#丸い月になって 丘に潜ん��の
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alfaire · 2 years ago
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lilie-petal · 2 years ago
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丸い月になって 丘に潜んだの きらきら
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kachoushi · 1 year ago
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各地句会報
花鳥誌 令和5年12���号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年9月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
売られゆく親子達磨の秋思かな 三郎 初秋の六区へ向かふ荷風かな 佑天 浅草にもの食ふ匂ひして厄日 和子 秋の風六区をふけばあちやらかに 光子 蟬一つ堕つ混沌の日溜りに 昌文 中国語英語独逸語みな暑し 美紀 神谷バーにはバッカスとこほろぎと 順子
岡田順子選 特選句
ましら酒六区あたりで商はれ 久 レプリカのカレーライスの傾ぐ秋 緋路 鉄橋をごくゆつくりと赤とんぼ 小鳥 ぺらぺらの服をまとひて竜田姫 久 橋に立てば風に微量の秋の粒 緋路 秋江を並びてのぞく吾妻橋 久 提灯は秋暑に重く雷門 佑天 浅草の淡島さまへ菊灯し いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
さざなみの落暉の中の帰燕かな 睦子 流木を手に引き潮の夏終る 同 無干渉装ふ子等や生身魂 久美子 秋暑し右も左も行き止まり 愛 秋の虹までのバス来る五号線 同 バスを降りれば露草の街青し 同 投げやりな吹かれやうなり秋風鈴 美穂 先頭の提灯は兄地蔵盆 睦子 なりたしや銀河の恋の渡守 たかし 指で拭くグラスの紅や月の秋 久美子 くちびるに桃の確かさ恋微動 朝子 法師蟬死にゆく人へ仏吐く たかし 息づきを深め白露の香を聞く かおり 燕帰るサファイアの瞳を運ぶため 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月4日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
恐ろしき事をさらりと秋扇 雪 美しき古りし虹屋の秋扇 同 秋扇想ひ出重ね仕舞ひけり 千加江 秋扇静かに風を聞ゐてみる 同 鵙高音落暉の一乗谷の曼珠沙華 かづを 秋夕焼記憶に遠き戦の日 匠 補聴器にペン走る音聞く残暑 清女 夕闇の迫りし背戸の虫を聞く 笑 秋扇閉ぢて暫く想ふこと 泰俊 曼珠沙華情熱といふ花言葉 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月6日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
片足を隣郷に入れて溝浚へ 世詩明 野分中近松像の小さかり ただし 吹く風の中にかすかに匂ふ秋 洋子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月7日 うづら三���の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
何事も暑さの業と髪洗ふ 由季子 染みしわの深くなり行く残暑かな 都 膝抱き色なき風にゆだねたり 同 秋の灯を手元に引きてパズル解く 同 のど元へ水流し込む残暑かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
枯蟷螂武士の貌して句碑に沿ふ 三無 籠に挿す秋海棠の朱の寂し 百合子 一山の樹木呑み込み葛咲けり 三無 風少し碑文を撫でて涼新た 百合子 守り継ぐ媼味見の梨を剥く 多美女 葛覆ふ風筋さへも閉ぢ込めて 百合子 かぶりつく梨の滴り落ちにけり 和代 秋雨の音の静かに句碑包む 秋尚 梨剥いて母看取り居ゐる弟と 百合子 たわわなる桐の実背ナに陽子墓所 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
登り来て峙つ霧を見渡せり エイ子 太鼓岩霧に包まれ夫と待ち のりこ 秋茄子の天麩羅旨し一周忌 エイ子 秋茄子の紺きっぱりと水弾き 三無 散歩道貰ふ秋茄子日の温み 怜 朝の日の磨き上げたる秋茄子 秋尚 山の端は未だ日の色や夕月夜 怜 砂浜に人声のあり夕月夜 和魚 四百段上る里宮霧晴るる 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
星月夜庭石いまだ陽の温み 時江 サングラス危険な香り放ちけり 昭子 団子虫触れれば丸く菊日和 三四郎 羅の服に真珠の首飾り 世詩明 無花果や授乳の胸に安らぐ児 みす枝 蜩に戸を開け放つ厨窓 時江 秋立つやこおろぎ橋の下駄の音 ただし 曼珠沙華好きも嫌ひも女偏 みす枝 長き夜を会話の出来ぬ犬と居て 英美子 妹に母をとられて猫じやらし 昭子 長き夜や夫とは別の灯をともす 信子 蝗とり犇めく袋なだめつつ 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
鳳仙花見知らぬ人の住む生家 令子 秋の灯や活字を追ひし二十二時 裕子 露草の青靴下に散らしたる 紀子 父からの裾分け貰ふ芋の秋 裕子 かなかなや女人高野の深きより みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月12日 萩花鳥会
秋の旅ぶんぶく茶􄽂の茂林寺に 祐子 胡弓弾くおわら地唄の風の盆 健雄 大木の陰に潜むや秋の風 俊文 月今宵窓辺で人生思ひけり ゆかり 天に月地に花南瓜一ついろ 恒雄 月白や山頂二基のテレビ塔 美恵子
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令和5年9月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
蜩や五百羅漢の声明に 宇太郎 我が庭は露草の原湖の底 佐代子 水晶体濁りし吾に水澄める 美智子 手作りの数珠で拜む地蔵盆 すみ子 蝗追ふ戦終りし練兵場 同 病院を抜け出し父の鯊釣りに 栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月15日 さきたま花鳥句会
虫しぐれ東郷艦の砲弾碑 月惑 熱帯夜北斗の杓の宵涼み 八草 兵の斃れし丘や萩の月 裕章 夕刊の行間うめる残暑かな 紀花 校庭に声もどりをりカンナ燃ゆ 孝江 八十路にもやる事数多天高し ふゆ子 子供らの去り噴水の音もどる ふじ穂 杉襖霧襖越え修験道 とし江 耳底に浸みる二胡の音秋めけり 康子 敬老日いよよ糠漬け旨くなり 恵美子 重陽の花の迎へる夜話の客 みのり 新涼の風に目覚める日の出五時 彩香 鵙鳴けり先立ちし子の箸茶碗 良江
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令和5年9月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
昼の星遺跡の森を抜けて来て 久子 曼珠沙華もの思ふ翳ありにけり 三無 いにしへの子らも吹かれし秋の風 軽象 明け六つの鯨音とよむ芒原 幸風 秋の蟬さらにはるけき声重ね 千種
栗林圭魚選 特選句
朝涼の白樫の森香の甘し 三無 莟まだ多きを高く藤袴 秋尚 艶艶と店先飾る笊の栗 れい 榛の木の根方に抱かれ曼珠沙華 久子 揉みし葉のはつかの香り秋涼し 秋尚 風に揺れなぞへ彩る女郎花 幸風 秋海棠群がるところ風の道 要 秋の蟬さらにはるけき声重ね 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
江戸生れ浅草育ち柏翠忌 世詩明 神谷バーもつと聞きたし柏翠忌 令子 柏翠忌句会横目に女車夫 同 旅立たれはやも四年となる秋に 淳子 桐一葉大きく落ちて柏翠忌 笑子 虹屋へと秋潮うねる柏翠忌 同 言霊をマイクの前に柏翠忌 隆司 若き日のバイク姿の柏翠忌 同 一絵巻ひもとく如く柏翠忌 雪 柏翠忌旅に仰ぎし虹いくつ 同 柏翠忌虹物語り常しなへ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年9月24日 月例句会 坊城俊樹選 特選句
秋天を統ぶ徳川の男松 昌文 秋の水濁して太る神の鯉 要 眼裏の兄の口元吾亦紅 昌文 秋冷の隅に影おく能楽堂 政江 群るるほど禁裏きはむる曼珠沙華 順子
岡田順子選 特選句
身のどこか疵を榠櫨��肥りゆく 昌文 カルメンのルージュみたいなカンナの緋 俊樹 口開けは青まはし勝つ相撲かな 佑天 光分け小鳥来る朝武道館 て津子 蓮の実の飛んで日の丸翩翻と 要
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月2日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
炎天下被るものなき墓の石 世詩明 夫恋ひの白扇簞笥に古り 清女 野ざらしの地蔵の頭蟬の殻 ただし 一瞬の大シャンデリア大花火 洋子 三階は風千両の涼しさよ 同 素粒子の飛び交ふ宇宙天の川 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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kobayashimasahide · 4 years ago
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あけましておめでとうございます
              令和三年元旦
牛の仮面   2005年5月7日  88 (h.) × 37 (w.) × 25 (d.) cm  2.8 kg    ・オートバイの二人乗り用掴みベルト付き座席    (合成皮革/スポンジ状ポリウレタン/プラスチック/鉄)  ・オートバイのブレーキ/クラッチ・レバー (アルミ)  ・  〃     バック・ミラー (鏡/鉄/プラスチック)  ・  〃     後輪泥除け (プラスチック)  ・ボルト・ナット等 (鉄)
Happy New Year !     January 1, 2021
Cow Mask  5/7/2005   88 (h.) × 37 (w.) × 25 (d.) cm  2.8 kg ・Tandem Seat with Grip Belt of Motorcycle   (Synthetic Leather, Polyurethane Foam, Plastics, Iron) ・Brake/Clutch Lever of Motorcycle (Aluminum) ・Rearview Mirror of Motorcycle (Mirror, Iron, Plastics) ・Rea Fender of Motorcycle (Plastics) ・Bolt and Nut etc. (Iron)
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 1943年の早春のある日のこと、ピカソはドイツ軍占領下のパリの街を歩いて家に帰る途中、道端にゴチャ混ぜになって積み上げられていた廃品の山の中に、錆びた自転車のハンドルと、その直ぐ横に転がる革のサドルを見つけました。その瞬間、その二つは電��のように閃いて頭の中で組み合わさり、それを家に持ち帰って接合し (後にそれを型取り・ブロンズ鋳造する)、この彫刻史に燦然と輝く––––錆びてますが (笑) ––––<牡牛の頭部>(1) を造ったのでした。
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(1)-1  ピカソ <牡牛の頭部> 1943
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(1)-2  自転車のハンドル (金属) とサドル (革) 正面下から見上げた
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(1)-3  ブロンズ鋳造
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(1)-4  少し左から見上げた 
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(1)-5  少し右から
 これこそが、私がこれまでに何度か述べてきた (2)「チャンス・イメージ」––––この場合はサドルが牛の顔に/ハンドルが角に似ているという「私たちの記憶像 (この場合は牛の) を喚起する偶然の類似形」––––と、その記憶像を、今度は逆にその類似形の上に脳内で重ね合わせる「プロジェクション (投映)」とが、一瞬で双方向に交差した典型的な例なのです。  これは、視覚/認知心理学や脳科学の分野では––––「シミュラクラ (あるものが顔に見える) ⊂ パレイドリア (あるものが何かに見える)」––––と称ばれている現象です。  そして、こうした視覚心理現象に基づく造形手法が––––「レディ・メイド (既成の物) 」としての「ファウンド・オブジェクト (今まで気にも留めなかった物が新たに見直される、そのようにして改めて見出された/発見された物体) 」の「アッサンブラージュ (寄せ集め/組み合わせ)」––––で、ピカソのこの<牡牛の頭部>は、まさにその栄えある先駆/嚆矢/原点でもあります。
 尤も、この視覚心理現象+造形手法と牛との最初の出会いは、実はピカソの遥か以前の1万8千〜1万年前に、既に始まっていたのでした。しかもその場所は、ピカソの故国スペインの––––それも彼が10歳から14歳まで暮らしたスペイン北部の町ラ・コルーニャのあるガリシア州から東に二つ隣のカン���ブリア州の––––アルタミラ洞窟なのです。  「徐々に土中に向かって傾斜している」この洞窟の「すべての劇的なアクセントはただ一カ所––––大きな部屋の天井––––に集中されてい」て、「この天井の高さは…約2m から1m まで…奥にゆくにつれて徐々に低くなっている」とギーディオン(3) が書くその部屋を、ヒキ (引き) で撮った写真が (4)-1 で、ヨリ (寄り) で天井を撮った写真が (4)-2 です。
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(4)-1  アルタミラ洞窟 大きな部屋 全景 (白黒)
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(4)-2  大きな部屋 天井部分 (白黒)
 最初に敢えて古い横からの照明の白黒写真をお示ししたのは、私たちがそれを見る限りは只のデコボコと波打つ天井にしか見えないからです。しかし、これを旧石器時代末期のマドレーヌ人が見た時––––私たちには見えないのだけれど、彼らが常日ごろ見慣れ、或いは見たいと切望していた (からこそ見ることのできた)––––体を丸めて地面に横たわり出産しようとしている (食料とその安定供給をもたらす) 無数の雌の野牛の群れを見出したのです。  そして、その岩のレリーフ (浮き彫り) 状に膨らんだ凸塊に、鉄錆=酸化鉄系の赤い土 (性顔料) を塗ったり吹き付けたりして白っぽい素地から形を浮かび上がらせ、更に、形の内外を画す輪郭と、欠けていて足りない尻尾や角や背中のタテガミを形の外側に、また、折り曲げた前・後脚を形の内側に、いずれも黒い炭などの顔料で描き足して全体を完成させたのです (4)-3, 4, 5 。
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(4)-3  大きな部屋 天井部分 (カラー)
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(4)-4  上の (4)-3 の上中央の野牛 正面正対 (白黒)
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(4)-5  上の (4)-4 の野牛とその周辺 (カラー)
 ギーディオンは、こうした表現––––つまり「チャンス・イメージ ⇄ プロジェクション」/「シミュラクラ ⊂ パレイドリア」/「レディメイドとしてのファウンド・オブジェクトのアッサンブラージュ」––––を、彼の言い方で次のように記しています。    「実在する自然石の形をそのまま用い…, 岩の自然の形状のうちに潜在している動物…を識別する…循環現象により…作られ… (中略) …, 自然…すなわち岩盤の線と輪郭に従うことによって, 発生したのである.」(pp.371-372)  「マドレーヌ人の目には, 岩の表面が内面に動物の形を含んでいるようにみえ…またそういうことに…かれらはいつも気を配っていた.」(p.394)  「この動物の姿勢全体は岩の形によって決められた. …天井の表面の凹凸がこのような姿を暗示させたのである….」(p.427)  「横たわるビゾン  この身体をまるめた…ビゾンは倒れているのではなく, たぶん分娩しているのであろう…. この姿は完全に隆起した岩の形によってきめられている. 露出した岩石にたまたま眠っている生命を認め, それに形式をあたえる…マドレーヌの美術家たちの力のあらわれがある. われわれの目には, 色彩のない突起はたんに無定形の岩のこぶにすぎない. しかしマドレーヌ人はそれらをまったく違った感覚でうけとめた. …かれらは自然に存在している形に想像的に接近し…たのである.」(pp.427-428)  「岩の中にすでに存在した姿が…空想を産んだのである.」(p.489)
 このマドレーヌ期から1〜2万年後に形を変えて繰り返されたピカソと牛 との出会いは、子どもの頃に父に連れられて見に行き、すっかり魅せられて虜になってしまった闘牛 (コリーダ) から始まります。須藤哲生は『ピカソと闘牛』の中で次のように書いています。  「ピカソの芸術は闘牛とともにはじまった。現在までに確認されている最も初期の作品は、油彩にせよ、素描にせよ、コリーダを主題としている。……デッサン第一号も…『コリーダと六羽の鳩の習作』…で…、これをピカソの最も古い作品という説もあり、…十歳前後のデッサンであろう。……一枚の画用紙を天地に使って闘牛のシーンと鳩を描いたもので、……きわめて象徴的な意味合いを帯びている。闘牛と鳩。血なまぐさい闘技と平和のシンボル。まさに天と地の違いの、この二つのおよそ対蹠的なテーマは、ともに終生ピカソの芸術を貫いた主題であった。」(5)
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(6)  ピカソ <闘牛と鳩> 紙に鉛筆 1890 
 実際、この<コリーダと六羽の鳩の習作>(6) 以降、この牛は、ある時は牛頭人身の<ミノタウロス>(1933~)(7) となり、またある時
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(7)  ピカソ <ミノタウロス> 1933
はファシズムと母国スペインという相反両義の象徴となって<ゲルニカ>(1937)(8) の死児を抱いて泣き叫ぶ母の背後に佇み、また、ド
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(8) ピカソ <ゲルニカ> 1937
イツ占領下のパリではナチスの鍵十字ともキリストの十字架とも取れる両義的な窓枠の前に置かれた頭蓋骨––––<雄牛の頭蓋骨のある静物>(1942)(9) ––––となり、そして、この翌年の<牡牛の頭部>(1943) へと変身し続けて行くのです。
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(9)  ピカソ <雄牛の頭蓋骨のある静物> 1942
 私は拙作の題名を「頭部」ではなく顔面としての「仮面」にしましたが、ピカソの<牡牛の頭部>も––––特に型押し成形の革のサドル(10) の凸面は––––仮面的であり、彼が若き日のキュビスム時代に多大な示唆を得たアフリカの仮面彫刻を彷彿とさせます。このキュビスム/仮面性は、例えば戦後すぐに制作したリトグラフの連作––––モンドリアンの樹木を抽象化して行く過程を辿る連作にも似た––––<雄牛 I~XI>(1945~46)(11-1) の内の VI (11-2), VII, X にも窺えます。
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(11-1) ピカソ <雄牛 I~XI>(1945~46) リトグラフ
