシ合おうや、実のあるハナシをしたいんよ。たまたまこれもご縁や、一緒に活動した仲やないか、『立場』は違ってしまった、でも話し合いはチャンとできるんじゃないかな。いや、せぇなアカンでコレは、、二月の何時かの水曜1400時から1700時まで、で、時間とってくれないか、よろしくお願いしたい。是非とも、や。下記は二回の団交の話し合いの問題点のまとめや、以下十点の吉岡さんの存念を聞くところから出発したい。また、以下二点の吉岡さん個人への質問がアリマス。話し合いを進めるにあたって、以下の十二点の回答を書面化していただいておくと、ハナシ良いかもしれませんね、、、
❶「心神喪失者医療観察法」が法案として国会に提出されていた時点では、吉岡院長は法案に賛成していましたか、それとも反対していましたか。 ❷吉岡院長は「精神医療」「日精診」誌上において積極的に『司法と精神医療の相互相乗り入れ制度』を提起しているかのように見受けられますが、其の意図するところはナンなのでしょうか。
①ガイドラインの18か月ですらを大幅に超える長期入院に為ってしまっているのは何故なのか ②自殺者が余りに多いことをドウとらえているのか ③内省療法をドウ認識しているのか実施するのか心理拷問ではないのか ④m-ECT、クロザピン、看護士の暴力CVPPPをドウとらえているのか ⑤高度に機能分化し過ぎた医療が医師看護士看護婦にどのような影響を与えてしまうのか ⑥ハードが出来てしまえば造るに苦労した世代の医療とは別に次世代若手からは其のハードに規定されてしまう医療に為らないか ⑦洛南病院として過去現在の刑事事件に巻き込まれてしまった患者さん達への対応に問題はなかったか ⑧刑事事件に巻き込まれてしまった患者さんへのそもそもの事実認定について司法を信じての治療開始で良いのか ⑨稼働したとして、外部のものが定期的に入れるのか、外部からの監視の眼が必要なのではないのか、、ソコに地域の精神病患者会も入れないか ⑩そして、長らく宇治の地で作業所所長をやってきはった棚谷さんが前回最後にハッキリと文書で持って指摘した三点の疑問点については、洛南病院には答えて頂くほかないと、強く想ってる。ソッチに残ってるはずやで、探し出しといてや。
しかも、当方の質問状31点の質問にも全て答えて頂いているわけでもないしね、とにかく、話し合うか。愉しみにシテルよ。最初の質問点も一応再掲しておきます。 ①一度、前進友の会と、会って話しが出来ませんか ②観察法病棟を運用するツモリですか ③ソレは何故ですか ④予定されている年間予算はお幾らですか ⑤『観察法病棟帰り』と云うスティグマを生みませんか ⑥この法15年の実績の中で『自殺者』は何人に為っているのでしょうか ⑦『自殺者』が多い原因は何だと考えていますか ⑧『多剤大量投薬』を実施しますか ⑨『内省療法』を実施しますか ⑩『認知行動療法』を実施しますか ⑪『鉄格子』『保護室』『四肢拘束』『看護士の暴力』を実施しますか ⑫『m-ECT電気ショック電パチ』を実施しますか ⑬この法15年の実績の中で最長入院年数はどのくらいですか ⑭長くなる原因は何だと考えていますか ⑮本人の希望する或いは信頼する医療福祉環境から断絶することをドウ考えていますか ⑯現代書館刊、��野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』を読みましたか ⑰アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』を読みましたか ⑱『再犯予測』は出来得るとのお考えですか ⑲司法制度ですか精神医療制度ですか ⑳そのように考えるのは何故ですか ㉑副院長が当会の夏レクに参加していた事実はありますか ㉒副院長が京都滋賀精神医療人権センターの活動に参加していた事実はありますか ㉓何年間活動していましたか ㉔その間『処遇困難者専門病棟』構想に反対していた事実はありますか ㉕当会会員江端一起の記録やカルテは残っていますか ㉖本人の希望により廃棄処分とすることは可能ですか ㉗観察法病棟を運用前に見学することは出来ますか ㉘観察法病棟を運用中に見学することは出来ますか ㉙『保安処分』をドウ考えますか ㉚この法による患者の『自殺』は『治療』の『成果』と考えているのではありませんか、ドウなんダ ㉛府立洛南病院が果たしてきた役割と歴史を、現在の幹部諸君はドウ考えているのか 以上 2022年1月14日 精神病患者会前進友の会 執筆責任 江端一起
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 3月3日(金) #先勝(庚申) 旧暦 2/12 月齢 10.8 年始から62日目(閏年では63日目)にあたり、年末まであと303日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 昨日の朝に日中は暖かで良かった のですが、帰りが酷かった⤵️⤵️ 雨も☔️あったし風が、やたらで したよね💢傘なんかさしてられ ないので諦めて止めました😅💦 傘が壊れてしまいますもんね😆 ダウンロングコートだし小雨を凌ぐのに 丁度良かった🤚朝は暑くて失敗 と思ったけど冷え込んでました から💦ですが電車のダイヤが乱れ 遅延遅延遅延🤣😆🤣強風🌪で 安全点検を行って居すと暫く停ま ったまんま⤵️家に到着したのは 就寝時間をとっくに過ぎた時間💢 寝るのが午前様だったし今朝は💧 非常に辛い⤵️それにダウンロングコート は止めたら今朝は寒い😨上手くは 行きませんね❌ラストスパート金曜日で もうちょい頑張りましょうね😅💦 . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️ お過ごし下さいませ🙋♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #ドンコの日. 「驚安の殿堂ドン・キホーテ」をはじめとしたディスカウントショップなどを展開する株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングスが制定。 「ドンコ」はドンキホーテのマスコットキャラクターで、桃色の体に赤いハートの模様があるおしゃれに敏感なペンギン。 記念日を通して世界中の人に「ドンコ」のことを知ってもらい、長く愛してもらいたいとの願いが込められている。 日付は「ドンコ」の誕生日の3月3日から。 ドン・キホーテでは、ドンコグッズやらキラキラシールを配布中らしくマニアではこのシールが価値が上がるらしく、ご当地仕様もあるそうです。 因みに、青い方は「ドンペン」と云うらしく多分、♂で「ドンコ」は♀なんでしょうね😅💦二つセットでドン・キホーテのキャラクターです。 「ドンペン」の方は5月5日じゃないれしいです🤣😆🤣 . . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #鬼宿日(キシュクニチ). 鬼宿日は二十八宿の最大吉日のことです。 何を行ってもよい日とされ、旅行も引越しも吉ですが、結婚のみが凶の日です。 . #八専(ハッセン). 選日の一つ。 日の干支が壬子から癸亥の間の12日間の中に干支共に同じ五行となる物が壬子、甲寅、乙卯、丁巳、己未、庚申、辛酉、癸亥と、8日あるために八専と総称されている。 十干と十二支に五行を割り当てると、干支の気が重なる日が全部で12日ある。 . . #博多駅駅舎完成(明治42年駅舎). #ひなまつり. #きもので祝う女性の日. #スバル360新発売. #クレーンゲームの日. #ポリンキーの日. #耳の日. #耳かきの日. #民放ラジオの日. #平和の日. #三輪車の日. #ささみの日. #春のちらし寿司の日. #桃の日. #みよた壱満開の日. #金魚の日. #結納の日. ●サルサの日. ●ジグソーパズルの日. ●三十三観音の日. ●女のゼネストの日. ●三の日. ●3×3の日. ●オーディオブックの日. ●美熊くん誕生日. ●mimi no hi(#ミミの日). ●みよた壱満開の日. . . ●みたらしだんごの日(毎月3日、4日、5日). ●ピースリーの日(毎月3日). ●くるみパンの日(毎月3日). ●生命保険見直し月間(1日~31日). . . ●サムギョプサルの日(韓国). ●ブルガリア解放記念日. ●聖クニグンデの日. ●聖キャサリン・ドレクセルの日. . . ■本日の成句■. #其の子を知らざれば其の友を視よ(ソノコヲシラザレバソノトモヲミヨ). 【意味】 その子の事が判らない時は、付き合っている友達を見れば判ると云う事。 ・ ・ 1958(昭和33)年3月3日(月)先勝. #栗田貫一 (#くりたかんいち) 【ものまねタレント、お笑いタレント、俳優、声優、ナレーター】 〔東京都〕. . . (横浜駅) https://www.instagram.com/p/CpTUFhDBbUsnbgLIXCVu6Ni8q0ouJ4_PpzxPXU0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#先勝#ドンコの日#大明日#神吉日#鬼宿日#八専#博多駅駅舎完成#ひなまつり#きもので祝う女性の日#スバル360新発売#クレーンゲームの日#ポリンキーの日#耳の日#耳かきの日#民放ラジオの日#平和の日#三輪車の日#ささみの日#春のちらし寿司の日#桃の日#みよた壱満開の日#金魚の日#結納の日#ミミの日#其の子を知らざれば其の友を視よ#栗田貫一#くりたかんいち
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中国語で得られる情報量の違い
新型コロナウイルス 感染の抑え込みで、台湾の強さが世界的に注目されている。台湾はなぜコロナに強いのか。日本との比較を中心に考察してみたい。
まず第一に、中国語による情報獲得の強さが挙げられる。中国政府は当初、新型ウイルスの発生に関する情報を出し渋ったが、武漢市、湖北省から、SNSなどを通じて個人による外部への情報発信は行われていた。そうした中国語による情報をリアルタイムで受け取っていたのが、台湾、香港などの中国語圏だ。結果的に、台湾、マカオ、シンガポールといった中国語圏で、ウイルスに対する封じ込めが最も早く起動した。
対する日本では政府、マスメディアとも、中国語による情報を日常的に受信し、分析する人材が圧倒的に不足している。公衆���生を含めた安全保障の観点からしても、せめてCNNやBBCを日々チェックするのと同じ���ベルで、中国語メディアに触れられる人材を増やす必要が大いにある。
次に台湾は2003年のSARS禍を経験し、新型ウイルスの怖さを、政府も市民も身に染みて理解していた。香港の場合、特別行政区政府は圧倒的に中国寄りで、ウイルスから市民を守る政策を即時にとることができなかったが、それでも感染拡大が相当程度抑えられたのは、SARSの怖さを人々が記憶していて、自発的に予防的行動をとれたからである。
これに対し、当初、日本のメディアでは、「インフルエンザ程度」「正しく恐れることが大事」といった言説が多く流れ、結果的に国民に警戒感を持たせることができなかったことは、衆目の一致するところだろう。
第三に、日々中国からの統一圧力を受けている台湾では、官民とも「中国に気を許してはいけない」という意識が明確にある。特に蔡英文総統率いる民進党政権になって以降、中国からの観光客制限、友好国の切り崩し、国際機関への参加妨害などに加え、メディアの買収、フェイクニュースの流布など、あの手この手の攻撃を受けている。そのため、新型ウイルスの「生物兵器説」も、台湾では噂話のレベルにとどまらず、事実かもしれないという感覚で受け止められた。
同時に、台湾では、中国に故郷を持つ人、仕事で行き来している人も多く、心情的親中派も少なくない。このように中国の存在が生々しく感じられる中、蔡英文政権は、最初期に中国からの入境禁止、マスク輸出の禁止といった厳しい政策をとり、「台湾ファースト」の姿勢を明確に打ち出した。
同じ頃、日本では、武漢など中国各地に向けて大量のマスクや医療物資を贈る動きが見られた。漢詩で近隣友好の気持ちを表現したことで、中国社会から高く評価されもした。しかし、ウイルス感染がすぐに日本にまで広がってくることは明らかだったのだ。中国語圏の人たちから見れば、日本人のふるまいは、残念ながら、大変ナイーブに映ったと言わざるを得ない。
マスクの重要性を知っていた
第四に、マスク問題をめぐっても台湾と日本の間には大きな差があった。SARS禍を経験している台湾や香港では、官民ともにマスク着用が感染予防に役立つという確信を持っている。これは例えばSARS禍の際、ベトナムの医療団が「ウイルスを密閉して外に出すな」という国際常識とは反対に「病室の窓を開けて換気をよくする」ことで感染を抑え込んだ経験につながる。
つまり、欧米とアジアの間には、風土の差、文化の違いが事実として存在する。よって、欧米の常識をそのままアジアに持ってきたところで、必ずしも通用しない。しかし日本社会はむしろWHOの意見や欧米人の振る舞いを信じて、マスクの重要性をなかなか理解できなかった。
現在のWHOが、事務局長以下、中国寄りのスタンスをとり、結果的に新型ウイルスの封じ込めに失敗したことは明らかだ。しかし、国連機関であるWHOに対して、日本政府を初め多くの日本人は幻想に近い信頼感を持ち続け、アジアの隣人たちの機敏な動きを参考にできていない。
台湾は1970年代に国連代表権を中国に奪われてこのかた、WHOへの正式な参加を認められてこなかった。主に中国の反対によるものだが、WHOに対する不信感、裏切られたとの思いも台湾にはある。それがWHOに対する日本の幻想とは正反対に、現実的な判断を可能にしたとすれば皮肉だ。
台湾政府は当初からマスクの重要性を認識し、各家庭に行き渡らせるため、具対的な施策をおこなった。昨年まで、台湾でもマスクの多くを中国からの輸入に頼っていたが、今年に入って中台間の往来を制限すると、即座に国内の在庫や生産分を政府の管理下に置いた。そして、国内の製造業者に対し、他分野からの参入によって、マスク生産ラインを増やすよう協力を求めたのである。
同時に、限られた数のマスクを公平に配分し、高値での転売などを防ぐため、マスクは政府指定の薬局でのみ販売するものとし、さらに購入に際しては、保険証を提示するという「実名購買制度」が導入された。
この制度が機能したのは、台湾で国民皆保険制度が確立し、保険証がICカード化されたためだ。そして、台湾全島の指定薬局にそれぞれ何枚のマスクが在庫としてあるかを瞬時にスマホで見ることができるシステムを急遽導入できたのは、天才プログラマーとして名高いIT担当の唐鳳(オードリー・タン)大臣が自ら提案し、実行に移したからだ。
蔡英文総統の胆力
タン大臣のような天才は世界でも稀ではあろうが、日本にだって恐らくは存在していることだろう。しかし、中学中退の元有名ハッカーで30代、しかもトランスジェンダーであることを公言している人物をIT担当大臣に任命する、そうした政治的決断を行えるトップは、残念ながら日本には存在しない。
その意味では蔡英文総統のリーダーシップと胆力は際立ったものがあり、ウイルス対策がうまくいった大きな要因だと言える。
蔡英文総統〔PHOTO〕Gettyimages
