#幻聴と闘う私
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takuyasimosaka · 2 years ago
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beast 2023 1167×1167 獣 #art #design #デザイン #アート #예술 #艺术 #絵描きさんと繋がりたい #instagram #instagood #下坂卓也 #TakuyaShimosaka #幻聴と闘う私 http://takuya-shimosaka.jp/ (Ōnojō) https://www.instagram.com/p/Cp6o1jaPPrV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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patsatshit · 1 year ago
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奈良県大和郡山在住、日々、育児と楽曲制作に励むmoanyuskyこと小野裕介(以下、小野ちん)に話を聞く。いまから遡ること6年、タラウマラの前身とも言えるサイクルショップすずめにphoneheadが小野ちんの1stアルバム『scapes album』を持って来てくれたことから、僕たちふたりの幻想との舞踏/武闘は幕を開けた。盆地から虚空へと放たれた金魚を追い求めるように、moanyuskyの奏でる楽曲は現(うつつ)と幻の狭間を漂う。2023年現在、phoneheadのレーベルpiano and forestから独立した彼は、自身のレーベル、その名もprivacyを立ち上げ、あまりに独特かつ、奇妙で愛らしい個性を確立しつつある。年���には新たな刺客を世に放つとの噂もあるが真相や如何に……。
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〔土井〕小野ちん、こんにちは。今回のインタビューでprivacyの主宰である貴方のプライバシーに少しでも迫っていけたらと思うので、よろしくお願いします。仕事に子育て、楽曲製作、レーベル運営等々、多忙を極めているとは思うんやけど、プライベートは何をして過ごしているの?
〔小野〕土井さん。本当によろしくお願い致します。 光栄と言いますか(笑)。光貴さんの後でええのんと思ったりするわけですが(笑)。ここ最近は主たる仕事をメインにしています。 この形態が出来上がったのも結婚してからなので、13年前ぐらいです。 仕事は朝9時から始まって、家に帰るのは21時ぐらいです。 休憩は1時間30分。 この休憩時間が自分の製作時間です。 あとは会社と家までの通勤時間30分、計1時間。 最近は主に文章を書いています。 仕事をして、文章を書いてと言うのが日々のサイクルです。 privacyからのリリースが3作品控えていますので、その作品のライナーと初の小説のような作品を作っていて、その作品も少し加筆しています。 あと、毎日入院している息子に日記を書いて送っています。 休みの日は、朝7時に起きて、娘を学校まで送って行って、雨の日は妻が送ってくれるのですが、その後は家の家事を終わらせて、お昼までには息子が病気になってしまったので、入院している病院へ行って、夕方には娘が帰ってくるので、デイサービスみたいなところへ行っているのですが、そこからの帰りを待って、晩御���を作って、子どもの寝かしつけをして、1日が終わります。 最近はあまりこのループは変わらないですが、息子の面会が終わったら、2時間ぐらい空く時もあるので、そのような時間を使って製作を手伝って下さっている、土井さんから紹介してもらった、マノ製作所へ行ったり、タラウマラへ行ったりしていますね。
〔土井〕晴信が入院することを最初に聞いたときはほんまにショックやってんけど、それを直接自分に伝えてくれた小野ちんは毅然としているというか、良い意味でいつもと変わらへん飄々とした口調やったから僕もギリギリ平静を保てたと思う。もちろん心中穏やかでないのは察しがつくものの、同様に息子を持つ身としては素直に感心した。小野ちんは強いなぁって。 最近は文章を書いているということやけど、僕は小野ちんの際限なく溢れる思弁的な文章に対してある種の畏怖を抱いてる。一本の幹から四方八方に枝葉が分かれていく軌跡を目の当たりにしているようで、少しでもテキストを書くという行為に身を投じたことがある人は嫉妬すると思うで。小島信夫やカフカと同じCPUが内蔵されてるんちゃうかって(笑)。こないだのインタビューで光貴くんからも指摘されたように僕は生活も文章もシークエンスありきやから。いつまでもひとつのテーマについて考え続けたり、書き続けることがほんまにできへん。自分のやってること、書いてることにすぐに飽きてしまうねん。小野ちんや光貴くんはずっと「それ」を抱え続けることで熟成させるやん。まぁ、ときには「はよ手放せよ」と思わなくもないけど(笑)。書いている本人としては、書き始めたときにはある程度のゴールを見据えてるの?それともまったくの白紙状態?
〔小野〕土井さんと晴信の関係には深いものを感じています(笑)。晴信の文章作品も土井さんの表現の場(FACETIME vol.2参照)に投下してくれたし、これまで色々漫画なんかも頂いてますし、本当に感謝してます。 晴信も土井さんのところへ行ったと日記に書くと、やきもちを焼くぐらいで(笑)。晴信は人に恵まれていて、それは自分もそうで、そこは受け継いでくれていると信じています。 変な話しやけど、病気の事があって、より息子の事がわかったんです。 晴信もこれを乗り越えれたら、安泰だと思っています。 彼の中でも全ての価値が変わりましたし、当たり前にあった事がこれほどに特別だったのかと彼が1番に身に染みていると思っています。 私は全然強くないんですね。 弱々しいけど、人に頼って助けてもらおうと若い時は何度もしましたが、まるで助からなかったんで、自分でやらなあかんなと今は思ってます。 自分の人生において実��して、これが良いのかもと思った形態を生活に落とし込んでいまやっているのですけど、それでもうまくいかない事は多いですが、でも前よりは少しだけうまく世の中で生きていけていると思う瞬間があるのですが、その瞬間を感じれると、それもまた幻想になっていって、ずっとこの連続が続いていくのだろうなと、いまは思っています。 そうは言ってもこの歳になってもやっていない事など山ほどあるのですが(笑)。自分にとって表現は、これは断言出来ますけど、「逃避」なんで、生活とは別なんですね。 だから本当の言葉でもなんでも無いと言うとまた難しいのですが、ある種、根源的な(人が生きるためにごく自然とやっている本当の事)事とは違った事でもあるし、本当の事でもあるわけです。 表現が難しいのですが。 離れれば離れるほど、幻想に近づくと言いますか、音楽となるわけです。 だからそれは自分にとって実感を感じられるのは実生活なので、音楽や表現で得ている感覚は明らかに偽物なのだけど、それは自分を投影していると思っているので、ややこしいのですが本当の事なんですね。 本当の事をやらなければならないと思いながらあれこれ「偽物」について探究しています(笑)。自分は結局のところ、好きなところも嫌いなところもずっと変わっていないのだと思います。 その執着が人より濃いのかなと。 手放すというか、自分やから、手放せない(笑)。なので、コード進行しかり、自分のやってる事は生まれてこの方変わっていませんし、同じことをやっていたとしても、その時の現状に全てを委ねれば、音なり文章なりは簡単に変貌すると思っています。 リスナーの延長上で全てやっているので、それを堪能すると言う事が1番に重要なので、それが同じ感じだったら、飽きてしまうんですけど、全然違って見えたり聴こえたりするものだから、飽きないんですね。 だから、今はこれはできないなぁとかは感覚的にですがあります。 自分達の時代や環境となってくると、どこにオリジナルがあるのかという探究がやっぱり重要で、死に物狂いで探さなあかんと思います。 やらなくて良いよとか、探さなくて良い、頑張らなくて良い、 世の中が最近言ってる事は信用なりませんからね(笑)。自分を開け渡してはならないといつも思っているので、出来るだけ、迷い込ませるようにギミックを仕掛けていきたいと考えています。 基本的に嘘ばかりですしね(笑)、得意技です。 文章を書き始めた時は全くの白紙です! ゴールも何もわからないので苦しんでます(笑)。音楽はある程度やってきているので、ここらへんで終わるとなる事がわかりますし、それが1つの音楽を決める重要な部分だと思っています。 でも文章は音楽に比べると特に本を読んでいないので、終わりが分からず、混乱と混沌の中から、いきなり終わりはやってくるんですね。 それがまた面白いのですけど。 だから普通に3年だったり5年同じ題材を書き続けてます。 今回の新作も10年前に書き始めた作品で、結局コロナ禍に入り、1年目に完結したのですが、5年ぐらいはストップしていて、また掘り返して��て、ほとんどのところを変える��で進んでいます。やっと終わりそうです。 他の人がどのように書いてるかわからないので、これでどうなのかな?といつも考えながら書いています。 しかしながら書き始めてわかったのが、出し尽くすのは5万字から10万字の間で、それが何年も経て2万字ぐらいに収まる感じです。短く終われる人に憧れますし、素直にすごいなぁと思ってしまいます。 良い音楽作品もトータルで50分も無い作品なんか多いですしね。 短く表現が出来る事が目標です。 自分の文章は思考しているところから余すところなく書いているので、多くなっているように感じます。アホなんですよ、多分(笑)。
〔土井〕アホて(笑)。いや、でもそういう感覚は確かに僕にもある。簡単に言えばコンプレックスなんやろうけど、ひとことでそう言ってしまいたくない自分もおって、だから未だに往生際悪くジタバタと文章を書き続けてる。でも読む人が読めばすぐに捲れると思う、あゝこいつ浅学菲才の輩やなって。ここで小難しい言い回しを使いたがるのもアホやからやで(笑)。だからと言って僕らは自分の人生を悔いている訳じゃないもんな。「自分なんて」と卑下する感じがいま一番いらんわ、おもろない。自分なんて、とウジウジしてる人の肩にそっと手を添えて「そのままで良いんだよ、あなたはあなたでしかないんだから、ともに歩んでいきましょう」という眼差しを向けるのがいまの世の風潮なんやろうけど、そんなん勝手にやっといてくれ、こちらを巻き込むなって本気で言いたい。それにしても10万字まで膨らませた思考の痕跡を2万字まで絞り込むという話はめちゃくちゃ興味深い。奇しくも僕も2万字という枠内で展開する物語が好きで、例えば小島信夫の「微笑」とか磯﨑憲一郎の「我が人生最悪の時」とかクライストの「チリの地震」とかカフカの「カルダ鉄道の思い出」とか、偉大な先達たちがどういう考えがあって2万字の物語を書いたのかはわからへんけど、僕の場合は最初から明確に2万字を見据えて書き始めるから。今年、自費出版した「ほんまのきもち」と「JAGUAR」も2万字。僕みたいに雑食的にとっ散らかった感じで音楽を聴いている人間にもTERRE THAEMLITZやMOODYMANNみたいなハウスミュージックのBPM120前後で刻まれる4つ打ちが一番気持ち良く感じる。それと同じように文章にも2万字の快楽というものが確実に存在する(笑)。僕は最初から2万字を意識してるけど、小野ちんの場合は始まりも終わりも定めず、ひたすらに頭の中にある考えを出し切って、更にそれらを時間で煮込んで絞り込んでいく。自称エッセイストにはなかなかできない執筆方法やで。小野ちんの自主レーベルprivacyの第一弾リリースとなっ��『同時再生の夢』に封入されていた訳のわからんテキストもだいぶユニークで面白かった。ところでレーベル名の由来を聞いてもいい?そもそもこのご時世にprivacyって(笑)。
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〔小野〕そうなんですね。2万字なんやぁ。それもよくわかっていなかったです、勉強になった(笑)。自分の人生めちゃ楽しいですね。 話していくと、しんどい事ばっかりですねって言われるけど、これって土井さんも世代やと思うんですが、松本人志の存在って大きいと思ってるんですね。 人生助けられたとすら思ってます。 それはダウンタウンが生み出した作品というより、世の中の松本的捉え方を刷り込んでくれたというところです。 苦しみの中で起こる不条理の中にある真の面白さを教えてもらったから、すべてそのように見てしまうんですね(笑)。これ冗談抜きで、腹立つというより、何やコイツ、みたいな(笑)。板尾もそこらへんに結構居ますしね。 そのままでいいんだよっていう、いまの感じね。 まるで生きるために使えない言葉やなぁと思います。 これは自分の考えやけど、そのままでええわけないと思います。 子供育ててたらわかりますよ。 成長してなかったら焦りますしね。 それは教養も身体的なところも、心の部分もすべてにおいて。 言葉ってたくさん当たり前のようにありますけど、その人の言葉として全然機能しない言葉が多いなあと思ったりしています。 だからこそ、そんな言葉は幻想に過ぎないので、あるべきだとは思いますが、拠り所にしたり、それを基礎に自分を構築するのは大丈夫かなと思ってしまいます。 自分の子供たちが大人になった時には何が本当なのかということは、いま以上にわからなくなってくると思ってますから、だからこそ「個」の考えを若い頃に養ってほしいというか、作る過程で得た価値というかね。そこで得た価値の方が断然大事で、作り出た物なんて実用性無いものばかりですからね(笑)。でもそういう「モノ」が現存しているというところの意味は大いにあると思っています。そこで得た経験をアイテムとして人生進んで欲しいと思うわけです。 最低限、世の中��言ってる事は全部嘘やろと思えるところまで。そのようなヒントを教えてくれる場所が文化圏であってほしいなぁと思うわけです。 なんでもそうやけど、もういらんとなってそこから外へ出るって言うのが人の始まりやと思ってますので、本を捨てて町へ出ようって昔の人たちも言ってますし。そこからは遠ざかった世の中となっているなと思います。 私は音楽から抜け出すところがまずは目標で、なかなかに抜け出せないので困ってます(笑)。40歳にもなって。『 同時再生の夢』では土井さんにお世話になりました、本当にありがとうございました。 頼んで良かったと思いました。 あの同時再生のテキストは3年ぐらいかな書いたんですけど、まだ文章を書くと言うことが浅かったので、「困惑」がそのまま文章になっているように思います。 だから、いま読んでも、思い出せない事も多くて、この前に久々読んだのですけど、よくわからんようになってて面白かったです。 じゃあ、これは誰が書いたんか?と言う事になるじゃないですか。自分やねんけど。それってほんまに?というようなループが生まれるわけで、それは音楽らしいと思うわけです。 privacyというレーベル名の由来は、子どもの名前をつけるように直感なのですが、音楽を通して、これまでの世の中を知っていく中で、やっぱり「群れ」で生きる生き物として、そこで生まれ出る大きな幻想に振り回されてきた聴衆の歴史のなかで生きてきた1人でもあった自分自身の事を考えた時に、群れとどう付き合っていくか、幻との付き合い方とはとか、距離の取り方と言うんですかね。「距離」や「尺」とかに近い位置からの言葉と言いますか。 そんな事を考えた時にこの「privacy」ってええなと思ったんですね。 あと誰も入ってこれへんやんみたいな(笑)。基本的に矛盾だらけの事だらけですが、そのなかでもこの言葉っておもろい位置にある言葉やなと思って、これや!と決めましたね。
〔土井〕ダウンタウンの影響は強烈にある。世の中は不条理で多元的なんやということを最初に教えてくれたのが松本人志やな。こないだもふたりのおばあが突然タラウマラにやってきて、僕の顔を見るなり「あらぁ、あんた立派に大きくなってからに、おばちゃんな、あんたのお父ちゃんに昔から世話になってたんや。あんたお父ちゃんの息子やなぁ?よう似てるわ。目元がそっくりやわ。お父ちゃんここでずっと自転車屋してたやろ?あんた、お父ちゃんから店を買い取ったんか?この自転車も30年前にここで買うたんやで!」とか言うてくるから全力で否定したら「タラのウマなんてけったいな名前の自転車屋がほかにあるかいな?一回聞いたら忘れへんわ。あんた、私のこと耄碌してると思うてんか?」言うてまったくこちらの話を聞き入れてくれへんかってんけど『ビジュアルバム』に収録されてたコント「診察室にて」のまんまやなぁ思うて、ひとりで笑いが止まらんかったわ。淡路という街はそんなことが頻繁に勃発するから好きやねん。自転車の空気を入れに来た半裸のオバハンがコンプレッサーのホースに絡まって「兄ちゃん、助けて」と言うてきたり(笑)。慌てて助けに行ったら首からロザリオぶら下げとって、キリストと同じ格好なっとるやんけ、みたいな(笑)。その数日後には近所のコンビニで万引きをして現行犯逮捕されていたり、とにかくめちゃくちゃやわ。やっぱり現実こそが不条理やし、不条理こそが人生やし、だからこそ面白い。松本人志という人はそれについて誰よりも意識的やった筈やのに、映画を撮るようになってからはファンタジーとしての不条理を描くようになってしまって何だかなぁという感じ。小野ちんの「幻とのつきあいかた」は傍で見ていてだいぶ面白いし、それをきちんと作品化してるのもすごいと思う。その一方で自分のことはぜんぜん客観視できてへんやん。女の子のタイプだってつい最近になってようやく把握してたもんなぁ、縄文ロリ(笑)。僕も奥さんから「自分のことが全然わかってない」って言われるけど、小野ちんも大概やで。はっきり言うて、あんたは究極の天然や(笑)!