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(11-2) ピカソ <雄牛 VI> 12/26/1945  リトグラフ
 かくいう拙作も、当然ながらアフリカの仮面を意識的/無意識的に思い浮かべて––––尤も、牛とは限定せずに漠然と動物らしきものをイメージして––––造ったものですが、改めてウェブ上で拙作に似た––––細面の「馬面」で、真っ直ぐな角の––––牛の仮面を探してみると、牛は牛でも野牛/水牛 (Buffalo / Bush Cow) の仮面とされる (しかし実際の野牛/水牛とは一寸違うように見える) 幾つかの仮面の中に、似ているもの (12)-1, -2 がありました。
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(12)-1  野牛のマスク (マリ共和国-ソニンケ文化)
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(12)-2   水牛の仮面 (カメルーン共和国-バミレケ/バムン文化)
 なお、この未発表の旧作には「サトコ」(聡子)という名前が付いています。彼女は私が卒業研究 (作品制作) を指導した学生の一人で、このバイク・シートは、彼女が素材として集めたものですが、「これ、横のベルトの留め金具が目みたいで、動物の顔に見えるなぁ」と呟いた私に、卒業する時、「先生、どうぞ」と言って置き土産にしていったものです (彼女は卒業後、家具職人の修行をしにドイツに渡りました)。  当時、大学の直ぐ南隣の丘の斜面に、若者たちがやっているバイクの解体作業場があって、ジャンク・ヤードさながらに部品やら何やらが散乱していて、私のようなジャンク・アーティストにとっては、そこは宝の山でした。この仮面の耳と角 (ツノ) に見立てたバック・ミラーとブレーキ/クラッチ・レバーは、そこで見つけた物 (字義通りのファウンド・オブジェクト) です。  仮面と言っても、これは顔面に装着するコンセプトではない (そもそも重くて無理な) のですが、最後に、楽屋裏をお見せすると (下の写真) ––––色や形が肉を削いだ牛骨のようで、一寸グロいので御注意下さい!––––ご覧の通り、この耳も角も、極く普通の金具を使って、極く荒/粗っぽい、単純な取り付け方をしております。
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[註]
(1)-1   via [https://www.slideshare.net/nichsara/sculpture-upload––No.22]。 (1)-2   via [https://www.pablopicasso.org/bull-head.jsp]。アトリエを訪れた写真家のブラッサイに、作品の制作過程を語ったピカソの言葉が、末尾に引用されています。  なお、この作品の制作年に関しては、ニューヨーク近代美術館–ウィリアム・ルービン編集、日本語版監修-山田智三郎・瀬木慎一『パブロ・ピカソ–––天才の生涯と芸術』(旺文社, 1981, pp.351-352) のジェーン・フリューゲルによる年譜に従いました。 (1)-3   via [https://www.moma.org/audio/playlist/19/412]。鼻梁に沿って空いているはずの二つの鋲穴が塞がっているので、ブロンズ鋳造と分かります。 (1)-4   via [lezards-plastiques.blogspot.com/2010/09/sixieme-personnages-et-animaux-de-bric.html]。 (1)-5   via [sakainaoki.blogspot.com/2014/02/1942.html]。 (2)    例えば [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/189982445375/happy-new-year-january-1-2020-clockey] の [註]。 (3)    S. ギーディオン著、江上波夫・木村重信訳『永遠の現在–––美術の起源』(東京大学出版会, 1968, p.420)。 (4)-1    via [https://fascinatingspain.com/place-to-visit/what-to-see-in-cantabria/altamira-caves/#1505145409627-b0f76054-69219231-ea60]。 (4)-2   ギーディオン、前掲書 p.423-pl.「280. アルタミーラ 嶮しく傾斜する��井. 前面に多彩のビゾンが岩の隆起の上に描かれている.」の複写。 (4)-3    via [http://www.tsimpkins.com/2017/10/echoes-of-atlantis-by-david-s-brody.html]。  (4)-4   ギーディオン、前掲書 p266-Color pl. XIV. の白黒複写。 (4)-5    via [https://100swallows.wordpress.com/2008/10/11/art-in-the-great-altamira-cave/]。 (5)    須藤哲生『ピカソと闘牛』(水声社, 2004, pp.26~29)。因みに、平和の鳩に関しては、拙稿 [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/155212719705/happy-new-year-2017-dove-of-peace-masahide] で、作品の画像を一つ引用しています。 (6)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-3936.php]。 (7)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-1088.php]。この頭部は、次の (8) の戦時中の頭蓋骨を予感させます。  ところで、この牛頭人身のミノタウロス (Minotauros) とは、クレタ島の王ミノス (Minos) の妃が牡牛 (taur) と交わって生んだ息子ゆえに付けられた名前ですが、ミノス王自身もまた、ヨーロッパの語源となったフェニキアの王女エウロペが牡牛に変身したゼウス神と交わって生んだ半神半人の息子です。そのクレタのクノッソス宮殿には、突進してくる牛の二本の角を掴み、牛の背中の上で前方宙返りをし、牛の背後に着地する一種の闘牛的「牡牛跳びの儀式/競技 」を描いた壁画が残されています。ことほどさように、東地中海地域では、牛と人間との間には古く (ギリシャ以前のミノア文明の時代) から、深い関係がありました。
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<牡牛跳びの儀式/競技 > クレタ  クノッソス宮殿壁画   via [http://arthistoryresources.net/greek-art-archaeology-2016/minoan-bull-jumping.html]
 ピカソはスペインで生まれてフランスで暮らしましたが、先の (3)〜(4) のアルタミラのあるカンタブリア州から更に東に進むと、フランスとの国境を成すピレネー山脈があり、その北側から南フランスへと流れ出すガロンヌ川の源流域にも、沢山の旧石器時代壁画を有する洞窟群が展開しています (この西仏双方を合わせて「フランコ・カンタブリア地方/美術」と呼んでいます)。そのガロンヌ川源流域のレ・トゥロワ・フレール洞窟に、1m と隔てぬ近い距離で、このミノタウロスを思わせる二体の牛頭人身像––––「楽器を奏でるビゾン人間」と「人間の膝…ふくらはぎ…勃起���…た男根……をもつ野牛的動物」(前掲 (3) のギーディオン pp.499-507)––––が描かれているのです。
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<楽器を奏でるビゾン人間> ブルイユによるレ・トゥロワ・フレール洞窟壁画のトレース画 via [https://www.larevuedesressources.org/les-reponses-erotiques-de-l-art-prehistorique-un-eclairage-bataillien,605.html]
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<人間の下半身を持つ野牛的動物> ブルイユによるレ・トゥロワ・フレール洞窟壁画のトレース画   via [http://reportages.saint-pompon.com/reportages2/04e7589d8909f0601.php]
 このように、フランスと東地中海も含む南ヨーロッパ美術史における牛と人間との��係は、旧石器時代の昔から今日まで極めて深いものがあり、���をモチーフやテーマにしたピカソも、単にその一例に過ぎないと言えるのかもしれません。  (8)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-170.php]。 (9)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-195.php]。 (10)   私もピカソへのオマージュとして、自転車のサドル (但し革ではなくプレス成形鉄板) を顔/頭にした (牛ではなくて) アルマジロを造っています ([http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/1916/1/Vol63p77.pdf -pp.94-95])。 (11)-1  via [https://pintura1krasmanski.blogspot.com/p/material-de-consulta.html?m=1––pl.2]。 (11)-2  via [https://artyfactory.com/art_appreciation/animals_in_art/pablo_picasso.htm––pl.6]。 (12)-1  via [https://www.azalai-japon.com/bois/masque/2298-08.html]。 (12)-2  via [https://www.auctionzip.com/auction-lot/Bamileke-Bamun-Bush-Cow-Mask-Cameroon-Grasslands_4A54B5983D]。
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heyheyattamriel · 5 years ago
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エドワード王 二巻
昔日の王の一代記、二巻
ファーストホールドでの再会
エドワードは赤い空に目を覚ましました。太陽は西の山々に上ったばかりです。彼らは各面が炎に輝く塔のすぐそばに来ていました。ドラゴンは急に方向を変えて近くに飛び、炎の長い息を吐き出しました。彼らが突然高度を下げると、塔の頂上で何度か光が点滅しました。エドワードのお腹はとても変な感じでした。彼はため息をついて身体を動かすと、モラーリンが右手でエドワードを抱けるように体をずらしました。彼は身体を伸ばしてあくびをしました。
「もうすぐだ。クリスタルタワーからファーストホールドまでは馬で数日だが、アカトシュは1時間以内に連れて行ってくれると思う」
「塔には寄らないの?アイリック―」
「軽々しくその名前を使うんじゃない。私にさえもだ。アーチマジスターは向こう何日かは戻らない。ユニコーンは風の兄弟分で、同じぐらい早く旅をする。荷物があってもな。だが、ドラゴンが飛ぶほどじゃない。エルフの故郷がドラゴンの帰還の始まりを迎えているのがわかるだろう。人類の幸運を祈るんだな」
エドワードの視線は深い森の中と、無骨な丘をさまよいました。人のいる印は見えませんでした。「きれいだね」彼は謙虚に言いました。「でもハイロックほどじゃないや」忠誠心からそう付け加えましたし、それは事実でした。「街も、村も農場もないの?」
「ファーストボーンは森の奥深くに住まっている。彼らは大地を引き裂かないし、新しく植えもしない。だがオーリエルが差し出すものは喜んで受け取る…そしてお返しをする。ああ、成長するものの青臭いにおいだ」
確かに、その��気はエドワードが父のカップからすすったことがあるワインと同じような感じがしました…「お腹空いた」
「そうだと思った」少し体を動かし、モラーリンの左手が小さな葉っぱの包みを取り出しました。浅黒い手は大きくて力強く、人にも動物にも見えませんでした。エドワードは嫌悪しながらその手を見つめ、やがてその手に触れないように極めて慎重に包みを取りました。モラーリンが身体を強張らせるのがわかり、エドワードを抱く手が少しその力を弱めました。エドワードは自分の行動を恥ずかしく感じました。この状況で気を悪くさせるのは、親切でも賢明でもありませんでした。モラーリンは簡単に彼を落とすことができるのです。「僕お風呂に入りたいけど、君もだよね」彼はぎこちなく言いました。モラーリンがわざと彼の反応を誤解してくれたことを、エドワードは知っていました。「ああ、私はとても汚れている」エドワードがケーキをかじると、それは見た目よりずっとおいしいことを証明しました。「母さまはそんな風に僕を見ていたよ―少なくとも、そうだった。でも多分、僕はまずお風呂に入るべきだよね?」
「お前はその選択の必要はないと思うが。ああ、やっとだ!」ドラゴンはその翼を広げて空に舞い上がり、巨大な炎の固まりを吐き出すと、広い空き地に降り立ちました。着陸は急角度で、大きな衝撃がありました。エルフたちが急に現れて、彼と、やっと目を覚まして半狂乱でぐるぐる走り回り、エドワードの足元で喘ぐシャグに腕を伸ばしました。
銅の色の炎のような髪をした背の高いエルフが、礼儀正しく彼らに挨拶しました。「ご機嫌麗しゅう、我が王よ。ご婦人がお待ちかねです。エドワード王子、ファーストボーンの地へようこそおいでくださいました。我が民に成り代わり、歓迎申し上げます。ここでのご滞在が心地よく、実りあるものでありますように」
モラーリンは恭しく頷きました。「ありがとう。わが女王は十二分にお待ちになった。すぐにお目にかかろう」エドワードの肩に置いたモラーリンの手が、彼を見たこともないほど大きな木に導きました。その幹は空洞で、中に入ると上に導かれました。開口部にはさらに階段があり、丈夫な枝に橋が架かっています。彼らは大きなひさしがついた、部屋のように椅子とチェストがしつらえられた台に着くまで、それに沿って前に進みました。金色の肌の女性が彼らに微笑みかけ、手招きをして立ち去りました。背が高くほっそりした、蒼白い肌の黒い髪の人間の女性が彼らに歩み寄りました。彼女の眼はエドワードを捉えていました。エドワードだけを。
「どうしていなくなっちゃったの!」その叫び声は彼の深いところから現れ、彼の全身に響き渡りました。その声は彼の数歩手前で彼女を立ち止まらせました。今度は彼女の目がモラーリンを見上げました。彼はエドワードが聞いたことのないような厳しい調子で言いました。「お母様に敬意を持ってお話をなさい、無作法な子だ!」その瞳の一瞥の衝撃で、彼の目に水が溜まりました。
アリエラは素早く彼に近寄り、両手を彼の胸に置きました。「おかえりなさい、旦那様。あなたと息子を無事に私の下に連れてきてくださったノトルゴを称えましょう」
「竜たちの盟主と盗賊さんにも感謝いたしますわ。彼らなしでは私のぼうやをあれ以上きれいに連れてくることはできませんでした。アーチマジスターもうまくことを運んでくださったのね」モラーリンの浅黒い手がそっと優しく彼女の腕に置かれました。彼は落ち着いて幸福そうに笑いました。でも、彼の胸に置かれた両手は、彼を労わるようでもあり、障壁を作っているようでもありました。
「私は本当に恵まれているわ。でも、息子と話すのは久しぶりなのです。二人だけなら、もっと話がしやすいかもしれません」
モラーリンの笑顔がさっと消えました。「3人でいるより2人の方が言葉が見つけやすいと?まあ、そうかもしれないね。時にはね、奥さん」彼は踵を返して去って行きました。橋が揺れて軋みましたが、彼の足は少しも足音を立てませんでした。
アリエラは彼の背中を見ていましたが、彼は振り向きませんでした。エドワードは、また彼の敵に苦痛を与えたことで、好奇心と満足感と後悔が混ざったような気持がしました。「エドワード、私の坊や。ここにきて座ってちょうだい」
エドワードはその場に立っていました。「お母さま、僕は何年も待って、答えを求めて何リーグも旅をしました。僕はもう待ちません。一歩だって動きません」
「何と言われていたの?」
「父が客の名誉を信頼しながら夜眠っている間に、魔法の助力を得て最も卑劣な方法で誘拐されたと」
「お父さまがそう言ったのね。モラーリンは?」
「完全に自分の意思で来たと言いました。あなたの言葉で聞きたいのです」
「私がなぜあなたのお父さまの下を去ったか、どうしてあなたを連れて行かなかったのか、どちらが聞きたいですか」
エドワードは間を置いて考えました。「母上、僕は本当のことが聞きたいんです。ですから、僕は本当のことを知らされなければいけません。あなたが僕を置き去りにしたことを。もう一つの方は、僕は知っていると思います。あなたがそれ以上に、またはほかに話したいと願わない限り、僕はわかっているだろうし、わかると思います」
「真実ですか?真実とは、それを理解している者から独立して存在するたった一つのものではありませんよ。でも、あなたに私の真実を話しましょう。そうすればきっと、あなたは自分の真実にたどり着くでしょう」
アリエラは静かにクッションのおかれた椅子に歩いて戻り、姿勢を正しました。ルビーの色をした小鳥がすぐそばの小枝に停まって、彼女の穏やかな声に伴奏をつけました。
「私の両親が私の結婚を故郷の習慣通りに決めてしまったのです。私はコーサイアを愛していませんでしたが、初めは彼を尊敬していましたし、良い妻でいようと努めました。彼は私を気にかけもしなければ、世話もしてくれませんでした。ですから、彼は私の尊敬を失い、手をかけてもらえない植物が枯れていくように、私は毎日少しずつ死んでいたのです。あなたといる時だけが私の幸福でしたが、コーサイアは私があなたを軟弱にすると考えました。『女みたいに』と彼は言いましたわ。そうして、あなたの3回目の誕生日のあと、私は毎日たった1時間だけ、あなたと過ごすことが許されました。あなたの泣き声を聞きながら、何も考えられずに座って泣いていました。ようやくあなたが泣き止んで私を求めると、私の心は空っぽになりました。私は護衛を一人か二人しか付けずに、長い時間一人で散歩をして、馬に乗るのが癖になりました。そんな時、モラーリンがやってきたのです。彼はロスガー山脈にある黒檀の鉱山を欲しがっていました。彼が使いたがっていた土地は、私の持参金の一部でした。彼は私たちの民に彼の技を喜んで教えてくれましたし、ダークエルフが作った武器を差し出してさえくれました。そのお礼に、私たちの民はゴブリンを遠ざける彼の手助けをして、ハイロックに彼の民の植民地を作ることを許したのです。コーサイアは土地には興味がありませんでしたし、本当に武器をとても必要としていました―最上のものでしたからね―ですから、彼はその申し入れを喜んだのです。話し合い、決めるべきたくさんの細かい事柄があって、その交渉への干渉が私にも降りかかりました。コーサイアはダークエルフを嫌っていましたし、タムリエルで最も優れた戦士として既に名声を得ていたモラーリンに嫉妬していたのです。
「でも、モラーリンは熟練の戦士以上の人でした。彼は読書家で、太陽の下にあるものすべてに興味を持っています。ヤー・フリーとジム・セイから教えを受けたように歌い、演奏することもできました。彼は、私が夢でしか会えないと思っていた、それ以上のお相手でした…誓いますわ。私たちは二人とも外にいるのが好きで、話し合いは乗馬と散歩の間でしたが、いつも彼の部下とコーサイアの部下が一緒でした。すべてが整った時、コーサイアは条約を祝って大きな宴会を開きました。ハイロックのすべての貴族がやってきて、他の地域からもたくさんの人たちが訪れました。最後に、酔っぱらったコーサイアが血でなければ洗い流せないような侮辱の言葉を漏らしました。私は他の貴婦人たちととっくに席を立っていましたから、それが何だったのかは知りません。でも、私はコーサイアがそのような言葉をため込んでいることを知る程度には、個人的に充分聞いてきました。モラーリンは決闘を申し込み、それまでに彼がウィットを取り戻すかもしれないと、コーサイアに昼までの猶予を与えました。
「そ��てモラーリンが独りで私の部屋に来て、何が起きたかを話してくれました。『奥様、彼はあなたの弟君を決闘相手に選ぶだろうと思います。いずれにせよ、もう二度と関わることのできない血の河が、私たちの間に流れるでしょう。私はあなたの愛なしで生きていくことはできます。だが、あなたに憎まれることには耐えられない。共に来てください。妻として、あるいは名誉ある客人として、それはあなたの選択です。そして、ご親族の代わりに、あなたは血の代価として貢献なさるでしょう』