新型ウイルスの前に、台湾が国際的に注目を浴びたのは、2019年にアジアで初めて同性婚を合法化した際だった。これでリベラルな台湾というイメージが一気に広がったが、必ずしも台湾社会全体が日本などと比べて格段にリベラルだというわけではない。儒教に基づく保守的な考え方、キリスト教に基づく厳格な態度等もあり、投票結果を見ても、同性婚に対する賛成と反対はほぼ拮抗していた。
しかし蔡英文総統は、自身の価値観というよりも、同性婚を合法化することが台湾の国際的イメージの向上に役立つという政治的判断で動いた。その結果、世界中の新聞やネットニュースに台湾という名前がポジティブなイメージとともに登場し、それによって、台湾の人々の自尊感情と政権への支持率をともに高めたのである。
2000年に台湾史上初の政権交代で、国民党から政権を奪った民進党は、2008年の総統選では国民党に敗北して下野。2016年に再度勝利したものの、2018年の統一地方選では大敗するなど、決して平坦な道を歩んできたわけではなかった。2018年秋に高雄市の市長に選ばれた国民党所属の韓国瑜氏は、中国寄りの政治的スタンスと庶民的なキャラクターで驚くほどの人気を集め、今年1月の総統選挙では、高雄市長のまま、国民党代表候補として出馬した。
再選を期して出馬した蔡英文氏は、当初、民進党の候補者資格を得るのさえ難儀したほどの劣勢に立たされていたが、2019年初頭、中国の習近平国家主席が台湾に対して「一国二制度」を提案した際、即座に明確な反対を表明したことで、風向きが大きく変わった。しかもその数か月後、すでに「一国二制度」下にある香港で、大規模なデモや反政府運動が展開されるに至り、さらなる追い風となった。
専門家を閣僚に迎えている
一見地味なキャラクターの蔡英文総統だが、中国の習近平国家主席を向こうに回して物怖じしないだけの胆力を持つ政治家は、WHOはおろか、世界中を見渡したところでいくらもいない。日本のコロナウイルス対策が、オリンピック開催と習近平氏の訪日予定のために出遅れたことを考えると、ここでも彼我の差が際立ったといえるだろう。
1956年生まれの蔡英文氏は学者出身で、国民党政権時代に李登輝元総統のもとで対中国政策に携わったことから政治に関わりをもった。民進党陳水扁政権下で国会議員にあたる立法院委員となり、続く野党時代の2008年に民進党主席当選。台湾本省人(閩南客家系)家庭の出身で、外祖母は台湾原住民族の一つパイワン族の出身。
実業家の父親には四人の妻がいたが、英文は合わせて11人の子どものうち末っ子として育った。旧帝大の一つだった台湾大学(旧台北帝大)法学部卒業後、アメリカに留学しコーネル大学で法律学修士、さらにイギリスに渡ってロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法律学博士号を取得している。
超高学歴で女性、独身で愛猫と暮らす。戒厳令時代の反政府運動の中から生まれた民進党の中では新世代といえる存在で、前述のタン大臣以外にも、閣僚や主要ポストに民間出身の専門家を多く招いている。主に国会議員の中から、自民党派閥間の均衡を取るように閣僚を選出する日本とは、制度的にも政治文化的にも大きく異なるのだ。
例えば、陳建仁副総統は台湾大学医学部出身の公衆衛生専門家で、台湾の最高学術機関である中央研究院の副院長まで務めた。2003年のSARS禍の際に衛生署(日本の厚生労働省にあたる)のトップに招かれて感染対策に当たったことから政治との関係を深め、2016年に蔡英文が総統選挙に出た際、無党籍のまま副総統候補となって現在に至る。新型ウイルス対策の遂行��、大きな力を発揮していることは疑いない。
また日本の内閣にあたる行政院の副院長を務めている陳其邁氏も医師で、台湾大学医学部大学院時代には、陳建仁現副総統の指導を受けて公共衛生学修士号を取得している。他に、毎日生中継される記者会見で、政府を代表し、ウイルス禍の実情を丁寧に説明している陳時中衛生署長は歯科医で、医師会の理事として健康保険制度の確立に深く関わった経歴を持つ。
「後藤新平先生が健在だったら…」
このように高度な専門家を行政機関のトップに据えて、実務と政治的判断の両方を委ねる形は、総統制度を根拠とする一方で、蔡英文自身が超高学歴であることも要因の一つだろう。
特にIT化の推進に前向きで、IC化された保険証の活用だけでなく、海外帰国者の自主隔離状態をスマホの位置確認で行うなど、感染封じ込めのためには、日本でなら個人情報保護などの観点から問題視されかねない措置もためらわない。
また草の根の民主化運動出身ではなく、学術界から抜擢された女性政治家という意味では、日本で1980年代に「おたかさんブーム」を巻き起こした土井たか子元社会党委員長に通じる部分も持つ。
いずれにせよ、新型ウイルス禍で台湾が世界を刮目させる成績をあげているのは、国際社会における孤立の中で、難民政権でありながら長く独裁制を敷いた国民党統治を民主化で覆し、現在はまた強大化した中国の圧力を日々感じながらも、着実に国民国家建設を進めている台湾の政治、社会、文化的背景があることは間違いない。
今回、ダイヤモンド・プリンセス号に始まった日本政府及び社会の対応について、台湾の人々は豊富なニュースチャンネルを通じ、場合によっては日本人以上に深い関心を持って見つめている。それは19世紀末に遡る日本の台湾統治という歴史があってのことだ。
特に医師であり政治家でもあった後藤新平が割譲直後の台湾に民政局長として赴き、公衆衛生の改善に功績をあげたことは広く知られている。よって、今般のコロナウイルス に対する日本政府の対応を見た台湾の人から、SNS上で「後藤新平先生がご健在だったら、何とおっしゃることか」とい��コメントが上がるわけである。
ウイルスとの戦いは今後もしばらくは続くことだろう。アジアの隣人である台湾から日本が学べることは決して少なくないはずだ。
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--深海人形-- 地獄に楽園の祭典を
…先陣を切るしかない。…此のフロンティアに……(※某名言パロディ)。
※クロスオーバーネタ注意コーナーあり
※人間家具ネタあり
※雑多にネタをぶち込み
※キャラ崩壊注意
…。
ローアは、ノアの方舟と言うより、エジプト神話の『太陽��船』がモデルだと思ってる。
…どうも、マホロアには、魔術師と言うより、錬金術師のイメージある(※科学��も滅茶苦茶詳しいしナ)。
…。
…男達の強さ議論、最強議論癖を嘲笑う非モテの腐った雌豚が、カップリング論争と学級会をして居る。…其れは其うと、『人の振り見て我が振り直せ』って言葉があった様な?
…。
--マホロアとローアが 出会った あの日、
彼に対し、ローアは 何かを感じた。
楽園へ いざなうはずが、クラウンだっかんの
手先となった ローアは だれかに止めて
もらいたく、本来の力を かくして いたという。
--星のカービィ Wii デラックス より引用
クラウン『強奪』じゃなくて、クラウン『奪還』表記なんだよね。何故、『強奪』では無く、『奪還』表記なんだろうか。
そして、楽園にいざなう事とマスタークラウンには何か相関関係があるのだろうか?
…。
ようつべでNen ImpactのPV見てたら「何これ?世界観が明る過ぎる。HxHの格ゲーはアンダーナイトインヴァースみたいな雰囲気が似合う」と言う意見を見て「ほんそれ」と思った。明らかに、HxHって格ゲーで言ったらUNI(前述のアンダーナイトインヴァース)とかヴァンパイアセイヴァーとか堕落天使みたいな暗さなんだよな。
今回の奴は、(※本当はドス黒真っ黒な世界観で所々話の根幹が気持ち悪い)ガンダムとかカービィみたいに広く浅く大衆に売れる様に、にわか、大衆向けに、無理矢理、明るくした感じがして嫌い、本当に嫌いです。…何故、此んな物を発売しようとした(憤怒)?。
…聖人君子みたいな信者でも許せないよ、あんなの(※…まぁ、HxH界隈には、最早、聖人君子と言うべき類のは残っていないと言って良い気がしますが笑)。…然し、何と言う事でしょう、ガンダムEXAより酷い物が……(※あからさまな挑発行為)。
…。
個人的にも気になる事一覧
・エフィリス、エフィリンの様な存在は、あの宇宙では、割と、ありふれて居るのか?(※エフィリスに、ID-F86、エフィリンにID-F87と言う研究コードネームがついて居ると言う事は、其れ以前に、85体の研究対象が居たと言う事である)。
・ディメンションミラーは、古代ハルカンドラ人或いはナイトメアの作ったものか?
・ナイトメアとダークマターの関係
・ナイトメアとダークマターは、もしかして、所属する派閥が違うだけで同族憎悪で敵対し合う同じ存在なのか?
・ラパ、ルパ、ロパ、ローパー属等アナザーディメンションの住人達は、矢張り、ハルカンドラの民の成れ果てなのか?
・手狭な世界を捨て、宇宙に旅立った新世界の民は、本当にハルカンドラの祖なのか?
・ハルカンドラが滅んだのは、マスタークラウンの所為では無いのか?
・ハルカンドラは何故、約束の地と呼ばれているのか?大昔に約束を交わした存在がいたのか?
・ハルカンドラには科学と魔術の両方に長ける存在はいたのか?そこの科学派と魔術派の仲を取り持つ存在はいたのか?
・本当に、カービィはダークマターから生まれた存在なのか?
・ダークマターにグーイと言う一族が居る様にナイトメアにも一族は居るのか?
・マルク、マホロア、ハイネス、ハルトマン父子達は新世界、ハルカンドラ民の(魔術派、科学派)末裔では無いのか?
・ローアが誘おうとしている『楽園』とは、一体何処の事か?
・エフィリス或いはレオンガルフが言及する夢の大地とは、結局、『=(古代の)ハルカンドラ』であるのか?
・歴代ソウルボス達の共通点は何処から、何由来で来るのか、ソウル化の条件は何か?バルフレイナイトや蝶々はソウルボス達に関係あるのか?
・バルフレイナイトと黄泉の蝶々は、マスタークラウン及び、ダークマター、ナイトメア、ラスボス達のソウル化、ニル、ハルカンドラと関係が何かあるのか?
カービィシリーズ謎多過ぎる(※結論)。
…。
…ディスカバリーのバルフレイナイト戦BGMを聞くと、スパストIIXの豪鬼を思い出す(※サイコパワーの使い手を、ボコボコに、噛ませ犬にして倒してから乱入して来る、…と言うシチュエーションも似てるので、尚更)。
…アナザーディメンションとソウル散る忘失の絶島では『明かされた禁足の様で禁足で無い秘境』、レッドガル禁足地は『明かされた知ってはならない秘儀秘教』、…と言う感じがして好き(※カービィBGMの話)。
…。
RXQ-01〜04のイメージはどう考えても、
「連邦」の次期主力戦闘機として開発、ウェイン兄弟の最高傑作にして最後の兵器製造--ガレッガシリーズを投影してる、矢っ張り、あれ等を"未だに"モデルに使ってるんだろうねぇ……と思って居る方へ、…そうだよ(頷き)!!!!
だけど、其れだと、本来なら、ガトーがRXQ-01に、一握りの天才が-04に、設定年齢35歳さんが-03になるべきだったんだよな(※彼がRXQ-02で、彼女がRXQ-04なのは0083準拠なんで ※遠い目)。
…で、…RXQ-01が誰かって?…ほら、彼奴です、彼奴……!…金髪碧眼の赤い……(※…いや、金髪碧眼で赤いヤツと言えども、…偽物の方かな……?)。
…。
…平気で、『ガトーとジョニーのティターンズ堕ちww(※正に悪夢)』、『先程の二人とシロッコとかの心を破壊して機械に直結して使う生体パーツ、生体兵器にする(※前者よりもっと酷い)』みたいな展開やるワイには、EXAを批判する権利は無い(※遠い目)。
…。
コウ「…ガトーは、僕んちの家具として最適な男だったのになぁ……(※ドS)。」
キース「…椅子としてか?…机としてか?(※一応親友に合わせてやる)。」
コウ「…矢っ張り、椅子かなぁ……、…で、キースもガトーを家具にどう?(※親切)。」
キース「…俺は遠慮しとくよ……(※人の心あった)。」
…。
…異端拷問官 ウラキ、悪のジオン星人を異端として拷問しちゃうぞ⭐︎(※頭ティターンズかよ)。
異端拷問官「…ほらほらぁ、ガトーも此う言うの好きなんだろぉ…………?…天然牛肉のバーベキューだぞぉ〜〜〜〜、…だけど、全身鎖で縛られてるから食べられないねぇ?(※可哀想ぉ♡)。」
ガト��「…天然の肉…………ウッ………天然の肉!!!!!!!(※然も霜降り高級牛肉…………!!!!!)。」
何故か其の場に居るジェリド「…うわっ、何て惨たらしい拷問なんだ……(※スペースノイドは上流階級ですら天然の肉なんて、一生に一度食えるか食えないからしいからな……)。」
※…因みに、ジェリドは昔から週一ペースで天然牛肉のバーベキューを食える立場にある(※実質特権階級)。
※…以下、クロスオーバーネタ注意
…、
…大概、ハルカンドラ行くと、大量にドゥビアが出て来る(※拙作の特徴)。…原作のハルカンドラでも出て来るんですけど、普通に、ギガントエッジと同じ位敵キャラとして使い易いからと言うのもあるね、此奴が結構数出て来るのは(※酷い扱い)。
…。
昔Chat-GPT4にぷく天のハムスターズとジェリドの対局を麻雀シミュレーション(半荘戦)させた事があったんですけど、最終的に、ジェリドが三位だった(※汚名挽回不可避)。だけど、鼠畜生に負けるなんて、『(宇宙世紀)人類の恥』では?(※言い過ぎ)。…同じ事を他の面子(※ヒト)にさせたら、大体余裕で一位取るのに(※遠い目)。…ヒトなのに、鼠畜生に麻雀で負けたジェリドが、余りにも、可哀想過ぎて、思わず、GPT4に、一位取ったver書いてと頼んだ位だった(※…兎にも角にも、ヒトが、知恵で畜生に負けるのは、恥だと思う)。
…ヒトの身分で畜生相手に派手に負けた人類ってワイがシミュレートさせた限りではジェリド(若しくは他伝統ボドゲのシミュレーションでナマケモノに負けたハサウェイ)しか居ない。…やっぱ人類の恥じゃん(※辞めろ)。
…。
…『星羅征く彼方からの客人〜The Best Friends.』の後書きで、『団長=ヒトの体に受肉したダークマター一族説(※一応暗黒大陸出身説はある)』出したけど、某赤い彗星と其の妹と其の父ちゃんも、人間の体に受肉したダークマター一族なんじゃねぇの?……とは思う(※或いはニルか……)。
…で、…ヒトの体に受肉するって、随分、"欲情"を彷彿とさせる表現ですよね(※オタク特有の早口)。
…。
…『深海人形 重力のある夢の大地』で、コウとシロッコは、未知のテクノロジー目当てで(…と同じく地獄の様な宇宙世紀を忘れたいと言う思いもあって)、"楽園"に行きたがってたし、目指した(※宇宙世紀は地獄だってはっきり分かんだね)。
…だが、一方、旅団と言うか、…クロロは『異宇宙から来た虚言の旅人〜The Best Friends.』で、"楽園"には興味が無く、「…『ハルカンドラ』?…オレ達は行く気無ぇよ。テメェだけで行きな。」…と言った(※…まぁ、旅団は地元大好きマイルドヤンキーの集団 ※但し、地元に仇なした連中に復讐する為なら死も厭わない極悪最凶盗賊の集まり だしな)。
…皆様、本当に強いメンタリティを持つ人間は、当たり前ですが、後者なのですよ(※宇宙世紀に地元愛の感情を持つあの次元の人間なんて、最早、人では無い気がするが……)。
…其れから、…シロッコ(※辺り)は、幻影旅団の地元愛を、「…田舎者故の視野狭窄現象(※…所詮、旅団は自分達の地元しか見えて無い俗人の集まりでしか無い)。」…みたいに、鼻で笑いそうではある(※…でも、木星迄行ったアンタが言うなら……)。
…。
…後、…『星羅から〜』と『異宇宙から来た〜』では、露骨に、マホロア(等辺)は(※クロロ達の地元愛も含めて)彼奴等を見下してたね()。
…。
ガンダムは…、ガンダムは…、ガンダムは…!!