〔小野〕土井さんの話もかなりまっちゃん的な話が多いなと思う(笑)。それをどう捉えるかというところが重要で、その目線で捉える方法論やと思っていて、松本人志は自分の町の話を題材にしてたからこそ、おもろかったんやと思うし、聴衆を意図的に動かすような事をやり出してから、どうにもこうにもやと思います。 やっぱり守るものなど無く、自分がおもろいと思うものをリミッター無くやっていた時代の松本人志が好きです。 この守るっていうのは、歳をとればある一定に守らなければならないものって出てくると思うんですけど、特に思うのが音楽界隈の人たちはあえて作って重くなっている感じがあって、なんとも鈍くなるような、群れを成すじゃないですか。 少人数でもなんでも。 あれが自分はよくわからないんですけど、基本的に自分から始まってる事やから、終わるのも自分の中で終わっていくだろうし、それは共感出来ないものだと思っています。 文化を見ていくと、大抵好きな人は1人でやっていて、良い距離を取りながら色々なところへ顔を出す人ですね。 そうそう、私は天然のようですね(笑)。それは言われるまで気がついてなかったんですよ。 だからこそ本物の天然やと思います。 女の子のタイプはそうやったんかぁという感じやったね(笑)。なんかね、みんな同じちゃうかなと思ってたんですよ。 可愛い子はみんな好きやろうと。 そこの細分化が出来てなかったんやね。 歳をとって、そこへ縄文がつきましたよね。 わかってないよなぁといつも思ってます(笑)。
〔土井〕うんうん、やっぱり人は自分のことが一番わかってないよね。『エヴァンゲリオン』だって果てしない自己探究の末に「やっぱりわからん!」とか言うて他者に手を差し出す話やもんな。でもわからんからこそ作品を生み出し続けるんやし、小野ちんが言うようにすべてが「自分から始まって自分に帰っていく」ようなものやと思う。おまけにその「自分」ってなんなん?という永遠に答えの出ない問題を脳天に突き付けられてもいる。そんな無限ループの先に『同時再生の夢』や『JAGUAR』はある。いや、どちらかと言えば「ある」というか、現在地の「標」として自分のために置いてきたという感じかな。だから共感なんて最初からないねん。エンパシーは人間に本能的に備わっているものやと言われてるから、それ自体を否定する気はないけど、共感を求めることはある種の暴力やで。そのままで良いよ、あなたのことわかるよ、の裏側に潜む「だから私のこともわかってくれるよね?」という圧力。それが更に発展すると「わからない奴は敵」という具体的な差別に発展する。元凶は紛れもなく多様性を重視する偏った博愛主義にある。初期の松本人志や漫☆画太郎は絶対に弱者に手を差し伸べない。むしろ弱者がその弱さゆえにつまずく様を見て、くすくす笑ってる。そういう底意地の悪さがこの社会を根底から支えているということを腹の底の底まできっちり落としこまないと先には進めない。これまで43年生きてきて、弱者救済を声高に叫ぶ人たちが身近な「弱さ」を黙殺したり足蹴にする様を何度も見てきたからね。「弱さ」には絶対に「煩わしさ」が伴うから、それときちんと向き合えてはじめて他者に手を差し伸べることができるんちゃうかな?僕には到底無理や。また小野ちんのprivacyの話に戻るけど、誰も入ってこれへんと言いつつも、恐らく小野ちんの頭の中には招き入れたい人物や作品があるんちゃう?そもそもレーベル所属のDJルサンチマンって誰やねん(笑)。
〔小野〕そうなんですよね。基本的身体は借り物やと思っていて、その1番最初の人がオリジナルやとしたらですよ、じゃあこの最先端の自分っていったい何者やとなるじゃないですか。 そんな膨大な時間の旅の先端同士がね、同じ共感なんか出来ないですよね。それが、なんかこれええとか、あれええよなっていう安易な共感のなかでも結びつきが強くなるじゃないですか、でもそれはやっぱり、かなりの確率のなかで交差した瞬間な訳だから、凄い事が起こってるとは思うんですよ。 出会ってる訳やからね。 それだけでも嬉しい筈で、そのような気持ちも相まって、おもいっきり、人はその流れに飲み込まれるのだと思う。 そんなところが人やなと思うんですよね。良いも悪いも純粋やと思う。 やっぱり上手いこと出来てるから、これほどに簡単だからこそ、子どもが生まれるんやろうなとも思いますよ。これは友達とよく話していたことなんですけど、挿れるのか挿れられるのか、どっちがええ?!みたいな話をしてた訳ですよ。 若いからね。真剣に考えてですよ、男同士が俺は挿れるのは暴力になると思うから、挿れるより、挿れられるかなとかね。自分の彼女には問答無用で挿れてるクセに(笑)。俺は挿れられるのは怖いから挿れるかな、とかね。 同じ音楽好きだったり、集まりのなかでも少し幻想から離れた話しを話すと正反対なんですね。それでも音楽は同じものに対して好意を持てる最善の方法な訳やけど、そりゃ無事に子どもが出来るように仕組まれているなぁと思うんですよね。 色々な欲望が出てきますからね。 それには負けたくないですよね。 この完璧な創作物を身に纏ってる訳やからね。それ自体が戦いじゃないですか。 腹立つやん。何してんねんみたいな。自分やけど、うまいこと出来てるよなぁといつも思います。 漫⭐︎画太郎もそうやし、松本人志もね。創作やからそれが可能なんですよね。 そこでの異化効果にて体験した事で、体験していないのに植え付けられて、それに悩まされるぐらいにそれは根付くんですよ。 そっちの方の惨さを知っていたのが高畑勲やと思います。 いまはそこがびっくりするぐらい混在してて、みんななんでそんなに混在してんのと思う訳ですよ。 それは多分自分で作ってないからわからなくなっているんやろうとは思うわけですね。 これ宮崎駿的名言、もののけ姫での一幕、乙事主が言葉も話せなくなったシーンあるじゃないですか。 あれは獣の毛皮をきた人の兵士が目の見えない教祖に集まってくる訳ですよ。 これ麻原やと思ってるんですけどね。 現実と幻想がわからなくなって、言葉も失ってですよ、ただ何と戦ってるのかもわからなくなって、混乱しながら、この世の中で戦っているのですよね。法廷の麻原も目が見えなくなって、うんこやらおしっこ垂らしながら裁判していたわけで、女の人の存在を感じから即座にマスターベーションしてたわけですよ。そんな状態で人としての言葉を失ってこの国で裁きを受けていたわけなのですが、そこまで取り乱している人も居ないとは思うけど、幻想と現実の狭間が分からず、今生きる場所での言葉が一体どのような言葉なのかも分からず迷っている様な、地平が無くなってしまっているような人はたくさんいるように思うのですよね。すぐに幻想に騙されて、大金とられたりする訳ですよ。 これ漫画やで、これコントやで、これ誰かもわからない文章書いてる奴の言うことやで、広大な幻想帝国を作ってきた人たちが今まさに長く生きすぎたために焦ってる訳ですよ。 こんな世界でやっぱりカウンターになる思想がこの世の中で唯一形として残る、生きていける考え方やと思いますし、それこそ、言葉やと思うんですね。 最近の本当にあった事件のリメイク的な映画たくさんあるじゃないですか、嫌いなんですよ。 ポンジュノは好きですけど。 日本人が作るそういうの嫌ですね。日本人の胸糞悪いところが存分に出てますしね。加害者、被害者の家族なんかも掘り返される可能性が高まるわけです。 真剣に宇宙人が来て、UFO乗って戦ったりするやつが無いじゃないですか。そんなんがええね。 狙ってとかじゃなくて。純粋に。 想像しただけで、その撮影現場に居合わせたら号泣すると思う。 そりゃ宮崎駿もあんな作品撮るで(笑)。「風立ちぬ」より断然良かったですけど。 DJルサンチマンね、私もよくわかってないですよ(笑)。日本に住んでるんちゃうかなと思ってるんですけど、本人が言うにはイタリアの孤島でコミューンを組んで暮らしてるらしいですけどね。 基本的に私がプロデュースする人って、音楽的な人が多いと思っていて、このルサンチマンもそうですけど、星野源九郎餅や今回リリースするMcCHICKEN NUGGETSとかも、この情報社会のなかで情報めちゃくちゃ少ないんですよね。調べてみてください。出てこないですから。疎外感幸子の方が出て来ますよ。 だからこそ、信じられないぐらいによくわからないラインに乗った作品を投下してくることがあるんですよね。 それこそ、自分達が体感した芸術や、遠くの国で行われていたムーブメントの振動を感じた時の感情やったと思うんですね。まぁ、とにかく情報が少ないんですね。 これって、インターネット世代ではない私たちが体感してきた幻想やと思ってまして。折れ曲がったというか、間違った伝説が大きくなって、人の話や雑誌語り継がれたであろう伝説の数々が、いまも音楽を聴くバイタリティになってるところあるんですよね。 ダイヤルアップですか。 インターネット接続する感じ。 繋がったとしても、5分の動画見るのに、かなり時間かかった感じ。 でも途切れながら、warpのアーティフィシャルインテリジェンスのPVを観たり、ロングコートを着ながら、ベースを弾く、トムジェキンソンとか見ていた訳ですよ。画像も荒いから、偽物でもなんでもわからない世界ですよね。ヴァイパーウェーブとか流行ってましたけど、良いところのつきはぎで、それは体感してない人がよくやってしまう、コラージュで、あれはあれで好きなんですけどね。 でも、自分はもっと違う路線のものを作れると思ったときに、作る意味がそこに出てくるんですよね。 基本的にルサンチマンの紹介で数珠繋ぎのようにいまミックスシリーズを作っていて、次はルサンチマンの彼女の作品をリリース予定です。その前にnuggetsですけどね。 変わり種としては、ライブでお世話になった滋賀のハウスクリエイターの武茶さんの作品もリリースさせて頂きます。privacyの所属アーティストのなかでもダントツで世に知られている人やと思いますよ(笑)。作品は本当に素晴らしいので、いまライナー書いてるんですけど、私待ちなんです。 あの温厚な武茶さんがまだかな?と言っているので急がないと、と思ってます。
〔土井〕出た!挿れる、挿れられる問題(笑)。これは絶対に考えておかないといけない問題で、やっぱり僕らは挿れながら挿れられる者の痛みや引き裂かれるような想い、その果ての快楽も同時に体感せなあかんねん。中折れは然るべき善意ですよ(笑)。だから精神的インポテンツを経てる奴は信用できるよね。逆にマッチョイズムを誇示する奴の暴力性は見るに堪えない。これ以上この話題に突っ込む(挿入)と、クィアについて真剣に論ずる必要が出てくるのでここまでにするけど、小野ちんの言う「何が本当なのか」ということは日頃から僕も色々と思うところがある。我が家にはかれこれ20年くらいずっとテレビがないから、息子たちにとってはモニターから流れてくる映像というものはすべて映画やアニメのフィクションやねん。だから病院の待合室なんかで初めてニュース番組を目の当たりにしたときはふたりとも固まってたわ。映画みたいに残酷な事故や事件の状況をクソ真面目に説明している記者の姿に脳内処理が追いつかない感じで(笑)。そもそも僕はニュース番組もフィクションやと思ってるから、息子たちに��の差異を説明するのがややこしくて難儀した。最近で言うと、生成AIを利用して作られた岸田首相の偽動画がSNS上で拡散されて問題になってたけど、岸田首相を知らない息子たちにとっては真偽のジャッジは甚だ無意味やし、もっと言えば岸田首相だけでなく歴代首相の存在自体がAI的と言うか、身体のどこかに縫い目があって、そのなかには何千年も前から人体を渡り歩いてきた呪詛師が潜んでるような気さえするやん。そういう意味では「誰が首相になっても同じ」という政治家を揶揄する言葉は言い得て妙やな(笑)。とにかく子どもたちはそういうややこしい世の中で、それぞれがそれぞれに独自の経験を重ねて虚実の皮膜に触れていく。だからこれからも真っ直ぐな眼差しで宇宙人との戦いを描くクリエイターが出てくると僕は本気で信じてる。藤本タツキや吾峠呼世晴が実際にそうやし。この2020年代に彼らが描くのは悪魔や鬼やで、最高すぎるやろ。いま未知のものと出会える面白さは漫画が一番やな。それもサブカル、アングラ系じゃなくて、メジャーど真ん中のやつ。僕は昔からめちゃくちゃ売れてる人らが好きや、自分には絶対にできないようなことをやってる人たちが誰よりも変態やと感じるから。小野ちんのprivacyも立脚してるのは生活圏という意味でのアンダーグラウンドやけど、手法はメジャーのそれに近いよね。結局ルサンチマンが誰なのかさっぱりわからんけど(笑)。アイデアやリリースがたくさん控えてそうやし、ほんま楽しみやわ。最後にいまのお気に入りの曲を紹介してください。晴信が元気に退院したらまた一緒に奈良公園に遊びに行こう!
〔小野〕出た!出た!猫のバス!みたいな気持ちというかね。 これはトトロのセリフなんですけど、あれはおっさんが想像した少女像ですよ。 娘を持っていないおっさんの。 想像して出来上がった、メイとサツキですよ。 でもですよ、みんなあれになるために成長していってますよね。 いまでは同じ名前がつけられて、みんなあのアニメーションの動きをもとに風を感じ、そしてスピードを共有してると思います。 なので、表現物が与えている情報が人を作って言ってるんですね。多分それを作った人たちは責任なんか感じなくて良いのに、どうしようかなと本気で悩んでいる訳じゃないですか。「 君たちはどう生きるか」で出て来た老人は宮崎駿ご本人やと思うんですけど、あれはフィクションやけど、本音ですよね。 自分がやってきた事ですからね。 中折れで思い出したけど、挿れているとき、ごく稀に骨がボキッとなることがありますよね。 わからないんですけどね、多分恥骨とか、腰?が鳴っているのかわからないけど、あのとき、本気でイチモツが折れたと思って、焦りながら頭の中で折れたモノを探すんですよね(笑)。 でもちゃんと挿入ってる訳じゃないですか。女性にも聴こえていない、自分だけのボキッという巨大な音。 これね、多分、野口晴哉が言ってた、海に入った時に腰まで海に浸かっていて、雨が降って来たときに自分��一体どこにいるのかわからなくなったという状況と同じやったんじゃないかなと思う訳ですね。 誰もがわかるように棒には骨なんか入ってないのに、肉の塊ですやんか、そのときにね、挿入ってるのに、抜いて探してる自分もいるのだけど、何かの中に挿入っていきながら、抜いて確かめている自分がいて、その時にあれ何か大きな覆われた世界があるということが見えてしまったように思えたのですね。 と言っても挿入れてるからやと思うんですが、心の空洞に入ったような体験をしたんですね。 穴に挿入っている自分が折れた棒を探していた。どの時代の自分なんかわからへんねんけど、なんかよくわからないやつが居てたんですよ。 土井さんの言うAlの話、これは本当に考えてしまう話で、明らかに音楽作るのはAIに変わってしまうと思うんですよ。 だから、その準備が着々と行われているように感じます。 サブスクもそうやしね。 音楽全体がもう演歌のようになってしまうやろうし、流して聴くものにしてしまったことによって、もうそれは運命的ですよ。 まずAIを欺くことなんて、音楽聴いてきた身からして無理やと思う。 坂本龍一が好きでスタートしたら、教授のコード感で楽曲買っていることが後々わかったりする訳ですよ。 ここはこうしたいんだとマイケルジャクソンみたいに指示するだけで、楽曲ができる世の中となって、作るものという概念すらなくなるかもしれません。 そこに人を見出さないとえらいことになるというのはそのようなことで、それが今後どう繋がっていくかは未知数ですが、カウンターの精神を生かすというところにおいては必要な行為やと思います。そんなところよりも、もっとシンプルに言えば、人を感じれないのであれば、AIが作ったとしても、人が作ったとしても、その違いがわからないとなるから、別によかったらどちらでも良いとなるわけですね。 それでなくても、ヒップホップやらテクノやらでもそうやけど、同じような内容の楽曲の羅列のミックスだらけじゃないですか。 AIはRAMZA(名古屋を拠点に各地で活動する作曲家/音楽家)のようなエラーですら、それを容易に形にしてきますよ。それだったら、どうしてRAMZAがええのか?って話しになりますよね。 そこを考えさせないようにしようとしている輩がいるわけでね。 誘導されているわけですよ。 だって、金稼ぎたかったら、AIにまかせて、この100年ぐらいの文化の流れをインプットさせて、やっておけば金が生まれる訳やからね。 人が人の領域を守るために必要なのかということが自ずと見えてきますよ。「文化」の動きというのは結局のところカウンターカルチャーなのですけど、これは鶴見俊輔も言っているように、土井さんにも通ずる、這いずるということなんですよね。 今の文化の始まりはまさにそこから始まっているように私は思っていて、そこから生まれでる事、いやいや、同じのはやったらあかんねん、もっと違ったもんじゃないと、これ前やってましたやん。何回、回ってんの?!っていうところをきっちりして、よりないものを模索するということでしかない訳ですよ。 だからこそ、ネットにまだ出てきていない文化の本当にやばいエキスがあると思うんですけど、そこを���よりも早く見つけて守るとか、そういうことが重要だと思うんですね。 そこで、ネットに流出しない世界を構築して、そこでの本当の意味でのカルチャーを育てる必要性もあるのではとも思いますね。まだこんな話、SFのなかではうじゃうじゃあるけど、現実的な恐怖を覚えていないのが昨今の人たちで、そんなところだけ、SFと現実を分けてるんですよね。 そこになんで恐怖を覚えないのかが、わからない。 もうそろそろやし、お前の存在を本当に求めてる訳ではないということ、逆説的に言えば、そこがあるからこそ音楽の人たちは幻想を売っていけていたという側面もあると思うのですが、そこもひっくり返るのももうすぐですわ。 オタク文化、70年代のインテリは現代社会において、自分の趣味を文句を言わせずに真っ当するやり方を知っていた筈なんですよね。これはカウンターカルチャーに近い考え方だけど、こういう考え方が結果的に文化を守ることに繋がると思います。 ビートルズの新作は当初、ジョンをAIにして歌わせて、生きている残りのメンバーが奏でるといったスタイルと聞いていたのだけど、出来上がった作品を聴くと、死ぬ前にレコーディングしていた音源から声だけを抽出して、残りの人たちがその声に合わせて楽曲を作ったわけですよね。 内容は本当に素晴らしくてね。 でも正直なところ、みんなAIでもええんちゃうかなと思ったのも事実ですよね。なんでこれがビートルズでないといけないのか。 声だけをカッティングするのなんて、ちょっとしたアプリで出来ますからね。 じゃあなんで、そんな後退したことをやったのかというと、ビートルズが大半生きてるからやと思うんですね。 AIが描いた世界とか話題になってるけど、気持ち悪い世界ですよね。 あんなの人でも描いてる人いるけど、そういうのがもういらないとされてしまっ……。
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solitude-klang · 11 months ago
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Event Live 火炎瓶 @川崎 CLUB CITTA'
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OA含めて18時半開演だとばかり思い込んでいて間に合わずw FORBIDDEN観れてないですが
鋲さんがこれから色んなとこぶち込んでくから
来いよ
って言ってるとこだけ観た
今日のチッタも思ったより人いっぱい
荷物を預けてフロアに戻ると今年何度も聴いたBGM
①VIRGE
バンドが拡大するタイミングでメンズ動員さんが増えるのあるあるだと思ってるんだけど気合い入ったギャ男さん達の野太い麺コが場を盛り上げていて始まる前からかなり良いムード
とにかくお客さんの声がデカいVIRGE
遼さんが現れ氷のような冷やかな眼差しでフロアを見渡すとお立ち台へ
悲鳴歌い出し3秒でカリスマ性が爆発する歌声と声量 さらにパワーアップしたのでは
新しいベースの方が加入されたので注目したい気持ちはあるんだけどどうしても遼さんに持ってかれる 良くも悪しくもメンバーチェンジ耐性凄い
今日はドラムセットがツーバス バスドラのヘッドにカラーのイラストが入ってる
私が知らない間に出ている新曲達が3曲?挟まれたけど帰ったらすぐ聴かなきゃと思えるヴァージュらしさだった
折り畳みと同時に入るフロアの声とメンバーを呼び叫ぶ声がとてもトッパーと思えない盛り上がりでゾワゾワ ものすごくデカいバンドを見ている気分
ラスト 空に落ちる蛍はサビで遼さんジャンプジャンプとフロアを煽る
最後の"この命を抱いてくれ"を歌っている最中に楽器隊が捌け1人残された遼さんがお立ち台に足を畳んで座り 繰り返す 度々自分の胸をゴツンとマイクで殴る鈍い音を挟みながら
シーンと鎮まり返った会場に響く独唱を最後に幕が閉じた
幕の向こうでコドンと何かが落ちる音がすると
大きな歓声と拍手が沸き起こる
この終わり方何度か観たけどまた鳥肌(笑)
今日のヴァージュかなり良かった
②Chanty
楽器隊板付きで開幕
演奏をバックにステージへ出てきた芥さんが後ろを向いて合図をするとドラムが2打
こちらを向いてマイクの方へ来てから振り返り再び2打 そして2打
火炎瓶 はじめま~す 居場所教えてください と手を挙げさせて1曲目アイシーへと繋ぐ
冤罪ブルースでは下手の方で芥さんと野中さんが向き合って野中さんに声出しをさせる場面も
曲中でテンポが変わると気付いてから聴く冤罪かっこよかったなぁ
でも次の曲 レインドット 初めて聴いたけどなんですかこれはめちゃいいじゃないか
竿帯のコーラスに芥さんのボーカルが入ってく所すごく良かったしそこのドラムもかっこいい もう1回聴きたい サブスクにないからいよいよ音源買うしか
レインドットの途中で芥さん上着を脱いで芥さん二の腕(`⊙ω⊙´)カッ!!