「そして、月明かりの下で、恐れおののいて、眠っている貴婦人たちのそばで、私は彼を愛していることを知ったのです。彼なしで生きて行けるかは疑わしかったけれど、それでも、あなたをそれ以上に愛していたの!『息子は』私は囁きました。『置いては―』『奥様、選ばなければなりません。お気の毒ですが』わかるでしょう、エドワード?もし留まれば、私の弟の死が―彼の無垢な若い血が流れるのです。あるいはあなたのお父さまの血が!あるいは、そんなことは起きないと思っていたけれど、私の愛する人の血が流れたかもしれません。モラーリンの戦闘技術はそれだけでも優れていましたし、この類の出来事には、彼は同じくらい優れている魔法の力も借りるでしょう。『連れて行けますわ』でもモラーリンは悲しげに首を振りました。『私にはそんなことはできない。父と子を引き離すことは、私の名誉に反する』
「愛する者を一人ぼっちにする、私は義務には慣れていました」アリエラは誇らしげに言いました。「あなたを父親から、あなたの大好きなおじさまから盗んで行けばよかったでしょうか?そして、おそらくコーサイアは生き残り、この件で私を責め、私を遠くにやってしまう言い訳にしたはずです。コーサイアは私がいなくなれば喜ぶだろうと考えました。彼が本当に武器を欲しがっていることは知っていました。あなたと過ごす時間を得るために、それで取引することもできると私は考えました。モラーリンが私を見ずに立って待っている間、すべてが私の中を駆け巡っていました。
「マーラ様、正しい選択をお助け下さいと私は祈りました。『本当に私を妻にしたいのですか?私は―私は厄介ごと以外何ももたらしませんのよ』
『アリエラ、私はあなたを妻に迎える。私が求めているのはあなた自身だけだ』彼はマントを脱ぎ、布団を引き剥がしながら私の体を包みました。
『モラーリン、待って―これは正しいことかしら?私がしようとしていることは?』
『奥様、もし間違いだと考えているなら、私はここに立ってなどいない!あなたに与えられた選択肢の一つは、私には最も正しいことに思えます』彼は私を抱き起して、馬に運んでいきました。そうして、私は彼のマントだけを身に着け、彼の前に座って馬に乗り、あなたのお父さまの家を去ったのです。野蛮な喜びと悲しみが混じって、自分がどう感じているかわかりませんでした。これが、私の真実です」
エドワードは静かに言いました。「でも、彼は結局、僕とお父さまを引き離した」
「本当に渋々だったのです。そして、ドラゴンが、本当には、あなたとお父さまの心は既に離れてしまっていると言ったからです。何リーグかだけのことです。これはあなたの安全を保つ方法なの。モラーリンはここに来ることを決めるのは、あなたの自発的な決断で��るべきだと言いました。それと同じに、戻りたい時に戻っていいのですよ」
「モラーリンは僕をただ連れて行こうとした!アイリ―その、アーチマジスターが同意しなきゃいけないって言ったんだ」
「彼は忍耐強い性質ではないのです。そして、彼はコーサイアを傷つけてしまわないか不安でした。彼がその議論をどこかほかの場所で続けられると考えていたことは間違いありません」
「肝っ玉の小さい王だって呼んだんだ。そして笑ったよ。どうして?ダガーフォールの人の肝臓はエボンハートの人のより小さいの?第一、それに何の関係があるの?父さまはとても怒ってた。きっと戦いたかったと思うな。でも、父さまが僕を嫌ってるのは本当だよ。わかってるんだ。でも、わかりたくなかった。だからそうじゃない風にふるまっていたんだ。モラーリンはそうじゃないと思うけど」
「ええ」
「でも、彼は嘘をついた。彼は僕の父親だって言おうとしてた。わかるんだ」
アリエラは頭を後ろにそらせて、鈴を転がすような声で笑いました。彼は遠い記憶からそれを思い出し、背中がぞくぞくしました。「もしあなたにそう思ってもらえたら、きっとものすごく、心からそう言いたかったに違いないわ。彼はいつでもせっかちなの。そして、彼は誓いの下では決して嘘をつかないし、愛するものを傷つける嘘はつかないわ」
「僕のことを愛してなんかいないよ。僕のことを好きでさえないんだ」
「でも、私は愛しているのよ、私の大切な坊や。あなたは―」エドワードは彼女が大きくなった、と言おうとしているのだと思いました。大人たちはいつでも彼の成長を見てそう言うのです。一週間前に会ったばかりでも。奇妙なことに、年のわりに、彼は小さかったので。彼女はその代わり、「私が考えていた通りだわ」と母の深い満足を湛えて言いました。
「彼はあなたのことを愛してる。でも彼は使いっぱしりの小僧じゃないと言った。でも、あなたは彼がそうみたいに下がらせた」
アリエラの顔と首が真っ赤になりました。
「確かに、私は召使いに格下げされたようだね」うず高く食べ物が積まれたお盆を持って、モラーリンが静かに入ってきました。「椅子を取ってくれないか、少年。私が給仕役をやれるなら、お前も給仕役をやれるだろう。お前はお腹が空いているだろうし、妻が私の欠点の残りの部分を話す前に戻った方がいいと思ったのでね。それを挙げ連ねるのにほとんどまる一日かかるから」彼は鎧を脱いで風呂を浴び、細いウエストの周りに銀のサッシュを巻いて、洗い立ての黒いジャーキンとズボンを着ていました。でも黒い剣は、彼の横で揺れていました。
「まあ、なんてこと。小さな軍隊がお腹いっぱいになるほどの食べ物を持っていらしたのね。それに、私は朝食を済ませましたの」アリエラは小さな手でエルフの腕に触れ、愛撫するように下に滑らせて彼の手を握って力を込めると、それをまだほてっている首に持ち上げ、唇でその手をなぞりました。彼女の美しさに向かい合う浅黒い肌に居心地の悪さを感じながら、エドワードは素早く目を逸らしました。
「これは私用と、少しは坊やのためにね。でも、ご相��してくれると嬉しいよ。君は痩せてきている。私にとっては針みたいだ、本当にね」彼女の黒い巻き毛の束を指に巻き付け、軽く引っ張ってにやりと笑いました。それから、食べ物に移ると、人間がするように指で食べるのではなく、小さな銀色の武器で飢えた狼のように襲い掛かりました。その食べ物は―素晴らしかったのです。エドワードはもう何も入らなくなるまで食べました。
「立ち聞きしていたんだが」彼は思慮深そうにもぐもぐと言いました。彼は食べている間、モラーリンの欠点を口の中でもそもそと挙げ続けていました。そして、もっと早く大きな声で言えばよかったことがわかりました。
「ゼニタールよ、坊や、君たち人間は、個人的な話を木の上全体に聞こえるような大きな声で叫んでも、私が耳に綿を詰めて聞かないでいてあげると期待しているのかね?」彼は大きなとがった耳をとんとんと叩きました。エドワードは急いで何を話したか思い出そうとしました。嘘をついたと言いました。ああ、なんてことでしょう。彼が聞いていませんように。
「それで、私は嘘つきなんだって?坊や」ヴァー・ジル、彼に救いの手を、エドワードは溺れ死ぬような気持がしました。このエルフは心を読めるのかしら?彼はそれが父親が彼に使った侮辱の言葉ではないことを願いました。「僕―僕は、そのことを考えていると思ったって意味で言ったんだ。口ごもったもの」エドワードは喘ぎました。彼はものごとを悪い方に転がしていました。
「たぶん、私は思い出そうとしてたんだよ…」皮肉っぽい響きが戻ってきました。
「僕のことなんか好きでもないくせに!」エドワードが大きな声で言いました。
「だからって、本当の父親がお前に主張するのを止めることになるようには思えないね」
「モラーリン、やめて!」アリエラが遮りましたが、エルフは片手を上げて彼女を黙らせました。
「わからないんだ」エドワードがちらりと見ました。
「どうしてあんなことを言ったんだね?」
「わからない―ロアンが言ってた―ことなんだよ―そして、僕はちっとも父さまに似てないんだ。みんなそう言うよ。そして話をやめてしまうの」
「言ってたこと―とは何だね?言いなさい、坊や!」
「二人が若かったころ、どれほど母さまがおじさまのことを好きだったかって。母さまが連れていかれたあと、彼がどんなに悲しんで怒ったかって。弟じゃなくて恋人みたいだったって彼女は言った。とってもかわいらしくそう言ったけど、何か他の意味があるみたいだった。口に出すのがとても汚らわしい何かだよ。他の時には、あの人は僕がとてもエルフっぽく見えるって。僕が結婚したあととても早く生まれたことも。あの人の一人目の息子みたいじゃなかったって」
モラーリンは跳び上がりました「何だって!戻ってあの女狐の首を絞めてやる!人間は―」彼は悪態をかみ殺しましたが、その赤い瞳は怒りに燃え上がり、筋肉がはちきれるように膨らんで、髪は逆立っていました。「お前はエルフと人間の子供には見えない。私が母上に出会ったのは、お前が母上のおなかに宿ってから4年後だ。どうやらロアンはどちらの嘘を使いたいのか決めかねたのだろうね。だが、近親姦などと!私ができないなら、ケルが代わりに鉄槌を下しますように」背の高いエルフは怒り��って部屋の中を歩きました。カジートのようにしなやかで、片手は剣の柄を撫でています。その台が揺れて、少し下がりました。
「エドワードに比べれば、彼女は自分の息子たちに大望を持っている。疑問なのは、彼女の話を信じる者がどれほどいるかだ。彼を殺させる計画をしているなら、充分ではないだろう」アリエラのなだらかな眉に小さなしわが寄りました。「あのね、私は彼女を嫌ったことはないのよ。彼女もそう。あの方は私の立場を欲しがっていて、私はエドワードを救うために喜んで譲ったわ」
「僕に王様になってほしいんだね。そうしたら黒檀の鉱山を持てるから」エドワードはパズルを解きました。
「まあ、黒檀なんてどうでもいいの。おそらく彼が手に入れるでしょうし。あなたのお父さまがお亡くなりになったら、ロアンの子供たちと協力するより良いチャンスを持っているの。彼らには感謝する十分な理由がありますし、いい取引よ。そうは言っても、彼らの両親のことを考えると、契約にサインするのに充分なほど、自由に口が利けるかどうかは見込み薄だけれど」
「それじゃ、なぜ?僕のこと好きでもないのに」
「マーラ、お助けを!人を『好き』と思うことは人間の概念だ。ある日、彼らはお前を好む、次の日は好まない。火曜日にはまたお前のことを好んで戻って来る。私の妻は私に対してそうするが、彼女が私を好きじゃない時でも私を愛していると言うよ。彼女がどちらもしない日と、リアナの騎士団に加わる話をする時以外はね。そんな時は、私は彼女が正気に戻るまで狩りに行く」
「大げさね、そんなの一度しかなかったし、よく知っているくせに」
「回復期間は大いに楽しんだのを覚えているよ。もっとあってもいいかもね」二人はお互いににやりと笑いました。
「だけど、どうして僕に王様になってほしいの?」エドワードは食い下がりました。
「言っただろう、それはアカトシュの意思なのだ。それと、アーチマジスターのね。私は遠乗りに付き合っただけさ。彼らに聞いてごらん」
「アーチマジスターに会ったら聞いてみよう」
「素晴らしい考えだ。我々と北に旅立つ前に、お前は2、3週間タワーで過ごすことになるだろう」
「それだけ?」
「お前の母上と私と一緒に冬を過ごす計画がそんなに嬉しくないかね?」
「そんなことは…ないです。でも、アイリックと一緒に行くって言ったんだ」お前じゃなくて、口に出さなかった言葉が、二人の間にありました。
「そうなるだろう、そのうちね。今、そこでの数週間は、魔法の訓練を始めるのにちょうどいいだろう。私はお前に呪文を教えてやれる。だが、お前は強くならなければならない。お前の体が心に追いつかなければいけないんだ。それはアーチマジスターの意思なのだよ」
「戦闘の魔法?僕は他のことを勉強したいな。獣の呼び出し方、癒し方、そして浮き方…」
「それも学ぶだろう、必ずね。それと、お前は戦士は癒せないと思っているのか?それはお前がいちばん最初に学ぶ呪文だ。だが、王は戦い方を知らねばならない」
「得意じゃないんだ」
「ドラゴンの歯だよ、坊や!まさにそれがお前が学ばねばならない理由だ」
「もしできなかったら?」
「お前は勇気があって、澄んだ頭を持っていて、魔法を学ぶ潜在的な力がある。それは大抵の者が持っている以上のものだ。残りの部分は私が教える」
エドワードの頭が、不慣れな賞賛にぐるぐる渦を巻きました。「僕が?本当に?君が?」
「お前はお父上の愚かな王宮の者たちがドラゴンとユニコーンの前に丸腰で向き合って、アーチマジスターとタムリエルの英雄に、彼らの正義を要求すると思うのかね?正義だって!そんなものを前にしたら、彼らはどうにか慈悲を請うのが関の山さ、それだって疑わしいが、口が利けるものならね」
「僕、そんなことした?したのかなあ?」エドワードはすっかり驚いてしまいました。彼は知らなかった、考えたこともなかったと付け加えたいと思いました。
「ああ、したとも。そして、それはここからモロウィンドに向けて歌われる行いだ。私はそのバラードを作曲しよう―昼寝をしたらすぐにね。ドラゴンの背中の上ではあまりよく眠れないんだ」
「僕とシャグに眠りの魔法をかけたね!」
「そして城の他の者にもだ。友人に手伝ってもらってね」
「うわああ。宙にも浮けるの?見せてくれる?」
「そう急ぐな。私はドラゴンの背中に一晩中とどまっているように、動きを固める魔法を全員にかけていたんだ。休むまではマッチを使わずにろうそくに火を灯すこともできないよ」
「ああ、わかった。それでも僕は、戦士よりもアーチマジスターみたいになりたいな」
「はっ!アーチマジスターが戦えないなんて、そりゃニュースになるな!彼がお前に杖の扱い方を見せる時間があることを願うよ。初期の訓練には最適の武器だ。そして彼以上の講師は望めない。さあ、お前が前に見た四人の中で、誰が一番優れていると思う?」
エドワードは数分の間、慎重に考えました。「僕の判断は本当に粗末だけど、それでもよければ、タムリエルのチャンピオンって称号を使う人が一番優れているはずだと思う。でも、アーチマジスターは君の魔法の先生ではないの?そして武器の扱いもよく訓練されているみたいだ。だから、誰が勝っているか?ドラゴンの炎と爪と歯に太刀打ちできる人間がいるかな?それに、とても足が速くて、尖った角と蹄があること以外、僕はユニコーンのことは何も知らないんだ。とってもおとなしかったし。それで、君が尋ねたその質問には、正しく答えられそうにないんだ」
「いい答えだ、坊や!単体の近接戦闘ならユニコーンは簡単に勝てる。人間も、ドラゴンでさえ、あんなに早く一撃を当てられないし、炎で焼くこともできないし、魔法や属性の力も効かない。その蹄は致命的で、その角は一度触れただけで、どんな敵でも殺してしまう。角自体は燃えてなくなってしまうけれどね。それでも、一番強力なのは、それをすぐに再生できることだ。
「そして、4人のタムリエルの英雄は、互いに戦えばおそらく敗者になるだろうが、その称号は馬鹿げた自慢ではない!モラーリンは一流であることに慣れていない。結果として、私の行儀作法は苦しんでいるかもしれないがね」
「���が王よ、あなたには心から感謝申し上げます。あなたは僕に偉大な栄誉と貢献を与えてくださいました。ご恩返しできることがあれば、致しましょう。僕の乱暴な言葉と不躾をご容赦ください。僕は粗野で粗暴な中で暮らしてまいりました。そして、僕には父がないようです。あなたをそう呼ぶことをお許しいただけない限りは」エルフは少年に手を差し出し、彼はその手に自分の手を置きました。エドワードの味気ない気分はすっかり消え…まるで魔法のように…思考が彼の心を漂います…すると彼は手を離して、モラーリンの腰にしがみつきました。エルフの手は黒い髪を撫で、薄い肩を掴みました。
「ありがとう、奥さん。結婚からたった5年で、君は私に9歳のすばらしい息子を贈ってくれた。非凡で、本当に…魔法のようだ」
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oriori-ki · 5 years ago
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第44回 『台北市動物園』
台北に行ったらメトロで動物園へ
 いつ行っても穏やかな暖かい台湾は、のんびりして食事もうまいし、足つぼマッサージも手軽で廉いし、絶好の観光地である。今回は、メトロに乗ってまだ訪問していなかったアジアで指折りの規模である動物園に行ってみた。
 動物園駅を下車してエスカレータで降りると、待合せなのか、見物客がたむろしていた。動物園入口までの歩道には、動物たちの足跡がいく種類も点々とレリーフで並んでいた。形がずいぶん違ったり大小それぞれ異なっていたりおもしろい。早く入って足跡の主をみたくなる。一般客は60元、日本円換算約120円で入場券を買って園内に入る。
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 まず、入口で日本語版の園内地図を選んでもらい、最初に入るパンダ館参観券を一緒にもらった。切符には入場時間が指定されていて、混む時には並んで待たないと見られないこともあるらしい。今回はすぐに入れた。
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 パンダは中国から2008年12月に、オスの團團とメスの圓圓のつがいを寄贈されたもの。そして2013年7月6日には人工授精でメスの赤ちゃんが生まれている。
 立派な建物のなかにパンダはいた。館内は歩きながらゆっくり見られるようなスロープになっていたが、休日だからか家族連れで混んでいた。そして大きなガラス張りの洒落た展示場のなか、パンダは少し離れたところにじっとしていて、客のそばにはなかなか来てくれない、こちらに向いてもくれない。だから、愛らしい姿も見えず、カメラにも撮りにくく、何枚も撮ってみたが、残念ながらいい写真にはならなかった。
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アジア屈指の動物園
 この動物園はアジア最大だそうで、東京ディズニーランド2個分の面積がある。展示種類も360種、2300点もいるという。休日なので人も多く、せっかく来たのに見たいものが見られないのは残念だから、つい急ぎ足になる。
 ところが園内バスが何台も巡回していて、5元出せば子どもも大人も乗れて、奥の方まで連れて行ってくれる。おとぎの国のバスのように車体は可愛らしく飾られていて、休日でお客さんがたくさんいてしばらく並んで待つほど人気だった。
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 終点で下車すると、コンクリの塀に囲まれた木のうえに静かに寝そべってグリーンイグアナが4匹太陽に当たっていた。怖い顔をしていて背中に並ぶトゲ状の突起物がタテガミのように見える。けれど、よく見てみると草食系でおとなしそうな眼をしている。じっとしてあまり動かなかったけれど、めったにお目にかかれないからしばらく眺めていた。
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 この近くに両生・爬虫類館があった。カエルは日本でもなじみでかわいらしいけれども、珍しい真ッ黄色のカエルがいて目を見張る。表情もなかなか愛嬌があって、仲間同士活き活きしていてかわいらしくさえある。
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 この部屋にはヘビやトカゲなどたくさんの種類が展示されていて、見るだけで疲れてしまうほどいた。正直いってそう好きな生きものでないけれど、ガラスの向うにいるからじっとよく見てみると、怖いようでもあるが、なかには愛嬌のある顔をしているものもある。
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 1点1点丁寧に見るほど長居すべきところとはどうしても思えないから、ちらっと見てはとなりのガラス窓の部屋へと移動して、両生・爬虫類館から出てきた。でもけっこうな時間を費やしていたようだ。
じっくりモウコノウマを眺める
 馬はなんども見ているが、いろいろ種類があって、蒙古の馬というのがいるとは聞いていたが、なかなかじかに見ることがなかった。日本のあちこちの動物園にもいるけれどもうまく見られなかったが、ここでゆっくり見ることができた。
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 競馬馬に比べるとずっと小ぶりで農耕馬のようにどっしりとして、一昔のまえのもの静かな種類の馬のよう��感じで、親しみやすく馴染める感じがした。
 向かいに足を運ぶと、谷間のような景色の向うにアメリカバイソンがゆったり群れをなして歩いている。太い重そうな角を生やして体も大きいが、ウシの仲間の草食性でおとなしい。まさに自然のなかの野生種のように見えるけれど、実のところこのバイソンは野生種がほぼいなくなってしまったそうだ。20世紀はじめには世界で500頭ほどしかいなくなり、目下のところ世界各地の動物園が保護して、絶滅を防いでいる現状であるという。
 動物園では、かわいい動物の子どもを増やしたり育てたりして、世界の生きもののバランスを崩さないよう、目に見えない努力を積み重ねているのである。
オリのなかのチンパンジーと記念撮影?