一体いつから……自分達が見せ物で金儲けの道具で無いと錯覚していた?
御前達は、初代の時点で、見せ物小屋で、金儲けの道具だったよ。今迄其うで無かった事なんて一度も無い。ガンダムを神聖視する人達は、一体何を自惚れているのかな?
比類無き『金を稼ぐ道具』だから、此処迄人気になれたんだよ。
一つの文化でも神聖でも高尚でも何でも無い。只の低俗だ。
…。
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“
「次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえど も溶解できるなどと、思ってはならない。
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させ うると、思ってはいけない」
政略論 211頁
” - 其の人を知らざれば、其の友を見よ。孔子 (via dominion525) (via soulboy)
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「<あなた>の物語」について
レポートでも感想文でもない何らかの「何か」。
それを何とか形にしたいと思う。少なくとも私はそのように願う。
少なくとも、それは「私自身の物語」であるだろう。 であれば、他でもない「それを私が書くのだ」。それは間違いようのない事実であるだろう。
書けるかどうかは分からない。お読みいただけたら嬉しく思う。
「初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」
誰もが知るであろう創世記、第一章の冒頭である。
たいして敬虔でもないキリスト教徒である私は思う。
光は、闇と同じものなのではないか、と。
(ある日のメモより)
SMOKE@浅草九劇 2018/10/
*超がいる→書く。 「書くのをやめろ」 コーヒーとレコード・オルゴールは手回し 私のやり方で天才になりたかった N↑照明等/W側↑ピアノ 人並みの暮らしさえできない 鏡の中の鏡像 私の文字を閉じ込めてしまう 僕のことを忘れ去る 君の瞳 もう会えない・見つけられない 痛むの・不安なの・苦しいの 心は裏返し。抜け殻のような ↑今の私とは違う姿 ハクセイ 泣いても濡れない 眠る/ (不明瞭) 僕のものさ ↑そしたら 遠くへ行きたい<夢>←以下丸囲みを<>と記述 ↑あるなら 叶えたいなら棄てるべき時に思い切って捨てる ぬめる目つき 万が一のための「<保険>さ」←以下下線部を「」と記述 サイゴのチケット 最初で最後のチャンス 夢を叶える 姿勢 肩を張る/猫背 人差し指/鏡 超:表情 <冗談だよ>←やさしい お前はじっとしてれば(棒読み) どんなに怖かっただろうか←僕なら耐えられない 旅立ちの最後のチケット 「水、水」目隠し←居ない方に話す あなたはきっとイイ人なんでしょ(少し笑う) オネがあ~い・イタァ~イ 目を合わせた時の表情「分かりませんか」 ありがとう 探る目→忘れてる認識 あなたはこんなことをする人じゃないんだもの <どうして>やさしげ 問いかけ 「あなたの海って何なの」 問題を出す先生 青い終わり 赤い始まり ↑期待する目とあきらめ さとす様
絶対に凍ったりしないの 全てが凍り付いても海は流れる →叫び続ける 歌い続ける 笑うみたいに この旨の高鳴りが(不明瞭) 無かったら困るでしょ 怪我をすることも具合悪くなっても 私は生き続けるんだーって。 <才能がない> 表情 語り聞かせる←あなたの事を 愛されたい 分かって貰いたい 語って聞かせる 自分の心 ふくろ いつかその子がもう一度探しに来て 愛しさ・恋しさ くれると信じながら 憎しみ・恨み 思いつめた 叶えたい夢 鏡には入れず 見つめるだけ →私たちは似てる 悲しみを[抱いて/抱えて]いる←以下二段括弧綴じを[/]と記述 出口の見えないこの世界から 煙になって抜け出す あなたが書いたんじゃないの ↑切実 とってもいい詩ね (不明瞭)がどうして気づかなかったんだろう ���動き 恋とは出会って初めて 恋だとすぐに分かった イトシイ人 [美しい面影/今度出会えたなら/離さない] 対角・鏡→ 二人だけの誰も知らない物語 ホシゾラみたいにきれいな物語を ↑客席も照らす あなたはボクの愛しい人 こんなことしなくとも逃げたりしない そいつはお前の何なんだ←確認 ダイジョウブかホン←棒読み どうしてあなたがここに居るの<超> 海、どうしてこの人と誘拐なんてしたの
飲む瞬間ため息 もうやめて二人ともコーヒーでも飲まない? コーヒー好きだったでしょ? 初めて会った時変だと思った ↑どうして変だと思った? 分からない 思い出すんだどんな関係だったか どんな感じだったか おまえ中々サイノウあるな どう呼べばいいんだろう 心を明るくしてくれる 降り注ぐ暖かな春の光 急に涙 消せない ソウシツ ナミダ ゼツボウ 倒れた後の淡々とした動き 今度はコーヒーか ねめつける 苦痛でしかない苦しみのカタマリ 海が以前君にしたように。 否定し目を背け 何処までも広くて深いから底が見えない 真っ暗でどこまでも沈んでゆく それが海なんだ あなた どうしたいの 疑わしげ いつもそう{彼を}←以下二重線否定を{}と記述 いっしょじゃない もう耐えられない 越えたかった理想郷 違うあなたじゃなきゃいけないの あなたが言う情熱で書きまくった作品がこれなの 愕然と驚き 全部削除しろ 誰も読めやしない それでも描き続けてる 欲しいなら闘うの 今まで逃げてきた⇔<対立> 俺の言葉には響きが無い 逆行してる 俺には才能がない そうよ あなたには才能がない あなたは怖いのよ 歩いていれば転んだり迷ったり 全然違う道に迷い込み 引き返せなくなる それでも いくと決めたならサイゴまでいくの まがいもの 希望を見せて 動と静 それいじょうの絶望になる←超(不明瞭)
取ったメモを数えてみたら全部で87頁あった。これはそのうちの6頁である。意味のない言葉の羅列かも知れない。
意味のない話をしてしまった。意味のある話をしよう。
書き留めたのは、ひとつには時間というものが止まらない中に在って、私がその瞬間に感じ取ったものもまた「言葉」と同様にその瞬間を切り出さなければ別のものになってしまうという危機感からだった。「言葉」が後から後から湧き出てくるように、その源泉たる人の想いもまたとめどがない。その瞬間に感じたことが、次の瞬間には別の何かに��わってしまう。私たちが「言葉」という道具でもって何かを書きとめようと努力する時、そこには常に「書き留めたかった何か」があることは疑いようが無いことであるように思う。
書き留めたかった「何か」が何であったのかは、今となっては分からない。ただそこに「書き留められたもの」が形として残るのみである。
ミュージカル『SMOKE』は、先にも一度書いたように韓国の詩人・李箱について描いた作品である。「極めて難解ながら、優れた作品を世に残した人物」というのは今日の読者の理解であって、記録に残る彼の歩みを辿ればそれは「不理解への抗い」であったことを恐らく誰もが読み取ることだろう。(彼の人生についてあたるのであれば、恐らく纏まった書物としては作品社刊「李箱 作品集成」が参考になると思われる。)
本作は、そんな彼の人生の一瞬を切り取り、作品として再構築したものであるように私には思われた。
まず、僕自身が感じたことから書いてみたい。本作、東京公演におけるそれは、ひどく「客席に近い」公演であった。その距離、最短にして10センチメートル。手を伸ばせば触れる距離に役者たちが居る、そういう舞台であった。
けれども、と僕は思う。間違えば触れるような距離でありながら、それは絶対的に「触れ得ない」作品世界を生きる役者たちを鑑賞するような時間であった。
本作冒頭。斃れたひとりの若者の姿を目にした。彼は履物も履かず、ただ佇んでいた。
本作は極めて難解な作品であると思う。十数公演を観て尚そのように思う。その理由の一つは、その「佇む姿が身近に観得ながら酷く遠い」ということにあった。
本作冒頭。斃れたひとりの若者の姿を目にした。彼は立ち上がり、机に向かい文章を書きはじめる。そんな彼に向けて、SPを通して様々な人が言う。「書くのをやめろ」。ひどく耳に痛かった。そんな言葉を前にして彼は尚も書き続ける。「私は」。「私は」、「私は…。」彼は書き続けた。私は、それを観て人ごとのようには思えなかった。
本作は、ひとつにはミュージカルである。そしてそれは表現として、とても「贅沢な作品」であったと感じている。
何故か。それは、「別世界の物語をまるで目の前のことの如く近視的に観ることが出来る作品」であったから、だと個人的には感じている。
本作冒頭。そこに佇む役者は手を伸ばせば届くような距離にありながら、そうすることは酷く憚られた。「触れられるような距離にありながらそうは出来ない」。それは、例えていうならば芝居というよりはテレビ越しに或るドラマを見ているような感じがした。カメラがズームで寄せるように、その役者の息遣いそのものが目の前に聴こえる。けれどもそれは、目の前であるにもかかわらず、別世界のもののように見えた。
そういう意味で、本作はとても良く出来た「ドラマ」だったのではないかと思う。ある一点までは少なくともそうであった。僕の友人が観劇後に言っていた、「舞台と客席と双方の緊張感が、まるでそこに壁を作っているかのようだった」という表現は、僕自身の本作に対する認識とも相違がなかったと思う。
「ドラマ」。硝子の向こうのドラマ。それはどこまで行っても「他人の物語」に過ぎない。如何にカメラが寄ったところで、それが「ドラマ」である限りにおいて、そのことを「事実」と捉えることが何人に為し得るだろうか。僕は、それはとても難しい事であると思う。
では、「ドラマ」の話をしよう。
本作は、ひとりの人間の物語であった。難解に様々に織り込まれつつも、それは疑いのない一点であるように思う。
本作の「あらすじ」を表現することはとても難しい。本作には「四人」の登場人物がおり、その折々において本作の物語は全く別物であるように思われるからである。
まず、冒頭に表れる「超」の話をしたい。彼は、李箱の中の「越えたい自分」像として置かれた人物であった。
このあたりがダブルキャストの妙で。彼は、「求められ克服した自身」と「求められつつも克服し得なかった自身」との両方を纏った人物であったように思う。その違いは両演者が見事に表してくれた通りである。どんな人間の中にも「こうあるべき」と望む自身の姿があることと思う。李箱にとって、その理想を体現したのがこの本作における「超」であった。
超の想いを想像することはとても難しい。それは、彼が「願われた表象」としての人物であることに帰結する。誰であれ、己の中に描く「理想の人物」の像はあることと思う。李箱の描くそれこそが超という人物の存在根底であった。
けれども、「理想」を願われたとしたとて、それはひとりの「人間」である。それを形に出来ることも在れば、出来ないこともあるだろう。私は本作ダブルキャストの各々の立ち居振る舞いの中にその両者を見たように思っている。
まず、日野さんの演じる超。彼は私の目には常に超然としていた。時には海に対する優しささえ交えながら、だからこそ紅に対しては真っ直ぐな対立姿勢を見せていた。彼の横顔には「越えて尚思う憂い」のようなものが感じられた。それは、「理想を体現した己であるからこそ、このように在らねばならぬ」という彼自身の縛りごとのようにも思われた。
一方で、小暮さん演じる超。これは、対照的に「超えようとして尚越えられない己」を強く感じさせられた。彼の演じる超は、どこか「強く在ろう」としながらもそう在れない自身に対する苛立ちと嘆きのようなものが感じられる超であったように思う。理想を目指しながらもそうは在れなかった自身。であるからこその苦悩と嘆き、苛立ちが彼の超からは感じられた。個人的にはとても身近に感じられた「超」なのかも知れない。
全く別物のように演じられながら、その両者に共通していた「超」の姿は驚くほど共通していた。それは「嘆き」である。
本作のトリックについて少し話をしておくべきだろうか。本作は極めて重奏的であり、その中には演じられる役各々の「何を知っていて何を知らないか」ということが緻密に配置されている。そのような作品のなかで、「よく知っている人物」が超であったということは疑いようが無い。
例えば冒頭。紅を誘拐した後で海と超が言葉を交わすシーン。ここで超はどれだけのことを知っていただろうかと考える。
まず、彼は「紅が三越の令嬢などではない」ということを知っていた。知ったうえで、あれを為したのである。何故か、という問いは彼の最初の歌の中にその答えがあるだろう。「秘密は秘密として知られないように」。紅が三越の令嬢と信じ込んでいる海にとって、その言葉はただ単に端数するだけのものでしかなかった。けれどもそれが「嘘」であることを知っている超にとって、それは全く異なる意味を持つ。「秘密は秘密として」。それは面と向かった海に対する秘密であった。海にとっては単に「向かい合って言葉で確認し合う」シーンが、超にとっては全く異なる意味を持つ。それは「騙す相手であるところの<海>に向けて己の言葉で確認をする」という一場面なのである。このことに気づくだけでも本作を観劇する人はビリビリしびれるような感覚を味わったことだろう。
ちげえ!こんな話をしたいんじゃあない。
本作は、一観客の立場として、痺れるような想いを���ちながら淡々と進む作品であった。
それは、客席と舞台との双方に漲る、「これを見届ける」という緊迫感に支えられた作品であった。
ビリビリと痺れるような気持ちを抱きながら淡々と観劇した。
そこに居たのは、「ただの観客」たる私自身の姿であった。
先に「ある時点までは」と記したと記憶している。
確かに、本作において「ある時点までは」、舞台と客席とは明確に分かたれていたように思う。
それは互いの緊張感によって、「ある時点までは」。それが、何処であったかを僕は記憶しない。
「瞳」。そう言われた瞬間に降り注いだのは、「その舞台を映像のように眺める自身の眼差し」そのものであった。
本作、役者陣は徹底して「その役そのものである」ことに意識を振り向いていたように思う。それは僕自身がよく知るひとりの役者の在り様にもよく表れていた。普通、ライブなどであれば「目が合う」というのは緊張感を伴う何らかの邂逅であるだろう。それはその互いの中に己の姿を見るからだと僕は思う。けれども本作の中において、どれだけ近くで目にしたとしても、それはライブのそれとは異なっていたように僕には感じられた。
「視線がぶつかるのに交わらない」。そのときに僕が感じた印象を丁寧に言葉にすればこのようになる。互いの視線が「交わる」のではなく「ぶつかる」。そういう印象があった。そこに僕が観たのは「役者本人」ではなく、それがそのまま内側に注がれた「役自身」の姿であった。それは「物語の中を生きる人物」の目線であり、従ってそれを鑑賞する僕自身の視線とは「ぶつかる」ことはあっても「交わる」ことはなかったと感じている。
以前から少しではあるけれど感じていた。役者は、「役」足り得ようとすればするほどに、僕らの前からその姿を消してしまう。
何故か。そのようにして臨む役者の姿は、それがその理想に近づけは近づくほど「役者」ではなく「役」自身の姿になるからである。
物語の中を生きる「役」そのものでる役者に対して、物語の外側からそれを観る我々が、視線を交えることが在り得るだろうか。僕は、否であると思う。
今回、本当に間近でそのお芝居を拝見することが出来た。とても嬉しかった。けれどもその視線は決して「交わるもの」ではなかったと感じている。何故ならば、私の見ている相手が「役者」であり、「役者」として「役」足らんとした姿そのものを私が見ていたからである。