お馴染みの不機嫌 マイクスタンドごと上手下手に移動して歌う芥スタイル 演劇観てるみたいに感じるのはこんな細かなパフォーマンスのせいなのかも
ラストは芥さんがギターを持っておやすみ
間奏部分メンバーのシルエットだけを照らす照明が幻想的で綺麗だった
全員でアウトロを演奏しながら閉幕
③THE MADNA
どの曲だったかな sweet dreamと極彩色かな
ザアザアと同じ進行方向向いて走るタイプのモッシュができてた
無音板付き開幕 白縁サングラスにジャージ姿でお立ち台に立っている涼太さんが喋り出して1曲目 sweet dream
感動さえ誘うコーラスの曲なのに下手を見れば朋さんw目の周りを黒で塗り潰し額に線2本 アオダイショウ(蛇)みたいなのを身体に纏っていてギャグみたいなヴィジュアルなのにずっと見てるとかっこよく見えてくるのはあの顔面だからとしか言いようがない
2023年 楽しかったー?
それは 俺たち タイムリーの漢たちのおかげと言っていいか?
V系って知ってるに負けてらんねぇぞまじで…
これからもずっとこうやって行こうな いいか?
時間なくても割と喋る涼太さん
ラスト極彩色
太嘉志ちゃんのお立ち台にちょこんと腰掛け背中を預ける涼太さんに 太嘉志ちゃんがぼよーんぼよーんておしりで攻撃してて涼太さん歌いながら笑ってた(かわいいしかない世界)
捌ける時にいつもゆっくりみんなに顔を見せてくれる理緒さん 飲み��したペットボトルをお立ち台から投げるその飛距離たるやさすがドラマー
④ザアザア
幕が開くと同時にベースを掻き毟る零夜さんの背中が見えたんだけど何その衣装
今日何着てるのそれ
上手側からフェードインしてきたチェックのジャケットは春さん え え
新衣装??????????
何の衣装なのそれ(混乱)
いつものマイクで叫び散らかすあの表情だけど何も聞こえてこない
マイク入ってない? スタッフさんに知らせるためか袖に向かって中指を立てたりしてしばらく闘った後マイクスタンドごと蹴り飛ばした(笑)
そうこうしてる間にセンターに一葵さんがいてザアザア 発表があります
12月3日 ザアザア10周年 Zepp新宿でライブやります
待ってぇ~~~
一旦待ってぇ~…
唐突の新衣装だわマイク入ってないわ色々ありすぎて脳の処理が追いつかないぜ…
なんだって?
https://x.com/xaaxaa_official/status/1740708778516025474?s=46&t=uhUsDFLEfL0OfgvCYi4Eog
ちょっと後で考えるわ
バッドスタート
零夜さんのベースは今日も白 いにしえのイエローハウス感満載でチェッカーズ味も覚える新鮮な姿を追うのに必死であっという間に終わってしまった
起きてるー?ねてんのー?寝てんのかー?っていうからスリーパーかと思えば
全員左寄れ
攻撃的な左寄せw 今日はフロアへ降りずに蜘蛛の糸
まだセトリ出てないから全部書くと忘年会しよーぜー アル中
私の名前をちゃんと呼んでよ 一旦演奏が止まり一葵さんの泣き叫び嗚咽するパフォーマンスに呼吸が止まった 怖くなるほど物語に入っていくからイベントライブの中のほんの1曲でも映画観た後みたいに影響されてしまう
この後少しMC 上手袖からアレが出てきた(アコギ)
ラストと言って演奏されたのは雪時計 あーー
あーーーーもうなんていうか来年も全部行きます(あっさり)
お時間あとどのくらい残ってますかー?
袖から「あと2分40秒残ってます」
感電、けがのおそれがあります。
演奏始まってしばらくして時間来たら幕閉めちゃってください
最初の走らされる所でほんとに幕が閉まりはじめて(笑)(笑)右往左往するフロアを残し閉幕
一葵さんだけ幕の前に少し残ってたけど演奏が止まると楽しかった ありがとって手を振って幕の中に消え��行きました
演奏しながら幕が閉まるとか何本見てもレポのネタが耐えない
⑤RAZOR
SEを取り定番のメンバー登場
大きなバンドロゴフラッグをバックに
ドラムセットがゴールドのグリッター仕様でRAZORらしい
タイムリーで最も頭が狂っているのはやはりどう考えても猟牙氏 サイドバックのブロンドヘアにグラサンでステージへ
KNOT INVISIBLEで準備運動させGRAVITY EMOTIONへ 初めて聴いたけど近年のRAZORらしい綺麗で激しいかっこいい曲だった
すぐさまグラサンを外し ペットボトルの水を頭から被り手ぐしで髪をオールバックに
ドラム台から黒いハットを拾って被ると
今日の出演バンドを紹介(VIRGE忘れててお客さんからVIRGE…VIRGEって言われて)VIRGEの話始めたけど忘れてたわけじゃなくてって言い訳してた
LIQUID VAIN が聴けるとは…!ブレイクダウンのとこのドラム 哲也さん以上の音では聴けないだろうと思ってたけどNIKKYさん華もあるし技術もあるしすごいねーw めっちゃかっこよかったぁ
続いて瓦礫 猟牙さんの歌唱力も上がってる気がした いい曲
俺たちの ラブソングがあるんですけど と 真ん中割れろのジェスチャー !!!!!!
埋葬
これほどバンギャの欲求を叶えてくれる曲はないぐらい暴れ方が最高
WoDのあとのもみくちゃモッシュが大好物なのでめちゃくちゃ発散できた(フロアに降りてた猟牙氏もモッシュに混じってたw)
最近あんまり見ないけどみんなこのモッシュ取り入れてくれよw
埋葬終わったのにまた真ん中割れろのジェスチャーw そして再びフロアへ降りる猟牙氏
センター���床に仰向けに寝転んで楽しかったー!と言うと立ち上がり ロックな感じで歩いてってフロア下手側後方の扉から出てった(そっから帰るのか)
今日のセトリは一番好きだった時代のRAZORをもう一度観るような流れで燃えた
楽しかった~楽しかったよ~
ブログ書きたいよ~
でもまだ仕事納まってなくて多分明日も大晦日も4日も出勤するから書けないかも…
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ophelia333k · 1 year ago
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2023年7月4日 どこでもない場所、超越愛(Vaporwave)
 楽天カードから督促状が届く。「楽天カードより大切なお知らせです。内容をご確認ください」という文章が中央にあって、背景は一面にびっしりと「Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten…」と同じ文字列が繰り返し印刷されている。この督促状を持って三月ウサギの庭園に赴いたのなら、お茶会に参加できるのかな? と考えてみる。
***
 Vaporwave。何年も前から漠然と聴くことはあっても、詳しいことはほとんど何も知らないという状態が続いていて、たとえば2019年12月号のユリイカ〈Vaporwave特集〉を買ったものの、ほとんど読まないまま放置する、というような状態だった。つまり、強い興味を持ってはいなかったわけだけど、今になって「Vaporwave」に対する興味が湧いてきたというか、自分とVaporwaveを接続する文脈が少しだけ見えた。
 元々、四流色夜空さん主宰の合同誌「ムジーク!��ジーク!ムジーク!」に寄稿した『枝がスルスルと伸びていく』という小説の元ネタとしてtelepath テレパシー能力者の「思い出」という曲およびPVを使っていたということがあり、それは感覚的な選択なので、書いているときはvaporwaveという文脈にほとんど意識的ではなかったのだけど、今にして思えばVaporwaveという文脈は自分にとって重要なのかもしれない。
 とりあえず、一から文章を書くのが億劫なので今日の自分のTwitterを引用すると、
〈自分がラブホテルの清掃をやりながらときどき感じていた空間の無-場所性(どこでもない場所〈nowhere〉の感覚、いま自分のいる場所がどこなのか分からなくなる感覚)は、Vaporwave的な反-場所性にも重なるはずで、それは村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が描く高度消費社会の迷宮性にも似ている〉(2023.07.04)
 という感覚がある。
 ***
 Vaporwaveに分類される音楽を聴くときに自分が強く感じるのは、第一に非-時間性であり、第二に、非-空間性(非-場所性と言った方がいいのかもしれない)。
 まず、時間に関して言うのなら、Vaporwaveが主に1980年代から1990年代にかけての大衆音楽のサンプリングと加工を基本としている以上、方向は過去を向いているはずなのだけれど、(木澤佐登志の言葉を借りるなら)同時に「失われた未来、ロストフューチャー」の幻影を見せるものでもあり、「もうひとつの世界(alternative world)」を幻視させるものでもある。
 そして、そこには奇妙な懐かしさ(実在しないはずのノスタルジー)と、対象の曖昧な喪失感(それはあらかじめ失われているものの喪失感)がある。
 空間に関しては、よくVaporwaveにおいて描かれるイメージの一つでもある、どこまでも続いていく平坦なショッピングモールに代表されるように、グローバル資本によって均質化された、〈どこでもない〉空間という性質。
 しかも、そのとき重要なのは、むしろ本来はそれが〈どこにでもある〉ということで、平坦な資本主義的空間(たとえばショッピングモール)が「どこにでも遍在している」からこそ、むしろ〈どこにもない場所〉として表象される。
 ボードリヤールの言うように、もはや私たちの周りには「オリジナル(=モデル)」そのものがどこにも存在しておらず、存在するのはコピーの更なるコピーとしてのシミュラクル(イメージ)だけであり、そのような高度消費社会におけるシミュラクルとしての世界の加速の先に、Vaporwaveの反-空間性はあるのかもしれない。
 ***
 第三に、ニューエイジという文脈ももちろんあって、Vaporwave(たとえばtelepath テレパシー能力者とVAPERRORの「超越愛・テレヴァぺ」)を聴く時に、ある種の神秘的な空間が自分には見える。時間や空間を超越した、この宇宙の本源的な波のような力が自分の中へと入り込んでくる。というのは半分は嘘で半分はほんとうであり、Vaporwaveがニューエイジの文脈をサンプリングするのは、パロディであり風刺でしかないから。
 ここで、正直言ってVaporwaveがニューエイジの文脈に対してどの程度まで批判的なのかというのは図りかねるのだけど、そもそも文脈を辿るのなら、1960年代(言うまでもなく1968年には五月革命があり、日本ではたとえば佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争があったし、アメリカでは反ベトナム戦争の流れもありつつ、ヒッピーたちが誕生する)のカウンターカルチャーに起源を発していて、しかし、結果として自己啓発や健康食品やマルチ商法という形で資本へと回収されたり、あるいはオウム真理教のように新宗教という形を取ることになる。
 と、必然的にニューエイジは堕落(つまり、消費社会という内部へと回収される)することになり、ここに俗流アンビエントの話もあるわけだけど、そう思うと、消費社会をパロディし風刺することと、ニューエイジ的文脈をパロディすることの間に連続性が見えてくる。
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 ここで、telepath テレパシー能力者の話にまた戻ると、自分はある時期、たとえば「超越愛・テレヴァぺ」のようなアルバムを、眠剤を飲んで曖昧で脳みその奥に訳の分からないものが見えるような状態で聴き続けていて、だからこそ、当時はtelepath テレパシー能力者のアルバムの、深いエコーのかかった重低音が脳みその奥に響き、浮遊感の中、布団の中で見えているのか見えていないのかも分からない幻覚のようなもやばかりを見ていた。宇宙そのものと接続されているような、しかし深い孤独感もしくは海の底を回遊するような感覚もあって、そこで夢を見ていた。
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 最後に、冒頭で引用したツイートにも感じることだけど、(高度消費社会を背景とした)Vaporwaveにおける非-場所性は、ある時期の村上春樹にも共通していると感じていて、その一つの例が『ダンス・ダンス・ダンス』およびそこに登場する「いるかホテル」であり、自分が何年も働いているいくつかのラブホテルの、窓のない内部でもある。    村上春樹について言うのなら、村上春樹が1968年に早稲田大学に入学している以上、(彼が学生運動とは一定の距離を取っていたとはいえ)、70年代以降の間での転向の問題というのはあると思っていて、『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公が広告業か何かをこなしながら、消費社会の中で(外面的にはそれなりに順調に)生きていながらもそこにはある種の罪責感があり、それゆえに「羊男」という影の存在が現れるのかもしれない。
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 あと、村上龍の『MISSING 失われているもの』も、(直接的ではないけれど)「非-場所性」と「非-時間性」を感じるという意味で、近いものがあると思う。
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 かなり長くなってしまっているし、明日は朝から夜まで授業なので早起きなのだけど、もう少しだけ書いてしまいたい。2019年12月に買ったユリイカの「vaporwave特集」を初めてまともに読んだ感想として、まず目についたのは木澤佐登志と、河南瑠莉だった。木澤佐登志については今更言うこともあまり��いけれど、冒頭からtelepath テレパシー能力者の曲のタイトル(「あなたの愛は私の救世主です」、「永遠に夢」、「心と魂の核変換/私たちの感情は一緒になって」、「ほとんど幸せ」……)を引いていて、それを「その空疎さと無意味さゆえにほとんど泣きそうになるくらい甘美だ」と評価する。   〈それはどこまでも具体的な「意味」をすり抜けていく、蒸気のように霞消えていく「イメージ」を、彼岸の幻影(ヴィジョン)を追い求めていく……〉(p85)
 河南瑠莉はマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』の翻訳者で、加速主義とvaporwaveの深い繋がりを認めながらも、むしろVaporwaveに内在する「減速的な」美学について論じる。
 あとは、柴崎裕二の「Vaporwaveと俗流アンビエント ニューエイジの消費主義的異形をめぐって」も、興味関心には近かった。
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hazakura-ki · 24 days ago
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谷川雁「庶民・吉本隆明」
かつて私は鮎川信夫への手紙に、「荒地」の詩はすべて生活の倫理なき倫理であり、吉本隆明の詩だけは生活なき生活の倫理であると書いたことがある。いま吉本の評論集『芸術的抵抗と挫折』を読み終って、数年前に思いついたそのキャッチ・フレエズが今度またうかびあがり、たちまち黒い砂の流れのようなもので消され、どこか遠い町の下宿屋の一角が照らし出される気がした。どっちみち私など馬小屋みたいなところで息絶えるのにまこと似つかわしい人間だから、へたに同情するつもりはさらにないが、彼もまた「封建性の異常に強大な諸要素と独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」にはさみうちされて、せいぜい都営アパートの一角ででも朽ちはてることができたら上の部といわねばなるまい。蝶ネクタイなぞ逆立ちしてもうまくない貧乏性の世代があるものだ。その貧乏な世代の貧乏神が吉本だ。なんとかして馬小屋のかたすみで絢爛たる交響楽でも聞いてみようと苦心しているのに、妙に節くれだったやつが門口にあらわれて、棟つづきの隣家のことをわめいたり、おまえらのやっていることは幻想だぜとぶつくさいったりする。分っているよ、計算ずみなんだ、あっちへいっておくれ、ぶちこわしじゃないか、接吻を一つするから……というようなことをいってみても根が生えて動きはしない。よく見たら兵隊友達なので、「なんだ、おまえか」と肩を一つぶんなぐってみたりする——。 そういう隠微な、私的な交渉というものを拒絶しなければこの書物にはいりこむことにならないわけだけれども、だが彼の文章たるや陰気で皮くさくて骨っぽくてとぐちをならべているうちに、それじゃおまえはどうだという声がしてくる気もするので、まず同時代人としてのあいさつだけはしておくことにする。およそ彼ほど気質だの傾向だのがきらいな種類の人間はすくない。心理という言葉を使うときなどまるで蝶ネクタイをしめているみたいだ。彼のペンは笑わない。大隊長のように堂々たるかっぷくで「内部世界」とか「不定意識部分」とかの言葉が登場する。だが「分配カルテル」なんてやつを使う彼になると、ろくににぎりめしの一つも分配してもらえない二等兵の顔がうかんでくるしまつだ���二等兵にしてかつ大隊長たる吉本、本質的なあまりに本質的な馬鹿野郎……それを私はちょっぴりわが身につまされて好きである。いや、どうにも好きになれないものを何とかしたくなってくるとでもいおうか。