 さて、その向かいはチンパンジーのコーナーである。この写真はオリに入って記念撮影と洒落こんでみた?わけではない。チンパンジーがオリから手を出しているようにリアルに造ったブロンズ像なのである。入場者への記念撮影用の園のサービスであるようだ。
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「ほんもののチンパンジーと仲良く写っているように見えるでしょう?」
 けれども、ほんものはちゃんとオリのなかにいて、静かに物思いにふけっているような気取ったポーズをしていた。なかなか愛嬌があって、下あごに白く生やしたヒゲがなんともお洒落で、ヒトとあまり変わらない知的な表情をしている。
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 ことばはしゃべらないが記憶力はけっこう確かで、ヒトとのやりとりを覚えているようである。例えばカメラを向けると、得意のポーズをするものもいる。
 世界に広く分布し、食生活もヒトと似ていて、甘い果物が好物で菜食もし、昆虫や卵も好み、さらには集団で狩りをして動物の肉も食べるのである。
 となりのコーナーではお客さんがケータイで写真を撮っていた。同じヒヒの仲間で、アヌビスヒヒと書いてあった。日本の動物園にはあまり見かけない種のようだが、カメラを前にしてじっとポーズしてサービスする健気なサルである。
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「東非ヒヒ」とあり、OliveBaboonと英語で書いてあった。サルの仲間とは姿を見ればわかるが、どんな生き方をしているのか。草原で群れをなして生活し、あまり樹のないところ小石まじりの丘に住み、まれには木に登ったりする。オスは他のオスと戦ってメスを得て性交し子孫を増やす、と簡単な説明がしてあった。
サイもカバもたくさんあちこちに
 シロサイが近い場所2か所に別れてたくさんいた。仲間どうしで遊んでいるのか角突き合わせているのか、仲間が何頭もいる動物園は珍しい。オス同士でメスの取り合いでもしているのか。
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 いくつかの動物園でサイを見てきたが、だいたい1~2頭で、退屈そうに水辺で水を浴びたり、横になって寝ていたりしていた。ここのサイはゆったりではあるがよく活動している。
 何頭いるのか調べてないが、別のところにいたシロサイは、仲間から離れて散らかっているフンを検証しているようだ。サイは眼があまりよくないが、聴覚や臭覚はすぐれているので、仲間や家族のようすを散らばったフンから感じ取ってでもいるのだろうか。
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 こんな巨体のサイも、角が高く売れるというのでヒトに襲われて、悲しいことに絶滅の危機にさらされており、いまや地球上で2000頭ほどになってしまっている。
 ここにはカバも数頭いた。カバは河馬と台湾では書くが、日本語でもおなじだ。身体が大きくて丸っこいのに泳ぎがすばらしくうまい。イヌは首だけ出してイヌカキで泳ぐけれど、カバの泳ぎはけっこう潜って泳ぐし、カバカキというのだろうか、子どもたちがその泳ぎを食い入るように眺めていた。水上に上がって顔を出すと、鼻の穴を大きく広げて呼吸をする、そのとき水しぶきが勢いよく飛んでくるのがおもしろい見ものであった。ガラスの囲いでしぶきは飛んで来ないから安心して見物できる。
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 この池のとなりのコンクリートの庭では、池で泳いでいない親子のカバがゆったりと日を浴びて、エサでも探しているのか散歩していた。
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キリンとシマウマが同居して
 かなり広いコーナーの遠くにキリンが見えた。その同じ区画にシマウマも一緒にいた。いつも同じコーナーにいるからだろうか、お互い素知らぬ顔でじゃれ合いも遊びもしない。双方草食性でおとなしく、追いかけて襲ったりもせず、興味なさそうな感じだ。ケンカするようでは一緒に飼育できはしないけれど。
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 そのてまえにシマウマが団体でいた。どうしてこんなにたくさんいるのか。初めて目にする光景である。
 何頭もきれいに背中を並べて群れているようすを上から眺めると、じつに壮観である。じっとしてあまり激しく動かないから体の模様が幾重にも重なって、珍しい美しい幾何学的な模様になる。のぞきカラクリメガネとか抽象画とかを見ているような錯覚に陥る。
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 日本や世界に数多く動物園はあるが、こんなにたくさんシマウマやサイやカバがいるのは珍しい。この台北動物園ならではの見ものかもしれない。台北に足を向けた折りには、ぜひこの動物園に足を運んでみてはいかがか。
動物園で漢字のお勉強
 この動物園にはラクダが2種、ヒトコブラクダとフタコブラクダと柵を隔ててほぼ一緒にいて、それらの大きさが違うのがよくわかる。日本人の場合「月の砂漠」の歌のイメージから、ラクダはフタコブに決まっていると思っている人が多いはずだが、フタコブラクダは、荷物を運搬したり人が乗ったり、乳を搾ったり毛織物の材料にしたり、家畜用に育てたもののようだ。
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 コアラが樹のうえで寝ていた。夜行性の生きものだから昼間は寝ている時間が長い。時々は動くけれど、近くでなでたり触ったりはできないから、長居してもおもしろくはない。かわいいけれども、つぎに行こう。
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 ゾウ舎だ、ここにはアフリカゾウがいた。こことは別のところにアジアゾウのコーナーもある。アフリカゾウはアジアゾウに比べると気が荒いが、遠くにいるから大きさがあまり実感できず、眺めているだけでは怖いとは思わない。ある動物園のゾウはストレスがたまっていたのか、長い鼻で観客に向けて水鉄砲のように振り撒いていたこともある。
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 この柵には、ゾウの漢字「象」の変遷が掲示されていた。甲骨文字・金文・小篆・隷書の書体が並んでいた。小学生のお勉強にはちょうどいい。むしろ大人も甲骨文字になると分からない人が大半だろう。漢字だから日本人でもよくわかって勉強になる。
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 そろそろくたびれてきたので帰り路につこうと歩いていくと、大きな箱があった。これはゾウの引っ越しに使った箱であった。
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 説明板によると、もと台北市内の北にあった動物園から、いまの動物園に引っ越しした時に使ったものだという。外から見ても感じはつかめるが、なかに入ってみると、いかにゾウが大きいかまざまざと実感できるのがおもしろい。
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 嫌がる大きなゾウをこの箱に追い込むのはたいへんな苦労があったろう。入れたあとここまで運んでくるのも大仕事であったことだろう。
 この動物園はとても広く、ほかにもアジア熱帯雨林区、台湾動物区、子ども動物区、虫の谷、鳥園など1日ではとても全部は見切れないほど充実している。今回はざっと半分ほど見たろうか。なかなかすばらしい動物園であることを確認したので、また来てみたいと思いながら帰途についた。
(磯辺 太郎)
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5cmsosaku · 3 years ago
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かいら過去小説 第5話
邂逅
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 ある噂を耳にした。
『小高い丘に住む星黒の長男は実は双子で、その片割れは外に一歩も出ず南西側に見える部屋でいつも研究に没頭している』
 そんなわけあるか! と最初は思った。国政に関わっているようなすごい家柄ではないからそんなことを隠しておく意味がない。遠目で見る限りでは静かな印象も持ちつつ快活そうな少年だし、彼が勉学に励む真剣な姿があまりに違いすぎて勘違いした人がいるのだろうくらいにしか思わないようにした。しかし……努力空しく、むくむくと湧き上がってきた好奇心に抗うことは僕にはできなかった。噂の真相はつい確かめたくなってしまうタイプなのだ。
 星黒の屋敷の、南西に面した部屋。幼い頃からかくれんぼというか潜入が得意で、それは今回も例外ではなかった。外で遊んでいる長男と次男や他の人間に見つかることなく、例の部屋の窓が目の前に見える茂みにまで来た。そっと中を窺うと、先ほど会っ……いや、目撃した長男と同じ髪色が見えた。あんなに楽しそうだったからすぐに部屋に戻ってくるわけがないし、この調子だと噂は本当かな……?そんなことを考えながら、物音をたてずに窓へ近づいた。
「こんにちわ」
 声をかけるまで僕の存在に気づかなかったのか、本から顔を上げた星黒の長男と瓜二つの顔をした少年はひどく目を丸くした。
「僕、夜光葉落。何してるの?」 「ぼ、くは……っ」
 ひどく掠れた声だった。彼は何度か咳払いをして、声を出す練習のようなものをした後にこう言った。
「すみません。一月ほど前の詠唱がまともに声を出した最後の日だったので……。見てのとおり、魔術の研究を」
 声には苦笑が混じっているのに表情は無のままだった。お前空気が読めないよね。ずけずけと入ってくるよね、と言われたことのある僕でもさすがにちょっと怖かった。 
「僕は外から見えるんですね。貴方以外誰もここに訪れたことはないので、今までずっと見えないものなんだと思っていました」
 ははは、と今度は声と同じ面白そうな表情を浮かべるその姿にどうも違和感を感じた。こ���は木々に隠されてる場所でもなくどう見たって普通の部屋なのに、外から見える見えないって、
「……どういうこと?」 「知っても面白いことはありませんよ」  「ふぅん…………あ、よかったら君の名前を教えてよ」 「…………星黒傀儡です」 「傀儡ね。一応聞くんだけど、傀儡は双子の兄弟とかいたりする?」 「何を言ってるんですか? ここの住人たちが知ってのとおり、私は星黒家ただ一人の長男坊。双子なわけがないでしょう。私の兄弟は弟ただ一人だけです」
 当たり前のことだろと訝しげなその返答に、僕は遠くに見える次男の飛燕と一緒にいる、目の前の少年に瓜二つな人間を横目で見ながらそう、と呟いた。
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toubi-zekkai · 4 years ago
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太陽の燃える口づけに西の海は焼き焦がされ、蒸発していく血の瘴気で西の空は真っ赤に染まる。貪婪な太陽が伸ばした無数の火手を前にして、成す術なく哀れな白い羊たちは震えて沈黙し、狂える黒い羊たちは互いの身体に角を突き立てる。 深い皺の刻まれた羊たちの長老の苦渋の決断により黒き月桂樹の葉を頭上に抱いたリサはその生きた心臓を太陽に捧げ彼を慰めるために生贄の祭壇へとゆっくりとその歩を進める。
コツ、コツ…。コツ、コツ…。 怯えた羊も狂える羊も今は固唾を呑んで、罪悪感とその奥に潜んだある期待感が潜んだ視線をリサに向けて一身に向けている。しかし、そんな醜い姿はリサの視界に入らない。 リサの薄く開かれた瞳の先では赤みを増した太陽が酷薄で残忍な笑みを浮かべてリサがその燃える腕に抱かれるのを待っている。
コツ、コツ…。コツ、コツ…。
祭壇の丘を一歩上がるごとにリサの血の温度は急激に上昇していき、やがて沸騰し始めた血は私の毛穴から吹き上がり、リサの視界を赤黒く染め上げる。リサの心臓はその先に待つ耐え難い苦痛と歓喜の予感に打ち震えている。
コツ、コツ…。コツ、コ……。
そのとき一人の少女がリサの行く手に立ちふさがる。白い服を着た童女はまだあどけない瞳に涙を浮かべて訴える。「行っては駄目。」少女はリサの黒い服の袖を引っ張りながら訴える。しかしリサは少女の黒い髪を撫でながら優しい口調で諭す。「これは、もう随分前に決まっていたことなの。あなたが生まれるずっと前、私が生まれるずっと前、この村が出来上がるずっと前、人が人になるずっと前かもしれない。誰かが行かなくてはいけないの。でも、誰でもいいわけではないわ。あの燃える御方の御眼鏡に適う方ではなくては。そして、あの御方は私を選んでくれた。それはとても光栄で、これほど嬉しいことはないのよ。それに私は消えるわけではないわ。あの御方と融合し、あの御方の一部になって、明日も明後日も、これから永遠にあなたの頭上を照らし続けていくのよ。だから悲しまないで、涙を拭きなさい。いい子だから。私が雲に隠れて見えないときはあなたが私の代わりに皆を照らすのよ。」
少女はまだ泣いていた。リサは少女を置いて更に歩を進めた。
コツ、コツ…。コツ、コツ…。
リサの視界の中で太陽は膨れ上がり、それは丸い眼球と重なり合うと、白い光を放ちながら爆散した。
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yukue3-blog · 7 years ago
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ある作家のインタビュー記事(april roof magazineより抜粋)
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# マティーニとギブソン
「ヴォネガットは自著でこう述べています。
 “私が言いたかったのは、シェイクスピアは物語作りの下手さ加減に関しては、アラパホ族とたいして変わらないということだ。それでもわれわれが『ハムレット』を傑作と考えるのにはひとつの理由がある。それは、シェイクスピアが真実を語っているということだ”と。
 この言葉は私を勇気づけました。“然るべきタイミングに、然るべき心持ちで書く”これが私にとって最も大切なことです。そうすれば、小説は自ずと進んでいく。ゼンマイを巻いたロボットが手を離れて進んでいくみたいにね。だから、誰が・どこで・何をするか、私にはひとつもコントロールすることはできません。コントロールされた悲劇より、私は現実の悲しい喜劇を愛している。小説を書く時、私は赴くままにペンを走らせる作家ではない、何重にも色を重ねる画家でもなければ、厳格なオーケストラの指揮者でもない、ただ人より少しだけメモを取ることが上手な傍観者になり下がるんです」
 作家へのインタビューは、三軒茶屋にある彼の行きつけのバーで行われた。 橙色のライトがぼんやりと灯す、まるで洞穴の中みたいな店内。 作家は目を閉じ、次の言葉を探す。 無言の隙間から、バーテンダーがグラスをステアする音が聞こえてくる。
「そのために必要なのは、ストーリーでも表現でもない、たったひとつの感情です。それを捉えるために、私は胸の中に潜って、呆れるほど考え、然るべき時を待ち続けます。誰にも気付かれないように息を潜めて、静かに波の音を聞くんです」
— 例えば?
「例えば、この世界には朝と夜があります」
— というと?
「つまり、朝、カーテンを開け、誰もいない街を走る塵芥車を見送り、次第に大きくなっていく街の音や光を想いながら書くべき小説があります。そして夜、明滅するネオンサインの下、マティーニで喉を濡らし、消えていく暗闇を想いながら書くべき小説があるということです」
— 昼は?
「昼は、みんなご飯を食べているか、テレビを見ているか、銀行でお金をおろしているか、そんな、つまらない時間でしょう?」
— 今は?
今は午前二時です、とバーテンダーが静かに告げる。 ひと粒のオリーブがグラスに添えられる。 作家はその透明な淀みをほんの少し傾け、何かを確かめるように口に運ぶと、遠くを見つめ、そっと語り出した。
「昔、ミエという女性と過ごした時間がありました。彼女とのことの多くは時代��拐われていってしまいましたが、それでも断片的に彼女のことを思い出す瞬間があります。私たちは三度会い、一度だけ夜を共にしました。でも、ふたりで過ごした時間は二十四時間にも満たないでしょう。あまりにも短い、人生の一瞬の風のような時間です。だけど今、こうしてまた思い出すのは、その時間が確かにそこにあったからなのでしょう…」
 ミエは漢字では“美瑛”と書きます。
 美瑛と出会ったのは出版業界の関係者が集まるとあるパーティーの場でした。その頃、私はまだ二十代で、ようやく自分の書いたものが文芸誌の片隅に載り始めた頃でした。
 季節は冬でパーティーは品川のホテルで行われました。 煌々と灯るシャンデリア、華やかに彩られた会場でシャンパンを片手に語り合う文士たち。 周りには、ベストセラーを何作も出しているIさんや、政界でも活躍していたYさん、映画も手がけているAさんなど誰もが知っている顔ぶれが並んでいます。 そこは、私のような若造には到底縁のない場所でした。
「君はどんなものを書いているんだい?」 「僕はこんなものを…」 「そうか、ところで洋酒は好きかい?」 「いえ、あまり飲んだことがないんです」 「ここのマティーニは絶品だよ、私の本にも登場するんだ。君もぜひ飲んでみてくれ。じゃあ、ごきげんよう」
 そんな調子でパーティーは進んでいきました。 彼らは慣れた手つきで高級な酒を呷ります。 それはまるで崩れる事を知らない巨大な城の主のように。 一方、見窄らしい格好でふらふらとしていた私には、どうにもその雰囲気が居心地悪く感じられました。
 当時、無名の作家でお金も地位もない私でしたが、若さ故、野心と反骨心だけは旺盛に持っていました。そこにいる文士たちの本もひと通り読んではいましたが、彼らの書く浮世の世界の薄く張り巡らされた膜のようなセンチメンタリズムにはどうにも浸れませんでした。 彼らはたしかに素晴らしい美文を書きます。 でも、そこには人の温度がない。 彼らの書くものはすっと胸に入って来て、次へ、次へと頁を捲らせます。 でも、それは培養された感情で、胸に刺さる楔のような余韻を残すことはありませんでした。 私は日頃から、“私の方がずっと本当のことが書ける”と、胸の内でひどく対抗心を燃やしていたのです。
 そんなわけで、せめて格好だけでも文壇の一員らしく振舞わないといかんと思い、慣れない高級な酒を煽ったのがよくありませんでした。気が付けば、私は随分と酔ってしまい、会場の隅っこに座り込んでいました。しまったと思いましたが、華やかなパーティーの片隅で萎れている惨めな男になど誰も気づきません。とにかく水を飲んで頭を冷やさなくては、と立ち上がろうとした私に「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのが美瑛でした。
 それから、ひと月と経たないうちに美瑛と私は再び出会いました。
 ある夜、赤提灯が揺れる新宿の酒場で偶然、彼女と居合わせたのです。 少し酒が入っていたものの、私はひと目で彼女に気づきました。 彼女はモデルのような煌びやかな容姿をしているわけではないのですが、どこか他人とは違う、一度見たら忘れない、人を惹きつける不思議な雰囲気を纏っていたのです。 それは、とても静かで、どこか神秘的で、勢いのままに触れたら壊れてしまいそうな繊細なものでした。
 私は彼女のそばに行き、先日の礼を言いました。 彼女は少し驚いた後、私を思い出してくれて、にこっと笑いました。 とても素敵な笑顔でした。 酒が入って気が大きくなっていたのでしょう、私は「もしお一人でしたら、こちらで少し話しませんか?」と彼女を誘いました。 すると彼女はまたにこっと笑い、「ええ喜んで」と言って私の隣の席にやって来ました。 とても静かな香りがしました。 それは香水の匂いでも、整髪料の匂いでもない、冬の早朝に誰もいないホームに降りたった時のような、どこか懐かしい日常に潜む小さな異国の香り。
 私はたくさんのことを話しました。 文章を書いてなんとか暮らしていること、先日のパーティーでは居心地の悪さについ酒を飲み過ぎてしまったこと、いつか書きあげたい感情がたくさんあること…
 そして、彼女もたくさんのことを話してくれました。 自分は二十二歳で都内の大学に通う女学生だということ。 品川のホテルでは給仕係のアルバイトをしていること。 名だたる文士たちの中で酩酊している私を見て、急いで水を取りに走ったこと。 中野に住んでいて、仕事帰りによくここで、ひとりお酒を飲むこと。 大学では英文学を専攻していて、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を研究していること。 語学が堪能で、日本語、英語の他にも中国語と韓国語が話せること。 四月から、日本人なら誰でも名前を聞いたことがある大きな会社で働きはじめること。 いつか独立して海外で活躍したいと思っていること。
 未来という純白なキャンパスを前に、彼女の目は淀みなく、静かな野心で燃えていました。 ものを書くこと以外ろくに頭にない私はその姿を見て感心しました。 その頃は、まだ若い女性が多くの夢を語れる時代ではなかったのです。 それでも、彼女の明るく謙虚で直向きな姿を見ていると、“この夢が報われない世界などおかしい、あってはならないのだ”とさえ思いました。
 本が好きで怜悧な彼女との話を尽きることなく、あっという間に夜は更けていきました。 そして、日付が変わる前にようやく私たちは新宿駅で別れました。 別れ際、改札前で何かを言おうとして逡巡する彼女に、私は「また会えるかな?」と尋ねました。 彼女は言葉を飲み込んだ後、笑顔で「あなたが良ければ」と言いました。 その笑顔はとても愛らしく、私の心を暖めました。
 手を振り離れていく彼女。 改札の向こう、雑踏の中に消えていく襟足と赤いマフラー。 その光景は小さなボートを見送るようで、どこか遠い世界のことのようでした。 そして、すっかり彼女を見送ると、私は自分の胸の中に芽生えた小さな違和感を認めました。 小さな違和感。 それは決してネガティブなものではなく、かといって良いものでもなく、どちらかというと何かを正しく捉えそこねているような悪い予感でした。