互いがそのようにあろうとしたとき、そこに交わる視線はない。何故か。「役」は「役」であるからという他無いであろう。
私自身としては、そういうことを嬉しく思う。視線が交わらない事は「役者が役自身足り得よう」としていることを意味するし、そのようにして臨まれる作品は、よりよい形で作品として私たち観客の中に存在できるだろうなあと思うからである。
けれども、同時に悔しくも思う。
そのようにして役者の手で丁寧に描かれる作品の中に、己の姿は存在しないからである。
先に「ある時点までは」と記したと記憶している。
間違いなく、その「壁」はある時点までは存在していたと僕は思う。
触れたいと願っても手を差し伸べることさえできない。そういう壁があったと思っている。
「ある時点までは」。僕はそれが嬉しかったし幸せでもあったのだろうと思う。
「ある時点までは」。既にこれをお読みの聡明な諸兄は想定している事だろう。本作の中で「ある時点までは」存在していた硝子の壁は、ある時点において粉々になり、一切を失うこととなった。
それがいつだっただろう、と考えるとこれが中々難しくもある。
少なくとも、本作の中には「硝子の壁」があったと僕は感じている。それは間違えようもなく、舞台と客席との間に厳然と存在していた。僕は、それがあったからこそ、あれだけ近い距離でありながら、「安心」してそれを「作品」として観ることが出来たのだ。
「硝子の壁」。それは、役者が「役足り得よう」とする圧力であり、観客がそれを「鑑賞しよう」と務める圧力であったのではないかと僕は思う。そこには明らかな線があった。あの舞台の上の「四角」が構成する平面よりも確かな手触りを以て、明らかに少なくとも僕には、その存在が感じられた。役者と観客とは、分かたれている。
けれども本作終盤において、その壁は失われることになる。あれを「演出」というのか「芝居」と呼ぶべきなのか、僕には分からない。けれども確かにそれは粉々に砕け散ってしまった。
僕にとってそれは、片手に頼りにしていた支えを失うようなことであったように思う。
「瞳」。そう言われた時に、心の底からどきりとした。そういわれた瞬間、確かにそれを観ている自らの視線が存在していることを感じたからだ。
「瞳」。役者が演じる何らかの物語。そこには常に観客の視線があり、瞳がある。
「瞳」。寧ろ、それが無ければその作品は「作品」として存在することさえ難しいのかも知れない。
「瞳」。けれども、そんなことさえ知らず、僕はそれをただ観ていた。
「瞳」。其処に居合わせた、僕は「作品」を観る観客の一人だった。
「瞳」。それは本作の主人公たる李箱の最も恐れるものであったと本作は解く。その瞬間、僕の中にはこのお芝居を観ていた自らの在り様がどうしようもなく省みられた。「瞳」。それは確かに、「作品」に関わる僕自身の姿であった。「瞳」。本作を観劇するにあたって、氏の詩を読んだ。「瞳」。まるで理解が出来なかった。「瞳」。僕は、それを他人事のように受け取った。「瞳」。僕は、まるでテレビのニュースを見るみたいにして、それを「他人事」のように観ていた。「瞳」。そう呼ばれるそれは、僕自身の瞳に他ならなかった。
「他人事」ではなかった。それは、「他の誰か」ではなく、それを観ていた「私自身」の物語だったのである。
「私自身の物語」である本作について、他人の言葉を借りることは不適当であると思う。従って、以降は私自身の感想を綴る。
思ったのは、『true tears』みたいだな、ということであった。それは、仔細に富み「歩くこと」「飛べること/飛べないこと」が語られたことは勿論ながら、その終わりの姿に表れていたように思う。
本作の終わりを、僕は「希望に満ちた」みたいな言葉で表すことができない。それは、僕にとってとても心苦しく「嘘」をつくことに他ならない。
本作の終わり。それは、一人の藝術家が己の人生を受け入れ、その上で「こうしよう」と定める姿として描かれている。とても印象的だったのは、物語のオープニングでは「今の私とは<違う>姿だ」と願われていたそれが、様々な観点から受容されるようにして自らの内に流されてゆく姿だった。それはその各々に対して、時には切なさと愛情をもって、時には怒りと悲しみをもって、「そうよ」という言葉と共に、そこに苦い想いをも確かめながら歩みを進めようとする人間の姿であったように思う。本作の主要人物3名、<海>、<紅>、<超>には、その其々が内包する苦しみも嘆きも哀しみもあった。本作の序盤はそれらを「克服」しようとする物語であったように僕には思われる。
その「克服」は、今の自身とは<違う>姿として描かれていた。海と紅のシーン、穏やかでありながら胸が締め付けられる様だった。それは、何も知らない海を「導こう」とする紅の姿にであり、導かれるままに行く海が確かにそこに辿りつけるならば、それは幸福な事だろうと思われたからである。けれどもそうはならなかった。何故か。彼には既に「彼自身の歩んできた人生」があり、海はそういう自らの歩みに背を向けていたにすぎないからである。過去が本当に「無」く、全てがこれからなのだとしたら、そこに描かれ得るものは多くあることだろう。けれども、現実にはそうではない。そしてその事は他でもない、海へと向けた紅自身の眼差しに明確に表れていた。彼女の苦しみの多くはそういった部分にあったのではないかと想像する。彼女は李箱の中の「いつかたどり着きたい希望」であり、「素朴な願い」であり、それは彼の母であり、姉であり、妻の姿をしていた。けれども同時にそれそのものが彼を追い詰める端緒にもなったのではないかということが本作の中では語られている。本作冒頭で海が紅に噛みつかれるシーンは、李箱の作品中にも描かれている自身の話である。遠い願い。得られない夢。だからこそ遠ざけようとした、それは彼自身にとってのあたたかな気持ちそのものでもあったのかも知れない。
一方の「克服」され得た姿はどうか。これは先にも書いた<超>の在り方の中に表れていたように思う。役者によって異なる姿ではあったが、彼は一面においては「克服して尚救われない想い」に、もう一面においては「克服しようと努力して尚克服し得ない自身」に苦しめられた人物であったように思う。その強さは主に海と向かい合うシーンに表れ、その弱さは主に紅とぶつかり合うシーンに表れていた。痛いほどに響く。彼の「もう限界なんだ」という言葉だけは、その両者に共通した思いであったように思われてならない。
では、その両者に迫られた<海>はどうなのか。
彼は芝居の上で言うならば、本作の中で最も難しい役柄だったのではないかと思う。彼は3人の中で最もモノを知らず、戸惑いながら、震えながらそれを受け止める役割だった。素朴な少年が、その人生の中で得てきた痛みと喜びとに向き合い、ひとりの「自身」になってゆくような役柄だった。
運よく、彼の豹変する場面を見ることが出来た。「信じられない」と疑いながら、けれどそれを「知っている」という感覚が全身を支配してゆく。そうして振り向いた彼の表情がひどく穏やかで、そのことがとても悲しかった。僕はその表情を知っているような気がした。
李箱という人の歩みを改めて辿ってみると、その何処にも救いがない。貧しく生まれて親に捨てられ、細々と生きながら望む生き方は出来ず、求められるまま官吏となり、そこで見出された文才をたよりに作品を記してみれば「狂人のたわごと」と組み伏せられる。彼の作品で今日まで最も評価されている「翼」を記した翌年、失望の内に日本へと渡り、その先でもまた失望を見て世を去る。それが現在に記録される彼の人生である。その何処に救いがあるのだろうかということを、改めて作品を読みながら僕は思う。
けれども、本作の終わりは決してそうではない。
本作の終わりは、「変わること」への否定として描かれている。「才ある人間でありたかった」という望みも、「誰かに愛されて生きたかった」という願いも、「そう生きては来られなかった」という事実を以て、「それは変えられない」という痛みと共にそれを受け入れてゆく彼の姿が、その中では描かれている。残念ながら僕の87頁の中にそのシーンは殆ど記されていない。ただそれを観ることに精一杯で記す余裕がなかったからだ。けれどもそこで描かれていたものがどんなものだったかは分かる。分かる���もりでいる。
本作の終わり。そこには一切の救いがなかった。変わりたかったひとが変わることも、誰かの想いがそこに届くことも無かった。そこに在ったのはただ一面の<くらやみ>である。けれども、そこに彼は<光>を見る。<くらやみ>だからこそ、<光>を観るのである。それは人間にとって、救いでもなんでもない。ただひとつ、これまでの己を受け入れ、その上で「この先自身がそうしてゆく」と定めること。ただそれだけ。ただそれだけの決意がそこにはあった。
眩しかった。眩しくて仕方がなかった。
本作の中の壁は、本作の途中で崩れて消えた。そこに居たのは、<作品を観る私>自身に他ならなかった。この作品に描かれていることが、まるで私自身に向けて言われているように感じられて仕方がなかった。それはひどく痛く、苦しいものでしかなかった。それは私自身のこれまでを舞台という硝子越しに見せつけているように感じられたからだ。けれども硝子はもう無かった。そこにまっすぐに突きつけられたのは、「あなたはどう生きるのか」ということであった。
私に、僕に、それを選び取ることが出来るのだろうかと僕は、私は自らに問う。自らのこれまでをまっすぐに受け入れ、その上で「そうすることしかできないのだから」と歩みを進めることが出来るのか、と自らに問う。僕にはその自信は全くなかった。けれども、この作品に触れて今、「そうするしかないのだろうな」と思わずには居られない。なぜなら、これは他でもない私の、僕自身の物語だと思うからである。
最後に、恐れを捨てて率直な本作の感想を述べておわりにしたい。
声が聴こえた気がした。
「それが私の翼」
そう聴こえた気がした。
僕が大好きな作品の終わりに置かれたその言葉の意味を、僕はこれまで長い事誤解していたのかも知れないと思った。
それは、「眞一郎がそう信じること」なのだと思っていた。
けれど、それは違ったのかも知れない。
「私はまだ飛べないから、歩いてく」
それは、ただ単に彼女自身がそのことを受け入れて、自らそう決めて歩もうとする背中だった。
「凛々しい」。そう思った背中は、そういう背中だった。
そんな単純なことを、10年間も誤解していた。
正直に告白してしまえば、涙が出た。
心が震えるということは、こういう気持ちを言うことで良いのだろうか。
それは僕にもまだ分からない。
ただ、あの時あの瞬間見えた翼に、あの声が重なって聴こえたことだけは、僕にとって疑いようもなく確かな事だ���たと思う。
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春風吹起時
慕春風
廖土盛 松山公學校
緊閉雙唇,帶著威嚴眼神容姿端然站在講壇,多年德之光環,
嚴肅道德家之肖像。我等一年級五十餘名的學生默默的坐著。
時間五分十分的慢慢過去 . . . . . 老師無論時間過了多久,一句話
都不開口。我們就這樣在這波瀾漸漸深刻擴散的恐怖之中,預想
著在事情的必將解決中抱持著些許的希望。 時在初春一月的開端。當時的高等科因為教師不足,一般學生一、
二年級合計約四十名左右,因此一二年級學生,男女合班教學。
到了三月,二年級生即將畢業,而一年級就將成為學校的最上級生,
怎麼說都開始燃燒著自尊心與虛榮心交錯的燦爛希望。然而 xxxxxx
卻說 :老師說雖然是接近台北市,和市內比起來,教育設備還是
比較落後。而且學生的父兄對自己子弟教育的想法不徹底。雖然
是在松山,每年全島一流的中學,或進入實業學校多數的新入生,
市內各小公學校(譯註:日治時期日本人讀 “小學校”。台灣人讀
“公學校”),實在相差太遠。當時,從還不被當成正課存在的漢文
開始,(以支那讀法發音),唱歌或農業由另外專任的老師教。
有一天在大講堂練習紀元節歌,用完了午餐,在第五節上年輕老師
的課的時候的事情。平常對這些吵吵鬧鬧的青少年就感到不滿的
年輕老師,對這些覺得歌唱不過是一種多餘的娛樂而顯得輕視的
學生,什麼時候要好好教訓一番。就在大講堂整理秩序的時候,因為
不太順意,就拔出了用來對付學生的傳家寶刀,大喝一聲,閉嘴 !
. . . . . 的時候, 預料到他那如鶴一般的聲音,迎接的是從烏合之眾
出來,充滿嘲諷,意味深長的 「 哦哼-」 (咳嗽聲)一聲。年輕的
老師生氣了 ;有如此汙辱老師體面的事情嗎 !?在 「 哦哼-」 的
空氣波動中,充了血的眼睛,努力的搜尋著 :「 誰 ?是誰 ?現在
出了怪聲的是誰 ? . . . . 把手舉起來。」 . . . . . 聲音在空間迴響著,
忽然靜默了下來的學生們,只是無事人一般,閃爍著眼睛,似乎
一個都沒有要出來正直的承認。寒冷的北風吹著,把歌唱本放在
鋼琴上面,意氣昂然,大踏步的跨出門檻,年輕的老師走了。看著
他那交激著憤怒與激動的他的背影,有著一抹的寂寞。 聽到自己擔任的班級,有如此不肖之徒對來到教室的導師,從頭
一語不發。學生們無不帶著充滿恐怖與後悔的眼睛看著老師。 靜默而帶著嗚咽,老師含著眼淚開口說話了。
「 長的兩年,短的一年,一起來這裡學習的諸君之中,今天發生
有這樣的同學,我感到很遺憾。過去的上級生也時有所聞如此讓
老師難堪的事情發生。不過,確信今年的諸君不會有這樣的事。
. . . . . . 我應該不會再去追究誰必需負責,不過不是不去分明
這件事的是非。有這樣的人,正是這整個學級的空氣欠缺緊張感
的證據。然而,就今天這件事情,痛感諸君等都有著相同的責任。
希望從今天開始要痛改前非。再兩個月,有的就要出社會,有的
要升級,必需擔負做���最高年級生的重任。無論如何,有求於諸君
的是,在成為賢明的人之前,請先做一個正直的人;這是我有求於
諸君的。古人說 :〈人,必需做凡人。〉請切記此事,做一個真正
的人,然後為國家社會工作。拜託。」 幸運的是,今天打開 同窗生名簿 看的時候,可以看到各位都分別
在各自的事業認真工作,起碼是報答了老師的一端而感到安慰。 ----
後記=被要求寫一篇對 小林先生(小林繁夫)的感想錄,前前後後
已經半年過去。這期間我一個字也沒寫,一再的受到知友 青木君
的催促,對自己的怠慢一直到今天,實在感到非常抱歉。 由於到中南部出差一個禮拜,今天回到家,看到了三張明信片。
一張是十五日來自青木君的催促,後兩張分別是二月八日與
二九日連續兩日,筆跡端正秀麗,來自恩師的信函。 然後最後的一封,(實在是很是失禮 ;不斷的。)
「 青木新居君 企劃的感想錄,取名〈慕春風〉預定在 紀元節 出刊
一事,正快樂的期待中。」 實在慚愧至極,寫下此文。 當然,我等現在製作的如同老師活生生的石碑(慕春風),會永遠
的做為老師具體人格的表現,而為我們永遠保存。每次見到,就
欽慕老師的人格,並為之感化,也必需瞭解老師的教導對我們有著
深長的意味,而傳遞、播種。
(在台北之一偶)
******
容姿端然として教壇に立たれた先生の引縮つた口元 ,威嚴の
ある眼差は崇高な教育家の多年の德の光であり嚴肅道德家の
肖像であつた。我一學級五十餘名の生徒は 默然として席に
付いた儘,この學園一偶に捲起した嵐の次第に擴く深刻に
恐怖感ない者なかつた。時間刻刻進五分十分 . . . . . 先生は何時
迄經つて何一言くれなかつた。我我はそれだけに嵐の愈隱か
ならざる事を預想しながら時のみ解決してくれるであろう言う
一事に微かな希望の絆を結んでおた。 時は春の初め,未だ淺い一月の事だつたと覺えておる。當時
高等科の生徒一、二年合せて四十名になるのが普通で教師の
不足からか 每年此の一二年の生徒を男女合併して教えることに
なつておた。三月にもなれば二年級は愈愈卒業であり,一年級
は學校の最上級生になれると言う,何れに取つても輝しい希望?