だがそのあたりのところは彼もまた計算ずみであるらしいことが分って、やや寒気がしたのは、この本に収められている十篇あまりの評論のうち書かれた時期がとびぬけてはやいという「マチウ書試論」であった。イエスが新約作者の創作にかかる架空の人物であり、ユダヤ教と近親憎悪の関係をもつ原始キリスト教が、被虐心理の眼鏡を通して旧約の思想を転回させたものだという見解がべつだん珍しいわけではない。それがどの程度に新説であろうとなかろうと、私の知ったことじゃない。ニイチエやランボオが人間精力の最大の盗人としてイエスを攻撃しているのもそれと遠いことがらではあるまい。私が「おや」と思ったのは次のような箇所であった。 ——原始キリスト教が、いわば観念の絶対性をもってユダヤ教の意思方式を攻撃するとき、その攻撃自体の観念性と、自らの現実的な相対性との、二重の偽善意識にさらされなければならない。 ——秩序に対する反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。 ——原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を、正当化しうるものがあったとしたら、それはただ、関係の絶対性という視点が加担するよりほかに術がないのである。 もし法律学者やパリサイ派を戦前のコミュニストにおきかえるなら、このばあいの原始キリスト教はたちまち吉本隆明その人と化してしまうのではないか。彼がこの五、六年間に加えた前世代への攻撃をひやかして、私はそういうのではない。「マチウ書試論」において彼が原始キリスト教の擁護などひとかけらもしていないことは明らかである。彼はその後の彼の文章にもはや見られなくなったなめらかな舌でたたみこむように、いわば水泳のクロールにみられる腕の使い方で、古くなった秩序と新しく登場する秩序とのせめぎあいをかきわけていく。彼は秩序に対する人間の反応型を涙もろき良心派のルッター型、権力と離れることのないトマス・アキナス型、積極的な疎外者たるフランシスコ型に分けてしまう。「人間の実存を意味づけるために、ぼくたちが秩序にたいしてとりうる型はこの三つの型のうちのどれかである。」だがその型は要するに類型にすぎず、そのいずれも歴史の刻み目と特別に関りあうものではない。したがってそのような型にかかずらわった「思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしない。」ここで彼は突然、マチウ書(マタイ伝)の作者に同調する。いや、みずからとび移ってマチウ書の��縦棹を横あいから握ってしまうのだ。 ——マチウの作者は、その発想を秩序からの重圧と、血で血をあらったユダヤ教徒の相剋からつかんできたにちがいない。原始キリスト教はそれがどのような発想であれ、ユダヤ教派をたおせばよかったのだ……律法学者やパリサイ派にたいするマチウの作者の、蛇よ、まむしの血族よ、という憎悪の表現は…… かくて関係の絶対性という概念にたどりつくのだが、それはフォイエルバッハがヘーゲルにたいして加えた修正とどんなにちがうのであろうか。関係の絶対性は必然に意識にたいする存在の優位に達するはずだ。しかし彼はそのような認識の冷静さに頼ってはいない。彼は唯物論の第一命題にすわりこもうとはしない。拳闘家のように腰をうかせて相手の鼻をねらうのだ。彼にとって、関係の絶対性とは眼の前にあるものをたおすということだ。ただそれだけに自己を限定することだ。だが彼が初期の評論において、その後の彼の道を暗示しているのはあたりまえの話にすぎない。私の寒気というのは、彼がそのなかで意識しようとしまいと原始キリスト教に仮託された自分自身をまず断罪し、断罪することによって正当化しておかねばならなかったという事実である。「原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪を、正当化しうるものがあったとしたら……」という設問に彼は答えねばならなかった。それは青春のきわめてはやい時期に、太宰治風にいえば一種の「晩年」に到達せしめずにはおかなかった時代の強圧にたいして、復讐の姿勢をとる敏感な青年の心をかならず通りすぎる疑問にちがいない。この答はむずかしい。なぜなら彼をして一挙に晩年を味わせたものも時間であれば、彼をしてなおおぼつかない青年にとどめている力もまた時間であるから。そして彼がこの矛盾に復讐しようとするとき、彼はまさにこの世の最後にして最高の強敵、時間を二重に向うにまわしているのだ。そのゆえに敗北はすでに必至である。戦えば戦うほど、彼は子供になりながら衰えてゆく自分を発見するにちがいない。円熟という理想は放棄されざるをえない。そのとき「なんじら幼な子のごとくならずば」という福音が耳にとどいたとしても、彼はそれを受け手として聞くことはできない。むしろ彼は語り手としてのイエスがまた一挙に晩年に到達せしめられたよるべない青年にすぎないことを見ぬく。とすれば山上の聴衆にとってはどうでもあれ、彼イエスにとっては「われ幼な子のごとくなりゆかざるをえぬ者ならば」であったはずである。そのとき人生は一つの仮象になる。成熟ということが時間のなめらかな、直線的な進行によって測られなくなった人間にとって、彼の自画像は論理的には岩のように不動であり、倫理的には何物にも責任を負っていない虚無の二重相をもつ。生成の過程からいえばもはや動かしがたい座標にしばりつけられており、そのゆえに倫理的にはすべてが許されるという非人間的な存在として自分が見えてくる。だがその瞬間に、イエスのように幼な子になってゆくよりほか道のなかった者が自分の必然を他人の自由選択にす��かえて「幼な子のごとくあれ」とよびかけ、自分の運命を他人に塗りつけるという詐術、あるいは至極のエゴティズムが許されるだろうか。もしそれを認めるならば、まだ成熟しないうちにむりやりに生命の終りをのぞかせられた人間がその強制力をかえってやすやすと許すことになるのではないか——戦後の青年に立ちふさがっていた問題はまさにそのようなものであった。
時間との、敗北を見越した戦いをこのような性質としてとらえねばならなかった人間たち……それが私たちの世代なのだ。おそらく太宰治をとらえた命題もこの敗北せざるをえない時間の逆説との闘争にちがいなかったのだが、彼にとってこの不意にあらわれた逆説の原因が革命の誤謬によるのか、体制の暴力によるのか、彼の存在の特殊性によるのか、その紛乱の糸をたぐり通すことができずに渦のなかに立ちつくしたままたおれた。ところが私たちの世代にたいして、このつむじ風はもはやそのような分析の欲望をもつことがばかばかしいほどにないあわされた一撃として作用した。そのとき無数のイエスがうまれた。裁くことが生きることであった。もし裁くことをやめるなら、彼はみずからをユダとして規定しなければならなかった。初年兵として一等兵からほほをなぐられているユダ。もし裁きつづけるとすれば、彼はみずからのなかのイエスをも裁かねばならなかった。残飯をすすり、なかまの選択物を盗んでいるイエス——はじめて選択の可能性がひらかれた。そしてどの道を選ぶかを倫理的に規定する過去はなかった。 関係の絶対性とは、このような時点におかれた青年の必需品であって、それ自身選びとられたものではない。人生が仮象としてしか見えなくなるまで追いつめられたイエスを発見した人間が、自己の内部システムである「子供」と社会的な効用の指針である「幼な子のごとく」のスローガンとを混同するイエスの不純に思いいたったとき、彼はイエスを新約作者のフィクションの側からつきつめ、かえって思想の抽象性を純粋化してゆく。そしてその純粋化の極にユダヤ教にたいする近親憎悪という存在証明をおくのだ。イエスはひとりの無名の思想家ではなく、無名の思想家の記録から、おそらくは無数の狂信者の記録から作りあげられたものだ、と彼はいう。 たぶん、ここは目立たないが重要な分岐点であろう。吉本、すなわち私たちの世代の青春のことであるが、あまりにも強い外界の規則は内部の自由律と結びあう媒介項をもたないので、関係とよびうる相互規定性を発見させない。したがってはじめての関係をもとうとするとき、いったい何とどのような関係をもつべきか白紙のままで悩まざるをえない。このような処女性をつき破るのが、眼の前にある問題の意識的側面であるか、存在としての側面であるかはその後の人間をながく支配するものと考えられる。選択の自由をもたず、その意味で外界との接触をもたない、形なき牢獄の囚人が牢獄を意識すること、それが関係の絶対性という言葉にほかならず、またそれは観念の相対性と同義語にすぎないが、にもかかわらずこの状況を関係の絶対性とよぶか、観念の相対性と表現するかには微妙なちがいがあるのだ。 それは紙一重というよりもさら��薄い皮膜の裏表であろうけれども、形式論理が弁証法へ、観念論が唯物論へと回転してゆく過程のもっとも内密な移行の段階がかくされている。観念の相対性というばあい、それは唯物論へ移行しきった直後の完了した視角があるのにたいして、関係の絶対性とよぶかぎりにおいてなお関係それ自身の物神化という主観性がぬぐうい去られていない前唯物論的な匂いを漂わせているからだ。このちがいは、彼がイエスを狂信者の記録から、そしてマチウ書の作者の意識からたどってゆき、その作為と虚偽を粉砕しようとする情熱のあり方に対応する。フォイエルバッハとちがって、彼は敵が与えた条件以外のものに敵をたおす武器をみつけようとはしない。あくまで眼前の敵の手中にある敵の武器を奪おうとする。もし彼がすこし大またに歩こうと決意しさえすれば、この小さな溝はたやすく越えられたにちがいない。だが彼は唯物論的に膚接する観念論の壁に沿って動きつづけ、記録と意識にたどりつき、群集と存在の側へはがんこに移ろうとしない。 この用心深さ、このしんきくささこそかえって彼の存在を照らしだす微かなともしびである。いわば彼にとってはじめて訪れた自由選択は関係の絶対性か、観念の相対性かであった。そして彼は関係の絶対性へと賭けたのである。囚人の手足から鎖が外されたとき、彼の最初の二者択一は動くか、動かないかという形であらわれる。吉本の自由意志はこのとき「動かない」と宣言したのである。 なぜ彼はそうしたのか——この衝動を理解しない者はついにいわゆる「戦中派」の内容を開く鍵をもたないにひとしい。それは弁証法の螺旋運動における二つの主要なコース……外部への「のりこえ」の論理と内部への「もぐりこみ」の論理のうち、なかんずく後者に身をもたせかけた姿勢である。外部への飛躍がほとんど不可能であった時代に異常なまでに名もなき青年たちの心奧に発達しつづけたこの弁証法の半身は、ある意味で青年たちを無敵の思想家に仕立て上げようとしていた。だが時代の創作の未完のうちに、青年をふくむ社会は敗北した。社会は敗北し、青年もまた敗北したが、半身だけは敗北しなかったのである。それがミロのヴィナスよりもさんたんたる美しさでなかったと断言するいわれはない。彼はそれが半身にすぎぬことをみずから断罪し、その美を正当化する。戦中派が戦後の波を迎えたとき、この二面性をとらえる手続きを省略しまいとする素朴さにおいて吉本の右に出る者はない。いや、はたしてそうであろうか。
「もぐりこみ」の論理は、当然に彼をして詩人たらしめるであろう。それは詩の同一の原理、凝縮の論理と共鳴するからである。けれども関係の絶対性という立場にとどまるかぎり彼の詩は、成立はしても運動することはない。彼の詩のどこか、その数行には交響楽の譜面に移された砲音と金属のかがやき——管楽器の音色がひびきわたる。だがそれはたちまち低いうめきのなかに埋められる。現在���連続しない。未来はくだかれている。そして過去だけが飛行雲のように尾を引き、飛行雲だけになり、やがて雲もちりはて、空そのものに帰っていく。髪をつかんでうしろに引きもどす、この凄じさ。しかしそのとき彼の手に残るものは何か。 証拠だけである。事故の被害者として、彼は自分を轢いて遠ざかりゆく自動車のバックナンバーに固執する。イエスの記録、狂信者の記録、それだけが存在であって、そこからしか犯罪の手がかりはつかめないと主張する。おそらくは彼自身いちはやく決議だの宣言だの論文だのをかきまわすことのむなしさを感じているにちがいない。にもかかわらず彼はそのなかにもぐりこむ。検事さんのやり口だ。刑事としてはいかにもまずい。証明する者ではあっても捜索する者ではない。 ——問題は、日本における「封建性の異常に強大な要素」と「独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」との結合という意味を、たんなる結合と解するか、楯の両面のように不可分の単一系と解するかを、具体的な芸術思想として、また、政治的思想として見出すことにかかっている。三二テーゼは、多分に、この結合をたんなる結合と理解した傾向があり、また反対に絶対主義権力は、この結合の両面を、巧みに使い分けた。芸術的抵抗としてのプロレタリア芸術(詩)の挫折の事実が、今日もなお暗示しているたいせつな問題点は、本質的なところでうけとめようとすればここに帰着するとおもわれる。 権力の巧みさといっても、戦前の反体制運動に比較しての相対的なものでしかないけれども、その通りだ。まさにその通りだ。だが問題をここにとどめているだけならば、それは「社会の構造の総体のヴィジョン」の骨骼をうみだすかもしれないが、つまるところヴィジョンの骨組みに終るであろう。これしきの認識を持たずにプロレタリア芸術でございなどといっていた当時のあほらしさは私なども不思議というほかはなく、いまだに狐につままれたような気がしないではないが、私はもはやそんなところにかかずらわっていないでさっさと読みとばすことにしている。読むにたえないものをしんぼうして読み、さてそれを審判する惨忍さと、眉も動かさず踏みつぶして進む非情さとはどちらが普遍性を持っているのかよく分らないが、倦怠の処理法として見るときはおのずから優劣があるだろう。 たしかに往年の弁証法は蛙みたいにやたらに外界へとびだそうとするばかりで、内部へのめりこむ力で相手を打つというビックリ箱の原理すらものにすることができなかった。この点でわずかに水準をぬいた者とては中野重治と花田清輝の二人しかいないし、それもたかだかビックリ箱ていどであってみれば、吉本が過去を矮小化しようとする気持は分らないではないが、さりとて私は吉本のいうように中野がその芸術論のなかへ「予定調和のように階級的視点を密輸入している」とか、花田が戦時中、資本制社会の枠内における単純再生産の基礎確立を唱えて「生産力理論に転落した」といった読み方にどうも賛成できない。中野にしろ宮本百合子にしろ、私が文句をつけたいのは、たとえば恋愛と革命というようなくだりになると、あっさり政治上のプログラムと芸術上のプログラムを使い分けてしまって、いっこうに予定調和もしなければ密輸入もせず、しごくきまじめに段階を踏んでゆくことだ。むしろ彼等に欠けているのはさらに徹底した一元論、政治と芸術が男と女のように抱きあっている濡れ場ではないか。——花田のばあい、「現代の課題は、資本制生産の枠内において、まづ、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ。」と書いてあるので、何もユートピア社会表式を資本制社会の枠内で実現するつもりはなさそうである。いってみれば改良主義的要求を一定の計画のもとで戦う組織を作れということと変りはなかろう。労働組合を作れとでもいえば簡単に分るかわりに、すぐ捕まえられてしまう世の中でこんなまわりくどい表現を弄してみたところがしょせん労働者の耳に届くはずもなかろう。だからこそユートピア論にふさわしいといえるけれども、私は花田がいちはやく修道僧のように隠遁して、人生の深読みと「危険ごっこ」に熱中しているのをいくらか悲惨に思っている。彼もまた時間に見棄てられているのだ。 私などはまず平凡に、中野には北国のいっこくな百姓の、花田には八丁堀の浪人のイメージをあてがっておき、気の向いたときだけそのまわりを捜索することにしているのだが、いったい吉本はいつまでこのくそ面白くもない無機的な過去を掘りかえそうとするのか。戦前派の理論の誤りなどは彼等の存在のあやふやさにくらべればものの数でもなく、そのあやふやな存在様式の反映にすぎぬ彼等の理論は指一本あげるほどの大事をも起さなかったのだ——という一面を彼はどう考えているのであろうか。
吉本が「マチウ書試論」において、その後の吉本自身と見まがうばかりの「原始キリスト教」の存在理由を追及しなければならなかったのは、決して未来にそなえるための地固めというがごときポリティックではなく、まさに彼自身に内封せられた復讐不能の領域をあばきだすことではなかったか。それをするために彼は束縛からの自由、賭けの開始を告げられた瞬間に「関係の絶対性」という地点で佇立したのである。だが見よ、彼は静かに動きだした。彼は庶民のなかの所有意識、支配意識を縦横無尽に打つ第一義の攻撃目標をずらして、「前衛」のなかの庶民意識をあばきだす二義的な目標に集中した。そこに私たちの世代の問題にたいするすりかえがある。それが無用だとはいわない。だが容易なことだ。あまりにも容易なことだ。「前衛」を下から、後の世代からつきあげる勝負はまける方がどうかしている。「いや、つきあげることではねかえる力を利用したかったのだ」と彼のために弁明するのは嘘であろう。なぜなら彼のいう関係の絶対性は二つの当事者がかならず同一平面に立つことを前提にしているのだから、もしはねかえる力の行くさ��である庶民と同一平面を保とうとすれば、「高村光太郎論」や「前世代の詩人たち」に見られたような庶民意識の単純な全面否定はありえない。 戦争中の向う三軒両隣りはおそすぎる医者たちと同じく、私たちに大気・安静・栄養療法それのみを指示した。彼等は路傍に立って手をふるだけで私たちを死地に送りこんだ。その消極性にひそむ小所有者意識、それだけが庶民のすべてであると規定するならば、私たちは庶民を祝福するか呪詛するかの道しかない。それは純粋な侮蔑の形式であり、それによって私たちは自分の存在の証拠をいん滅し、庶民との関係を断つよりほかはない。「マチウ書試論」にはこのような方向への企図はみじんもみられない。にもかかわらず彼はどうしてその後の攻撃を一段階軽いところにあてたのであろうか。『芸術的抵抗と挫折』の一篇ではその辺のところはかなり大きく修正されているけれども、彼が提起した戦後責任という問題は庶民そのものの断層に爪をうちこまなかった点で軽々としたものになり、戦後意識の「早激的」終末をまねき、奇しくも彼に一つの戦後責任を負わせることになったのである。
(…) なぜか。その理由を吉本の意識のオートマティズムからというよりも、存在の反映から照らしだす箇所が一つある。 汝と住むべくは下町の 水どろは青き溝づたい 汝が洗場の往き来には 昼もなきつる蚊を聞かむ という芥川竜之介の「澄江堂遺珠」の一篇を引いて彼はいう。 ——この詩には、芥川のあらゆるチョッキを脱ぎすてた本音がある。芥川が、どんなにこの本卦がえりの願望をかくしていたか、を理解することができる。下町に住んだことのあるものは、この詩の「溝づたい」からどんな匂いがのぼってくるかも、「汝と住むべくは」とかかれた家が、格子窓にかけた竹すだれをとおしてみえる家の中に、下着一つになった芥川の処女作「老人」や「ひょっとこ」の主人公のような、じいさんか何かがごろっと横になっている家であることを直覚せずにはおられないはずである。 ここにくると、私は中野重治や宮本百合子や佐多稲子や花田清輝や吉本隆明が一室にたむろして、おもいおもいの姿勢で西瓜でもたべている光景がうかんできて、さてはわがゆくてもしょせん借家住まいの「中産下層階級」であろうかとあごをなでざるをえない。それほどこの文章の私小説的タッチは正確であり、私の知っている楽寝のじいさんと吉本のそれとをくらべたくなってくるのだ。おそらくそのちがいは私のじいさんの足の裏がすすけてひびわれているのにたいして、吉本の方のはやや白々としているくらいにすぎまい。けれどもこのちがいは吉本がまだ日本の不可触賎民というものにつきあたっていない環境の不幸をまざまざと語っているように思われてくる。 吉本は、芥川が本卦がえりの願望を抑圧しつつ、出身階層への自己嫌悪の上に立って造型的努力を持続させようと��、それに失敗したことを吐きすてるような筆致で書いている。ここにも彼の近親憎悪の念が支配しているのであろう。 ——彼がはっきりと自己の造型的努力に疲労を自覚したとき、自己の安定した社会意識圏にまで、いいかえれば処女作「老人」、「ひょっとこ」の世界にまで回帰することができたならば、徳田秋声がそうであるように、谷崎潤一郎がそうであるように、永井荷風がそうであるように、室生犀星や佐藤春夫がそうであるように、生きながらええたはずだ。そのとき芥川は、「汝と住むべくは下町の」世界に、円熟した晩年の作品形成を行ったであろうことは疑いを容れない。 これが日頃あれほど観念的なまでに理想主義的である彼の、芥川にたいする処方箋であろうか。それは単調な死刑宣告と変りはない。芥川の大知識人ぶりはこっけいだが、吉本がかつて不可触賎民のそれもふくめて一蹴した庶民意識への回帰をすすめるよりほかないまでに芥川の運命が絶望的であるならば、では三十年後の東京小市民の運命はいかにして切開可能であるか。小市民が革命的インテリゲンチャへ転化する道は資本主義のいついかなる時点においても存在するはずだ。芥川にたいする吉本のあまりに気軽な宣告は、彼が庶民との断絶を強行せしめられた「戦中派」の優位をすこし早まって信じ、未来の世代と自分の直線的な接続を楽観しすぎているからであろう。 正直者ほど大きな賭けをする。彼が現実との断熱膨張を意図する気持は分らないではないが、庶民に回帰しまいとする者こそかえって彼のいう意味における庶民の刻印である。彼ははたしてどぶの匂いと格子窓の竹すだれを卒業してしまったのか。彼がなお充分に庶民であったときの「マチウ書試論」はほとんど貴族的といってよい文体の光りをみせ、彼が「関係の絶対性」に沿って上昇し、前世代の「前衛」たちと対決するときは奇妙に私小説の味気なさをともなって散文化する。この循環をやぶるためには、自分のなかの庶民的な形をとった所有意識へ否定的回帰をくりかえし、そのなかにもぐりこんで柵の外へぬける、芥川的知性では卑怯としかいえぬ脱出路を精密に探求しなければなるまい。牢やぶりに紳士の体面などはくそくらえである。吉本は期せずして、記録を残して肉体をほろぼす方法で自分の住民登録を消そうとしているかにみえる。むろん吉本に系図を買う根性はない。しかしそれはやはり自分にたいする証拠いん滅の姿勢である。この方法で住民登録は消せても肉体は残る。肉体の戸籍をのりこえるのは町や村の不可触賎民をなぐりつける署名のない思想だけだ。その方へあゆむことが私たちの世代の存在証明なのだ。それこそ無敵にして暗黒な領域を存在の側から裏づけ、それを照らし、それへむかって復讐しがたいとおもわれた私たちの復讐をはたす道なのだ。吉本の道はその決意にはじまりながら、いつのまにか断たれようとしている。