 うまく言葉にできないのですが、彼女からは他の若い女性(或いは男性も)が持つ、ある一つの世代に共通する匂いや手触りが一切感じられなかったのです。 それは偏に容姿が良いとか悪いとか、性格が活発であるとか控えめであるといったことではなく、なんといいますか、例えば、彼女が他の誰かと過ごしている姿が(それは、友人だったり、恋人だったり…)全く想像できなかったのです。 彼女が友人とランチをしている姿、母親と電話をしている姿、恋人と手を繋いで歩く姿、下着を脱ぎ、ベッドで抱き合う姿… そ��どれもに手触りがなく、掴もうとすると、するりと指の間を抜けていくようでした。
 ただ、正直なところ私もそれをうまく計れずにいたのです。 私も人生経験の未熟な若者でしたし、なにせ出会って間もない女性のことです。 多少の神秘性はあってもおかしくはない。 むしろそれが彼女の魅力なのかもしれなかった。
いずれにせよ、私にとってそれは初めての感覚でした。
 年が明け、春が終わる頃、示し合わせたかのようにいくつかの連載の話が舞い込んできました。 私は胸にいつまでも残る余韻のような感情をなんとか作品にできないかと、文章を書いては推敲し、自分の表現を模索していました。
 当時、私の書くものへの評価は大きく二分されていました。 自由な文体に漂う叙情的な感情の流れを新しいものだと評価してくれる人たちと、非構成的で散漫な文章からは何も見出せないと厳しく批評する人たち。 簡単に説明するとそのような感じです。 そして、文壇で力を握っていたのは圧倒的に後者の人たちでした。 彼らは私の文章をどうにかして自分たちの作った既存の枠に押し込もうとします。 彼らの手にかかると、言葉はひとつひとつ分解され、検品され、気がつくと皮を剥かれた玉ねぎのようにすっからかんにされてしまいました。 それはある範囲では正しさであったのかもしれませんが、私のような若者にとっては吐き気がするくらい悍ましく、不自由なものでした。 そのため、この世界での私への���価はあまり良いものではありませんでした。
 ただ、私は当時から一貫して決めていることがあります。 それは、文章に余韻を持たせるということです。 文体やストーリーは、その隠れ蓑でしかありません。自由に配色され、時に焦点をぼかしながら、然るべき場所へと進んでいきます。それは装飾であり、ひとつの個性であり、意思の有無に関わらず、花が咲き、やがて枯れていってしまうものです。 しかし、感情は違います。 感情は、物語の通奏低音としていつまでも流れ続けます。 それは個性というよりも血であり、生臭い匂いであり、拭うことのできないものなのです。 作家はそれを捕まえなくてはいけない。 そのために気がおかしくなるほど、ひとつのことをじっと考え待ち続けます。 その横顔と出会える日を夢見て、毎朝、毎晩、瞼の奥をただ眺め続けるのです。 花を咲かすのではなく、根や茎や葉や散った花弁にまで血が通うようにひたすら水を遣り続けます。 そうしてようやく書き始めたとき、物語に植え付けられた、どこまでも余韻を残す感情だけが、誰かの人生の頁になれるのです。
 もちろん、若い私にはそんな強い思いを抱き続けることは難しく、お酒を飲んでは自分の無力さを嘆いていました。 電話が鳴ったのはそんな時です。
 電話口から聞こえたのは女性が涙を堪える音でした。 東京の夜の深い闇の向こうから聞こえるその音は、途切れ途切れで、集中しないとほとんど静けさにかき消されてしいます。 向こうの夜もこちらの夜も、そこにあることを忘れてしまうくらい静かな夜で、私たち以外の何もかもが止まってしまったかのようでした。 私はじっと受話器の向こうの胸の音を聴きました。 巨大な静寂の中に潜む消え入りそうな小さな声、巨大な東京の騒音の中にかき消されたそれ。 目を閉じると鼓動の音が聞こえて来て、まるで深い異邦の海の底へと潜っているかのようでした。 何度も水を掻いて顔を出した水面、靄の向こうでぼんやりと光る灯台の明かり。 或いは私がその光だったのかもしれません。 そんな時間がどれくらい続いたのか、しばらくして、小さなため息の後に一言。 「今から会えますか?」 と、美瑛の声が夜を渡りました。
 ネオンと喧騒の渦巻く新宿。 美瑛は以前と同じ店の同じ席に座っていました。 声をかけると、先ほどの電話の声とは対照的な明るい声で私に礼を言い、またあの素敵な笑みを見せました。 その頬は薄く赤らんでいて、少し酔っているようでした。 「いつもこんなに飲むの?」と尋ねると、「私にもそういう日があるのよ」と言って、またグラスを口へ運びました。
 その後も彼女の様子は変わらず、終電の時刻が近づいた頃、私は「そろそろ帰ったほうがいいよ」と彼女に告げました。彼女は時計を一瞥し、目をぎゅっと閉じた後、私を見て「ねぇ、少し歩かない?夜風に当たりたいの」と小さく、でも確かな声でそう言いました。
 新宿の人混みを抜け、青梅街道沿いに彼女の住んでいる中野の方角に向かって、私たちは夜を歩きました。 手を広げたり、髪をかきあげたり、階段を駆け下りたり、上ったり…まるで漂流するみたいに、赤いバッグを揺らしながら、少し前をふらふらと踊るように進んでいく彼女。 私たちを包み込む巨大なビル群は、どれも眠ったように息を潜め、人も見当たりません。 生活の匂いも、労働の匂いもない不思議な時間の新宿。 未だ頼りないままの手触りの彼女、ポケットに手を突っ込んで歩く私。 蝋燭の火のように静かに揺れるステップ。 それは帰るべき場所を探して彷徨う悲しいステップでした。
「東京は本当に大きいところね。たくさん人がいて、たくさんお店があって、たくさん電車が走っていて、悲しいことも楽しいこともたくさん、たくさんあるの」 突然、振り向いた彼女はそう言いました。
 ビル街を抜けると、頭上には再び東京の夜が降ってきて、山手通りを何台もの車が走っていくのが見えました。長い赤信号を前にいつしかステップは止まり、街は息を取り戻し、間も無く、私たちのくだらない生活の匂いが帰って来るのがわかりました。 そして、彼女の目には涙が溢れていました。
「ひとつ隠していたことがあってね。私は日本人じゃないの、国籍は中国。でも、日本の学校に行って、日本のものを食べて、日本で育った。日本語だってこんなに上手に話せるし、難しい言葉もその辺の学生なんかよりよっぽど知っているつもりよ。桜を見て春を感じるし、お米を研いで、ご飯を炊いて、お味噌汁を飲む、着物だって自分で着たことがあるのよ。それなのに、ねぇ、それなのに…どうして?」
 救われることのない答えを求める寂しい眼差しで、彼女は立ち尽くす私の目を見た後、溢れ出すその涙を隠すように両手で顔を覆いました。 行き交う車のヘッドライトがそれを照らしては隠し、照らしては隠し、やがて少しづつ速度を落としながら止まりました。 そして、信号が青に変わるとともに、彼女は「ごめんなさい…」と一言残し、去っていきました。
 悲しみを飲み込むように消えていくその背中。 それはどんな言葉や物語よりも本当のものでした。
 私たちと彼女を隔てて、明滅する青信号。 そこに散らばったいくつかの風景。 水の入ったグラス、赤提灯、絵に描いたような笑み、知らない国の香り、夢を語る姿、小さな違和感、文壇、電話の声、ネオン、ステップ、溢れる涙、消えていく背中… それらはどれも失くしたことすら忘れてしまうようなとりとめのないものでした。 でもそれは確かにそこにあったんです。 そして、今ここでひとつの物語が終わろうとしている。 終わる。 終わらせてしまう…
 気がつくと、私は急いで交差点を渡り、彼女のもとへ駆け寄って、その手を掴んでいました。 春の夜の東京の空気より少しだけ冷たい手のひら。 それが初めて触れた、彼女の確かな温度でした。
 それから、彼女はここ数ヶ月のことを思い出すように話しました。 入社後に配属された部署は彼女の語学力を十分にいかせない場所だったこと。 その力を使って仕事を進めようとすると多くの邪魔が入ったこと。 そんな姿を案じて、親身に相談に乗ってくれた上司がいたこと。 その上司から身体を求められたこと。 一度だけそれに応じたこと。 その人には奥さんと子どもがいたこと。 ひどい罪悪感に襲われたこと。 関係を拒むと、自分が日本人でないことをひどく罵られたこと。 どこからか悪い噂が流れ始めたこと。 仲の良かった同期や親しかった同僚たちとの距離が少しづつ離れていったこと。 会社は彼女の話を全く聞いてくれなかったこと。
いつしか自分の居場所がなくなっていたこと…
 その会社はとても大きくて、ひどく日本的な会社でした。 或いは、日本全体がそういう時代だったのかもしれません。 力のない者たちにとって、暗い話はいくらでもありました。
「何もかも嫌いだわ!あなたも、この世界も、全部!」 一頻り話し終えると彼女はそう言い放ち、大声で泣きだしました。 静かな住宅街の路上、彼女の言葉をさらっていく乾いた東京の夜風。 悔しさに、悲しさに涙する、小さくて頼りないその姿は、どこにでもいるひとりの女の子のものでした。 私はそっと彼女を抱きしめました。 「ねぇ、どうして…」 彼女のくぐもった声が、胸の中で何度も何度も木霊しました。
 明け方、目を覚ますと隣に彼女はいませんでした。 少しだけカーテンが開いていて、そこから夜明け前の薄く伸ばした光が入り込んでいます。 アパートの二階、彼女の残り香がするクリーム色のタオルケット。薄明かりに晒された部屋は六畳くらいの大きさで、壁がところどころ剥がれていて、彼女の持つ雰囲気とはかけ離れた質素なものでした。
 立ち上がると、「起こしちゃった?」とカーテンの向こうから声がしました。目を向けると、薄暗いベランダで美瑛は煙草を吸っていました。 「眠れないの?」と聞くと、「眠りたくないの」と彼女。 橙色の火が燻らせる煙の先、明けていく空には重たい雲が敷き詰められていて、僅かなその隙間から白い光が覗いていて、煙はその光��吸い込まれるように真っ直ぐに伸びていきました。 横に並ぶと、「あなたも一本どう?」と言って彼女は私に煙草を差し出しました。 火を点け、ふぅと吐き出すと、そこには私と彼女、二つの煙の靄が出来上がりました。 東京の空に吐き出された二つの白い煙。 初めはしっかりと輪郭を持っていたそれは、いつしか薄く伸ばされ、混ざり合うようにひとつになって、ふたたび空に還っていきました。 私たちは無言のままその行方をじっと見守っていました。
「ねぇ、悲しい話をしてもいい?」 煙が消え去ると彼女はそう尋ねました。 そっと頷くと、彼女は新しい煙草に火をつけ、まるで喜劇を語るように話しはじめました。
「わたしはね、朝鮮に近い少数民族の自治州で生まれたの。だから中国籍だけど、中国人でもないのよ。幼い頃のほとんどは韓国で過ごしたわ。韓国はわたしたち家族にとって外国だったけど、三人の暮らしはとても幸せだった。でも心中は複雑だったわ。わたしたちの幸せは寂れていく故郷の上に築かれているようだったから。わたしの故郷は一時間もあれば回れてしまう小さな町だったけれど、昔はみんなが家族みたいに温かく暮らしていたの。なだらかな黄緑色の丘があって、丘の上には水車があって、牧場があって、その起伏を縫うように一本道がどこまでも続いていた。家族も友達もみんな同じ病院で生まれて、同じ学校に行って、同じ美容院で髪を切って、同じように歳をとっていくと思っていた。でも、そんな小さな町にもいつしか本州の経済の波が押し寄せてきた。それは一部の人をとても裕福にしたわ、でも町は幸せにならなかった。いつしかお金のある人は中国の都会や韓国や日本に出たきり戻ってこなくなって、貧しい人だけが残された町はどんどん疲弊していった。酷いものよ。でもいずれは消えていく運命の血だったのかもしれない。わたしたち家族の小さな幸せもそうやって出来上がっていたの。でも、それは仕方がないことだった。そして、わたしが十歳の時に母が死んだ。交通事故だったわ。父も母もわたしも故郷に後ろめたさを感じながら、それでも慎ましく小さな幸せを噛み締めて生きていたのに、この世界はある日突然私たちから母を奪ったの。それも交通事故よ。なんてこともないただの交通事故。この気持ちわかる?びっくりして何も感じなかったわ。母を轢いた人を恨んだり、悲しくて涙を流したり、そういうところまで全然辿り着けなかった。そして、あっという間に色々なことが過ぎていって、“はい、こうなりました”って母が死んだことだけがまるで前からそうだったみたいに残された。わたしはどうすればいいかわからなかったわ。父はとても優秀な人で、母が死んでからも直向きに仕事に打ち込んでいた。悲しみに立ち向かいながら頑張る姿に周りも感心していた。でも、人間はそんなに強くなれないのよ。父はわたしと二人きりになると母のことを思い出してしまうみたいでよく泣いていた。心が空っぽになるまで飲んで、母の話を何度も何度もして、故郷を捨てた自分を責めて、涙が枯れるまで泣いてようやく眠るの。そして翌朝にはスーツを着てまた仕事に出かけていく。このままだといつか駄目になってしまうと思った。だからわたしはひとりで日本に行くことを決めた。十二歳の四月だったわ。父は反対したけど、こうすることが最良の策なんだって自分でも薄々感じていたみたい。最後まで賛成はしてくれなかったけど、大学を出るまでずっと支援してくれたわ。そして、その時からわたしは美瑛という名前になった。美瑛っていう名前はね、わたしがつけたのよ。まだ母が生きていた頃、三人で旅行した北海道の美瑛があまりにも綺麗だったから。そこには何もかもがあったわ。黄金色の丘がずっと続いていて、お母さんがいて、お父さんとわたしが笑っていて、空も湖もどこまでも青く澄んでいて、そこにいる人もみんな幸せそうで、日本はなんて素敵なところなんだろうと心の底からそう思ったの。そこにはわたしにとってのすべてがあった。それから、しばらくして父には新しい家族ができたわ。心の穴を埋めるにはきっと必要なものだったと思う。もちろんわたしには何度も相談してくれたし、帰ってこないかとも言われた。でもそこに戻って生活する気にはなれなかった。わたしは今でもちゃんと父を愛しているし、父もわたしのことを本当に愛してくれている。けど、彼は彼の家族にも愛情を注がないといけないのよ。そういう時期なの。だから連絡は取っていない。故郷には随分と帰っていないわ。どうなったのかもわからない。もしかしたら、もう無くなってしまっているかもしれないわね。その方が幸せな場所なのかもしれない。でも、時々すごく不安になるの。今のわたしには関係のないことだって思っているのに。すごく、すごく不安���なるの。あなた、故郷が消えていく気持ちって想像したことある?自分が生まれた町が消えていくことを考えてみたことがある?愛していた人たちも疎ましかった人たちも丸ごとみんな、みんな消えて、家がなくなって、お店がなくなって、どんどん空き地が増えて、それが当たり前になっていくの。小さい頃、見た風景や遊んだ景色を思い出すことがあるでしょう?あなたはきっといつでもそこに戻れると思っているはずよ、ただ自分が戻らないだけで、いつでも。でも、わたしにはもう戻れないの。どんなに強く戻りたいと願っても戻ることができる場所がないの。わたしのことを待ってくれている場所はもう何処にもないの。こんなことをわたしが思うのはおかしいのかしら?わたしは今、東京にいて、煙草を吸って、こんな格好でベランダに立っているのに、心は消えた故郷の冷たい風に吹かれている。母も父もいない故郷の風に。でもどうしようもないわ、どこに行ったってわたしはわたしとして進んでいかないといけない。強く、もっと強くならないといけないの。でもね、わたしはね、こんなところで、また泣いて、あなたにこんな、こんなつまらない話をしてしまうの」
 彼女は目を閉じ、何かを確かめるように空を見て、ゆっくりと煙草を吸い、またひとつ煙を吐き出しました。 そして、無理矢理ににっこりと笑いました。 それはとても、とても悲しい笑顔でした。 たまらなくなって、私はその煙草を取り上げ、火を消すと、そのまま彼女を抱き寄せ、そっと口づけをしました。 私にできることはそれくらいしかなかったのです。 震える彼女の髪の向こう、次第に色をつけていく東京の朝を厨芥車が駆けて行くのが見えました。 涙の生温い舌ざわりと彼女の煙草の残り香が、いつまでも、いつまでも口元に残っていました。
 彼女の物語の残した余韻は、作家である私を試すかのようにずっと宙を漂っていました。
 ですが、その後、彼女と会うことはありませんでした。 私は何度か中野のアパートへ行こうと思いましたが、その度に何か理由をつけては足を遠ざけました。 安易な言葉や簡単な優しさを与えるのが怖かったのです。 或いは私には彼女の悲しみを背負っていく覚悟がなかったのかもしれません。 彼女からも電話はありませんでした。
 そして、気付かないうちに時代は変わっていきました。 忙しない日々が続き、私はいつしか文壇のメインストリームと言われるようになっていました。 かつてあれほど私のことを批判した者たちも手のひらを返したように私の時代を迎合し、ある時期には、私の文章を模倣したような作品がいくつも生まれました。 中には著名な賞を獲ったり、世間の話題を攫う作品もありましたが、そういったもののほとんどが、私には感情の濃度を薄めただけの肉も骨もないようなものに思えました。私はそういった作品を忌み嫌い、自分の次元はもっと高いのだと証明するかのように作品を書き続けました。 そしていつしか、貪るようにストーリーを作り、とってつけたような悲しみを添えた、ハリボテのような作品が増えていったのです。 私は、もう書くことなどなくなってしまったのだと胸の内では途方に暮れていました。
 そんな日々が二十年余り続いたある時、突然、出版社に私宛ての手紙が来たのです。 手紙はエアメールで北京の郵便局の消印がありました。 封筒を開くと、そこには一枚の写真が入っていました。 そこは、どこまでも続く黄緑色の丘で、小さな家と牧場と水車があって、手前には幸せそうに笑う女性とそれに寄り添う男性が写っていました。 私は一目でその女性が美瑛だとわかりました。 美瑛と彼女の家族。 幸せそうな笑顔はどこまでも現実的で、それ故にとても美しく輝いていました。 それはきっと、初めてみた彼女の本当に幸せそうな笑みでした。 彼女はようやく自分の帰るべき場所を見つけたのです。 写真を裏返すと、サインペンでひと言「好きな人ができたの」と書かれていました。
 その時です、なぜか頬を濡らすものがありました。 それはとどまる事を知らず、いつしかその文字を滲ませていました。 そして気が付くと私は声を出して泣いていました。 私は、私の中のどこかでずっと彼女が生きていたことを思い出したのです。 彼女があの日からどうやって生きて、どれだけ涙を堪え、無理矢理に笑ってきたのか。 異邦の地で踊りながら、どれだけ煙草を吸って、眠れない夜を越えてきたのか。 私は偉そうに筆をとっていながら、そんな大切なことも考えることができなかった。 あの日、中野からひとり帰る朝、私は色々なことを確かめながら歩きました。 故郷にいる父や母や妹のこと。 幼い頃に遊んだ公園の遊具のこと。 初めて買ってもらった自転車のこと。 父とキャッチボールをした日のこと。 母に不恰好なエプロンをプレゼントした日のこと。 妹を助手席に乗せて買い物に行った日のこと。 私が東京に行く日、みんなで車に乗って駅まで行ったこと。 いっぱいの鞄に母が無理矢理入れた梨。 ガランとした部屋に寝転がって見た自分だけの東京の空。 カーテンのない夜。 きつい肉体労働の帰り道に買った缶コーヒー。 夢中で書いていたペンの先に射し込んできた朝日。 アパートに届いた米と缶詰と野菜ジュースが入った段ボール。 その隅っこに添えられていた手紙と一万円札が入った封筒。 今歩いているコンクリートの道。 上空を覆う高速道路。 東京に生きる人たち。 たくさんの感情…
 それは皆、私を作り上げる大切な欠片でした。 しかし、��うやって胸の奥からすくい上げて、決して離さないようにしようと決めた想いも、忙しなくすぎる日常という波に攫われ、いつしか沈んでしまっていたのです。 それでも時折姿を見せるそれを、なんとか形にしようと私は筆を取りました。 でも、それはいつだって少し違う形をしていた。 そして無理矢理に捻じ曲げコントロールしようとすればするほど、あっけなく手から離れていき、後味の悪い喪失感だけが残りました。そして、いつしか自尊心に駆られ、自分自身の余韻に酔いながら書いていた私は、かつて憎んでいたものになってしまっていた。 私は自分の傲慢さ心の弱さを恥じました。 そして気付いたのです。 私には書きたい感情がまだたくさんあると。 それは決して特別なものではない。 華美に装飾されたものでも、ドラマティックなものでもない。 吹いたら消えてしまいそうな小さな記憶の断片たち。 その断片たちが薪となって、私の作品に灯をともしてくれます。 私は特別でない私のことをもっと考えたい。 もう戻れない場所もたくさんあるかもしれない、でも今だから行ける場所もきっと��くさんあると思います。 私は今書くことがとても楽しいんです。
 気がつくとグラスは空になっていた。 作家はグラスに残されたオリーブを口にし、その余韻に暫し目を閉じると、バーテンダーにそっと告げた。
「次はギブソンを貰おうか、思い切りドライなやつを」
 カタカタとシェーカーの揺れる東京の街は、ゆっくりと夜が明けていく時間だった。
-end
【マティーニ(Martini)】 ジンベースの著名なカクテル。通称カクテルの王様。『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より抜粋
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honryu-report · 5 years ago
Text
《あなたの知らない奔流中国の旅》
前書き:                                      
前から奔流の参加者の思いが募る文集を作りたいと思っていた。張さんは旅に生きていた。自分の思想を人に押し付けることなく、いつも自分らしく自由闊達に生きていた。その生き様は、一つの芸術作品のようでもある。私たちも張さんから受け継いだ精神というべきかその思想を何らかの形で残したいのだが、文字にしてしまうとそれはとても小さく見える。私たちの旅は書き尽くすことができない。しかし、今は奔流にとって大変な時。自分たちの青春の中でもっとも素晴らしい思い出を、生涯の誇りを守るために、ここで一丸となり、形のない、奔流という旅を語り合いたい。奔流は人の流れ、私たちの中への流れでもあるのだ。
そうして気づいたことは、自分を深く見つめ、深く知り、世界を深く見つめ、深く知り、世界と自分を深く思索することで、奔流の旅は私たちの未来にもつながる。 この旅の意義を社会に証明し、あなたの今まで見ることのできなかった世界とも出会ってほしい。
そんな世界を提示してくれた張宇氏に感謝!