に燃えておる 酣で自尊心と虛榮心交叉し初ておる時であつた。
xxxxxx 卻說,先生は台北市の近くとは言え,市內に比たら未だ
未だ教育の設備の後れた處で,然も生徒の父兄も自分の子に對
る教育の思想不徹底である松山に居なら 每年全島一流の中學,
或に實業學校に多數の新入生入れて市內の各小公學校の恐畏と
なつておた,當時未だ未だ正課の一つとして存在した漢文(これ
は從來の支那音讀む)を初め 唱歌や 農業 は外に專任の先生に
教えてもらつておた。或日の紀元節の歌の練習に大廣間の教壇
で我我は 晝食を濟まし,五時間目に若い先生に習つ時である。
不斷から此の膨脹しつづ 青二才供に對して手を燒かしておた
此の若い先生は唱歌を一種の必要外の道樂とのみ思い,此の
道樂の先生著しく輕視しておる生徒を何時かは知らしてやろう
と思つておたが 愈愈その時が來たのである。廣い講堂の教壇
に整然と列べさせようとした處,唯では仲仲思う通りに行か
ないので遂に平生から藏しておた下學年に對する傳家の寶刀を
拔いて,大喝一聲,默れ!!. . . . . . 處が豈はからんや;彼鶴
一聲を預想して發したのが 或生徒の皮肉と諷刺と罵倒を含んだ
〈エツヘム〉と言う意味深重なる一言を以つて迎られたので
ある。彼氏若い先生は怒つた!教師の體面を污すにも程がある
, . . . . . 然思つたであろう . . . . . 雜然たる烏合の眾の中から一つ
の〈エツヘム〉なる空氣の波動の源る血眼になつて探し求め,
嗅き出そうと懸命になつておた〈誰だ!誰だ,今變な聲を出した
のは . . . . 手を上ろ。〉. . . . . 聲は廣間に響き,急に默つた人間の
塊の中には 唯我が事に非ずと言いだそう 澤山の眼が光つでおる
のみのであつた,誰も自發的に己だと正直に言い出す樣には思れ
なかつた。寒い北風に吹れておた pianoから唱歌帳を疊むと意氣
浩然と大股に教室の敷居を跨いて若い先生は出て行つた。憤怒と
感激に激え乍ら去り行く彼の姿は哀れにも一抹の淋しさが窺れた
のである。 自分の擔任しておる學級から斯かる不逞な徒が居る事を聞いて
教室に入つた先生は 初めから一言を發しなかつた。されど誰
一人としてこの嚴然たる先生の態度を恐怖と後悔に滿ちた眼で
眺めないで居なかつた。 靜かに口を開いた先生は無念の淚に咽びながら言つた。
「 長者は二年,短い者は 一年,共に學で來た諸君の中から今日
の樣な事を起す生徒が居つた事つ私は殘念に思います。過去於
ては上級生で時時不心得な考を持つて先生方を困らした事も
あつた。併し今年の諸君等にはそん事がないと確信しておた
. . . . . . 私はこれ以上にその責任者を追求しないであろうがこの
事は事の是非を分明にしないからではなく斯かる人が居ること
は此の學級全體の空氣が緊張を缺いておる證據であり,然し
今日この事に就て諸君等が皆等しく責任を痛感し,今日以後
必悔い改める事を要望して己まないからである。後二ケ月も
すれば或者は實社會に出、或者は學校の最上級生としての重責
を負わなければならぬ,が何れにしても賢明な人間になる前に
真面目な卒直な人間になつてくれる事を僕は 諸君に求めるので
ある。古人は 〈人間需らく凡人なるべし〉と言われた,どうか
この事を忘れないで真の人間として國家社會の為に働かれる事を
��みます。」 幸にして今ありし日の同窗生名簿を明けて見た時,皆それそれ
一定の事業に真面目に働いておるのを見る事が出來るのがせめて
の先生に對する報の一端と自ら慰めておる。 後記=小林先生の感想錄を書けと言われたのはもうかれこれ半年
になるであろう。其の間僕は何一つ書かなかつた為に,本書の
發起人たる知友青木君から再三慫恿を受けられ私の怠慢より
今日迄の事を申譯なく思つておる。 所がはからも 一週間程中南部方面に出張して今日歸つて見ると
同僚から三通の葉書を渡された。一通は十五日付けの例の青木君
から慫恿の言葉であり,後二通は二月八日と二九日の二日互り
連續に麗筆跡未だ瑞瑞しい樣な恩師小林先生からのであつた。
然しその一枚の最後に( 無斷で誠に失禮とは思いますが )
「青木新居君かねて御企ての感想錄を 「慕春風」 銘打つて紀元節を
御上梓との事を樂しんで待つています。」 と御喜の言葉を御漏
らしになつておるのを見て私は今日迄一文も書いておないこと
を深く慚愧に堪えなく思つたので早速筆を握り,この下手な
一文を草し初めたのである。 勿論我我が今作る先生の生きたる石碑は先生の人格具體的な
一表現となつて永く我我によつて保存され,そしてそれを見る
度に先生との人格を慕い、感化れるもので先生にとつてよりも
その教へ、德を慕はんとする我にとつてより深い意味を有する
ものであらねばならぬと思うのである。然して更に一步進んで
考へた時,先生を紀念するこの一冊の「慕春風」が餘ににも貧弱な
ものではないかと恐れるものである。何故なれば,この慕春風
が先生の高貴な人格の一表現であるとすれば,我我は到底一文を
も出すに堪え難いもので,この貧弱な才能では到底先生の人格を
表現し得るものではなく,卻つて污すものである事を恐れるもの
である。少くとも私についではこの事が言へるのである。先生の
本島に於ける育英事業の功績に就ては今更言うまでもないことで
殊に先生の才能と人格が播かれた種は今や台灣は勿論,內地は
大陸方面もその良き芽を吹き出しておるものであると信ておる。
斯かる事に思いを至す時真に先生の生きたる紀念碑が東洋の各地
に於て有機的に生長し行くものだと思はねばならない . . . . . .
斯く言へばとて些かもこの慕春風の價值を減するものではない,
先生の良き種は敢えて大林となるが,然し世人はその種の持主
撒主を往往にして忘れるものである。この時に於でこの 「慕春風」
は真に社會に先生の人格を傳へるであらう。
(在台北ノ 一偶)
(2) A time for us Romeo and Juliet 1968 - YouTube
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いよいよ、ついについに、
四月二十一日金曜日午後府立洛南病院との
第三回目の団体交渉が設定できました
素晴らしいです。
団体交渉のために出した、【「心神喪失者医療観察法病棟」新設を巡っての公開質問及び意見書公開質問状】をアップしておこうと想います
よーーし、ヤルゾーーーー
京都府立洛南病院 吉岡隆一院長殿並びに内谷看護部長殿 「心神喪失者医療観察法病棟」新設を巡っての 公開質問及び意見書
私たちは、1976年設立の精神病患者会前進友の会と申します。また、患者会が設立母体運営主体となって1988年に認可を受けたやすらぎの里作業所とも為っております。40年以上拠点としていました山科区の日ノ岡から、昨年の10月伏見区の石田大山に引っ越して参ったトコロです。貴院とは、距離にして、4キロ弱、車なら10分ほどの距離に居ります。コレもナニかの御縁でしょうか。地元であり身近であると、言えましょう。ジックリとおつきあいくださいませ。身近な患者会作業所として、貴院の医療内容の充実に微力ながら協力を惜しまない決意と覚悟でございます。さて、身近であると云うコトは、貴院において此のたび観察法病棟を拵えて運用を始めるということに、不安に想っているなかまが多いと云うコトであります。町内会の皆様方が『迷惑施設』ができるので不安だと云うとても差別的な不安とは、全く意を異にする精神病者の精神病患者のセーカツから来る不安と云うものです。ただでさえ我々精神病患者は『セーシン病』の『キチガイ病』の『キタナイ』は『キケン』やは『キツいキチガイ』やは『異常者』やは『生活保護』やは、だのと、世間様から散々に言われ続けワルう見られ続けてるのです。しかも、なんとかかんとかフツーにセーカツしていても、この町内から、アパートから、学校から、会社から、出て行けと、表裏なく言われ続けているのです。そこにさらに、上乗せで、『観察病棟帰り』の『触法精神障害者』となったら、『ハクが付き過ぎて』、『スティグマに為りすぎて』、外で暮らせなくなるのではないか、出歩けんようになるんじゃなかろうか、と、ますます、ワシ等キチガイは、暮らしにくくなる、のでは、と不安でいっぱいです。
さてと、吉岡さんや、不思議なもんやなぁぁぁーー一緒に友の会の夏レクにも行ってたやん、写真もあるんよ、今度持っていこう。懐かしいよ。京都滋賀精神医療人権センターで、一緒に活動してたこともアッタもんな。最後に京大で会ったのは2005年ごろ、「懲りない精神医療 電パチはあかん!!」を売りに行ったときじゃなかったっけ、確か、15か16冊その場で買ってくれたような記憶がある。あれからずいぶん過ぎた。えばっちは、相も変わらず患者会にいるよ。吉岡さんは、ずいぶん変わったのかなぁぁぁーーエロウ為って変わってシモウたんかなぁぁぁ、『立場』ってモンがアルようになってしもうたんかなぁぁぁーーーそれとも本当に『観察法病棟バンザイ』の考えになっちゃったのか、、、、アンタもタイヘンかもシレンが、延々と患者会でレクやって食事会の食卓をなかま達と囲んでセーカツをみんなで、みんなで続けてきた、高齢のなかま達を看送ってきた、週一で精神病院に面会し続けてきた、なかまの入院をなかま達で説得して連れて行った、ソンな患者会を開き続け、クリスマス餅つき大会をやり続け、セーカツからくる「保安処分やらイローーンなモン」に終始反対してきたこっちの身にも為ってくれや。しかも、クスリ飲みながらやで、殺生なハナシやないかい、、、、、、、
山下院長とは第二回2021/2/17も第一回2020/10/21も、団体交渉は、内谷看護部長さん含めて、実のあるハナシが出来たんよ。吉岡さん、その二回の話し合いのうえで、少なくとも、次の点が問題点だと了解できたはずナンよ、だから、次は、吉岡さんと実のある実質的な話し合いをしたいのんや。やりたいんや。ハナシ合いやろうや。ヤルで、コレは、、、事務長なんか連れてくるナや、患者と看護士と精神医とでハナシ合おうや、実のあるハナシをしたいんよ。たまたまこれもご縁や、一緒に活動した仲やないか、『立場』は違ってしまった、でも話し合いはチャンとできるんじゃないかな。いや、せぇなアカンでコレは、、二月の何時かの水曜1400時から1700時まで、で、時間とってくれないか、よろしくお願いしたい。是非とも、や。下記は二回の団交の話し合いの問題点のまとめや、以下十点の吉岡さんの存念を聞くところから出発したい。また、以下二点の吉岡さん個人への質問がアリマス。話し合いを進めるにあたって、以下の十二点の回答を書面化していただいておくと、ハナシ良いかもしれませんね、、、
❶「心神喪失者医療観察法」が法案として国会に提出されていた時点では、吉岡院長は法案に賛成していましたか、それとも反対していましたか。 ❷吉岡院長は「精神医療」「日精診」誌上において積極的に『司法と精神医療の相互相乗り入れ制度』を提起しているかのように見受けられますが、其の意図するところはナンなのでしょうか。
①ガイドラインの18か月ですらを大幅に超える長期入院に為ってしまっているのは何故なのか ②自殺者が余りに多いことをドウとらえているのか ③内省療法をドウ認識しているのか実施するのか心理拷問ではないのか ④m-ECT、クロザピン、看護士の暴力CVPPPをドウとらえているのか ⑤高度に機能分化し過ぎた医療が医師看護士看護婦にどのような影響を与えてしまうのか ⑥ハードが出来てしまえば造るに苦労した世代の医療とは別に次世代若手からは其のハードに規定されてしまう医療に為らないか ⑦洛南病院として過去現在の刑事事件に巻き込まれてしまった患者さん達への対応に問題はなかったか ⑧刑事事件に巻き込まれてしまった患者さんへのそもそもの事実認定について司法を信じての治療開始で良いのか ⑨稼働したとして、外部のものが定期的に入れるのか、外部からの監視の眼が必要なのではないのか、、ソコに地域の精神病患者会も入れないか ⑩そして、長らく宇治の地で作業所所長をやってきはった棚谷さんが前回最後にハッキリと文書で持って指摘した三点の疑問点については、洛南病院には答えて頂くほかないと、強く想ってる。ソッチに残ってるはずやで、探し出しといてや。
しかも、当方の質問状31点の質問にも全て答えて頂いているわけでもないしね、とにかく、話し合うか。愉しみにシテルよ。最初の質問点も一応再掲しておきます。 ①一度、前進友の会と、会って話しが出来ませんか ②観察法病棟を運用するツモリですか ③ソレは何故ですか ④予定されている年間予算はお幾らですか ⑤『観察法病棟帰り』と云うスティグマを生みませんか ⑥この法15年の実績の中で『自殺者』は何人に為っているのでしょうか ⑦『自殺者』が多い原因は何だと考えていますか ⑧『多剤大量投薬』を実施しますか ⑨『内省療法』を実施しますか ⑩『認知行動療法』を実施しますか ⑪『鉄格子』『保護室』『四肢拘束』『看護士の暴力』を実施しますか ⑫『m-ECT電気ショック電パチ』を実施しますか ⑬この法15年の実績の中で最長入院年数はどのくらいですか ⑭長くなる原因は何だと考えていますか ⑮本人の希望する或いは信頼する医療福祉環境から断絶することをドウ考えていますか ⑯現代書館刊、浅野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』を読みましたか ⑰アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』を読みましたか ⑱『再犯予測』は出来得るとのお考えですか ⑲司法制度ですか精神医療制度ですか ⑳そのように考えるのは何故ですか ㉑副院長が当会の夏レクに参加していた事実はありますか ㉒副院長が京都滋賀精神医療人権センターの活動に参加していた事実はありますか ㉓何年間活動していましたか ㉔その間『処遇困難者専門病棟』構想に反対していた事実はありますか ㉕当会会員江端一起の記録やカルテは残っていますか ㉖本人の希望により廃棄処分とすることは可能ですか ㉗観察法病棟を運用前に見学することは出来ますか ㉘観察法病棟を運用中に見学することは出来ますか ㉙『保安処分』をドウ考えますか ㉚この法による患者の『自殺』は『治療』の『成果』と考えているのではありませんか、ドウなんダ ㉛府立洛南病院が果たしてきた役割と歴史を、現在の幹部諸君はドウ考えているのか 以上 2022年1月14日 精神病患者会前進友の会 執筆責任 江端一起