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oivgbqiqfz358 · 2 months ago
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--深海人形-- ※ い つ も の
※ザクジムよりも見た連中(※ジェガンよりも出番が多い連中でもある)。
※閲覧&キャラ崩壊注意
※ネタも話題も雑多(※闇鍋)。
※自死ネタあります
--彼女が自らの意志で天国に旅立った理由を考える 2
--我々は、どうしても、あなたに死んで欲しく無かった
貴方が自らの意思で世を去ったと言う訃報を聞いた時、とてつも無い衝撃が走りました。その数日後に、虚無の中、呆然としながら、温泉旅行(そう言えば、あなたは温泉むすめとも深く関わりを持っていましたね)に行って、Film Redを見た後、温泉に入りながら、最後の最後であのような衝撃的な結末を迎えたウタちゃんと貴方の姿をふと���ねた。
……貴方が消え去っても、貴方の描いたイラストも同人誌も鮮やかであり続けている。皆末長く記憶していく。忘れ去られたりはしない。絶対に。
--
それに、草田さん、未成年で脳腫瘍の病気で病死した今は亡き妹に貴方はとてもよく似ているのです。だから、今も、自分の妹に二度死なれた気がして、本当に、悲しいし、悔しいし、口惜しいのです。
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こんな自分は、彼女達の姉(のような存在)として、不甲斐無いまま死ぬことはできない。いつも、後世のためにも、彼女たちのためにも、何か誇らしい、業績を一つでも多く残して、現在の世を去らねばと思う。少しでも、愛を残さねば。今ここで、愛を持たねば。そして、----その佇まいはとてもささやかながらではあれど----愛によって立つものは、シロッコのように目先の欲望によって立つもの、ガトーのような可也狭い範囲で大義とされる義によって立つものよりも強い。これは宇宙の常識だ。
--睦月型への投影
少しナンセンスな説かもしれないが、ここに文章として書かせて欲しい。睦月型は、史実において、性能が凄まじく旧式で不遇だ。短命ではあれど、かの有名な新鋭高性能駆逐艦 島風、あの米軍の精鋭艦隊、航空隊とも互角かそれ以上の戦闘を頻繁に繰り広げた、同じく、新鋭駆逐艦の姉妹達、陽炎型、秋月型、そして、量産型雑木林の艦艇達と比べるのは酷なほど、性能に、開きがある。
それから、その、睦月型以上に旧式の神風型は戦後に生存艦を出しているが、睦月型ではそうはいかなかった。ただ、武勲艦がいるのが救いだ。それでも、彼女達は、帝国海軍から何も武勲と貢献を期待されずに沈んでいった。駆逐艦は、潜水艦他と並ぶ、『菊の御紋』を艦首にいただくことはない消耗品扱いとは言え、それくらいの扱いであった。
そして、----もう一人の睦月型担当絵師さんもそうだと思うのだが----彼女は、自分の立場とイメージを、睦月型の娘達に重ねていたところがあったのではないか?そうして、----彼らだけが痛感する----自分の無力さ、足掻きの報われなさ、哀愁、悲しさに打ちひしがれながら、永遠の眠りについていったのではないだろうか。ですが、あなた方は、決して、底辺でも実力不足でも無かった。
……それなのに、どうして。
--彼女の、金銭面における死に至る病
彼女は、いつも、経済的支援を欲して居た。徐々に、死に向かう頃には「医療費が嵩む嵩む」と言っていて、「このまま、自分は歳を取ったらどうなる?先が思いやられる」と言う感じではあったが、そんな中でも彼女はいつも通りの生活を生きていた。だが、うつ病は甘くない。その日暮らしマインド、ライブ感だけで放埒、無責任、能天気に生きていく精神をうつ病の人たちは保てないし、到底持てない。故に、うつ病は将来を心配し過ぎて世を去る人間を、多く輩出する。その後、それから、しばらくしない内に、彼女は「お金が無い」「お金が無い」と言いながら、自分の意志で死んで行った。
……結局のところ、それはただの『貧困妄想』だったのか?これは、個人情報でもあるし、真相は、闇の中であり、分からない。然し、国際的にも名前が知られ、----至極狭い内であるとは言えど----世間に認められ、名誉ある努力の人、偉大で、栄光を得た絵師であった若く尊い命は永遠に失われた。永遠に。
そして、もう、彼女より前に失踪した絵師さんもそうだった。メリークリスマスツイートの一つ前に、九蓮宝燈を一向聴した、かの人も。
いずれにせよ、これからも、睦月型の新規絵は無い。何か奇跡が起これば別であるが……。
…。
…。
--書き切れなかった分
某動画サイトでの、「とある方の葬式に参列した」と言う報告からしばらく経った後、その故人の跡を追う様に、彼女は世を去った。多分、そのお亡くなりになった方は、彼女の祖父か祖母で、生前、非常に、御世話になったのだろう。似たような状況の方は何人もいる。自らの祖父を看取った後、後憂無く、自ら命を絶って旅立った成年向け漫画家さんも。もしかしたら、彼女もその一人なのかもしれない。
…。
ブアカ絵師界隈が、不倫騒動の末、自ら命を絶った絵師を出したのは記憶に新しいね。ダム絵師界隈で、そう言う最後を迎えた絵師って、相当数居そうだけど、全然話題にならないよね。財団Bが隠蔽工作したのかな(※無いです)?…此れ迄に、100人単位で自らの意志で、旅立ってそうな気がする(※或いは、ブアカ界隈が異常なだけか)。
…。
そして、筆者にも身に覚えがある。
…毒親……、
毒親はその子供の一生を支配する。潜在的に、根本的に、宿命的に。こうして生きている限り、逃れられはしない。…だから、さようなら。
…。
黙れ小僧!お前は分かるのか?三十代目前で、自ら、自分の意志で死を選んだ絵師が私達の推し絵師だ!数々の持病と疾患に苦しんだ末、自死により急逝した末長く愛されるべき絵師だ!もう新作は二度と描かれない!其の自ら死を選んだ絵師を推して来た者達をお前に救��るか!?
…。
常に、私の頭上に、死兆星が自らの存在自体を誇る様に輝きはじめてずいぶん久しいですが、別に心配なさらないでくださいね(※前書きの様な駄文)。
…。
上級まほうつかいプリキュア
キュア賢者
キュア魔界幻士
キュア完徳者
キュア導師
キュア極限流
…。
ガトカスは、割と、初心者向けのヤツだと思います(※逆にコウが中〜上級者向け)。野獣大尉は、初心者〜中級者向け(※扱い易さだけは万人向け)。
…。
拙作の交渉人は、シロカスと同じ上級者向けだモンなぁ(※原作では明らかに中級者向け)。
シロカスと完全同類の、大いなるOも認める紳士では無く、大いなるOもあきれる紳士の時点で、まともな運用を想定して居ないのは(※確定的に明らか)。
…。
交渉人が居ればシロカスは要らないし、シロカスが居れば交渉人は要らないみたいなパワーバランス(※…只単に、其れ位、「キャラ被りしてるだけ。」…とも言う)。
…正直、どっちも『正義の味方面した悪党(※限りなく真の邪悪に近い存在)』だしな…(※何故かシロカスが疎まれ、粗雑に扱われて、対照的に、交渉人は慕われ、丁寧に扱われがちと言う所は正に真逆だけど)。
…。
某無限特殊ルールトーナメントの動画にあった「親戚一同」、「此処のトーナメントの常連は、正月に集まって会食してそう」「俺らの親戚」、「親の顔より見たメンツ」、「もはや実家」、「俺たちの家族」…と言うコメ(※爆笑した)。
…。
拙作内で、シロカス、野獣大尉と仲良しなガトカスは、最早、名誉連邦軍人、名誉ティターンズやん(※畑と田んぼを荒らす鹿が猟師と仲良くして居ると言う愉快な絵面)。名誉ティターンズガトカス(※ 辞 め ろ )。
…。
曼珠沙華風紫陽花(アナベル)と神の侍者風宣教師(パプテマス)。
リリス風モリガンみたいな(※レラ風ナコみたいな)。
…。
もっと生物的で無くて、機械的な性格だったら、調教する手間も省けましたのに(※彼奴等等滅茶苦茶扱い辛い)。…で、拙作に出てるのは調教した結果か?…と言われると……(※遠い目)。
…。
七瀬が紗波音を偽物扱いするのは、ガソダムで言えば、赤いあれがUCの全裸を偽物扱いする様なもの(※其れにしても、fexl公式は無神経だなぁと思う)。
…。
ブルーコスモスですら純粋悪ではないと言うのはややこしい。あれは名もなきナチュラルのコーディネーターに対する怨嗟と悲痛が生み出した存在でもあるから。然し、やってること自体は純粋悪そのものなのでタチ悪い。しかも血のバレンタイン事件の発端はブルーコスモス��構成員らしい(※…其の上、プラントにはプラントでザラ派と其の思想的後継者達が居るので、一体、誰が一番正しいのか?状態になる)。
…。
コーディネーターは、遺伝子組み換え大豆みたいなものだから。遺伝子組み換えを使ってない大豆製品を求める消費者もいれば構わんと言う消費者も居る(※丁度、種製作された時期は、其う言う問題で、皆、荒れて居た)。
…。
あの世界でオーブがやけに狙われる理由も永世中立国でコーディネーターに寛容だからだとか。
まぁ、元々、コーディネーターに対して寛容になっただけで、生体CPU載せたデストロイ差し向けて来る世界だしな()。
…。
種のブルーコスモスは、元々、反コーディネーター主義団体になる前は、自然保護団体であったと言う経緯があって、其う言う背景も種が制作された時代を反映している(※遺伝子組み換え食品を嫌って居たのは、多くは、自然派の消費者だったので)。
ハーフコーディネーターに至っては非遺伝子組み換えとの交雑種だから、随分先進的なアニメだな
…。
※クロスオーバー注意
あれ書いてたら、シロカスは、寧ろ、原作でティターンズの罠に嵌って、銃殺刑か絞首刑にならなかったのが不思議だと思った。
…。
ファンタジーストライクにはガイガーと言うロボット作る時計職人上がりの科学者がいて、それが大量生産したロボットを仕掛けて捕まえて処刑台に連れて行った(※ニュータイプはカツ・コバヤシの件見れば分かるけど無機物には反応出来ない ※筈)。ニュータイプの意外な弱点を教えてくれて、ありがとカツ〜〜(※謝々茄子並)��
…。
本当に、無事シロカスを吊るせた展開見たいなぁ(←※書け)。絶対平和になるぞ(※確信)。
…。
あのガイガーを見て、ドゥガチを思い出す読者もいると思う
…。
あの拙作では、シロカスを、オニマルとクインスは、部隊を派遣して迄、絞首刑台から救うので。1stの時点で連邦(無慈悲な強権支配者)vs.公国(連邦を倒す為なら戦法も手段も選ばない独裁軍事政権)だったし、
ティターンズとブルーコスモスでさえ理由があって発生し、純粋な悪では無いと言うのが、非常に機動戦士らしい。
…。
原作ではガイガーは根っからの善玉で、逆に、オニマルとクインスは根っからの悪玉、純粋悪です。割と機動戦士的ですね
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大半のフラグストン市民は、現代人で言うと、遺伝子組み換え大豆と非遺伝子組み換え大豆の区別が付かない人達である(※元々、コズミック・イラとは違って、遺伝子云々に興味無いタイプ)。
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ブレア御嬢様は、七夕か旧正月の時期に何時もいぢめてる彼奴等の所に押し掛けて来そうだなと思った(※ストシリーズと言うかこfでありそうなノリ)。…最早、彼奴等は、名誉(※…と言うか只の)下僕(※確信)。
…。
���レア御嬢様と七瀬ちゃんの名誉下僕(※或いは、名誉豚)。
…。
彼奴等がUC勢に逆らえないのは、光線兵器で蒸発されられるか、「やめなさい!」とMSで潰れたフレッシュトマトにされるからだよ(※多分)。
…。
くろろ団長「光学兵器要らねぇ(※近接距離特化)。
交渉人「はぁ????????(※全射程対応バランス型)。
ビゴーくろろ団長仕様案
アークライン 奇襲用。或いは、我道拳と化した波動拳先輩。
クロムバスター 滅多に使ってくれない。
ミサイルパーティー 生命線。何処ぞの富豪とは違い、ケチりながら大切に使うぞ。因みに、に、全方位ミサイルパーティーが理想との事。然し、「それは無理だ」とビゴーも言って居ます。
キャノンパーティー これも生命線。近接戦特化。散弾仕様の時もある。
モビーディックアンカー ロケット機構無し。鎖鎌仕様。低コスト。
サドンインパクト 男ならこれを選べ!!レベルの存在感。実はあんまり団長は使ってくれない。肘撃ち版がある。肘の装甲にある鋼鉄板を攻撃に含めると隙を生じさせぬ二段構えでの肘撃ちが可能。
プラズマギミック ガードキャンセル、リバーサル専用。防御面での使用は度外視されて居る。
Xサンダー Oサンダーでは無い。十字に交差させるように連装砲の如く打つ。弾幕密度を犠牲に弾幕拡散力を保証。
ローラーダッシュ お前は(※某最低野郎達御用達の)ATか。
結論:ビゴー「銃火器光学兵器射程攻守問わずバランス型で、富豪故の豪快な戦法を積極的に取る本来のデュミナスとは違い、全体的に近接射程、銃火器偏重、攻撃特化でケチ臭いと言える(※まるで他人事)。」
どうせ、デュミナスやるなら、航空メガデウスデュオの方が向いてる(※…としか思えない位に噛み合わせが悪い)。
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siteymnk · 5 months ago
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「最後の三角形: ジェフリー・フォード短篇傑作選」ジェフリー・フォード著を読了。
世界幻想文学大賞に7回、シャーリイ・ジャクスン賞に4回、MWA賞、ネビュラ賞など数多の賞に輝く現代幻想文学の巨人による郷愁と畏怖と偏愛に満ちた14篇。
所謂、幻想文学という括りになると思うのだが、ホラーやSFっぽい作品もあり幅の広さを感じる。偉大なる受賞歴を見るとなるほど納得。どの編も出だしは何となく取っ付きにくいというか、これはどんな話なんだ?と思いつつ、読み進めていくとどっぷり世界観に誘われている。大凡、
どんな小説でもそうなんだろうけれど、明らかにこの作家は誘い力が強くて、読み進めていきたい気持ちがムクムクと湧いて来る。素晴らしい作家だと思った。どの編も忘れがたい。今のところ今年度No.1。
アイスクリーム帝国:
共感覚が強い僕はコーヒー味のアイスクリームを食べるととアンナという女性が見えるようになった。アンナも僕が見えるようになったという。進学的幻想なのはどちらなのか。
マルシュージアンのゾンビ:
隣に越してきた老人は、自分は政府の秘密組織で従順な兵士を作る研究をしてたという。老人が急死した直後、我が家に現れたのはゾンビのように意識薄弱な男だった
トレンティーノさんの息子:
クラム漁が盛んなベイ、嵐の日に一人の少年が行方不明になる。少年と交流のあった私は、同じような嵐の海で死んだはずの少年を助けるのだが、船は瓦解してしまう。
タイムマニア:
悪夢にうなされている少年が無人の農家の井戸から白骨化した死体を発見する。ライムを口にしないと、死体のジミーの幽霊が現れてしまうのだが、炎の農場の奇妙な世界へ誘われその死の真相に近づいていく。
恐怖譚:
真夜中に目を覚ましたエミリーは家族の不在に気がつく。夜の道を歩く途中、馬車に乗った紳士に連れられ、朽ちた豪邸に住む母と子に出会うのだが。霊廟の中で呪文を創作するエミリーの姿をディキンスンの詩にまつわる表現で描く
本棚遠征隊:
健康を害して自宅で療養中の作家、本棚を見ると指先ほどの妖精らが本棚の登頂に向けて出発するところだった。これは幻想なのか?彼らは危険を顧みず、様々な本の前を通過して最上段を目指していく。
最後の三角形:
一文無しのホームレスがひょんな事から老婆の家に住むことに。老婆は男に「最後の三角形」と呼ばれる魔術の記号を探すように言われる。奇妙なコンビで魔術の謎を探っていくと、現れたのは死んだはずのの老婆の夫だった。
ナイトウィスキー:
動物の死骸から生える「死苺」で少量作られるナイトウィスキーを飲むと、泥酔した夢の中で死者と再会できるという。翌朝に木の上で眠る泥酔者を降ろす名誉職を得た僕は、酔っ払いとは別の何かと遭遇する
星椋鳥の群翔:
長閑で美しい地方都市には凄惨な殺人の歴史があった。唯一の目撃者である被害者の教授の娘は一才口を聞かず、小さな星椋鳥を連れて街を散策する。野獣と呼ばれた犯人を捜索する警部は、助手のジャリコと娘を尾行するが、公園で星椋鳥の大群が描く姿に驚嘆する。
ダルサリー:
狂気の科学者が生み出したビンの中のドーム型極小都市ダルサリー。原始大の盗聴器によると滅亡の危機にあり、科学者は自ら縮小ビームを浴びて都市に介入を試み、ダルサリーの中で更に極小都市を作り始めたという。
エクソスケルトン・タウン:
外惑星にあるエクソスケルトン・タウンに住む蟲型の生物と人類は、20世紀映画で交易していた。かつての男優・女優のスキンを纏った男女は「ボックス」の中だけで愛し合うことができるのだが。
ロボット将軍の第七の表情:
大きな惑星の衛星で発見されたハーバングと戦うために製造されたロボット将軍、その無慈悲な攻撃で死体の山を気付き英雄になるが、引退後は小さなアパートで暮らしている。自殺を依頼した男と格闘して切り離された頭部は・・・
ばらばらになった運命機械:
年老いた宇宙飛行士の回想、遠い惑星で知り合った恋人と宇宙の旅を続けたかったが冷凍睡眠で死亡、白い森の惑星に安置する。二人の元に時空を超えて現れた紺色の巨人と、機械部品を捜索するロボットによって運命が変えられていく。
イーリン゠オク年代記:
砂の城に住む妖精トゥイルミッシュは、虫のファーゴ、偶然出会った要請のメイワとマグテルと共に、短い一生のうちに創意工夫と喜びの体験を経て、砂の城が波に消えゆくと共に、その生涯を終えていく。
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2gsahoko-intermission · 7 months ago
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『オッペンハイマー』感想
先日、『オッペンハイマー』をようやく見ることができた。
まず、理論物理学者と実験物理学者の持ちつ持たれつの関係性(『ビッグ・バン・セオリー』のアレコレは、こういう科学者たちのエピソードから着想を得ているんだろうかと感じた)や、ロスアラモス建設やマンハッタン計画あたりの描写は、有能な専門職奮闘の活劇としてワクワクするように作られており(『アポロ13』や『火星の人』のような宇宙トラブル物を想起した)、私自身図らずもウキウキさせられてしまって、そんな自分に居心地の悪さを覚えざるを得なかった。しかし、この映画は実験成功を手放しで称えて終わりにせず、取り返しのつかない惨事であると(全くもって遠回しでぬるいものの)示している点は、原爆開発という題材を扱うにあたっての最低ラインは押さえられているとは感じた。
他方で、ジーン・タトロックとオッペンハイマーの「揺れたい」からのセックス・シーンはシャレにしては洒落てなさすぎてギャグかな?と思った。また、マンハッタン計画に携わる数少ない女性科学者にのみ放射能の影響の懸念がぶつけられたり(すぐに彼女は、日々より多く放射能に触れている男性科学者への影響も大きいとやり込めて作業に参加していたのだが)、終戦時に科学者たちの前でスピーチしたオッペンハイマーが見る原爆投下の幻影で最初に身体が傷むのは女性科学者だったりと、原爆と放射能に対して脆弱な存在に女性キャラクターを割り振ってるように見えかねない点に、少し違和感を覚えた。あらゆる人間、どのような立場の人間でも、原爆の前になすすべないこともこの映画は描いているけれども、いや描いているからこその違和感なのか、まだ明確に言語化できていない。