奔流中国 参加者 2020年1月
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旅は芸術
私は旅をしたくありません。世界各国をめぐられた私の仲間たちには申し訳ないのですが、旅を積み重ねたところで善い人生を    送れることなどなく、また優れた人格を形成できるわけでもありません。むしろ若く貴重な時間を無駄にし、虚しく偽りの自信に捉われる危険性を持つ旅を、私たちは忌避すべきです。このことはアウグスティヌスが鋭く言い表しました。
「人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の進行などに賛嘆し、自己自信のことはなおざりにしている」
(『ルネンサンス書簡集』近藤恒一編訳より抜粋)
 まさしくこの言葉の通りで、我々人間は自然の現象ではなく自らの精神の鍛錬、つまり日々の生活こそを大切にし、より善く過ごせるように努めるべきです。成し遂げたい目標があったり、大きな夢がある場合は、なおさら時間と金銭の浪費となる旅は避けるべきではないでしょうか。だから私は、旅をしている時間があるのなら、日々の日課に打ち込み、与えられた仕事を精一杯こなした方が遥かに自分のためになると考えています。それをせずに旅ばかりにうつつを抜かしているとすれば、それは現実逃避以外のなにものでもありません。
 ところで、今このように述べ上げたことは、これから私が話す内容とは無関係です。この話はここで忘れて頂きたい。私がどうしても話したいことはもっと別の問題なのです。
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという人物をご存知でしょうか。彼は二十世紀を代表する伝説的指揮者で、クラシック音楽界に与え��影響は計り知れず、死してなおその威光は輝き続けています。彼の演奏は心の奥底に響き、魂を揺さぶり、ひと度その演奏を体験すれば、人は音楽そのものの意味を再考せざるを得ないと言います。彼の著書である『音と言葉』には、その偉大なる人物の心に汪溢する音楽への愛念が滲み出ています。自著の冒頭にて、彼は「すべて偉大なものは単純である」という箴言を用います。この言葉こそ私がこれから拠って立つ原点であります。
 なぜ偉大なものは単純でなければならないのか。この言葉は芸術家のためのものです。単純とは「全てを見通して正しくその全体をつかむ」という意味で、ここでの全体とは「この世界を全様態において反映する、世界の分離した一部分」です。つまり、この世界の一部分の全てを正しく見通している作品が、偉大だということです。このように世界を作品の中に単純化することは容易ではありません。不断の努力から得られる強靭な力と、意識の変化を鋭く読み取る直観がなければそれを成し遂げることはできません。芸術家にとっては、作品は単純であるからこそ偉大たりえます。
 ・・・・・・
 ところで、私は2011年9月、奔流中国グレートキャラバンの旅に出ていました。バインブルグ草原やゴビ砂漠を、時には馬で駆け、時にはギターを弾き歌を歌いました。そこでの生活は至極単純で、本当の意味での旅がそこにありました。朝起きて、日中は馬に乗り、夜は食事を火を囲みながらとり、歌や踊りを楽しみながら目的地を目指す。その生活の中にいったいどれだけの苦痛と喜びが混在していたことか!
この旅行��引率者でありNPO法人の代表である張宇氏は、「旅とはアートである」と言います。旅が芸術だと一般的には受け入れ難いでしょうが、まさに旅とは芸術そのもので、世界のさまざまな要素を時間と空間に閉じ込めて、人びとに体験させるものです。私たちが体験した場合では、圧倒的な自然やそこで暮らす人びと、馬や遊牧民たち、歌や踊りとそれらの全てを通じて私たちの心の中に湧き上がる感情を要素として、限られた時間と場所に旅の芸術が集約されていました。音楽が時間の芸術と言われるに対し、旅は時間と空間の芸術と言えます。もっと突き詰めて言えば、旅とは人生そのものを有限的な世界に表現する芸術です。青く広大な空やその中を飛ぶ白鳥も、また雄大な草原やその中で咲くエーデルワイスも、あの旅の要素の一つでした。
ですから、この場合も芸術として旅を見るならば、それは単純であるべきではないでしょうか。古代シルクロードはまさに旅を人生とした人たちによって作られていきました。もちろん彼らは日々を生活する人間であり、決して旅を創り出す芸術家ではありません。ですが、私たちが体験した古代人が創り出したシルクロードへの旅は、なんと芸術的だったことか!そこには人間の人生そのものが、単純に集約されていました。人が生きていく上で求める最初の根源的なものと、日常生活を善く生きるために必要な知恵や力を、私たちは擬似的に体験したのでした。あの旅は張宇氏の人生そのものでもあり、私たちの人生そのものでもありました。思うに、全ての芸術において最も大切な始源はこの点にあります。
 つまり、どんな芸術も、最初はそれを創り出す人、または体験する人の人生そのものでした。それこそが偉大なる単純さの源であり、私たちに感動をもたらす泉です。そこから芸術は大いなる奔流となって人びとの生活を満たしていったのです。
 私ははじめに、旅などしたくはないと言いました。しかし今となっては、声を大きくしてこう叫ぶことができます。
旅をしよう。記憶に新しいあの旅が私たちに教えてように、日常を旅しよう。それが芸術にとって、また人間にとって大切なことなのだから。
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奔流の旅                               
奔流の魅力は旅、そのままの姿を体験できることだと思う。予定外想定外のことが起こるのが旅だ。人生だって同じ、予定表なんてない。思い通りにいかない事もあるし、思いがけない幸せもある。 馬が来なかったり、6時間飲まず食わずでぶっ通しで砂埃の中を走ったり、氷点下の中で寝たり、肉体的精神的苦痛が伴った。だからこそ普通の旅行では味わえない絆が生まれる。
この旅は素材であり、それを使っていかに自分の求めるものを創りあげるか。そこに他人からの評価はいらない。上手く出来たら誇らしげにその喜びを仲間と共有すればいい。上手く出来なかったら取り組むべき課題を見つけられたと喜べばいい。いずれにしろ昨日の自分よりは一歩前に進んでいる。 毎年の事ながらこの旅は参加者各個人の内に秘めた力を見事に開放させる。旅を終え、皆キラキラした目でやりたい事を語り、出発前より元気になって帰ってくる。 奔流の旅は、ひと夏の草原の思い出ではなく、新たなスタートである。
私は今年、以下のインスピレーションを頂いた。私はこの牧場を必ず設立させる。私の旅は始まったばかりだ。
それに向けてのまず第一歩は、日々の仕事を着実に頑張ること。夢を大切にし素直に生きる張さんからそれを学んだ。
  『奔流牧場』 【コンセプト】”創造”、"絆"、”国際交流”、”楽しい!”、”人材育成”、”挑戦” 【概要】日本の若者に情熱と感性を与え続けてきた奔流。たくさんのエネルギーとインスピレーションを頂き、たくさんのことを学びました。そんなパワーステーションを日本にも作りたいといこうことで設立したのがこの牧場です。忙しい日常から離れリラックスするとともに、時代に流されない美しさ強さを再認識し、新たなスキルを習得できるような牧場です。週末に家族連れて気軽に遊びに来てください! 【設立】20XX年 【場所】湘南国際村(東京から近い、古都鎌倉から近い、海が近い、富士山が見えるetc)
【施設概要】 ・牧場:乗馬 ・農園:organicな感じで。 ・Cafe/Restaurant:牧場・農園からの食材で。 ・Lounge:暖炉を囲み、夜通し語ろうぜ! ・Lodge:基本は青空ゲル(寝袋/銀紙シート提供有)。希望者はlodgeに泊まれます。 ・Dormitory:世界からの留学生が短期/長期滞在できるように。 ・Studio: Language:各国の留学生から直接指導。 Fitness:乗馬/ジム/武道/ダンス/ヨガ/水泳/ゴルフ/テニス/サーフィンetc Art:写真/映画/絵画/音楽etc Japanese culture ”道”:茶道/書道/華道etc 世界に誇る日本の”道”。 Business:第1線で活躍しているbusiness person(君達のことです。)によるセミナー講座。 料理教室:各国の食文化の継承と創造。 ・温泉/プール ・大富豪ルーム ・Gallery: 奔流中国の歴史と変遷。 遊牧民の文化や生活を写真/映画/音楽で保存。  ・茶室:日本芸術の粋。 ・図書館:世界の絵本・各種専門書・自習室。 ・診療所:健康講座・人間ドッグetc ・国際協力:海外留学・留学生の受容。そこから生まれる新たな発想とそれらが生かせるような仕事の創造。 ”医療チーム派遣”:世界の無医村へ医療提供キャラバン。 【リンク】奔流中国主催者張宇氏による”パインブルグ乗馬基地”:シルクロードの中央に位置し、世界の若者や芸術家たちが集い、旅の心を知り馬のスピリッツを共有できる奔流の本山。東方騎馬文化の保全とともに騎馬文化から生まれたファッションブランド基地でもある。
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「人馬一体」に生きる
「切り撮る」×「切り開く」=「突き抜けMAX」…!?
旅の3A,それは人生の3Aでもある―Adventure・Amazing・Art。
冒険心をもって自分自身を世界に投じるところに美しき発見があり,驚嘆がある。それは写真活動にも似て,限りない可能性から,かけがえのない意味とエネルギーに満ちた絵(私自身)をフレーミング(創造)してゆく営み(Art)でもあろう。……(略)……大学を卒業してちょうど10年,社会実践(職場)と研究活動(大学院)に股をかける両立生活は今,自分の中で間違いなく大きな節目を迎えている。「苦悩と渇望」にあって,そこにどんな風景を,どのように切り撮って焼きつけることができるだろうか?(参加動機書より)
キャラバン前に綴った私の思いである。なんとも浮き足立った感が否めない。けれども,少なくとも何かはこの旅に求めていた。頭でアレコレ空想してもダメだ,とにかく自分の足と体を動かそう,そうしたら頭と心も働くはず…そんな思いでついに奔流へ飛び込んだ。
キャラバン中,そしてキャラバン後,心の中にずっと離れず残り続けた,あるおぼろげな風景があった。この文章(旅の証)をまとめるプロセスは,その風景にピントを合わせ,できる限り見通しよく視覚化し,時を得てシャッターを切る(言葉化する)機会となった。あえて最初に屁理屈な結論を先取りすれば,私はこの旅を通じて,ある究極的な華々しい「何か」を得たというよりは,その何かに到達するための,「術」とか「コツ」というものを身につけたように思う。そのために切り撮られた風景は,全くもって想定外だったが…。
さて,中国の表玄関・上海を皮切りに,我々キャラバン隊の進路はひたすら西へ,西へと向かった。奥行きの深い壮大な自然と,そこに堆積する時の厚みにひたすら圧倒された。その我々を運ぶ列車やバスも,強い風雨や泥にまみれ,険しい地形とうまく格闘しながら,黙々と邁進し続けた。その時々の思いは,まるで流れゆく雲のように,旅仲間の思いとくっつき,変化しつつ膨らみ,ゆっくりと漂い,やがて心地よく彼方へと消え去ってゆく…そんな繰り返しだった。そしてついに,この旅の珠玉の乗り物である「馬」にありついた。
乗馬初日から,しかも初めて乗る馬で,いきなり草原を颯爽と駆け回ったあの感慨は,奇跡だと思った。そして小高い丘から見渡す蛇行川,またそこに強く差し込む夕刻��斜陽の照り返しは,ただただ雄大で,豊かで,固唾を呑むしかなかった。そんな心地に導いてくれたその馬に,私は躊躇なしに感謝と愛着を抱いた。
事態が急変し始めたのは,舞台が砂漠に移ってからのことだった。事情あって私の乗る馬は日替わりとなり,馴れない悪戦苦闘の繰り返しが余儀なくされるということもあったが,さてこ��からは,砂漠上の事故と二次被害を防ぐ策としてとった「基本,並足一列」のキャラバン隊の風景に,話の焦点を絞っていきたい。
容赦なく照りつける直射日光。そこは気候と地形の条件が実に厳しかった。何の潤いも楽しみもない。ただひたすら,相も変わらず馬に乗って進むだけ。次第に疲労感と徒労感に包まれる。皆,口数も少なくなる。引き戻せない辛さ。せっかく馬に乗りに来たのに…。喉カラカラ。命カラガラ。荒涼殺伐~まさにそこは「無味乾燥」地帯!
そして次のような自問自答が,自分の頭を支配し始めた。
「360度見渡す限り,一体どこに方向を定めればここを切り抜けることができるのか?」
「そもそも自分は一体,何のために今ここにいるのか?」
しかし,しばらくしてふと,同じ頭の中でこんなシミュレーションもしてみた。
「この“空虚”な状況下で,ただ一人取り残されたら絶望的だ。だが,もしもここから切り抜けられる可能性があるとしたら,それは一体どのような仕方においてか?」
この問いにおいて,自分にとって絶対不可欠と実感するものが,大きく三つあった。
①キャラバン隊であるということ:【心のシャッター】
実は自分だけが苦しいのではない。皆たいてい辛かったはずだ。にもかかわらず,否,だからこそ,そこには労り合いや励まし合い,分かち合い(特に水!)が自然発生した。
やがて互いの心に動きが起こり,潤いが生じる。他人同士だった者が仲間となってゆく。そこに,先を目指すための燃料と何某かの風景が,胸の内に「切り撮られ」ていった。
②馬の存在~馬とのリズム:【人馬一体】
とはいえ,仲間の力だけで切り抜けられるほど甘くはない。何らかの術が必要である。そこであらためて,「馬」である。今ここに,途方に暮れる私と共にいる馬。その意味で,馬ははじめ私を目的地へと運んでくれる「道具」であった。しかし,自動ではない。故に手綱をしっかりと握り締め,馬を技術的に支配し,甘えさせることなく走らせるのだ。
ところが言うまでもなく,一方的な支配関係ではダメだ。馬にも体力や性格,そして心がある��こちらが縦になおも鞭打てば,そのうち馬にも限界が来る。反抗的にもなろう。だがそうかといって,そこで安易に無為に甘やかせすぎてもいけない。馬も人を見ている。いつの間にか,今度は自分が馬に支配されてしまう落とし穴と,隣り合わせなのだ。
この,支配か-被支配かの次元を超えて,馬をうまく乗りこなすというのは実に難しい。そしてキャラバン内でのこの見えざる孤独な葛藤…それは馬の数だけあったことだろう。しかしそれだけに,馬に乗るという動作には,異次元の奥深さがあるということでもある。
ところで今,「馬に乗るという動作」と言ったが,これは果たして,「人が,技術的に(うまく),馬に乗る」というだけの意味だろうか。ここで少し見方を変えれば,それは「馬が人を乗せる」,あるいはこれを,なお自らを主体として表現し直すなら,少なくとも,「馬に乗せてもらっている」という謙虚さが伴うはずの次元とも重なり合いはしないか。
馬との関わりの困難さ=奥深さが突きつけられた今,もはや私の側のvisionに沿った思惑だけで推し進めることはできない。それを相対視し,それを実現してくれるはずの馬の側の心情や呼吸に沿うこと,ひいては,馬の魂の域にまで触れ合うような私自身の息遣い,心遣いが求められるのではないか。馬は人を見ているのである。いみじくもここのところ、張氏は「なるべく馬は乗り換えず,一つの馬に乗り続けるように」と何度も強調し続けた。そしてそのことに忠実に成功した何人かの参加者の感慨は,実に豊かで,何かを見通せるほど透き通っていた。馬と格闘し,「変化」と「一体」をものにしたかれらの言葉は,心からの喜びそのものだった。馬との不可抗力的な相性の良し悪しを超え,時宜に叶ったタイミングや仕方で馬と呼吸を合わせ,「手綱」の意味を豊かにし,新たなリズムを生み出してゆくこと。この馬との共鳴,あるいはもはや,主体と客体が未分化した境地でまさに文字通り「馬が合う」こと。果たしてこれが,古より受け継がれてきた「人馬一体」の神髄に,幾ばくかでも迫るものとなるだろうか…。
③鐙(あぶみ):【足場の確保】
「人馬一体」への補足として、本能的に常に不可欠としていたものに,「足場感覚」がある。初めての乗馬。スピード感覚よりもバランス感覚に慣れない。死の恐怖がよぎる。そんな時,再び張氏の言葉で印象的だったのは,足場を担保する「鐙」への足のかけ方に関する助言だ。「足は鐙に深く入れない。いざという時,足が外れにくくかえって危険だから。けれども,  
単に足を飾りのように「置く」とか「乗せる」というのでもない。踏ん張るのだ」。
この絶妙な言い回し。力みすぎず,油断もしすぎず。心身の安定を支える「足場」は,実際私にとっては何よりの拠り所だった。しかしそこには,‘絶妙なほど加減’なるものがあるようだ。おそらくそれは,馬と私との間の,身体的・精神的な関わりや呼吸において初めて独自に見出され得る,これ以上ない相応しい着地点としての足場感覚,ではないか。
短い時間で実際に得たものは僅かだが,感じるものはとてつもなく重厚で,大きかった。キャラバン半ば,私がほんの一瞬だけ,馬と共に颯爽と駆け巡っていると体感できたある場面を今思い起こすと,私はあの時,馬に「乗る」というよりは,馬に身を預けつつ「立つ」ていた。あるいはより比喩的に表現するなら,私はあの時,大地の上を,何かに導かれながらも,「親指感覚」程度に,自らの足で一歩ずつ踏み出していたようだ。
以上の三つを,砂漠上で,馬上で,考えていた。そして次第に,このシミュレーションとその前提は,自分のこれまで/これからの生き方とも重なってくる事柄のように思えてきた。「この砂漠上で抱く空虚感は,現実の己が既に抱いてきた心の風景ではないか?」
仕事と研究の両輪を回転させてきた自分。だがその二輪車は,いつしか,ある地点から先へと進むことができなくなっていた。思うにそこには,社会における比較や評価という,値踏みの巨大モノサシが立ちはだかり,自らもその既成の枠の中で「自分の力で,(結局は)自分の満足のために」突き進もうとし,一喜一憂しながら振り回されていた姿がある。
否,もしかしたら,そのはるか前から己の内に通底していたであろう,総じて言えば,これまでの「自己拡張」的な生き方が,今や完全に頭打ちとなり,自らをある一定以上に,大きく突き破らせることができなくなったばかりか,ただただ,孤立感と虚無感という,足場無き深淵の闇に突き落としてしまったのだとさえ言える。そしてこうした自己分裂,ひいては自己無化という結末の境地は,無味乾燥にしか映らずただ徒労感に打ちひしがれていた,「あの」砂漠上での心地にピタリと重なり合ってゆくのを禁じ得なかった。
根こそぎ足元をすくわれ,もはや拠って立つ足場が失われつつある危機にあってなお,何にも揺さぶられず,流され得ない確固たる基盤や自分自身の根本的あり方に飢え渇く日々。これ自体,私の中に「生きんとする志」が潜んでいることを示しているのだろうか。けれどもこの期に及んでは,よもや己の力になおもしがみつこうとする自己執着(我執),ましてや,己の生命やそこに隠された神秘の意味を徒に投げ捨ててしまうような自己放棄,といった極端なあり方に右往左往する愚かさには,もはや甘んじられまい。
…では,どうすればよいか?