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今年も映画祭がはじまった感のある9月(2021年9月の日記)
■2021/9/1 水曜日。ややで寝坊でスタートの9月。朝からちょっと波乱ぎみで憂鬱。昨日の夜、最後まで見きれなかったJAIHO『オスロ、8月31日』を見る。どう考えても昨日見る映画だったと思う。水曜は娘の習い事にやや余裕がある。なんとか夜に映画を観に行けるかもしれない。娘に早めに勉強とかやってもらい、夕食は一番簡単な冷凍グラタン(すまん!でも娘はこれが大好き)にして、風呂にソッコーで入ってもらい、もうあとは遊んでていいぞ、という状態にしてお父さんはMOVIX昭島へ。『ベイビーわるきゅーれ』鑑賞。やっと観れました。観終わって、前の列の客席に映画ライターの村山章さんらしき人が。本当にこのコロナ禍というやつはみんなマスクしているのでこういう時に本人かどうかがよくわからない。でもClubhouseで話したときに「今度見かけた時は声かけます」と云っていたので勇気を出して「すいません、村山さんですか?」と聞いてみた。良かった、本人だった。ちょっとだけ映画の感想とか話す。村山さんは3回目の鑑賞とのこと。いやー映画も面白かったしムリしてでも観に行って良かった。小雨が降っていたが自転車で機嫌よく帰宅。娘のコンタクト(寝るときに視力矯正するやつ)を入れて寝かせる。Netflix『ザ・ラスト・マーセナリー』を見る。
■2021/9/2 木曜日。とても涼しい。とゆうか寒い。��レポレの入江悠特集のスケジュールが出たけど、唯一行けそうな日の上映が『かまってちゃん』だな。今年観なおしたばかりなんだよなぁ。東京ポッド許可局の「お笑い当事者論」を聴く。ぜんぜんお笑い以外にも当てはまる内容で、自分はどうしても映画の感想などに当てはめてしまう。自分と同じ感想を探す。それ自体は別に良いけど、自分と違う感想を見つけて、それは違うと明言したり、すぐに監督インタビューなどで答え探しをする人がいる。その考え方は自分の感想、感じ方が正しい、という前提の元にある。映画の感想なんだからそんなことはないだろう、と思う。映画の感想などを話したり、人の感想を知ることは楽しいけれど、こういう感想であるべきだ、みたいなとらえ方は苦しいだけだろうに。明日の検査のために夕食はぬき。夜は代表戦をDAZNで見る。オマーンは強��った。しかしDAZNで見れるのはとても良いですね。Amazon Prime Video『セラとチーム・スペード』を見る。Disney+『アイアンマン3』を見る。さらに眠くなるまでもう1本を映画を見ようかなぁと思っていたらTwitterで杉田監督のスペースがはじまった。ごろごろしながら聴こうと思ったら、また聴き手で参加することになりうっかり27時ごろまで参加してしまった。楽しい時間ですが聴き手が僕でいいのだろうか、という不安がありつつ気持ちよく就寝。
■2021/9/3 金曜日。そういえばTwitterをスマホで見ていてTLがビョーンとワープしてしまう現象がなくなった気がします。あれのせいでどれだけ時間を無駄にしたか。朝食はぬき。検査のため休暇。一度実家に行き車を借りて病院へ。1年ぶりのPET検査。まぁ異常がないことを確認するための検査なので気持ちは楽ですが、まわりには(かつての自分のように)深刻な状況の方もいると思うのであまり良い気持ちはしない。今回も検査中にうっかり寝てしまった。思ったりより早く終わったので、病院のとなりのショッピングモールへ。フードコートで急いでうどんを食べて、モール内のシネコンでとある映画を観る。がしかしまぁまぁ寝てしまった。検査終わりでぐったりしていてその予感はあったのですが、映画のざっくりとした流れはわかるけど細部がまるでわからない。これはダメだ。ノーカウントだ。時間を作って見直さないと。がっくり。車を実家に返してから帰宅。夜は僕モテYouTubeで入江監督と編集長の書評対談。次回のお題が僕の好きな『湿地』になった。映画版を見直そうかな。U-NEXT『インクレディブル・ハルク』を見る。早めに寝る。
■2021/9/4 土曜日。午前中に1本映画を観れるチャンスがあったので迷わず『シャン・チー テン・リングスの伝説』@シネマシティ。極爆上映で。堪能。マックでお昼を買って帰宅。午後は娘と家でのんびり。U-NEXT『ハンガー』、JAIHOで『アルプス』を見る。夜はYouTubeで「9時ゆる」見たり、AKIRA君が出てたラジオを聴いたり。寝る前にU-NEXTで『エアベンダー』を見る。おそらく劇場公開以来の再見。この前、杉田監督のスペースでシャマラン話をしていて見直したくなったのだけど、主人公が「アバター」という役割から逃げ出していた、という設定をすっかり忘れていた。ここらへんが面白い。
■2021/9/5 日曜日。HDDレコーダーが立ち上がらなくなってしまった。たしかに買ってから5年ぐらい経っているような気がするがついに壊れてしまったか。いろいろ録画したままのものがあった気がするんだけど。あーあ。朝からAmazon Prime Video『シンデレラ』を見る。娘と実家へ。のんびり過ごす。午後は床屋へ。さっぱり。実家でごろごろしながらNetflix『ベケット』を見る。夕飯までご馳走になってから帰宅。その夕飯を食べすぎたらしく苦しい。なんか体調が悪くなるぐらい苦しい。娘の寝る支度をして、娘の就寝タイミングで倒れるように僕も寝てしまった。深夜26時ぐらいに目が覚める。ややすっきりしたのでオンライン試写で『最悪な一日』を見る。起床時間まで時間があったのでもっかい寝る。
■2021/9/6 月曜日。まだまだ昨夜の食べすぎを引きずっている感じ。金曜休んでしまっているのでその影響でバタバタの午前中。購入した小林勇貴監督の『奈落の翅』Blu-rayが到着。小林監督自ら書いてるんじゃないかという宛名書き、そして怪文書っぽい紙とBlu-rayが封入されていた。さていつ見ようかな。夜、JAIHOで『霧の中』を見る。
■2021/9/7 火曜日。シネマクティフ東京支部の音声配信外伝『オールド』回を聴く。けんす君が話していた「水中で裸眼だとほぼ何も見えない」というのはやはり個人差なのではないだろうか。僕はゴーグルがなくてもある程度は水中が見えるので映画内の描写とかはあまり気にならない。しかし最近水中に潜る機会ってないですね。午後のミーティング、発表をしながら英会話に出かける娘を送り出す、という離れ業をやる。リモートあるある(なのか?)。U-NEXT『好男好女』を見る。夜、ラロッカさんとDiggin' Netflix収録。ラロッカさんも久々に映画館で映画を観れたとのことで何より。さらに24時からDAZNでW杯予選の代表戦を見る。やっぱDAZNで見れるの最高だな。後半はclubhouseでラフランスさんが参加してる部屋を聴きながらサッカー見てた。ラフランスさんが楽しそうだった。
■2021/9/8 水曜日。午前中がすごく忙しかった。なんなら昼休みまでずれこんで忙しかった。水曜は娘のスケジュールに余裕がある。娘の夕飯とお風呂が終わり、あとは宿題やっとけよ、という状態にしてMOVIX昭島へ。『モンタナの目撃者』鑑賞。映画観終わってすぐ帰宅。娘の宿題をチェックして、コンタクトやって娘を寝かせる。このパターンで水曜は映画を観れる気がする。まぁ19時以降のいい感じの時間に上映がないとダメなのだけど。JAIHO『アワ・ボディ』を見る。Disney+『ホワット・イフ...?』S1E5を見る。ゾンビ回。
■2021/9/9 木曜日。小雨だ。でも図書館に本を返しに行かなくてはならない。雨具を羽織って自転車で本の返却へ。ついでに自転車屋さんでタイヤの空気を入れてもらう。ついでにショッピングモールのフードコートで銀だこを買って帰る。ジャンクなランチ。夜、『マトリックス』新作の予告編が公開。賛否はいろいろあるようですが、やはり『マトリックス』は特別な作品で、僕は公開を楽しみに待ちます。JAIHO『私の血に流れる血』を見る。というわけで2週間の無料期間を終えてJAIHO解約。こういうのは忘れない。配信している映画はとても面白いので、どこかのタイミングでまた利用するだろうJAIHO。WOWOW『カラー・アウト・オブ・スペース』を見る。
■2021/9/10 金曜日。山形国際ドキュメンタリー映画祭の詳細が発表されたけど、時間指定のある配信方式。この方法だとほとんど作品を見れないよ。可能であればみんなでいろんな作品観て、東京支部の音声配信で取り上げようかと思っていたけどこりゃムリだ。夜はおなじみ「僕モテFRIDAY」を30分だけ見て、そこから藤元監督の監督ラジオ最終回に移動。『海辺の彼女たち』をじっくり堪能したような数か月だったかと思う。良い試みだったと思います。Blu-ray『奈落の翅』を見る。こうゆうかたちで映画を届けるのも面白い。小林監督はおそらく現状の(映画館の)映画上映の仕組みに納得いかない部分が出てきてるんだと思う。それに抗うことをやっている。WOWOW『ボクシング・ジム』を見る。ジムのトレーナーのおじさんが後ろ髪を一部のばして三つ編みにしていた。パダワンなのかな。
■2021/9/11 土曜日。朝から娘を習い事に送り僕は立川へ。一蘭で早めのランチ。カフェでコーヒー飲みつつ山下達郎のラジオを1週間遅れで聴いていたら強い既視感を味わう。これは自分はマトリックス世界にいて何か異変が起きているのかも?と一瞬だけ思ったが、先週床屋で散髪してるときに店で流れていたサンソンをぼんやり聴いていたのだということを思い出した。シネマシティで『フリーガイ』鑑賞。娘を迎えに行って帰宅。夜はYouTubeで「9時ゆる」。春本監督の『由宇子の天秤』はいよいよ公開が近い。さらにche bunbunさんのスペースを聴く。ちょっとだけ質問があったのでスピーカーでも参加。PFFがはじまったのでコンペ作をオンラインで見はじめる。今年はU-NEXTで見る。『グッバイ!』『五里霧中』『ROUTINE』を見る。
■2021/9/12 日曜日。映画を2本観に行けるチャンス到来。まずはTOHOシネマズ立川立飛で『スパイラル:ソウ オールリセット』鑑賞。渋谷へ移動。イメフォで『ミッドナイト・トラベラー』鑑賞。トーク付きの回でいろいろ補完された。ありがたい。移動中はラフランスさんがゲストで出ていた「ポータルキャスト」という配信をアーカイブで聴く。ぜんぜん知らない映画関連の配信だったけどすごいボ��ュームでこれ毎週やってるのかな。急いで帰宅。夜はDAZNでFC東京戦を見る。試合は負けちゃったけど、試合後に長友のセレモニーあり。本当に帰ってきたのだ。WOWOW『コメディ・フランセーズ』、『悪の偶像』を見る。U-NEXTでPFFコンペ『豚とふたりのコインランドリー』『Parallax』『巨人の惑星』を見る。
■2021/9/13 月曜日。娘の小学校のクラス、夏休み明け担任の先生が体調不良とのことで代理の先生が担当していたのだけど、正式に担任交代となったとのこと。いろいろあるんでしょうね。夜はけんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。収録後にも近況話したり。U-NEXTでPFFコンペ作『壁当て』『みなみとあした』『ばちらぬん』を見る。
■2021/9/14 火曜日。午前中、集中して仕事。午後半休をもらって出かける。途中、乗り換えの高田馬場でランチ。ミャンマー料理の「ノング・インレイ」。藤元明緒監督が以前に紹介してくれていたお店。豆腐カンスェ、うまかった。京橋へ。PFF『あの店長』鑑賞。わざわざ観に行って良かった。立川へ移動。シネマシティで『アナザーラウンド』鑑賞。U-NEXTでPFF『苺のジャムとマーガリン』『転回』『夜の帳につつまれて』を見る。
■2021/9/15 水曜日。もう仕事の合間にU-NEXTでPFFアワード作品を見ている。『愛ちゃん物語♡』を見る。夜はイシヤマさんとDiggin' U-NEXTを収録。
■2021/9/16 木曜日。9月も後半か。オンラインのゆうばり映画祭がはじまる。今年は有料だけど、huluに加入すれば好きな時間に見れる形式。こっちの方が良いです。ゆうばり映画祭『12ヶ月のカイ』を見る。PFF『サイクルレース』を見る。Disney+『ホワット・イフ...?』S1E6を見る。
■2021/9/17 金曜日。午後半休。目的地は渋谷であるが神保町に寄り道。「丸香」で青唐釜たまを食べる。うまい。渋谷へ。ユーロスペースで『由宇子の天秤』鑑賞。やっと観れた。上映前にパンフを買って春本監督、梅田先生、鶴田翔さんのサインをいただく。上映後だと大混雑なので良い判断でした。同回を観ていたけんす君と感想を話しながら移動。僕は東中野に向かう。ポレポレで『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』鑑賞。入江監督特集上映の最終日。上映後トークは「僕モテFRIDAY」で中継というスペシャルな感じ。撮影かめりさ。イベント後は外で記念撮影。撮影は僕。さらに(これはあまり大きな声では云えないが)とある場所でちょっと雑談が続く。いまは打上げとかできないのでこんな感じなんでしょうね。映画を観にきていた三溝さんなど『シュシュシュ』チームと話したり、駒木根さんや水澤さんと話したり。こうゆう時間が楽しいですよね。終電近くなったので解散。方向が同じだった水澤さんと途中まで一緒に帰りました。移動中はひたすらオンラインのゆうばり映画祭を。『MY WORLD』『世界で一番すばらしい俺』を見る。
■2021/9/18 土曜日。朝から娘を習い事に送り、僕は新宿へ。うまいこと2本映画が観れる!新ピカで『レミニセンス』鑑賞。お昼にうどんを食べてからカリテで『トムボーイ』鑑賞。娘を迎えに行って帰宅。DAZNでFC東京戦を見たり、「9時ゆる」見たり。ゆうばり映画祭『マレーシアのゾンビ』を見る。本当にマレーシアが舞台のゾンビ映画、であった。
■2021/9/19 日曜日。娘と実家へ。お墓参りに行ったり。娘と自分の地元の道を歩くのは変な感じだ。実家にお泊りで、夜は今年最後の花火を娘と庭でやる。実家は庭があってありがたい。オンライン試写で『DIVOC-12』を見る。ゆうばり映画祭『PARALLEL』『バーゲンセール・キラー』『4と6』を見る。オンラインのなら国際映画祭で『ビーンズ』を見る。カナダ映画は注目しているのでもっといろいろ見たい。