映画の作りでいうと、理論物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画ではあるものの、構成が込み入っているのが印象的だった。
戦後、赤狩りのターゲットとなったオッペンハイマーが機密情報保持権をめぐって聴聞会に臨むという枠組の中に、ヨーロッパ留学からマンハッタン計画遂行、終戦直後までが組み込まれている。
そのオッペンハイマーに対する聴聞会の枠組を囲い込む形で、水爆実験推進の是非をめぐって彼と対立してきたルイス・ストローズの商務長官就任をめぐる聴取が進行し、その過程でオッペンハイマーに対する告発や聴聞会の場はストローブが仕組んだことが明かされる。最後には、ストローブを適任者と擁護してくれると期待され召喚された科学者デイヴィッド・ヒルに、オッペンハイマーに対する攻撃の首謀者であることが糾弾され、ストローブは商務長官就任が却下される。
このように、オッペンハイマーの人生が集中的に描かれるかと思えば、彼に敵対心を激らせるストローブのパートが結構多い。これは、オッペンハイマーもストローブも、自分の属するコミュニティを先導し巨大なプロジェクトを動かすことはできるものの、いざ他のコミュニティと接触すると不器用さが表出して足元を掬われる点で共通しており、コインの裏表のような存在であることを示すものと考えられる。
他方、オッペンハイマーやオッペンハイマーの妻キティの目から見た世界を描く箇所はカラーで、報道色が強いというか機械の目が切り取った世界を描く箇所はモノクロで撮られている。これにより観客には、オッペンハイマーが苛まれる良心の呵責やキティの夫に対する怒りと嫌悪感が明晰に伝わってくる一方、反共という「正義」の旗の下、涼しい顔して個人的な恨みを晴らしてきたストローブの卑小さが際立つ構成となっている。
また、カラーの箇所ではオッペンハイマーが幻聴で聴く音も時折飛び込んでくるのだが、この音の作り方は精密でよかった。
原爆投下直後にオッペンハイマーが仲間の科学者にスピーチをする場面で、場を盛り上げるために立てられる足音は軍靴のようで恐怖を掻き立て、オッペンハイマーを讃える歓声や笑い声は阿鼻叫喚として響き、感極まった泣き声は嘆きへと転換される。音とは関係ないが、酒を飲みすぎたであろう科学者が会場外で嘔吐する姿は、放射線による被害を思わせて不穏である。罪悪感ゆえに歓喜が悲嘆へと上塗りされている様子が窺える。
また映画終盤、聴聞会でオッペンハイマーが検事から詰められる局面で、背後の棚がガタガタ動き、オッペンハイマーの依って立つ世界が揺らぐ轟音が響くのも凝っていた。
思えば、ヨーロッパ留学中の若い頃を回想する時、オッペンハイマーのイマジネーションは音ではなくイメージに力点が置かれていたように思われる(別に無音なわけではないけれど)。イメージから音への力点の転換が具体的にどのポイントで起きたかは、詳細な描写を失念してしまったのでなんとも言えないが、遅くとも原爆投下後に記録映像を見る時には訪れていたように考えられる。トリニティ実験で、これまで計算上の現象だった爆発が実際に目のあたりにした一方、落とされた現場でどのような音声が響いたか、どのような地鳴りが起こったか、いかに世界が変転したかはにイマジネーションが取ってかわられたことが、脅威としての音によって表されているのではないかと思った。
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schlammig9 · 10 months ago
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種自由の話
正直言って脚本の感想はあんまり良くない。新勢力アコードは主義主張をぶつけ合う相手としては振る舞いが悪辣に過ぎるし、キラ・アスラン・オルフェの人間関係に終始する話運びの味わいはキャラ映画のソレだ。作中で出た疑問点が宙に浮いたまま物語は終わり、その後のC.Eの未来を占う事も出来ない。両澤千晶氏が関わる最後の作品としては諸々惜しい……、だがそれでも劇場での鑑賞体験を心から喜ばしく思える、そんな作品だった。
実のところ、私は長年種死をリアルタイムで視聴していた頃――中学生時代の自分と向き合う事を避けていたのだと思う。それは羞恥心からでもあるし、種死への批判を受け止める度量を持てていなかったからでもあるだろう。しかし今回の映画で「出撃!デスティニー」を聴いて我知らず自然と頬を涙が伝った瞬間、約20年前のあの頃に毎週見ていたスクランブルを受けコアスプレンダーへ走って行くシン・アスカの背を幻視し、全てとは言えなくとも確かに好きだった種死、そしてそれを見ていた自分とようやく向き合い、その記憶から(他ならぬSEEDという作品によって)先へ進めた気がしたのだ。
あの時危うく滅ぼす側に回りかけていたオーブを今度こそ守れたのは彼とデスティニーの新たな戦いの結末としてこの上ないものだった。その辺についてはボンボンコミカライズ版のシンもどこかで満足してると良いな。……そうは言ってもブラックナイツとの決戦はもう少し正統派の戦闘が見たかった。ステラはドズルオマージュ、つまり当人達によってそう見えていただけのプレッシャー、分身はミラージュコロイドとヴォワチュール・リュミエールの応用という風に理屈付けする余地はあるけど、やっぱこう、格付けとして。「何も考えていないのか!?」はそりゃあ"怒れる瞳"だもんね。分かるよ(後方腕組み)。
あとディアッカとイザークの出番が意外と多くて良かった。バスターとデュエルの再登場によって、種死で一片も出番がなかったエザリアさんを始めとするザフト首脳陣が舞台裏でどうしていたかを改めて想像する余地が生まれたし、主役勢の囲いからいつも離れた場所にいる彼らの歩みもC.E.の中で確かな歴史を形作っているのだとスタッフとコンセンサス出来た気がした。
流石にプラモにもう一度手を出す気にはなれないものの、小説版は手元に置いておきたい。今書けるのはそんな感じ。
せーの、戦術バジルールサイコー!!
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team-ginga · 2 years ago
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映画『夢みるように眠りたい』
 Amazon Primeで林海象監督、佐野史郎主演の映画『夢みるように眠りたい』を見ました。
 大昔、ビデオ屋で借りて見たことのある映画です。
 1986年の映画ですが、なんと白黒の無声映画。
 カラーが当たり前の時代にわざと白黒で映画を撮るというのは時々ありますが、無声映画というのはさすがに珍しいですね。
 題材が無声映画だから無声映画で撮っちゃえということだったのかもしれませんが、ミシェル・アザナヴィシウス監督、ジャン・デュジャルダン主演の『アーティスト』(2011)よりはるか前です。その心意気やよしーー面白いじゃありませんか。
 「心意気」だけでは納得できないというのなら、こう言い換えましょうーー我々はトーキー映画に慣れてしまっている。だから少々のことには驚かないし、無意識のうちに映画の「お約束」を当てはめて映画を見ている。でも、無声映画はそうはいかない。我々は今までに見たことのないようなものとして映像を眺め、そこに何かを読み取ろうとする。その作業を面倒臭いとか鬱陶しいとか思うならそれまでだが、面白いと思う人間もいるし、その作業に優れて知的な喜びを見出す人間もいる。この映画はそういう観客を対象とするものなのだ。
 まあ小理屈はともかく、非常に面白く斬新な映画であることは確かです。
 冒頭、誰かが時代劇の無声映画を見ています。黒頭巾を被った主人公が桔梗という姫を救い出すため敵の屋敷に乗り込み、「追い詰めたぞ。最早逃げられぬ。神妙にいたせ」、「すべての謎は解明した」と字幕が出るところでフィルムが焼けつき、画面は真っ黒になってしまいます。
 ところ変わって魚津探偵事務所ーー佐野史郎演じる魚津とその助手・小林のところに電話がかかってきます。曰くーー月島家の令嬢・桔梗が誘拐されたとのこと。電話の主はどうやら時代劇を見ていた年配の女性のようです。
 すぐに月島家の執事が事務所にやってきて、身代金百万円を魚津に渡し、犯人からのメッセージが入ったテープ(もちろんオープンリールです)を聴かせます。曰くーー将軍塔の見える花の中、星の舞う場所に金をもってこいとのこと。
 一体何のことか、魚津は頭を悩ませます。助手の小林は魚津のために卵を買いに出かけます(魚津はゆで卵マニアで、いつもゆで卵を食べています)。帰りに小林は大泉晃と助手の二人(大泉トリオと勝手に命名しておきます)の手品を見物します。
 気がつくと小林のポケットには仁丹の小袋が入っています。大泉晃は小林に「参加賞です。どうぞお持ち帰りください」と言います。
 魚津は小林が持って帰ってきた仁丹の小袋を見て、「将軍塔」とは仁丹の広告塔だとわかり、そこから「花」とは遊園地の花屋敷、「星の舞うところ」とは花屋敷にある「人工衛星」という乗り物だとわかります。
 魚津と小林は乗り物のところへ行きますが、時すでに遅しーー乗り物の中にはオープンリールのテープが回っており、その横では球体のコマが回っています。誘拐犯は身代金をさらに百万増額し、「地球ゴマ」(球体のコマのことをそう言うようです)の導くところへもってこいと言います。
 魚津はコマ職人のところへ行って、月島神社の縁日で「地球ゴマ」を売っているという情報を得ます。縁日に行ってみると大泉トリオが「地球ゴマ」を売っていて、箱を抱えて引き上げていくところです。彼らが二手に分かれたので、魚津と小林も二手に分かれて尾行します。
 しかし、大泉トリオは尾行のことを先刻ご承知ーー魚津も小林も怖いお兄さんたちに囲まれてしまいます。小林は意外に格闘の達人と見えて怖いお兄さんを返り討ちにしますが、魚津は拉致され、持参していた身代金2百万を奪われてしまいます。
 気を失った魚津は夢を見ます。夢の中では和服姿の桔梗が魚津を介抱し、「私がここに来てからもう50回も桜が咲きました」、「早く私を迎えに来てください」と言います。魚津が意識を取り戻すと、彼の手のひらには「電気館」と書かれています。
 「電気館」と言うのは昔浅草にあった活動小屋だと聞いた魚津は、小林と二人で浅草に向かいます。魚津は浅草で櫛を売る店の老婆と話し、老婆から「お好きな方に」と行って櫛を渡されます。
[この辺りからネタバレに入ります。未見の方はご注意を]
 魚津が活動小屋があった場所に入ると、そこには以前と変わらぬ小屋があり、手品や軽業が行われています(もちろん大泉トリオも登場します)。やがて弁士が登場し、活動写真が始まります。もちろん冒頭で流れていた時代劇です。
 主人公の黒頭巾は桔梗姫を攫った悪党と戦います。戦いの中で顔を覆った黒頭巾がはらりと落ちます。頭巾の下から現れるのは魚津の顔です。
 黒頭巾は悪党の屋敷に乗り込みます。「追い詰めたぞ。最早逃げられぬ。神妙にいたせ」、「全ての謎は解明した」と彼が言った瞬間、フィルムが焼けつくーーつまり冒頭のシーンが繰り返されるわけですが、それだけではありません。警察がやってきて上映中止だと言うばかりか、撮影現場(?)にも警察が現れ撮影中止だと言います。
 この映画は日本で初めて女優が出演する映画であり、警察はそんな「淫らな」映画は許されないと言うのです。
 はっと気づくと魚津は居酒屋のようなところにいます。小林は「どこにでもある居酒屋ですね」と言います。先ほどまでの場面ーー活動小屋での場面ーーは魚津の幻想だったということです。
 魚津は「桔梗さんの居所がわかった」と言って、小林と共に月島家に向かいます。二人は邸宅に入り、無人の家を彷徨います。ある部屋に入ると、この家の奥方、月島桜の若い頃の写真が所狭しと貼ってあり、奥方はかつて活動写真のスタアであったことが明らかになります。
 やがて月島の奥方がいる部屋に入り、魚津が「月島桔梗さん、いや月島桜さん、もうお芝居は終わりにしましょう」と言うと、横から「セリフが違う!」という声がかかります(無声映画ですから、もちろん字幕です)。声をかけたのは映画監督に扮した執事です。
 監督=執事は「ここのセリフは「追い詰めたぞ。最早逃げられぬ。神妙にいたせ」だ」と言い、そこから映画の中の「現実」と「映画(時代劇)」がごちゃ混ぜになります。
 つまりーー月島家の当主、月島桜は若い頃、活動写真に出演した。しかし、女優が出演する活動写真など淫らであると判断され、その活動写真は撮影中止になった。誘拐されたもの、桜が探し求めていたものは、娘ではなく、撮影中止になった映画の結末であったということです。
 魚津は桜と一緒にその結末を演じます。魚津は櫛屋でもらった櫛を桜に渡し、桜は「夢を見ているようないい気持ちだわ。このまま眠ることにするわ」と言って、息を引き取ります。
 終わってしまえば、「そうなるしかないよなあ」という感じですが、それでも見ている時はドキドキしますし、執事が映画監督に扮して「セリフが違う!」と叫ぶところは「虚」と「実」が一つに溶けるというか、フィクションが現実に侵入する場面で素晴らしいと思いました。
 いい映画です。
 こんなものがAmazon Primeでこんなにお手軽に見られるとは思ってもいませんでした。
 ぜひご覧下さい。
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thyele · 2 years ago
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2023年4月25日
花工房胡桃 https://www.kurumiweb.jp
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【続報】「おれは酒の悪魔。デビルハンターを呼べ」自称・無職の 男を逮捕 - ライブドアニュース https://news.livedoor.com/article/detail/24118359/ 悪魔憑きの歴史は古いけど原因がオカルトだったり精神的な病だったり催眠だったり色々
廃線のがれたローカル線、開通100年 駅前に響いた70年ぶりの歌:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR4Q6RF4R4QUZHB008.html
IZAM officialさん「IZAM ソロデビュー25周年記念アルバム 『シ・ン・デ・レ・ル・ラ POP』 2023年 7月23日 MusicChampにて独占発売❗️ 5月2日よりキャンペーン開始☺️🥀✨ ヨロシクオネシャス‼️ https://t.co/rwMN62KGLs」 https://twitter.com/IZAM_official/status/1650144457017393152
The Birthday_Officialさん「」 https://twitter.com/TBD_STAFF/status/1650333777825251328
高良健吾、“東リベ2”でマイキーの兄役「夢にも思っていなかった」 https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/hot_20230423_120.html
スーダンから外国人157人脱出 陸路800キロ超、艦船でサウジへ:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR4R3D4SR4RUHBI002.html?iref=pc_photo_gallery_bottom
INORAN _STAFFさん「「INORAN BIRTHDAY CIRCUIT '23」開催決定!!! 9.29 #INORAN BIRTHDAY LIVE、最終日のFC限定LIVEを含む、東名阪4公演。 NO NAME?最速先行は、4月26日まで受付中! これからご入会の方も4月26日までのご入会でお申込み可能です! ▼公演詳細はこちら https://t.co/61F9bsbzXa https://t.co/eunSVuyEw7」 https://twitter.com/INORAN__STAFF/status/1650071666494672896
首都高.comさん「#一部で支払いなく認証 #Twitter本人認証マーク イーロン・マスク氏は一部は私が負担したと発表 (´・ω・)なんなんだその基準は・・・ (´・ω・)フォロワー数少ないと有料 (;´・ω・)多いと無料って曖昧過ぎない???」 https://twitter.com/hitomi110531/status/1650337541953040384
首都高.comさん「(;´・ω・)PCご使用の皆様!!! (;´・ω・)バージョンによっても違うんですが・・・ ・Version 21H2  :2023年6月13日 ・Version 22H2  :2024年5月14日 (´・ω・)要確認しないとサポート終了します!!! 今のWindows10がWindows11にアップグレードできるか確認はお早めに!!! https://t.co/9QQJNRGUY5」 https://twitter.com/hitomi110531/status/1650329316448940035
Deshabillz2023さん「やっと来たこれで酸素カプセルライフが楽しくなるがなぜLaputa? 押忍!他になにかいりますて聞かれ BiSH 押忍!ないです、買います? いいや、Amazonで頼んでしまったから名古屋行く時聴いてくわ、あ、ジキルかLaputa 押忍!Laputaなら あ...言ってるな #異空 #BUCKTICK #emadara #Laputa https://t.co/lL0X8gpgTk」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1650013961373511681
Deshabillz2023さん「酸素カプセル高気圧バージョン終わったな! 押忍!異空と共に? ワルキューレワルキューレ言ってたわ #ワルキューレの騎行と高気圧酸素 #あたおか浴衣と異空 で、看護師に呼ばれた瞬間 押忍!笑 https://t.co/1QdUOeeitC」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1650053998370766848
Deshabillz2023さん「先程看護師さんがやって来て身内の方が荷物渡しに来てますがと 押忍!スタッフさん? いや、バクチクは受け取ったから 知りませんと じゃ帰しますね はい、て、デイルームから見えるんよ 誰やねん笑て女2人笑 押忍!書いちゃいましたからね昨日!控えて下さいませ! 頼むわ https://t.co/gpyi9CnJxj」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1650022638344081408
Deshabillz2023さん「あっちからは窓反射?かなんかで見えてないみたい 押忍!笑 来なくていいからね、嬉しいけど迷惑掛かるからさごめんね 押忍!治らなかったらさばおきれます、看護師さんに謝ったりするのはあたおかなんで そこはしゅんさんて言わんかい! 押忍!あたおかなんで! あたおかしか集まらんのか」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1650023625901363202