それは,苦悩(渇望)をちゃんと「苦悩する」,ということに尽きるのではないか。新たな足場は,どこか他に予め用意されているのではなく,自らの態度のあり方においてこそ,その足元から自ずと築かれてゆくのではないか。そしてそのヒントは,あの「親指感覚」にある。力みすぎず,油断もしすぎず。自ら踏み込んで「立つ」(自力)感覚と,自らを超えるものに身を「任せる」(他力)感覚。自問自答でなく自己拡張でもない,この,ある種緊張を伴う絶妙なる呼応関係。こうして,空虚な深淵にあって「苦悩」はその足場となる。
ところで,「足場」とか「親指感覚」とは,そもそも「馬」の話から出たものだ。そしてその馬は,今や私を単に楽しませ,目的地へと運んでくれる道具のみではあり得ない。私自身の足場を常に問い,確保させた先に,私の夢や信念を叶えてくれる導き主である。否,「人馬一体」の域にあっては,既に馬は私の信念そのものであり,辿るべき道そのものだ。
今回の旅の舞台となったシルクロード,また草原と砂漠を分け隔てた天山山脈にしても,その厳しく壮大な自然条件に我々は幾度も驚嘆し,愕然とした。それまでに抱いていた,ある種のロマンティックな空想は,あの実像を前にしては音を立てて見事に崩れ去った。果てしないのである。とはいえ,我々は既にある程度備えられたコースを,主催者側の最善の配慮のもと安全に導かれていた。その意味で,旅ではあったが真の冒険ではなかった。しかし思うに,この地に初めて足を踏み入れた先代達は,いかにしてあの大地を駆け抜け,あの山々を越えて行けたのであろうか。予め用意された道など無かったはずだ。おそらく,孤独を分かち合う同志と共に描いて切り撮った希望や物語を胸に,まさに未だ知られざる「未知(みち)」なる地平を切り開いていった跡に,自ずと「道(みち)」はできたのだろう。「人馬一体」となって突き抜けたであろう,その真の冒険精神は,今回の旅から響いたメッセージであり,来るべき自らの人生の冒険に向けて,かけがえのない贈りものとなった。
「親指感覚」を起点とした乗馬奮闘記,自己探訪記,歴史追随記,未来設計図…なんとGreatなCaravanだったことか!そして今,確かな手応えとして感じている自由。現実のしがらみに束縛されつつも,真に束縛され得ない境地としての自由。かつまた真に現実へと立ち向かってゆく自由なる冒険心。この旅は非日常ではありながら,しかし,現実逃避した幻や夢物語ではない。冒険という名の私の人生そのものとして,風景を変えてこれからも続いていくのだ。
この旅を導いてくれた人、張宇氏に感謝。
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「〜過去への回帰 そして未来へ〜
 奔流中国グレートキャラバンに参加して」            
自分自身にとって「グレートキャラバン」の旅に参加するということは
まずは、「過去への回帰」でもあったかもしれません。
2011年5月6日。
私はこの日に大切なものをなくしました。
人生がちょっと複雑になってしまった瞬間。
「生きる」ことがちょっとめんどうくさくなってしまいました。
「記憶を消せるなら消してしまいたい。忘れよう。忘れよう。」
一方、「忘れたい記憶があるから忘れた記憶を取り戻したい。」
そんな欲求にかられていました。
2011年6月23日。
そんな中、14年前、まだ大学2年生だったころ、
奔流のシルクロードの旅で出会った張さんをはじめとする仲間と再会。
14年前と変わらない、でもちょっと大人になった人たちの笑顔。
忘れていたものをまず1つ取り戻した瞬間がありました。
そして、聞かされた、「グレートキャラバン」という旅のこと。
「馬で旅をする」しかも
「かつて商人たちがアジア、ヨーロッパ間を馬で走っていたであろうシルクロードを馬で駆け抜ける」
「この21世紀になんておかしな旅なんだろう」
「張さんってば最高じゃん!」
私にはちょっとした非日常が必要だったみたいです。仕事の都合をつけて参加することにしました。
そして、記憶にケリをつけるためにあることをしようと、心に誓いました。
2011年9月18日。
トルファンで合流したら、電車の中から出てくる出てくる
たくさんの学生さんたち。
14年前の記憶が一瞬で戻りました。
「おーこの感じこの感じ。19歳のときは、とにかくなにもかも新鮮ではしゃいでいたっけ」
19歳のときに初めて参加した奔流は、その後の私の人生の大きな起爆剤になりました。「あこがれの中国に初めて行けた。しかもあこがれのシルクロード。」
その後、私の学生生活といえばさらに西へ西へ。中国の隣の国、そしてまた隣の国。シルクロードをひたすら旅して、思春期をすごしたヨーロッパへ。
そこで出会った、宗教にからむ紛争、でもその状況下でも笑顔を絶やさない人々。
「この人々のことを伝えたい。」
忘れていたもの、2つめを取り戻した瞬間。
さすがに33歳になった今、あのころみたいにはしゃぐことはできなくなっていましたけど。。。心の中でちょっと興奮状態。
2011年9月19日。
さて、興奮状態さめやらぬままバインブルグ草原で出会った 
額には白い三日月の模様、そして背中につむじのあるステキな馬、
つむじちゃん。つむじちゃんは兄弟の馬とつねに寄り添っていました。
もう一目惚れ。なんてかわいいんだろう。
「運動神経ないけど乗れるのかな」
そんな恐怖、不安はなんのその。気づいたら草原を駆け抜けていました。
つむじちゃんの走るときの体温、息づかい、汗、、、
そしてちょっと張り切りすぎて自分一頭だけになってしまったとき、
兄弟を探している不安げな表情、いななき、そわそわとしている足取り。
最初は顔を近づけても全然そっぽをむいてしまうつむじちゃん。
でも1日、1日しつこくつむじちゃんを探しては乗っているうちに、そして私も兄弟を探して常に寄り添っているうちに、家族みたいな気分。最後は顔を近づけてくれました。
「かけがいのない存在」「家族」「寄り添う」「体温」「息をするということ」
「生きる」「生きている」「必死で生きて行く」
つむじちゃんにとっての「日常」。
つむじちゃんから学んだちょっとしたこと。
一方、草原は人間を寄せ付けな��圧倒的な美しさと厳しさが容赦ない。
圧倒的な静寂。圧倒的な朝日そして夕日。圧倒的な星空。圧倒的な寒さ。
でも、そこに住んでいる人々、そして馬たちにとってはこれが「日常」。
私なんか1人でいたら一晩で死んでしまう。私にとっては「非日常」。
ある日見た、草原のさきにそびえる雪をかぶった山脈。南の方角。
そのさきにかつて訪れたチベットが。。。 
「ここにはなにもない」
「でもすべてがある」
忘れていたもの、3つめを取り戻した瞬間。
その瞬間、悪夢のような記憶にケリをつけるのをやめました。
一生私はこの記憶とともに生きて行く。
そしてまたここへ戻ってくる。
そして帰国後、東京である日。こんなことを感じました。
店がオープンする30分前の街のざわめきが好き。いつものざわざわ。

いつものデスクまわりのざわつきが好き。
いつものざわざわ。

日常に感謝。

日常がそこにあるから、生きていく。なんのために生きてるのかわからなくなったなんて考えちゃダメだ。

日常をこなすのが生きて行くことなんだ。
これが私にとっての日常。
そしてちょっとした非日常、奔流にありがとう。
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備忘録
大学2年生の4月、偶然youtubeで西安からウズベキスタンを旅した方のスライドショーを見た。炎のような火焔山、キルギスの石人、サマルカンドの青いモスク・・世界にこのような美しい場所があることを初めて知った。中国には青い目を持つ人々が住んでいることを知り衝撃を受けた。私の中国とシルクロードへの憧れはこのとき初めて生まれた。
私は観光目的でグレート・キャラバンに参加してしまった。そのためがっかりさせられることも多かった。寝台列車の遅延や馬の到着が遅れたせいか、楽しみだったベゼクリク千仏洞や羊さらいを見ることができなかった。このことは今でも心残りだ。
しかしあるとき、私は間違っていることに気付いた。
~シルクロードの旅は観光ではない~
シルクロードという言葉は美しい響きがあるが、私の見たシルクロードはそうでなかった。草原の昼は汗をかくほど暑くなるが、朝は霜が降りるほど寒かった。映像で見た美しい天山山脈も、実際登ると吹雪と霧で前が見えなかった。横を見るとそこはもう崖だった。 シルクロードには多くの国が現れては消えた。多くの血も流れた。旅人も盗賊に襲われることもあっただろう。この旅でシルクロードはデスロードであることを悟った。
それでも古来の旅人は死ぬ覚悟でシルクロードを旅した。何故なら彼らには命をかけても成し遂げなければならない使命があったからだ。
ローマ帝国を目指しシリアまで辿り着いた後漢の甘英
仏教の経典を求めインドへ向かった三蔵法師
莫大な富を求めフビライ・ハンの元へ向かったヴェネツィアのマルコ・ポーロ
この他にも多くの旅人がシルクロードを歩いた。勿論、志半ばで倒れた名もなき旅人も大勢いるだろう。シルクロードを旅するというのは、観光などという甘い気持ちで旅してはいけないのだ。砂漠越えでの喉の渇きと腹痛が、私に教えてくれた。
馬は現代では娯楽のための生き物だが、古の時代はそうでなかった。カザフ人の遊牧民スタッフと相撲を取ったが、相手は屈強な体で私は勝つことが出来なかった。モンゴル人と握手した時、彼らの手の皮がとても厚いことに気付いた。寒暖の激しい草原に住んでいるからだろうか。遊牧民スタッフは皆人懐っこかったが、彼らには勇敢な騎馬民族の血が流れている。火器や戦艦が登場するまで、騎馬民族は世界最強の戦士だった。高速移動しながら矢を浴びせ、高い場所から敵を切り裂く。敵の反撃が始まる前に瞬時に離脱する。馬を操れるというのは、今でいえば戦車や戦闘機を操れるようなものなのだろう。騎馬民族が歴代の中国王朝を苦しめ、ヨーロッパまで攻め上がりユーラシ���大陸を支配できたのも何となく理解できた。
~奔流中国~
奔流中国最大の存在意義は、自分の道を自分で創り切り開く人材を世に送り出している点だと思う。大学を長年留年したり、定職につかず、会社を退職し留学へしたり・・張さんや奔流の先輩方を見てみると、社会の枠組みにはとらわれない人が大勢いて驚かされる。先輩方の表情はとても明るく、今の自分に後悔しているという感じは見られない。
彼らは中国の雄大な大地を知ることで、そしてシルクロードを旅することで気付いたのだろうか。
 道無き道を旅したシルクロードの旅人のように自らの人生の道を創り全力で駆け抜け、そして歴史に名を残すような偉業を成し遂げる素晴らしさを。
奔流が教えてくれる、我々は確かにシルクロードを旅したのだ。
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昔から女性のハイヒールのコツコツという音が好きだった。
朝の通勤ラッシュ時の渋谷駅で、私は無限の行軍に耳を傾ける。
何故この音は心地よく体に響くのだろう。
今日、前を颯爽とゆく女性の足音を聴きながら、もしかして、と思い当たる節があった。
これは、馬のひづめの音に聞こえはしないか。
面白いことに、音だけでなくそのリズムまで、女性と馬のそれは同じに思えるのだ。流石に人にはギャロップは出来ないだろうけど。
何人ものOLが行き交うコンコースで目を閉じると、大都会でキャラバンしているように感じる。
一方でそう思うと、競うように高いヒールを履き合う女性たちが少し滑稽に思えるのだった。
東京でのキャラバンは、灰色の天井と疲れた二酸化炭素ばかりだ。
エスカレーターは一定の速度で人を運んでいく。
私は朝だからご飯を食べ、昼だからご飯を食べ、夜だからご飯を食べ、そして25時を過ぎたので眠りにつく。
私は日々螺旋階段を一定の速度で登ってゆく。
あの旅は違った。
無秩序という秩序。
例えばゴビ砂漠へ向かう道中。天山山脈越え。
身体が「ここは知らない」「ここは知らない」と呟いている。
髪もゴワゴワ。服も4日間同じ。それでも生きてる。
痛む背中と凍てつく寒さに震える。それでも眠りにつく。
お腹がすいたからご飯を食べる。身体が砂だらけだからシャワーを浴びる。
私はそんな環境の中で、飽きのきていた自分という存在を変えたかった。
変わらないことを恐れた。
しかし、そうしたある種の極限状態の中で私が気づいたことは、私は絶対に変われないということだった。
私はどんな場所にあっても、私として生きなければならない。
空っぽのままだ。
それでも、草原のただ中で、星空を見上げつつ、死にたい?と問いかけると、まだいい、と答える声がある。同時に、でも、死んでもいい、という声も。
それが「生きる」ということだと思った。
プランに沿って、完結しない限りは不満足な人生ではなく、一瞬一瞬をスライスしたときに、それだけでいいと思えるような。
何より、張さん、遊牧民の人たち、そして80人の素敵な仲間に出会えたことに感謝感謝。
愛している、
そう思えた旅だった。
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私は旅が好きだ.でも,旅にトラブルは必ずといってついてまわって,でもそのトラブルからの産物も必ずといっていいほどある.極論を言えば,私はそれが楽しくて毎回旅に出ているのかもしれない.
今回だってそうだった.馬運車が速いスピードで走れないこと,草原には鍵付きの厩舎があるわけではないこと,天候,移動中の諸問題.60人規模の団体旅行と聞いただけでも十分トラブル要素は満載なのに,それに生き物である馬が旅に付随した時,例えば馬が予定通りにこないことも,馬が夜逃げ出すことも,裕に想定の範囲内だった.
草原や砂漠での生活と,衣食住の充実が当たり前な日本での生活を比べた時,草原や砂漠でのそれは,私たちにとって決して豪勢で満足いくものとは言えなかったかもしれない.けれど皆,毎食のご飯の時,ぬるいミネラルウォーターを飲む時,腹の底から「ありがてーー」「うめーーー」と迸るような声をあげていた.極寒の中,明らかに人数と面積があっていない狭いゲルの中で「足を伸ばして眠れることって本当に幸せだよね」と話す声が聞こえた.薪ともいえぬ木々を自ら集めて火を焚いて,ギター片手に仲間たちとただ声を合わせる,それだけのことを皆すごく幸せとしていた.
何時間も草原で待ったからこそ,ご飯を何倍も美味しく感じることができたのではないか.仲間のことをより深く知ることができ,また,このようにトラブルに対する自分の反応を通してより一層の自己覚知ができたのではないか.もし日本で,大都会東京で,同じことを体験したならば,一瞬でも心底“幸せだ”“満たされている”と考えることができる人は何人いたのだろうと,そんなことを何度も考えた.
キャラバン中,馬を乗り替わった時に現地スタッフに「その馬はもう走らせないで」と言われた時があった.馬の疲労は明らかで,出来ることならすぐさま降りて休ませてあげたかった.けれど,「馬で旅をする」このキャラバンでは,休ませては,馬も人も目的地には辿り着くことはできない.馬をどう操つるかも,どの道を選ぶかも全ては乗り手次第なのだ.放牧中に馬が逃げて,皆より少し遅れて出発した日があった.常に仲間の群れが視界の中にいたこれまでとは異なり,見渡す限りの砂漠に現地スタッフ2人と私だけしかおらず,この時ばかりはまるで自分たちで道を切り開いているかのようだった.馬と自分たちだけしかいないこの状況で,馬を信じることは言うまでもなかった.馬に“乗せてもらう”のではなく,“共に歩む”感覚を覚えた.普段から馬に敬意をもって接しているが,この時ほど馬に感謝したことはない.
キャラバン中は,馬上で見える世界が多くあったように,地上にいなければ見えない世界もまた多くあった.キャラバン最後の2日間,私は仲間よりも馬に乗る時間が少なかった.馬に乗らずにいた間,私が目にしたものはゲルを手際よく片づけ,私たちの荷物をトラックに積んで何往復もしながら次の場所に運んでくれているスタッフの姿と,60人分の食事をたった2人で作るスタッフの姿だった.主催者をはじめとする見えないところでうごいてくれている多くの人の支えがあったからこそ,私たちは,「馬で旅をする」ことが実現できたのではないのだろうか.毎日気付いた時には,ご飯もゲルも荷物も私たちの目の前にある状況.「馬で旅をする」上では決して当たり前なことではないはずなのに,その状況を私たちは勝手に当たり前と捉え,甘んじていた人も少なくないのではないか.参加者のうち何人が,この“当たり前”と思わせる環境をつくってくれていた人々に,直接感謝を伝えていただろうか.私だってきっと十分にはできていない.
これまでのキャラバンで得たものとは明らかに違う今回3回目の参加.これまで同様,あの広大な大地を馬で駆けることができることに激しい興奮と達成感を覚えたのはもちろんで,3回目の参加にして,初めて「馬で旅をする」という実感が掴めたのも事実だ.しかし今回私が「馬で旅をする」ことで得たことは,自分自身の乗馬の技術上達でも,馬で駆けたいという自分の欲への満たしでもなかった.改めて自分は周りの人々に支えられて初めて生かされているのだということ,五感を奮い立たせながら生きるという困難さと大事さ,そして何より,自分の跨っている馬を,横で一緒に駆けている馬を,一緒に参加している仲間を,そして自分自身を思いやることを自然と意識することができたことだった.それは目にみえた収穫ではなかったが,きっと自分にとっては何よりも大きな収穫だったと考えている.
10日間,喉も身体もカラカラだったけれど,心だけはずっと満たされていた.もしかしたら日本にいる時の私は,喉も身体も全て満たされているけれど,心だけどこか満たされきれていないのかもしれない.
今年も奔流を提供してくれた張さんに、ありがとう!