■2021/9/20 月曜日。実家で食べる朝食はうまい。娘を両親に見ていてもらい昼から上石神井へ。「ぎょうざの満州」でお昼を食べてから東京おかっぱちゃんハウスへ。カモの観察会2021初秋。こうやって、とても小さい空間で、年に何回もナツノカモさんの落語が堪能できるのは嬉しい。ナツノカモさん売れてほしいけど、こういうを楽しみたいので複雑な気持ちであります。実家へ戻り、夕食までご馳走になり帰宅。ゆうばり映画祭『ベースメント 全地下の家族』『めぐる』『エイン』を見る。もう1本映画を見ていたけど見ながら寝てしまったようだ。。
■2021/9/21 火曜日。連休明けなのでちょっと忙しい。オンライン試写で『メインストリーム』を見る。ゆうばりが終わったのでPFFアワード作に戻る。『県民投票』『Journey to the 母性の目覚め』『帰路』を見る。
■2021/9/22 水曜日。忙しいな。お昼休みに昭島図書館へ行って娘の本を借りる。昭島のモールで銀だこを買って帰る。ついでに書店で村山章さんによる𠮷田恵輔監督インタビューが掲載されている雑誌を立ち読み。『空白』楽しみだ。午後も忙しい。夜はDAZNでFC東京の試合を見たり、春本監督のYouTube配信を見たり。PFFアワ��ド『距ててて』を見る。
■2021/9/23 木曜日。祝日であります。昼に映画を1本観れる時間があったのでMOVIX昭島へ。『空白』鑑賞。まぁ今日観るならこれでしょう。夜はラジオ「京浜ネバーランド」聴いたり「4THCoastラジオ」聴いたり。Netflix『パリピ的アフターライフの始め方』を見る。WOWOW『ライド・ライク・ア・ガール』『ファンシー』を見る。U-NEXT『泥濘む』を見る。
■2021/9/24 金曜日。午前半休で八王子の病院へ。先日受けた大き目の検査の結果を聞く。問題なし。まぁ問題あればこの診察を待たずに連絡がきてると思うので大丈夫だとは思っていたのですが。すぐに終わって急いで帰宅。11時前に帰宅できたので午前半休をキャンセルして在宅勤務開始。夜は「僕モテFRIDAY」を見る。大川さん家回楽しい。Disney+『ホワット・イフ...?』S1E7を見る。U-NEXT『机のなかみ』を見る。
■2021/9/25 土曜日。娘を習い事に送り僕は池袋へ。平塚さんのツイートで気になっていたカレーうどん ひかり TOKYOへ。すごい不思議な場所にある店。カレーうどんうまかった。シネマ・ロサで『黄龍の村』鑑賞。まだ時間があったので、かるかやでうどん食べる。娘を迎えに行って帰宅。帰りながらDAZNでFC東京戦を見る。夜はYouTubeで「9時ゆる」。今年もSKIPシティ国際Dシネマ映画祭がはじまったのでオンラインで見はじめる。『カウンセラー』『鬼が笑う』を見る。オンライン試写にて『屋根の上に吹く風は』を見る。
■2021/9/26 日曜日。午前中に1本映画を観れる時間があったのでMOVIX昭島へ。『整形水』鑑賞。午後は自宅でいろいろ見る。SKIPシティ『赫くなれば其れ』『ルッツ』『10センチの彼方』を見る。夜はmatsuさん、まるゆさんとシネマクティフ東京支部の音声配信を収録。
■2021/9/27 月曜日。ミーティングの連続である。SKIPシティ『ひびき』『夜を越える旅』を見る。
■2021/9/27 火曜日。午後半休でとある病院へ。僕の病気というわけではない。病院終わってから吉祥寺へ。さとうのメンチとコロッケを買い、小さな食パンも買う。井の頭公園でサンドして食べる。これ1年に1度ぐらいでやりたいやつ。しかし公園は座る場所をつぶされていて、長居できる感じではない。TIFFの会見がはじまり公園で最後まで見ようと思っていたのだけど場所を移動。UPLINK吉祥寺の待合椅子で会見を見る。いや凄いラインナップ。かなり上映本数は減ってるはずなのに一見して強烈。思わずチートイツさんとけんす君にDM。吉祥寺オデヲンで『サマー・オブ・ソウル』を観る。渋谷に移動。イメフォで『アンラッキー・セックスまたはいかれたポルノ』鑑賞。これが今年のイメフォフェスで唯一の鑑賞作だけど大当たりでした。
■2021/9/29 水曜日。もう9月も終わってしまう。月末になるとWOWOWオンデマンドの配信終了映画がたくさんあるのでそれをなんとか見る。『SKIN」を見る。夜はナツノカモさんのスペースを聴く。スペース内の告知で公演のチケット発売。まぁ僕は行けないと思われるので買えず。
■2021/9/30 木曜日。仕事が微妙に忙しい。昨夜告知のあったナツノカモさんの公演、行けることになった。あわててチェックすると行ける回のチケットが残り1。買えて良かった。オンライン試写で『スターダスト』を見る。WOWOWオンデマンド『権力に告ぐ』を見る。SKIPシティ『アリスの住人』を見る。そしてMCTOS『パリピ的アフターライフの始め方』回に参加。なんか楽しい回でした。そんな感じでついに映画祭の時期となってしまった9月もおわり。
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進大日本史表(一八一〇)
臣治紀言す、伏して惟(おもん)みるに、太陽の照らす攸(ところ)、率土日域に匪(あら)ざるは莫(な)、皇化の被ふ所、環海咸(かんかいにみな)天朝を仰ぐ。帝王、三器を授受し、神聖の謨訓(ぼくん)を徴す。寶祚(ほうそ)の隆えまさんこと、天壌(てんじょう)と與に窮り無し。國家の治亂、一統して姦宄(かんき)の窺窬(きゆ)を絶つ。威霊の遠き、華夷に光有り。然りと雖(いえど)も時運に盛衰あり、蓋(けだし)し諸(これ)を朝暮(ちょうぼ)に譬(たと)ふ。 是(これ)を以て人事の得失(とくしつ)、宜く古今に鑒(かんが)みるべし。往を彰(あきらか)し來を考へ、述ぶる有り、作る有り。善を勧め悪を懲らし、或いは褒(ほう)し或いは貶(へん)す。辭(じ)を属し事を比す。豈殊方(しゅほう)に載籍(たいせき)無からんや。内を詳(つまびらか)にし外を略す。正史固(もと)より體裁(ていさい)を存す。 臣治紀 誠惶誠恐頓首頓首(れいこうせいきょうとんしゅとんしゅ)、欽(つつし)みて惟(おもんみ)るに、 皇帝陛下(こうていへいか)、天祖の正統を紹(つ)ぎたまひて、其の徳を神明にし、八方に照臨し、聖人の大寶(たいほう)を守り、寛仁の政、羣生(ぐんせい)を子育し、古を稽へて事を立て、己を恭(うや〳〵)しくして為すこと無し。文化の號を宇内(うだい)に播(ほどこ)したまふ。何人か聖天子の風教に遵(したが)はざらん。奨學(しょうがく)の任を関東に委ねたまへば、臣等 嘗て大將軍の家訓を聞けり。伏して念ふに、臣材質愚鈍、學問空疎、徒(たらづ)らに父祖の餘蔭(よいん)を承けて、叨(みだ)りに藩屛(はんべい)の重寄に膺(あた)り、爵は三位を忝(かたじけな)くす。尸素(しそ)の譏(そしり)免れ難し。官は参議を帯びて、牆面(しょうめん)の陋(ろう)をば是れ慚(は)づ。 惟ふに此の國史は責(せめ)、臣が家に在り。忠を本朝に竭(つく)さんと欲せば、盍(なん)ぞ孝を前人に追はざるや。臣五代の祖 光圀少(おさな)少して學を好み義を為すに勇み、身は外に在りと雖(いえど)も、心を王室に乃(とど)む。毎(つと)に舊史(きゅうし)の闕文(けつぶん)を慨(なげ)き、歴世の實録を修めんと欲し、館を開き士を聘(へい)し、名山通邑(めいざんつういう)の逸書(いっしょ)を輯録(しゅうろく)して、之を購求す。切(しき)りに使幣(しへい)を遠爾(えんじ)に馳せ、人に因りて傳奏し、蘭臺石室(らんだいせきしつ)の秘册(ひさつ)を借るを許さる。繙閲(はんえつ)之れ勤めて、寢食を晝夜(ちゅうや)に忘れて、貫穿馳騁(かんせんちてい)して衆技を集め以て效を成す。取捨裁斷して獨得の特見を發し、紀志表傳(きしひょうでん)、一家の言を創立し、信疑を筆削(ひっさく)して、庶(こいねが)はくば萬世の鑑(かがみ)たらん。 神武自り起りて明徳に至る、叙次(じょじ)一百代、上下二千載、幽を闡(ひら)き顯(けん)を微(び)にし、始を原(たづ)ね終を要(もと)む。大友を帝紀に陞(のぼ)せたてまつりしは、老翁の日を捧げたるに徴(ちょう)し、神功を后妃に列したてまつりしは、眞主(しんしゅ)を遺腹に掲げたればなり。西東の爭、南北の亂、皇統を正閏するに、唯神器の在否を視(み)る。逆順の際、忠奸(ちゅうかん)の別、人臣を是非するに、悉(ことごと)く公論に由りて折衷す。我を知り我を罪する、蓋(けだ)し深く自らを任ず。之を刊し之を正すは將來に待つ有り。 爰(ここ)に高祖綱條より以て先父治保に至る。校訂補修、四世の間怠る無く、潤色討論、百年の後稍(ようや)く定まれり。顧(おも)ふに此れ一家の撰、豈(あ)に三長の具と云はんや。徒に星霜を閲(けみ)して功緒(こうしょ)を竟(お)ふる莫(な)きは、先臣の尤も苦心せし所、愚臣何ぞ敢(あえ)て力を竭(つく)さゞらん。 曩(さ)きに幕府の催督に遭ひ、將(まさ)に史藁(しこう)をして上木せしめんとするや、竊(ひそか)に顧(おも)ふ、斯(こ)の書、私撰(しせん)に屬すと雖も、苟(いやしく)も世に傳ふれば、國體に係ること有らん。昔初めて、稿を脱するや、假に題號を冒(おか)す、今且(まさ)に版に鏤(る)せんとす、曷(なん)ぞ奏請なからんと。乃(すなわ)ち百揆の吹嘘(すいきょ)に因りて、竊(ひそか)に九重の進止(しんし)を取る。恭(うや〳〵)しく天意の降鑑を蒙(こうむ)り、書名をして公行せしむるを許さる。 是に於て累葉(るいよう)の志願、一朝にして伸ぶるを獲(え)、踊躍奉誦(ようやくほうしょう)、感激已(や)むこと無し。速に削闕(きけつ)の工に命じて、永く繕寫(ぜんしゃ)の勞を省く。先 臣修むる所、大日本史本紀七十三巻、列傳一百七十巻校訂粗(ほ)ぼ全く雕刻未だ半ばならず。其の志表若干、録する有りて書する無きもの、方(まさ)に且つ補修し、猶(なお)未だ全く備はらず。臣愚以為(おもえ)らく、其の歳月を遷延(せんえん)して、功を全うし竣(しゅん)を告げんよりも、厳に課程を立て、成るに随って呈上するに如(し)かじと。故に今、紀傳二十六巻刊刻已(すで)に就(な)る者、装して一函(いっかん)と成し、聊(いささ)か先づ上送し、餘は將(まさ)に続いて進めんとす。謹しみて表に随(したが)ひ以て聞(もん)したてまつる、 上、天覧を塵(けが)したてまつり、下情(かじょう)、慚懼戦汗(ざんくせんかん)、屛營(へいえい)の至に任ふる無し。臣治紀 誠惶誠恐頓首謹言(せいこうせいきょうとんしゅきんげん)。 文化七年十一月五日 参議従三位左近衛権中將臣源朝臣治紀上表
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マジかよ!? 無敵のBOSSじゃねーのかよ!? 何か知らんが、いきなり電源入れたら スイッチ部が壊れてOFFれねぇ... Bossって良くも悪くも電源入れたら勝手にONになるよね。 アレ、個人的には毎回、OFFるの面倒臭いからやめて欲しいけど、 チェックとかはし易いのはある。 エフェクターって何か分解して組み立て直したら治るの多い。 まぁコレは多分、スイッチだけだからスイッチ交換か?ハンダか何かをやり直せば治るはず...? 面倒臭ぇ〜なぁ〜。 まぁやるけども。 Yamaha CHa10MIIは分解/組み立てしても治らなかった。 でも、アレ、前も一個持ってていきなり壊れたから、 何か壊れ易いエフェクターな気がする。 別の箱作って組み立て直した方が良いのかもね? まぁそれはかなり面倒臭いし別に今、ソレを求めて無いからしないけども。 でも、CH-10MIIは80年代Post PunkやShoegazerみたいな冷たい感じの音で一般的な太くて暖かいコーラスっぽく無い印象だから治したいとは思うんだけどね ただ、その手の音楽をしないなら まぁ要らんよね? ジミー・ペイジ氏がBoss CE-2と兼用で使ってるらしいけど、 多分、天国への階段かなんかのイントロのヤツとかかな? ツェッペリンとかあんま知らんけど、何か冷たい音だった気がする。 一歩間違えたら90年代のV系みたいにショボい音になるけれど。 昔はそう云うのが嫌でしょうがなかった。 中学生の頃は流行ってたけど、 段々と彼らが影響を受けてたPost Punk/Cold WaveやShoegazerな部分は消えて ただのホストちんこ野郎みたいになって、 アニメ系と融合して、アイドルと融合して、 大都会東京みたいにごちゃごちゃ入り乱れて 何か統一性もないしわけわからん感じになってったしね。 自分は北欧とかドイツとか シンプルで落ち着いた一貫性のある街並みやファッションが好きだ 若い時しか着れないファッションは二十代だけで良い。 歳とって顔にほうれい線が出来て若過ぎるカッコをし過ぎると違和感が生まれ過ぎる まぁ似合って居れば良いけれど。 自分はそろそろ限界だな。 まぁファッションの合わせ方にもよるけれど、 David BowieやらJohn LydonやらBernard SumnerやらStingやら キマる人はキマるだろうし。 まぁただ、絶対的にデブったら終わりだとは思っている。 別に他者がデブろうがどうでも良いけど、 自分がデブったら単なる惰性でしかない。 まぁ鬱病の薬とか飲んでたら別だけど。 アレは肥える。 女性は特に苦悩してる人、多し。 まぁポッチャリ程度なら好きですけどね。 結局、見た目より人柄が良く無いと長く一緒に生きて行けない。 だから、見た目だけを売りにし過ぎたらしんどいから、ちょっと立ち止まって見た目が通用しなくなった時を想像して見て! あなたには 何がありますか? 人間関係は常に無意識に分け合う事で成立してる。 無意識の利益。 絶対的にそれはある。 まったく何にもない人と人はわざわざ接触しようとは思わない。 中には誰とでも接する人が居るけれど、 そう云う人は適当で、見えてないだけで危険な人だったりする。 利益とか書くと悪印象を与えるけれど、 それは些細な事でも良いんだよ 例えば道で擦れ違う「仲の良い老人と子供」のやりとりとか 自分が接触して少しでも心が穏やかになる笑顔や優しさとか それだけで。 でも、そう云うのを感じない人は自分の中にまったく残らない。 実際、そんな人も居る。 みんなと仲良く出来ればとても良い事だけれど、 そんな綺麗事ではなかなか生きられない。 人間関係ってちょっとしたどうでも良いような事でギスギスしてしまうからね。 「感情」と云うモノの取り扱いってのが一番、厄介なんだよな。 自分は其れを制御出来る自信を無くしてしまって 他人との接触を断とうと距離を少しずつ離してきた。 ほとぼり冷めると云うか? 自分の中でこじれてしまったわけのわからないモヤモヤが消えてリセットされるまで自己隔離してようと。 が、 全然、リセットされないのが現実。 もう知り合いには会えないかも...くらい 被害妄想がめちゃくちゃになってる。 二十代前半の時もなって全部の交友関係を完全に切ってしまった。 たくさん、知り合いも友達も居たんだけれど。 まぁあの頃はブラック会社に拉致監禁されて24時間ずっと寝ずに何週間も働いてたからね。 寝ないと人は一週間程度でぶっ倒れる くるくる廻って立てなくなるんだよね。 今だったら過労死してんだろう。 一回、監視の目を潜り抜けて 逃げて自分のマンションへ辿り着いてドアを開けて気絶したのを覚えてる。 まぁお金はよかったけれど。 その後、社長がヤクザか何かで金を持ち逃げして逃げたとか? 自分はその頃には辞めて居たけれど。 何の話だっけ? まぁ 何にせよ、前を向いてGO!!! ですよ! 報われなくともね。 もう他人が幸せそうならそれで良いかな?って 老人の心と云うか、 母(父)性本能?だ。 https://www.instagram.com/p/CJ77WTuJzoc/?igshid=1cinfbeec5qyh