優貴さん「うーん、、、日曜 https://t.co/SoRtgreIEk」https://twitter.com/YUKI8686kk/status/1649941288152883200
ヒナさん「昨日のUK楽しかったな。ライブ終わってただふつうに楽しく飲むのはほんと久しぶりだった。ほんとはライブ後は打ち上げやって楽しいまま寝落ちしたい。本番前に寝てて起きなかったから前半レオナくん無しでやったよ。来てくれたみんなありがとう✯」https://twitter.com/dxixj/status/1649988734748884992
IZAM officialさん「今日一日、とても幸せな誕生日になりました。 沢山のメッセージを頂き、関わってくださっているキャストや、スタッフの皆様、応援してくれている方々、仲間のおかげで生かされております。 海外からも沢山…Thanx🥀 本当に忘れられない誕生日になりました。 心より感謝致します。 with Love🥀 IZAM https://t.co/q9cWieZMZv」https://twitter.com/IZAM_official/status/1650162657771810816
小美玉たかしさん「連日…唄REC奮闘してるのだが全く終わらない…苦笑(>_<)† 頑張れ超大物! https://t.co/rWV29o3joE」https://twitter.com/TAKASHI_OMITAMA/status/1650257647302746112
Ryuichi Kawamura officialさん「Mornin'! https://t.co/0pSzPfUSbz」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1650276964991918081
nao 首振りDollsさん「襲われ続けているのはどちらなんだろうか…」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1650117057290330114
Daijiro Nozawa a.k.a.DIEさん「本日も🐉   いよいよスプレビRHスタート やっぱり石塚さんと野球最下位争い談義🤣😅 Ra:INのリハかと思った~😸 https://t.co/ak6IRjKWkE」https://twitter.com/Pukapyu/status/1650151174308511745
〓叭紅〓さん「私事ではありますが、 超数年ぶりにmy new gearしまして、 Squireのジャズマスターをお迎えしました。 また紅い子です。 https://t.co/vYpwGkd246」https://twitter.com/89_uTauTai/status/1650133078822764544
HIROTO ALICE NINE.ヒロト アリス九號.さん「僕らの大切に育ててきた曲をありがとう🔥😊 すべての九組へ音速を超えて届け!!!⚡️ #アリス九號. #SHIN #yousay #ViViD #THEKIDDIE #交わる平成35年」https://twitter.com/hrt_A9/status/1650115739976880134
横山企画室さん「なんなら更に絶賛レコーディング中ですって⁉️ 期待大\^^/」https://twitter.com/yokodile01/status/1650121319189729281
kaz_xさん「今日は吉祥寺クレッシェンドでProjectBBAで出演でした。出演者さん、お客さん、クレッシェンド&関係者の皆さんありがとうございました! Hisayoshiさんとご一緒なんてなかなか無いことだしHADES全員とも一緒とかまずないのでめちゃくちゃ楽しかったですw ただ自分の演奏はとんでもなくあかんかった💧」https://twitter.com/Kaz_x_jans/status/1650158277156818944
kaz_xさん「そしてほんと50半ばにして女装するとは思わんかったw したらめちゃミスりまくったわーw 視界変わったからかな。。 ほんとお許しくださいませ💧 ほんと マラソン部にNGはないw」https://twitter.com/Kaz_x_jans/status/1650159096086274052
杉本善徳(Waive)さん「LINE BLOGがサ終で書けなくなり、他のブログ開設にも手が回らず、とりあえず存在だけ残していたアメブロに、Waive再結成など今の気持ちを書きました。 ーーーーー ▼バンドマンになりました ⇒ https://t.co/V8s8gtvWT9」https://twitter.com/ys1126/status/1650041407569289216
杉本善徳(Waive)さん「これも書いておこうと思ったのに、どうでもいいことすぎて忘れてたこと→動画撮影の直前に、久々に髪を切ってもらったら前髪が短くなって大変なことになってしまいヘアメイクに苦労した。 あと、よく考えたら、なぜ武道館なのかとかもどこかでちゃんと言葉にしたい気もするし、まだまだあるよな。。」https://twitter.com/ys1126/status/1650048288174010368
野田竜司さん「Waiveというバンドが 本日ひとつ発表をしました 彼らとの20年を思いながら 心を込めてこの映像をつくりました あえて書くけど フォロワーの皆さん大部分にあまり馴染みのないバンドだと思います だけどもし気が向いたら少しだけこの映像を観てもらえたら嬉しいです これは4人の人生の記録 #Waive」https://twitter.com/nodaryuji/status/1645733038566014976
キチガイ系キーボードさん「レッレッドッドッシ♭ッシ♭ッラッラ レッレッドッドッシ♭ッシ♭ッラッラ D-m×2 C△9×2 #限りなく」https://twitter.com/kyoshoww/status/1650187202721116160
BUCK-TICK OFFICIALさん「樋󠄀口豊 自伝本「ユータ -Dear My Wonderful Fellows-」本日分完売いたしました。 #BUCKTICK #BUCKTICK35th #TOUR2023異空」https://twitter.com/BUCKTICK_INFO/status/1650019977255358464
BUCK-TICK OFFICIALさん「星野プロデュース HOSHINO HIDEHIKO×Waterfrontコラボ折りたたみ傘 本日分完売いたしました。 #BUCKTICK #BUCKTICK35th #TOUR2023異空」https://twitter.com/BUCKTICK_INFO/status/1650028859910422528
Jさん「大阪、ついにこの日がやって来た!!!!『声出し解禁ライヴ!!』嬉しいね。みんなでその瞬間を刻もう!いくぜ!!!!! #LIVE2023 #声出し解禁 #大阪 #いくぜ #wumf #J」https://twitter.com/J_wumf/status/1650029537709948928
首振りDollsさん「今夜20:00公開。 https://t.co/iWD0NqRYPy」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1650030127563276288
中島卓偉さん「森重樹一さん今年8月に還暦! ニューアルバム発売! 全力で応援! 応援しても応援しても応援したらない! 一度ファンになったら最期まで! I LOVE ZIGGY! #ZIGGY #森重樹一 #ROCKGUILD」https://twitter.com/takuinakajima/status/1650031323027996673
[email protected] grace periodさん「いよいよ今夜! バンバン、騒いで行くでーψ(`∇´)ψ みんなで楽しもう🤘 https://t.co/jaGsU6HXYz」https://twitter.com/eisuke_gp/status/1650036568336535554
恐さん「ハイハットプレートを P3000に シンバルを 二枚追加 スローンと スネアスタンドと シンバルスタンドを 組み合わせ オリジナルのスローンに まだパーツが全て 納品されていないですが 君が見てくれているので 僕でもここまでできました https://t.co/trPxKm9cZP」https://twitter.com/bpmkyou/status/1650037493193150467
H.U.Gさん「🫂H.U.G TOUR 2023 -LOVE THAT NEVER ENDS- チケット絶賛販売中! 👉https://t.co/4KnKXJ7a87 👉https://t.co/Feu77vIaX1 👉https://t.co/9fTOmpukvq 🎥First Showcase ONE-MAN Live アーカイブ配信 本日17:59までご購入可能! チケットは https://t.co/zAW4Jq0Pgy #HUG https://t.co/bBFMKPOiQJ」https://twitter.com/hug_official89/status/1650048469653139456
首振りDollsさん「【お知らせ】 先日の渋谷近未来会館でのライブ映像を、 20:00よりYou Tubeにてプレミア公開!! 開演に間に合う人は一緒に見よう! https://t.co/2y1Q4YJNSj」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1650051060487299073
nao 首振りDollsさん「え!!!」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1650058931753082882
HYDE CHANNELさん「アートの旅 #HYDE が「兄貴」と慕う #画狂人 #井上文太 の秘密のアトリエに訪問! #HYDEとドライブ #アート制作に挑戦 #一般公開していない初公開のアトリエ 【前編 4/30(日)20:00〜 | 2週連続放送】 https://t.co/MgWTwOTkk6 @HydeOfficial_ @BUNTAiNOUE @333888G #HYDECHANNEL https://t.co/h1akAKiOJw」https://twitter.com/HYDECHANNEL/status/1650061962615635968
Ryuichi Kawamura officialさん「『髭の写真は初かな?』 #アメブロ https://t.co/OwVb1tCaKC」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1650064645141700609
こもだまり|昭和精吾事務所さん「ACM:::ライブに来てくれた #S企画楽屋 組のしほちゃん! ステージから志保ちゃんが笑顔で見てくれてるの見えて嬉しかったー✨」https://twitter.com/mari_air/status/1650065206251515905
こもだまり|昭和精吾事務所さん「#S企画楽屋 組で、相棒の女優A役だっだ龍ともこさん! 本番直前に「あ…りょうちゃんはステージでダンサーとかなさるかただ…」と気づいてちょっと緊張感増しました(笑) ありがとー!」https://twitter.com/mari_air/status/1650065906339581953
ジョニーダイアモンド首振りDollsさん「!!!」https://twitter.com/Tracisixteen/status/1650066132152496128
ショーン・ホラーショー 首振りDollsさん「🥴」https://twitter.com/kubihuri_shawn/status/1650068529847369728
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「アメブロを投稿しました。 『おはよう❣️😂』 #アメブロ #ねこ#ネコ https://t.co/zXfig8f1gF」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1650068697657274368
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「◆2023/4/26(水の呼吸)_ネオ東京池袋手刀ドーム ◆「Solar Return Party 2023」 ◆出演(BIG 4);Panda Cake Horoscope./THE SOUND BEE HD/ラルン -LA LUNE-/gaizao ◆開門 18:31 / 開演 19:00◆前売おパー券 3,300円(+1d) / 当日おパー券 3,900円(+1d) ◎前売おパー券予約制;https://t.co/yC6RAj7442 https://t.co/vIdbJTyO8b」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1650069067586498560
Ryuichi Kawamura officialさん「1stありがとうございました🫶🏻 https://t.co/XawSVMhB5O」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1650069916081602560
Ryuichi Kawamura officialさん「a c🫶🏻Ross https://t.co/Xiwpgfyn4G」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1650074712868007936
タカツキさん「思ったより達成が早かったので一曲更に足しときました。 まずは20時お楽しみに!」https://twitter.com/attsu_of_death/status/1650073697301188608
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takuyasimosaka · 2 years ago
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diffusion 2023 1167×1167 拡散 #art #design #デザイン #アート #예술 #艺术 #絵描きさんと繋がりたい #instagram #instagood #下坂卓也 #TakuyaShimosaka #幻聴と闘う私 http://takuya-shimosaka.jp/ (Ōnojō) https://www.instagram.com/p/Cp6omi1P9ZT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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patsatshit · 1 year ago
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
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小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
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各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
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私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
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そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体���」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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shinayakani · 2 years ago
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230203 いつでも人民が欠けている
 先月は日本人の著者のものしか読んでいないようだが、ほとんどすべて、著者が異国の地に滞在した経験を基にして書かれたものだった。そのうちの一冊、大嶋仁『精神分析の都――ブエノス・アイレス幻視』には、80年代末の数年間に、当時精神分析のメッカだったブエノスアイレスで生活し、著者自身が長期にわたって専門家との分析を体験した模様が詳細に綴られている。大嶋が分析体験を通して得た、精神分析の効用だけでなくその限界や批判的な知見も書かれているから、ある意味では精神分析への特異な入門書として興味深いエッセイだ。ただそれ以上に、分析医と被分析経験者の数が世界的に最大だというブエノスアイレスに生きる人々の生態と、この都市で出会った匿名の哲学者集団や無名の画家たち、そして郊外で暮らす若者たちと著者が交わす会話のやり取りがいちいち魅力的に描かれている。
《ポルテーニョ〔ブエノス・アイレス市民、「港の民」の意〕は、単に文化的アイデンティティーの不明に悩んでいるだけではない。私に言わせれば、彼らの自己というものは膨張し過ぎていて、自分自身で容易にその正体がつかめないのである。我々の自己が社会の関数である限り、社会を離れた個人はあり得ない。その点、社会的絆の脆弱なブエノス・アイレスのようなところでは、自己はタガのはずれた浮遊物になりやすい。広い空間に勝手に投げ出され、勝手に振る舞う個人の群れ。いかにも自由に見えるが、個人としての限界あるいは境界線が見定まりがたく、自己が勝手に膨張し、容易に狂気に陥るのである。 〔…〕  自己が膨張し過ぎるとき、自己は外部世界に対して防御できない。核がなくなってしまい、いくつもの断片に分解してしまうのである。新大陸への移民は、故国の文化の幻影を断片的に引きずっており、同時に新天地に適応できずに、虚構の自己を捏造する。彼らの自己は最初から解体されていると言えよう。そのような自己は、時として言い知れぬ憂愁に見舞われずにいられない。その憂愁が、たとえば有名になった映画『タンゴ、ガルデルの亡霊(El exilio de Gardel)』に表現されているのである。  ソラナス(Solanas)監督の作であるこの映画は、軍事政権時代にパリに亡命したポルテーニョたちの自己解体の過程を描いたものだ。だが、この自己解体はドラマになり得ない。それというのも、登場人物一人一人の内部に解体があるように、彼らを結ぶはずの連帯もまた、解体しているからである。そのことを、登場するポルテーニョたちは体験的に知っている。そして、奇妙なことに、この連帯の欠如が、彼らを目に見えぬ糸で結びとめているのだ。》