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憲法改正を何がなんでも阻止したい護憲派メディアは、「押しつけ憲法」というネガティブなイメージの払拭に躍起になってきた。その筆頭格・NHKは、頻繁に憲法特集番組を放送してきたが、その全ては、現行憲法を礼賛し、改憲を阻止するための世論操作を目的として作っているとしか思えない。視聴者から強制徴収した受信料を湯水のように使ってNHKが作る番組は、日本国憲法を「戦争を反省した日本人が自発的に作った」かの如く歴史修正する番組ばかり。長年、違憲状態で放置されてきた自衛隊関係者の心情や緊迫する尖閣問題、国際平和維持活動の必要性などの観点から憲法問題を考える番組は皆無である。そうしたメディアが好んで繰り返し礼賛するのが、戦後まもなく発足した「憲法研究会」。そこで日本人が作った憲法草案要綱こそ、現行憲法の原型だと喧伝しているのである。 周知の通り、日本国憲法は、マッカーサーが指示した基本原則「マッカーサー・ノート」に基づき、GHQ民政局の憲法起草チームが約1週間で草案を作成し、それを日本側とも協議・修正した上で完成した。それ故に「アメリカ製」「押しつけ憲法」と言われてきたわけだが、護憲にトチ狂った人々は、GHQが憲法研究会の草案を基にしてGHQ草案を作ったから、「日本製」だと言いたいわけだ。 憲法研究会とは、戦後、新憲法を日本人の手で作るべく、進歩的な学者、ジャーナリスト、知識人らが集まって結成した民間の団体とされている。そこで中心的に憲法草案要綱を書いたのが、マルクス主義者の憲法学者、鈴木安蔵。彼らは国民主権などを定めた自由主義的な憲法草案要綱をまとめてGHQに提出した。日本人民間人が勝手に作った草案だったはずなのに、なぜかGHQはこれを直ぐに英訳し、精査した結果、「民主的で受入れ可能」とポジティブに評価している。一方、日本政府が正式に組織した憲法問題調査委員会の松本私案は、日本を君主国と規定するもので、GHQは「極���て保守的」とバッサリ。これが災いしたのか、憲法改正担当だった松本烝治大臣は、その後、公職追放されてしまう始末。日本政府に任せられないと判断したマッカーサーは、GHQで草案を作るよう民政局に指示した。僅かな時間の中で他国の憲法草案を書く羽目になった民政局は、鈴木らの憲法草案要綱だけでなく、アメリカ憲法やソ連憲法、ワイマール憲法など、世界中の憲法を参考にして、泥縄式に草案を仕上げたのだった。
なぜ、鈴木安蔵は、政府からの委託を受けたわけでもないのに憲法草案を書こうと思い立ったのか? 実は終戦直後、GHQの高官がジープに乗って鈴木の自宅を訪問しているのだ。カナダ外務省からGHQに出向していたハーバート・ノーマン(Egerton Herbert Norman)である。ノーマンは、牧師の息子で日本生まれの日本育ち。日本史研究の専門家であり、鈴木とは戦前、明治史研究会で知り合った。隠れ共産主義者だったノーマンは、鈴木に大日本帝国憲法の問題点を指摘し、民主的な新憲法を起草するよう強く勧めたとされている。新憲法制定は、GHQにとって喫緊の課題であり、マッカーサー自身も元首相の近衛文麿に別途要請していたが、日本の守旧勢力を憎悪するノーマンは、近衛の戦争犯罪を糾弾する報告書を書き、戦犯に指定させることで近衛ルートを潰すのにも一役買っている。
NHKの憲法特集番組では、ノーマンの存在や役割を完全に省いてしまっているものが多い。上に掲示したETV特集では、ノーマンを登場させているものの、「日本近代史研究家で外交官」とだけしか説明しておらず、共産主義者であったことや、後に悲惨な運命をたどる話などは完全に省かれている。制作統括の塩田純は、ETVで左翼的な番組ばかり作っているディレクター。知らないはずがない。全てを知った上で、敢えて視聴者を騙す番組を作っているのだろう。下で紹介する映画では、鈴木とノーマンの再会シーンを更に美化して描いている。 GHQ職員がジープで突然現れるエピソードには既視感を感じる。優生保護法が成立した背景でも、全く同じような光景が繰り広げられていた。戦前の日本による対外侵略の原因が多産にあると考えていたGHQは、人口増加に歯止めをかけなければ、将来また、膨張主義が復活する、と危惧していた。そこで、戦前に産児制限の普及運動に取り組んだ加藤シヅエに目をつけ、GHQ民間情報教育局の二世職員が加藤の自宅をジープで訪問。国会議員に立候補するよう強く説得した。産児制限を認める法案を日本人女性議員に提出させ、中絶を事実上合法化する優生保護法を日本人自身の意思で法制化した、ということにするためである。(出典:『日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉』) 優生保護法と日本国憲法成立の共通点は、中絶と戦争放棄という、当時のアメリカでは絶対に制定不可能なルールを日本人に押し付ける際に、「命令」ではなく「自発的な制定」を偽装したことにある。GHQによる命令や強制は、「日本国国民が自由に表明した意志」を尊重せよ、というポツダム宣言第十二項に違反するのである。だから、発案は目をつけた左翼日本人にやらせる。それを可決する際には、天皇の戦争責任や早期独立の可否をちらつかせて政府や議会に圧力をかけるという手法を使ったのであろう。ノーマンと鈴木安蔵には、二つの共通点があった。キリスト教徒で共産主義者。鈴木もまた、クリスチャンの両親に育てられ、青年期になってマルクス主義にかぶれていった(出典:日本の憲法・人権思想にキリスト教の影響)。ノーマンのハーバード大時代の親友で、後に一橋大の学長になる都留重人もキリスト教徒で共産主義者。終戦後、来日したノーマンを早速、鈴木の自宅に連れて行ったのは、他ならぬ都留だったのである。敗戦直後の混乱した状況を利用して、左翼的な憲法を作るべく、キリスト教徒で共産主義者の人脈が機能していたわけだ。ノーマンと都留は、20万人に及ぶ公職追放の人選にも関与しており、一種の「敗戦革命」を企んでいたと思われる。彼らの「革命」は、冷戦の激化とアメリカの対日政策大転換、所謂「逆コース」によって頓挫することになる。
マッカーシーによって始められた赤狩りがアメリカで吹き荒れ、ノーマンにも共産スパイの嫌疑がかけられると、ノーマンの後ろ盾だったカナダのピアソン外相はノーマンを庇い続け、アメリカと対立することになる。FBIはノーマンの友人だった都留を尋問し、共産主義者であったことを自白させる。それで窮地に追い込まれたノーマンは、赴任先のエジプトで自殺した。日米戦争の切っ掛けになったハル・ノートを書いた財務省次官捕・ハリー・ホワイトも、共産スパイの嫌疑をかけられて自殺しているが、後に、ソ連のスパイ活動を暴いたヴェノナ・ファイルの公開によって、スパイだったことが確定している。だが、ノーマンの場合、ファイルに名前が登場しなかったため、未だに真相は藪の中。赤狩りで最大の標的となった反日活動家・オーウェン・ラティモアもファイルに登場しない。このラティモアこそ、ノーマンをGHQに推薦した張本人である。ノーマンとラティモアは、コミンテルンが牛耳っていたNGOの反日団体「太平洋問題調査会」で繋がっていた(【参考】オーウェン・ラティモアと太平洋問題調査会の暗躍)。ノーマンは、ケンブリッジ大学留学中、ソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイヴ」に加わっていたという情報もあるが(【参考】ノーマンと『戦後レジーム』―近代日本を暗黒に染め上げた黒幕)、カナダ政府は、未だにノーマンのスパイ説を頑なに否定している。ノーマンがクロだと、ノーベル平和賞を受賞し「カナダで最も偉大な首相」と評されるピアソンの素性まで疑われるからだ。
鈴木安蔵の憲法草案要綱は、国民主権を規定するなど、確かに自由主義的であったが、GHQがどこまでそれを参考にしたかは判然としない。GHQ民政局に鈴木案を参考にするようノーマンが根回しをしたと鈴木自身が証言しているが、GHQは合衆国憲法やソ連憲法など、他国の憲法も参考にしてゴチャマゼに取り入れているので、鈴木らの草案は参考資料の一つに過ぎなかった。そもそも、肝心なものが欠けている。憲法9条に相当する戦争放棄、戦力不保持の規定が無かったのである。キリスト教的人道主義やマルクス主義の観点から発案しても、「戦力不保持」というラディカルな発想は出てこなかった。
では、9条はどこから来たのか? マッカーサーが明示した「マッカーサー・ノート」であり、敗戦国・日本を二度と軍事大国にさせないための懲罰的色彩が濃厚だった。だが、この点でも護憲派左翼は、もっともらしい言い訳を用意している。幣原首相がマッカーサーと会見した時、幣原の方から戦争放棄の考えを提案したから、「日本人が発案者」=「押し付け憲法ではない」という詭弁である。憲法を強制的に押し付けたことにしたくない当時のアメリカ側と、改憲を阻止するために「自主憲法」だったとアピールしたい今の護憲派左翼は方向性が同じであるため、それっぽいエピソードはいくらでも見つけてくることは可能だが、大局を左右するような話ではない。オーストラリアや中国など、他の連合国から天皇訴追の声が高まる中、天皇制を維持する唯一の方法は、とても民主的で平和的、かつ天皇制を残した憲法を、日本人の手でできる限り早く可決することだった。天皇の命運をチラつかせて圧力をかけるGHQに対し、占領下の日本政府はあまりに無力だったのである。憲法が制定された時期、20万人もの公職追放が強行され、衆議院議員の8割が軍国主義者のレッテルを貼られて追放された。当時の日本国民は、外国人が書いた草案を基に憲法が作られたという事実さえ全く知らされず、国民投票さえ行われなかった。こうした事実に鑑みれば、「自主的な憲法」などとても言えた代物ではないのは明らかである。『日本の憲法は我々が書いた』と発言したバイデン元副大統領は正しい。
日本国憲法制定後、冷戦の激化に伴い、GHQは対日占領政策を大転換する。自衛隊を設立し、日本を共産主義への防波堤にしようとした。岸信介らが主導して結成された自民党は、憲法改正を党是に掲げるものの、戦争の記憶が生々しく、左翼勢力が大暴れしていた時代に改憲するのは困難であった。日本国憲法を書いた主役が、キリスト教徒でマルクス主義者の鈴木安蔵であったのか、GHQ民政局の左翼的なニューディーラーたちだったのか、断定するのは困難であるが、どちらにせよ左翼が作った左翼的な憲法だからこそ、その後もずっと、左翼やキリスト教徒が既得権益として必死に守り通してきたのである。国会前で反安倍デモをやっていたシールズも、コアメンバーはキリスト教愛真高校の出身者。日本国憲法は彼らにとって、「神聖にして侵すべからざる聖典」なのである。
初稿:2018年6月12日 追記1:戦時中、二等兵だった都留重人は、戦後、ノーマンと再会した後、GHQ勤務を経て、1947年に35歳の若さで経済安定本部総合調整委員会副委員長(次官待遇)に大出世している。翌年、一橋大学教授に就任。1972年に一橋大学長。恩人のノーマンが悲惨な最期を遂げたのと対照的に、順風満帆な人生を送った。退職後は、朝日新聞社論説顧問。叔父で牧師の都留仙次が院長をしていたキリスト教系の明治学院大学教授となり、国際学部を創設している。因みに、シールズの奥田愛基も牧師の息子で、キリスト教愛真高校→明治学院大学国際学部→一橋大院。 追記2:憲法研究会の実質的なトップは、鈴木安蔵ではなく、東大教授の高野岩三郎。高野は、天皇制廃止を主張していたが、鈴木は時期尚早と考えて憲法草案に入れなかった。それにノーマンは強い不満を示している。その後、高野は、GHQによる検閲を担う日本人グループの長として暗躍。1946年、戦後初のNHK会長に抜擢された。NHK東京放送会館は、GHQ民間情報教育局(CIE: Civil Information & Educational Section)が一部を接収し、放送の検閲を実施している。 追記3:公職追放された保守派学者の筆頭、慶應大学の憲法学者で枢密院議長だった清水澄は、新憲法施行後、明治憲法に殉じて自殺している。遺書で『新日本憲法ノ發布��先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團體及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戰爭責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ』と嘆いているが、天皇制廃止を強く主張する高野岩三郎が、新憲法にも飽き足らず、別途発表した日本共和国憲法私案要綱を指すと思われる。
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