 「難聴と記憶喪失」をわずらっているとも言われるこの都市では、《記憶が集団化されないといっても、幻想は集団化される》。そして、この幻想、社会的なものは悪であり、個人的なものは善であるという「アルゼンチン的共同幻想」の中で、《個人は一面できわめて大きな自由を享受するが、社会機能の極端な低下が個人の生の不安を増大させるので、結局一人一人の立場は悪くなってしまう》。この本はすでに30年以上前に書かれたものであるが、現在においては、引用した文章にある「ブエノス・アイレス」を別の都市や地域の名に置き換えてみても、特に違和感なく読める(もちろん、歴史的な背景とそれに連なる固有名詞の内実はそれぞれ全く異なるものだとしても)。ひとりひとりがひび割れ解体した内部を抱えていて、だからそんな人間たちに連帯などはなから望むべくもないだろう……それならば、皆がより大きなものに、一つのものに統合されてしかるべきだ……という、ともすれば反動的な言説に容易に導かれてしまいそうでもある。「社会」だって? しかし、引用文の最後にある《奇妙なことに、この連帯の欠如が、彼らを目に見えぬ糸で結びとめている》という言葉が示唆するものを、もっと突き詰めていくことはできないだろうか。
 精神分析の試みは、自身の内面における未知の領域(大嶋はたしか、この「無意識」の領域こそをそのまま「精神 Psyche」と呼んでいた)に潜り込み、 その核心に言葉をもって徐々に接近し迫ろうとする。その試みがネガティブなものにもなり得ることは、本書でも度々指摘されている。密室で行われる分析体験を通して、それこそ個人を内面の領域に閉じ込めてしまい、ますます外に向かう通路は塞がれてしまう、と分析を経験した多くの人々が言う。また、内部の未知の領域に向かうにしろ、既知の概念装置に自足してしまったら、いつまでもその牢獄の中に閉じ込められ、あとは内部を循環し続ける以外にないということか。しかし、未知の領域に潜り込み、その度につかみ取ってきた言葉が、個人の内面にのみかかわるものとは限らない。つまり、初めからばらばらに解体された自己が、最終的には何らかの統一されたイメージの片鱗を見出していくその過程で、形作られていくものは、ほんとうに(ただひとりの)私なのか。ドラマにはなり得ない、自己解体を抱えた人々と、欠落している連帯。一人の個人のひび割れた内面からかろうじて紡ぎ出された言葉は、同じように解体に曝されている他者たちにもどこかで秘かに通じている。何にせよ、言葉を紡ぎ出す端緒となるのは、解体された個人の内面の諸相と、「連帯」という言葉がイメージするものを問い直すことだろう。
《〔大嶋〕「そうかも知れない。……ポスト・モダニズムは脱歴史主義だけど、日本でポスト・モダンが受けるのも、もともと歴史を尊重する土壌がないからかも知れない。敗戦のことを終戦と言い換えたり、一事が万事、歴史の否認または忘却なんだ。あたかも何も起こらなかったかのごとく生きよ、然らずんば死ねってわけさ」
〔パブロ〕「なるほど、そうだったのか。そうやって毎日の生に死を調合しているわけですね。……それも分かるような気がするな。僕だって、歴史というものは重荷であるし、一種の虚構だと思っています。だけど、やっぱり過去を忘却のなかに葬り去るわけにはいかないんだ。したくても、そんなことできませんよ。もしそれが日本人にできるのなら、ある意味で幸せじゃありませんか」
〔フェルナンド〕「日本人が歴史を尊重していないってことは、子供時代が幸福だということを意味するではないんですか? 普通は、子供時代の心の傷が歴史意識の母胎になるわけでしょう? 子供時代が幸福だと、いつまでも夢見ることが可能だと、何かで読んだことがある」
〔大嶋〕「フェルナンド、君の言っていることは分かるけれど、問題は、幸福な子供時代が幸福な大人の生活を保証しないことだよ。とくに、現代の世界では、それが不可能に近いんだ。僕だって、歴史は近代西欧の神話には違いないと思うし、それぞれの民族は歴史について独自の態度決定をする権利があると思っている。でも、現実には世界の大勢というものがあって、それに対応しなくてはならないんだ。いつまでも、子供のように夢を見てはいられないんだよ」
〔パブロ〕「それはきついな。思想がモードとか商品とかになってしまうということは今の僕には堪えられないけど、歴史のイデオロギーは嘘ばかりで、これはもっと堪えられない。今あなたは世界の大勢と言ったけど、その大勢は誰がつくってるんですか? アメリカとか、先進国とか、ソビエトではないのですか?……僕は、人間は大人にならなくちゃいけないという考え自体に疑問を感ずる……」
 パブロの言う立場と私の立場は、見かけほど正反対ではない���うに思った。というより私自身が、時にパブロ的な立場に傾くことがあるのだ。それで、やっと次のように釈明した。
「この問題について、僕自身分からないんだ。今聞きながら思ったんだけど、僕は歴史とか近代化ということについて、アンビヴァレントな感情を持っているんだよ」
 今度は、フェルナンドからため息が漏れた。
「それにしても、何という違いだろう。思想を生活のなかでどう表現しようかと僕らは考えているのに、思想がモードとなって売れるなんて……。後進国の特権かな、僕らがいろいろなことをやっていられるのは」》
 著者とブエノスアイレス郊外の地方に暮らす二人の青年の会話。彼らはかつて都市で左翼運動に参加していたが、社会に向かって運動が掲げるイデオロギー的な要求と、自身の内面の欲求との乖離に気づき、都市から離れることにしたという。それからは田舎町で働き生活しながら、地元の人々と協力して図書館を運営したり、様々な文化事業を企画したりして、オルタナティブな運動の形を模索している。そんな彼らと交わす会話の中で、80年代末当時の日本の有り様を憂えている著者の指摘は、今となっては何度も繰り返されてきたありふれたものなのかもしれない(それだけ進展していないことも変わらない)。ただ、《思想を生活のなかでどう表現しようか》と模索している三人の言葉は、私にとっては新鮮に響くし、こんな会話を交わせること自体羨ましいとすら思ってしまう。当時青年だった彼らは、いまどこで何をしているのだろう。
 それにしても、現代のラテンアメリカは文化的なものだけでなくて、政治的・社会的な情勢(つねに巻き起こる無数の社会運動と、またそれらに対する悲惨なバックラッシュ)においても、その先端性はしばしば指摘されているけれど、まだまだ私は知らないことが多すぎる。この本で素描されて以降の、アルゼンチンをはじめとするラテンアメリカのダイナミックな社会運動の流れは、廣瀬純の『闘争のアサンブレア』に詳しいのだろう(こちらの方の書評が参考になる)。ここ数年の廣瀬さんは、ラテンアメリカ各地で沸き起こっているフェミニズム運動について報告し続けている。
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hangorin · 3 years ago
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なんと!2024年夏季五輪開催予定都市であるパリから、反オリンピック国際集会が呼びかけられています。
2019年7月に世界中の反五輪運動が東京に集結した国際連帯行動以来の重要なイベントになることは間違いないでしょう。
反五輪の会からの参加はコロナ状況を見極めて判断したいと思っていますが、ぜひ多くの人にこの集会の存在を知っていただければと思います。以下の呼びかけ文を読むだけでも、世界中でいかにオリンピックが人々の生活や環境を破壊し続けてきたのかよくわかります。
ご注目を!
反オリンピック国際集会 2022年5月21-22日にセーヌ=サン=ドニで会おう
ロンドンで私たちは、500名以上の入居者を抱えていた英国最大の特定目的住宅協同組合、クレイズレーン団地が破壊されるのを見た。そして、たくさんのジャガイモやアーティチョークやカリフラワーが植えられていたマナー市民菜園(Manor Garden Allotments)が破壊されるのも見た。
ソチで私たちは、ソチ国立公園の広大な土地が破壊されるのを見た。そこは手付かずの国有森林保護地区だったが、無人の地に新都市を建設するため開発された。
リオで私たちは、ヴィラ・アウトドロモが破壊されるのを見た。オリンピックパークの端っこに位置する、数十年の歴史を持つその漁村には800世帯が住んでいた。2016年までにリオで強制退去の憂き目にあった22,000世帯に、その800世帯は含まれている。また、私たちは、戦車がやって来てファベーラの公有地を簒奪するのを見た。自然保護区がゴルフコース建設のために売り飛ばされるのも見た。
ピョンチャンで私たちは、スキー場建設のために500年の歴史を持つ神聖なカリワン山の森林保護区域が破壊されるのを見た。
東京で私たちは、霞ヶ丘アパートが破壊されるのを見た。そのアパートは1964年の東京オリンピックの際に立退を強いられた住民の移転先となった公営住宅だった。
北京で私たちは、乾燥した山間部に人工雪を降らせるために貴重な水資源が奪われるのを見た。この地域に確立されたウィンタースポーツ産業は、将来にわたり資源を吸い尽くしていくだろう。
ミラノ・コルティナで私たちは、東アルプスが破壊されていくのを見ている。ユネスコ・ドロミテ財団が罪深くも沈黙を守っているのをよいことに、オリンピックが次第に環境破壊の機会となっている。
ロサンゼルスで私たちは、エコパークレイクの破壊をすでに見ている。この公園でテント生活をしていた200名もの人々が暴力的に排除され、公有地の囲い込みと軍事化が進行した。
そして、私たちは、ロサンゼルスに現存する数少ない黒人地区、イングルウッドが破壊されていくのを見ている。新しく建設されるスタジアムが家賃を高騰させ、地域経済を破壊し、環境汚染を撒き散らしている。
私たちは、オリンピック開催の旗の下、公共空間、緑地、住宅、コミュニティが破壊されるのを何度も見てきた。
これらの怒りをそれぞれの都市でおのおのが孤独に抱えておくにはあまりに荷が重すぎるので、世界中の仲間たちがパリにやってくる。私たちの中には家を失った人がいる。生活基盤、コミュニティ、権利を失った人もいる。私たちがパリに集まるのは、未来に向けて力を蓄えるため、それぞれの経験に耳を傾ける必要があるからだ。国際オリンピック委員会(IOC)とオリンピック推進派は、国境を越えて組織されている。連中を止めるには、私たちもそうする必要がある。こうした会議を実現させるために労力を費やすことで、私たちは明白なメッセージを送ることになる。私たちはこの闘争にコミットしており、運動に加わるあらゆる人と連帯している、と。私たちを局所の闘争に孤立させ、孤独な闘争へと私たちを閉じ込めようとするのは、資本家階級のお馴染みの手口だ。彼らにとって最大の脅威が、私たちが互いに力を合わせて闘うのを選ぶことであると、私たちは知っている。それぞれの都市においてだけでなくオリンピックそのものに有意義かつ力強い方法で抵抗する、いかなる戦争機械を私たちは作ることができるだろうか?
パリ五輪組織委員会はこう言っている。「われわれは過去大会の問題に気づいており、パリ大会はこれまでとは異なり、簡素化された控えめなモデルを提供します」。パリ市長はこう言っている。「より環境への配慮が行き届いた制度への移行をオリンピックは加速させます」。フランスでは少なからずの人がこうした言葉を鵜呑みにし、パリ2024は「史上最も環境に配慮した大会」になるだろうと信じた。このことは、少なくともある程度は、パリの人々がボストン、ハンブルグ、ブダペストで五輪招致を拒否した人々の後に続かなかったことの説明となっている。
しかし大会を2年後に控えた今日、こうした約束は維持不可能な幻想となった。
私たちは、ADEFという非営利団体がサン=トゥアン市で運営していた労働者向け住宅が、選手村のために破壊されるのを見た。現在のところ、全員が移民労働者である元入居者たちは狭い仮設住宅に押し込められ、次にどこに行くことができるかわからないままでいる。
私たちは、レール・デ・ヴァン公園が破壊されるのを見た。保護区域となっている生態的回廊の一部である県立公園に、「メディア村」建設のためコンクリートが流されるのである。その必要性にはIOCすらも疑問を挟んでいた。
私たちは、オーベルヴィリエの労働者菜園が破壊されるのを見た。ロンドンのマナー市民菜園同様、コンクリートの下に土壌が消えてしまうのだけど、それは大会に使用されることすらない「練習用」プールのためなのである。
タヴェルニーとサン=ルー=ラ=フォレでは、目下完璧に機能している二つのプールを取り壊してオリンピックサイズのプールが建設される。シャン・ド・マルス公園では、また別のオリンピック関連プロジェクト(グラン・パレ・エフェメール)のため緑地がコンクリートに変貌した。エランクールでは、マウンテンバイク競技のために木が伐採されることになっている。
私たちは認めなくてはならない。パリ五輪はこれまでと異なる五輪などではない、と。少数の人たちにとっての好機、市井の人たちにとっての災厄。利益の民営化、負債の国有化。近年の大会と比べれば、パリ五輪は範囲や規模においていくらか小さ��かも知れないが、オリンピックが開催地にもたらすものは何処も変わらない。
2022年5月21、22日に、パリ近郊で反五輪国際ウィークエンドが開かれる。イングランド、ロシア、ブラジル、日本、米国からの参加者が出席し、各自の視点と経験を共有する。土曜日(21日)にはパリ五輪に伴う都市「再生」プロジェクトの中心近くで集会が行われる。日曜日(22日)にはラ・クールヌーヴやオーベルヴィリエのオリンピック災害を被った土地を訪れ、共同で闘争の準備をする。この国際集会は、過去の経験から学ぶこと、そして何よりもこうしたオリンピック災害に抗って闘うことを望むあらゆる人に開かれている。
オリンピックを廃止するための戦いは無益である、と信じる人々がいることを私たちは知っている。昨年夏の「パンデミック・ゲーム[=東京五輪]」に対しては、日本人の8割が反対していたにもかかわらず強行開催され、その後日本では記録的な感染拡大が起こったのである。COVIDにすらオリンピックが止められないなら、誰に止めることができるだろう?
他にはこう考えている人々もいる。仮にオリンピックを止めたところで、もっと広範に及ぶ資本主義の構造は破壊をもたらし続ける、と。オリンピックは石油や銀行とは異なる。オリンピックの消滅だけではこの腐敗した世界秩序の中枢に打撃を与えることはない。
でも考えてみてほしい。直近の開催国のほとんどの人々に嫌われ、いかなる意味においてもエッセンシャルとは言えない運動会すらなくすことができないとしたら、どうやって石油や銀行のない世界を夢見ることができるだろう?
IOCは困難の中にある。日本人の8割が東京大会に反対する前、リオ大会ではブラジル人たちが路上に出て「排除のゲーム」を非難した。2013年以降、開催候補地が招致の是非を問う住民投票を行えば、答えはつねに「NO」である。IOCに10億ドル以上も払っているアメリカのテレビ局、NBCは視聴率急落のために東京大会の後で広告主に補償を行う羽目になった。
これは勝算のある闘いだ。開催を希望する都市がなくなればオリンピックは終わる。それが可能に思えるなら、このプロセスを加速させない理由があるだろうか? 私たちにはまだ、札幌やピレネー=バルセロナ(スペイン)を2030年冬季五輪から、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方を2034年冬季五輪から救うことができる。
5月に会おう。みなさんと会えるのを楽しみにしている。今後関連情報は以下で発信される:
ウェブサイト:https://saccage2024.noblogs.org/
SNS:@saccage2024 (Twitter: @2024saccage)
連絡先:[email protected](フランス語、英語に対応可能)
追伸:この集会には大量の英仏通訳ボランティアが必要とされる。お手伝いしてくれる方は、ぜひご一報を。
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myonbl · 3 years ago
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2022年5月29日(日)
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昨日から天気予報では、しきりに明日は暑くなるという。appleと<そら案内>では微妙にずれてはいるが、30℃を超えるのは間違いない。週間予報でも、当たり前のように30℃を超える予報が出ている。この分なら梅雨も盛夏も早まりそう、3年ぶりに神輿・山鉾巡行が再開される<祇園祭>への期待感が否が応でも高まろうというものだ。
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4時45分起床。
日誌書く。
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いつもは食後に珈琲をいれるのだが、今日は食中にいただくことにする。
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ツレアイは太鼓の練習で奈良へ、車で京都駅まで送る。ガレージに咲いている紫陽花、見事な色になった。
絶好の洗濯日和、布団カバー・シーツなどもふくめて洗濯機を3回回した。
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ランチ、息子たちにはレタス炒飯、私は冷蔵庫に残っていたカレー、これでご飯がきれいに片付いた。
ツレアイを京都駅まで迎えに行く、修学旅行のバスが多い。
明日はツレアイがT姉から頼まれたWeb講義、ZOOMでの発表練習をする。ところが、彼女の画面共有が上手くいかない。あれこれチェックした結果、MacBookAirでZOOMの機能制限がかかっていることが判明した。なるほど、先日のOSアップデートでデフォルトに戻ってしまったのだろう。システム環境設定を変更して、事なきを得た。
西大路七条まで買物、カボチャ・ジャガイモ・ナス・ピーマン、今夜は天ぷらにするのだ。
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昨晩の揚げ油をもう一度使用、決してきれいな揚げ方ではないが、ジャガイモと南瓜が美味しい。なすとピーマンは、衣をもう少し研究しなければいけない。
録画番組視聴。
サラメシ (6)「淡路島の鬼瓦工房▽林業目指し野外メシ!」
初回放送日: 2022年5月29日
瓦の産地、淡路島。鬼瓦職人は「鬼師」と呼ばれている。鬼師見習いの興津直子さんは先輩鬼師の元で技を磨く日々。工房の社長でもある夫とのランチはほぼ毎日うどん。手早く作ってサッと食べ修行の時間を捻出したいのだそう。鬼師たちのサラメシと見習いの奮闘をご紹介▽林業を志す若者たちが学ぶ岩手県の林業アカデミー。若者たちの研修活動の様子とサラメシをお任せ自撮り!極寒の森の中でのワイルドなランチタイムを拝見します!
刑事コロンボ (36)「魔術師の幻想」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。舞台での対決など名シーンが満載!コロンボは新品のコートで登場。ジャック・キャシディは3度目の犯人役に! 
 魔術師のサンティーニは、ナチ親衛隊員だった過去を魔術クラブのオーナーに知られ、金を支払わなければ証拠の手紙を移民局に送るとゆすられる。サンティーニは、水槽の中に沈められた鍵のかかった箱から脱出するというマジックの最中に抜け出し、オーナーを殺害。箱が開けられるころステージへ戻り、見事マジックは成功したのだが…
入浴・片付け、今週はほぼ同じ流れ、おかげで朝の血圧が安定している。
明日は内科受診、果たしてどうなるか。
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週末は無理しない、水分は1,800ml。
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