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旅をする時は、いつも日記をつける。本当は家を拠点に生活している時も毎日つけたいのだが、そうはいかないのは私の怠惰によるものか。けれども、もう少し考えると本当の理由はそこにはなくて、どうやら思考に終着点を求めているか否かの違いらしい。普段の生活では頃愛を見計らって考えることをやめて、ひょっとすると次の日か、はたまた何カ月も先にその続きを始めることが少なくない。それでいいと思っているので、いつも思考の気まぐれに身を任せる。対して非日常の世界では少しだけ意図的に自分の脳みそを支配する。光をあてたい側面を意識して、そこがはっきりと見えてくることを目標に旅の毎日を過ごす。留学であれ、旅行であれ、一人旅であれ、全て同じ。ここを消化したい、これが何なのか知りたい、等、自分の中に何かしらのテーマを掲げて出かけるようにしている。だから、日記をつける。文字に起こさないと無意識のうちに考えることを放棄して、残された曖昧なものは全て美化されていくから。何かを見聞きし、感じ、考え、文字に起こし、そしてありのままを留めておくのが、私なりの旅の味わい方である。
 およそ三分の一を前置きに費やしてしまったが、私にとってのこの旅のテーマは「リベンジ」であった。そして、それを達成できたことによる深い安堵が旅の記憶の多くを占めている。この文章を書くにあたり、17日間の日記を読み返した。そこには驚きから喜び、それからちょっとした不満や焦りの気持ちまで、今読むとむずがゆく感じるような表現が並んでいた。ただ、そこには一貫した安堵の念があった。
 リベンジには大きく分けて二つの意味があった。一つは乗馬に対して、もう一つは自分に対してのリベンジである。前者は至って単純である。昨年乗馬キャラバンに参加した際、馬に乗せられている感覚を拭えないまま帰国したのが悔しかった。もう一度馬に乗り、今度こそ「私が」操って草原を駆けたいと思った。その思いをぶつけに今回の企画に参加して、自分の意思で手綱を引き、膝で胴をしめ、草原を走る感覚を知ることができた。
 後者については少し説明を要する。私は何度か短期留学を経験したり複数のサークルや団体に所属したりと、顔を出すコミュニティが比較的多い。そのどれにも愛着があり、活動中か否かに関わらず、たとえ細くとも末長い繋がりを持っていきたいと思っている。しかし前回参加したキャラバンは例外的にそう思うことができなかった。理由は「当時の自分が苦手だから」。背景は色々あるのだが、要は全く自分らしさを出せなかったため、メンバーに再会して当時の自分を思い出すのを避けていたのである。もう一度奔流に参加して、この煮え切らない思いを拭い去りたかった。そして、それは意外なほど簡単に達成された。この17日間は細かいこと抜きに本当に全力で楽しかったし、帰国後の自分は驚くほど身軽で、前回のメンバーとも約1年振りに気持ち良く会うことができた。あの馬が、大地が、空気が、食物が、星空が、仲間が、そして少し変化した自分がこれを叶えてくれた。
 主催者が意図しているものはもっと違うところにあるのだろう。けれども、今回の旅は私にとって間違いなく克服を意味していた。「理由」というものは、自分の中に見出し、向き合い、そして乗り越えうるものだということ。自分は今までそうやって生きてきたし、きっとこれからも同じように生きていくのだということを教えてくれた旅だった。
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幼い頃から他人の目が怖かった。いつだって「いい子」「いい人」で居たくて。自分がどんな風に思われているかばかりが気になって仕方がなかった。100点を取って褒められたいから勉強した。そのまま大学に入り、訳も分からず履歴書を書いて就活に失敗した。自分の中に誇れるものが何一つ無いと、漸く気が付いて愕然とした。そして私は大学を出させて貰っただけの社会不適合者になった。
中身がない。それを取り繕うための建前が日々増えていく。隣の芝が青く見えても「あれはああいう品種だから」と、常に心が壁を作る。でも本当はそうじゃない。隣人の庭が輝いて見えるのは、彼らがそれに見合う努力をしたからだと知っている。比べて私は何もしていない。自業自得だ。わかりきっていた。独り言が増えた。ちくしょう、こんなんじゃないのに。ちくしょう。本当は、本当はこんなんじゃないのに。
…じゃあその「本当」は、どこにあるのか。
1年前。内モンゴルの大草原で見た景色が心に浮かんだ。そして、旅に出ることを決めた。
旅の間私は、心に一切の嘘を吐かないことを自身に課した。くだらない自尊心に塗れ、奥底で眠ってしまった自分の感情を取り戻さなければならない。
誰からも嫌われたっていい。いい人なんて思ってくれなくていい。
自分の心のままに、生きていける場所に行きたかった。
蒙古馬に乗るということは、魂と会話することだ。
膝に力を入れ、馬のリズムに乗る。鞍や鐙の金具が当たっていても、痛みに気を取られれば落馬する。躊躇なく手綱を引ける意志と腕力がなければ馬を走らせることはできない。そこでの優しさとは、厳しさとほぼ同義語だ。生きようとする力が闘争心を生む。妬みや怒りを乗り越えた先に思いやりや協調性がある。
物言わぬ魂に触れていると、自分の心の動きが見えてくる。全ての感情が生まれ、消える瞬間が手に取るようにわかる。苦痛や寂しさ、憤りを感じている時ですら心が満たされていた。叫びたい時に叫び、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。そんな当たり前の行動がどんなに幸福だったことだろう。
ヒトは一個の受精卵から胎児に至るまでに母親の子宮の中で進化の過程を辿る。有性生殖を始めた原始生物から今に至るすべての歴史が、私たちのDNAには流れているという。
人間を野生動物と同じく考える場合、その寿命は約30年とも言われるらしい。
私の動物としての生が終わるまであと7年。
人間としての生を授かる前に用意された準備期間のうちに、私はどれだけ本能を研ぎ澄ますことが出来るだろうか。
さあ360度。「本当」を探しに。どこへ向かって走ろう。
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「しぜんと」
中央にそびえる白亜の城、回るメリーゴーランド、人々の笑顔。キラキラと輝く遊園地は、幼い私を異世界に誘ってくれる唯一の空間で、大きくなってからも暫く憧れを抱きつづけていた。しかし、旅を終えて久しぶりにその遊園地に遊びに行くと、何か違和感を覚えた。以前感じていた面白みを実感できなかった。乗り物に乗るための長蛇の列に並びながら思い描いていたのは、砂埃の中で馬を走らせていた私自身の感覚だった。
キャラバンの旅は自分の体ひとつで、異世界に飛び込んだようなものであった。視界の限り何処までも続く草原、ゴビ砂漠そして澄み切った空。耳には馬の駆ける音と風を切る音、遊牧民の声。馬の振動や体温、目に入る流砂、降り注ぐ日光。この旅では常に自分の五感と体で、世界と向かいあっていた。
だからこそ、良いことばかりではなかった。様々なことがあったが特に印象に残っているのは、速馬に乗ったときにバランスが上手く取ることが出来ず、尾骶骨周辺が裂けて出血したことだ。乗馬の最中には傷と鞍が擦れ痛む一方で馬を降りる訳にもいかず、その苦行に奥歯を噛み締めながら乗り続けた。馬は大変不便であり、車もバイクもあるこの近代に文明に逆行してまで馬での移動をする、この旅への参加を何故決心したのか自分でも分からなくなっていた。
次の日、傷休めをするため遊牧民の車で移動をすることになり、快適な車内で私は車が如何に優れているか理解した。車は運転手に従順であるし、基本的に運転の際の運転手の負担はそれほど無い上、快適である。そのように車を賛美していた時、私の乗っていた車が皆のキャラバン隊の横を追い越した。その時の車窓の光景は今でも目に焼きついている。広大な空と大地を背景に馬を駆けさせている、みんな。そのあまりの躍動感や美しさに、見知ったはずのみんなが知らない人の様に見えた。その時に私は、あの集団の一部に私も入りたいとぼんやりと思った。キャラバンは一人ではなくて、他の仲間が居て成り立つ隊列だ。自然が相手の過酷な旅路を仲間と支えあって、目的の地へ向かう。このグレートキャラバンはその様なキャラバン隊を体験できる機会で、そんな掛け替えのない経験を積みに私は参加したのを思い出した。そう考えると尾骶骨の怪我も此処でしか体験できない貴重な事柄のように感じ、遊牧民の人と一頻笑い種にしながら次の日からまたキャラバンに再参加する決意をしていった。
あの場所で起きたことは全て自分の身に直結していた。だから、こんなに生活環境の整った日本に帰ってきても、瞼を閉じれば不便で過酷であったあの旅がしぜんと思い出されて仕方ないのだ。愛している、と言える人たちに出会い、自然と己の身ひとつで向かい合う旅なんて滅多に体験できない。この旅で様々な事象に出会って、私は一回り成長した。そう確信している。
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奔流の旅で私が得たものは、乗馬体験、見知らぬ土地の旅、それらを差し置いて人々とのつながりだ。
私は無類の漫画好きである。にも拘らずアウトドア大好きな人間である。そんな裏表な人間は少数派なのではないかと思っていたが、参加初日にしてその考えが間違っていたことに気づいた。参加者の多くが漫画などに理解があったり、美術や音楽が好きだったり、文化を愛する方達で、そうした、普段から夢や理想を描いている人達だからこそ旅に惹かれる傾向があるのかもしれない、などと根拠のない考察をしてしまった位だ。日本では普段、「漫画好きなオタクキャラ」として生き、またそうした自己を過度に演出するばかりな自分は、ここに来てその云わばアイデンティティのようなものを剥奪されてしまったわけである。そんなもの普通じゃないか、と。それよりもお前の本質は何だ、と。旅の間、同行していたモンゴル遊牧民の一人が、ゴビ砂漠キャラバンの休憩中に、砂で自分に似せた埴輪のような人型を作っているのを手伝った。「これ、貴方?」と身振りで聞くと、さぁ、分からない、と言われた。ただ作っているだけ。自分かもしれないし、誰でもないかもしれない。私もそのようなものなのだろう。だだっ広い砂漠に棒人間一人書いて、これが私です、と定義すれば、それが私になる。わけもなく。
変な話だが、私は私としてではなく、定義されない一個体として、参加者や現地で出会った皆と関われたように思う。
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中国はでっかい!世界はもっとでっかい!!         
 もともと、夏休みには海外旅行に行くつもりでいた。旅行会社のパンフレットを物色していたある日、学校でポスターを見かけたのが奔流中国との出会いだった。観光地を巡るだけのツアーなら爺さんになっても行ける。どうせなら今しか行けないようなツアーに参加したい。そう思って、奔流中国、その中でも特に異彩を放っている馬の旅、キャラバンへの参加を決めた。
 今回の旅のメインイベントは、シルクロードでの乗馬キャラバンだ。世界一の大陸、ユーラシア��西から東へ横断するシルクロード。古代の人々の冒険心が切り拓いたこの道を馬で駆け抜ける、というロマン溢れる旅なのだ。
 このように書くと何だか格好いいが、キャラバンの間は、普段とは比べ物にならないほど辛いことが多かった。日差しが強いのに夜は凍えるくらい寒い。馬はなかなか思い通りに進んでくれない。体中の関節が痛くなる。パンフレットに「旅に慣れている人だけ参加してください」というようなことが書いてあるだけのことはあった。正直、最初はここまでとは思っていなかった。シルクロードの開拓者たちも、これと同じような、いや、それ以上の困難を味わったことだろう。
 それでも、キャラバン最終日の本当に最後だけだったが、馬を完全に乗りこなせたような気がした。馬の走るリズム、呼吸の音、風の匂い、全てが混ざり合って、不思議な感覚を覚えた。もしかしたらこれが、張さんの言っていた「馬との一体化」の入り口だったのかもしれない。この一瞬があっただけで、辛かったことも全て楽しい思い出に変わってしまうほどだった。
キャラバンを通して、分かったことがある。現地の空気は現地でしか味わえない。草原の風景を作っているのは、テレビや写真でもわかる要素だけではなかった。音、風、気温、匂い、時間、景色の移り変わり、全て合わせて一つの草原が出来上がっている。世界はでっかい���このような場所、このような体験が世界のあちこちにまだまだ眠っていると思うと、ワクワクしてきませんか?
 これからもたくさん、あまり人の行かないような所へ行き、誰もやったことのないようなことがしたい。ただ、その原点として、奔流中国は一生忘れないだろうな、と思う。張さん、ありがとう!
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・馬、自由
旅から帰った。
バックパックを広げると、舞い上がる砂埃とともに、旅から持ち帰った様々なモノが溢れ出た。
くたびれた乗馬ブーツ。
何かの骨。
石。
この旅に彩りを添えた、形あるモノ達は
今は家の片隅で少し居心地悪そうにしながら、日常に溶け込もうとしている。
帰国から少し時が経ち、この旅を形に残す機会に恵まれた。
そして、気づく。バックパックでは持ち帰れない、形のないものを持ち帰ってきたことに。
今やっと、おぼろげながらそいつの輪郭が見えてきている。
2010年、夏。
カラダは痛むし、馬は言うことを聞かない。不自由しか感じなかった、初めての乗馬キャラバン。
何もしなくても勝手に群れの先頭を走る馬。周りが言うほど実は楽しくなかった、馬の旅。
見渡せば歩く気すら起きないほどだだっ広いモンゴルの大草原で
もし馬がいなければ、と思うと途端に突きつけられる、人間のちっぽけさ。
いつ暴走し出すかわからないこの馬に頼るしか、此処で生きる術はないと知った時、覚悟は出来た。
そして、知った。
勇気を出して前に進む、ということ。
命をかけて手綱を握る、ということ。
切り裂く風の中で聞いた「生きたければ、前へ進め」
まさに人生のように。
いや、そこには23年間のどんな場面よりも、はっきりとした輪郭をもって迫ってくる「実感」があった。
持ち帰ったものは、大きかった。
2011年、夏。
「グレートキャラバン」というものがあるのは知っていた。
それが復活すると聞いた時、震えた。
ここに挑戦の場がある、と思った。
今度こそ、「自らの意志」によって馬で駆けよう。
願わくば、人馬一体の境地まで。
「自由」を得るために流す血を、今度こそ厭わない。
「本当に馬で駆けるという事を知る旅に出よう。」そう、決めた。
そして、何を思うか。
今度はどんなものを持ち帰れるか。
天山山脈麓。古の隊商路。草原というより、高原。
ここにいる意味を問う。
正直に答える。
行く手を遮る馬の群れ
群れの先頭から出ようとするのを制止する声
すべてが、ひどく邪魔だった。
それらを全て蹴散らして、地上の流れ星になりたかった。
とことん、我儘になってやろうと決めていた。
それは、「自分の意志」で「全力」で駆けることでしか、ここにいる意味を確かめられなかったから。
真摯に、馬と、自分と、向き合うためにとった不器用な手段だった。
ある方法を知った。
手綱をギリギリと引き続け、群れの後方に下がり距離をとる。
駆けるのに十分な距離ができたら、手綱を一気に緩める。それがGOサイン。
一瞬で空間が縮んでいく。
キャラバン隊で進む限り、駆け足で存分に駆けるには、この方法しかなかった。
勢い余って前方の群れに突っ込んで、ひんしゅくをかうこともあった。一向に構わなかった。
ふと周りをみると、同じようにのろのろと後ろに下がる奴らがいる。
自由に駆ける味をしめ、よからぬことを企んでいる目をした、迷惑な奴ら。
なぜか、嬉しくなった。
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自由。
その言葉の意味するところ、考えてみたことはありますか。
本当の自由を、感じようとしたことはありますか。
70人が東を向いても、おれは西へはなむける。
70人が早足なら、おれは駆け足を。
別に、人と違うことしたからって、自由でいるとは少しも思わない。
でも、人と違うことするときってのは、それなりの覚悟がいる。
それだけの力がいる。
帰国後、参加者の一人が馬について語っていた。
馬に乗りながら、他の参加者の安全に気を配っているという。
鞍を縛る紐が緩んでいないか。鐙に足を深く突っ込みすぎてないか。
金網などの障害物が無いか。地面にでかい穴はあいてないか。見つけたら、即座に周りに伝える。
それは、ただの優しさから来るお節介じゃない。単なるコミュニケーションの手段じゃない。
馬が好きで、自分の意志で共に駆けたくて、血を流しながらやっと得た、力。そして、自由。
そいつは、やっと得たそれを、自分ではなく他人のために使えるやつだった。
力と自由に裏打ちされた、本当に人のためになることだった。
「お前とは格が違うんだよ」と冗談っぽく言うけれど、それは本当かもしれないと思った。
歩く度、今でも違和感を覚える右の足首。
握ると、少しだけ厚みが増した気がする手の平。
それに対し、確実に厚みが増した尻の皮。
自由に駆けたくて足掻いた跡。
自由が拠って立つものは、いたるところに刻まれていると気づいた。
強烈な、願いや切望。
手を伸ばし、足掻き、追い求める、何か。
そこに感じる、力の無さ。
不自由の塊である自分を自覚した時、血を流す覚悟はできる。
ワレモノ注意の五体を、馬に完全に委ねる決心ができる。
わかりきった事、なんかじゃない。
心からほんとに何か為したいと思わないと、自分を縛る鎖はそもそも見えない。
不自由を自覚する機会は生まれない。
おれはそれを、馬から教わった。カラダに叩き込まれた。
頭じゃなくて、心で感じた。
そうして手が届く、自由のかけら。
もしも、あなたが馬で自由に駆けたいと思うなら
おれは、絶対に追いつけないと思わせるスピードで後ろから抜き去ってやります。
「追いついてこい」と笑顔の中ギラついた眼をして訴えます。
あなたの不自由さを、わからせます。
この四肢を賭けるに値する何かを、背中で示します。
馬と人を隔てる境界線が溶けてなくなる、この何物にも替え難い喜びを、全力で見せてやります。
今までただ目の前の行く手しか見ていなかったこの視界を、少しだけ左右に広げて。
それがおれにできる精一杯の伝え方。
次に草原に帰ってくるときは
「馬で自由に駆ける喜びを知ってもらう旅に出よう。」そう、決めた。
旅から帰った。
心の中を覗くと、もう一人の自分が真っ直ぐにこちらを見ていた。
問うている。
この旅は、何だったのか。
狂乱のあとに、残るものは何か、と。
これは、答えのない問いに答え続ける、心の中の、もう一つの旅。
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これから・・・。
 嫌で嫌で仕方なかった。
 日本に帰りたくて帰りたくて仕方なかった。
 一刻も早く故郷の地を踏みたくて毎日イライラだけが募っていった。
 退屈で平凡な大学生活に嫌気がさし、少し別の世界を見てみたいと思っていたころに
 見つけた「馬と旅する 奔流中国」のポスター。
 このキャッチフレーズに引かれて参加する人たちはきっと変わっているに違いない。
 私のこの平凡な毎日に刺激を与えてくれるだろう。
 深くは考えずに勢いで思い申し込んだ。
 旅が始まってみるとこれまでに受けた事の無いような衝撃の連続だった。
 リアルを見ていない人に説明する事もままならない衝撃を受けつづけた。
 参加者の皆が皆、「我」をはっきりと意識してた。
 自分の中では今まで20年間それなりに色々な経験をしてきたと思っていた。
 いじめ、中学受験、登校拒否、起業、不登校、高校中退、海外生活、大学受験。
 けれどここではそのどれもが意味をなさなかった。
 肩書きは関係ない。過去も関係ない。あるのはただ「今」だけ。恐怖だった。
 その仲間達と見た中国は偉大だった。
 経済発展のまっただ中、上海の町は「希望と自信」に満ちていた。
 そして、内地では雄大な自然に人間の小ささを感じさせられた。
 山や湖、人間の手が加えられていない自然に久しぶりに出会った。
 乗馬に関しては私は何も述べる事が無い。
 ただ馬達には「おつかれさまでした。」その一言を送りたい。
 この旅の最中「馬の気持ち」というのを考え続けた。
 けれども途中で見えなくなってしまった。私に気持ちの余裕がなくなったから。
 自分の小ささに気がつかされた旅だった。
 精神的にも肉体的にも限界を超えていた。
 自信という自信は打ち砕かれ、
 私はいったい何のために生きているのかと考える日々が始まった。
 これから先私はどの道をどのように歩いていけばいいのだろう。
 「参加するんじゃなかった。」それが私の感想。
 ��だ、この今感じている孤独と苦しみとむなしささえ乗り越えれば
 この旅に参加した意義が手に入り、実りのある人生が待っているのではないか。
 そのように感じる。日本に帰ってきた今、私がすべきことはなんなのだろうか。
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もともと私はモンゴルとか中国の歴史とか、そういった文化的な類のものには詳しくなくて、 今回奔流中国グレートキャラバンに参加したのも、単純に大草原で馬に乗ってみたかったからだった。
 でも草原や砂漠を延々と馬で走っている時に、少しシルクロードに想いを巡らせてみた。そこで、初めてシルクロードを渡った人たちは、もっと遠くのものを見てみたい、何があるのか知りたいという単なる好奇心から、あの長い長い道のりを越えて行ったのかなと、ふと考えた。  道なんてないから迷うかもしれないし、馬はいつ死ぬか分からないし、下手すれば自分だって死んじゃうかもしれない。そんなリスクを負ってまで、好奇心の赴くままにシルクロードを行く。正直最初は、命を賭ける必要なんてあるのかって思った。だって死にたくないもん。でもさ、実際自分が大草原と砂漠を馬で走っていると、もっと遠くに行きたいって思っちゃうらしい。  乗馬2日目のこと。「この先は岩場で危ないし、何時間かかるか分からない。遊牧民も進むことを反対している。もし落馬しても助けてくれるジープはない。そんな道を行きますか?それとも来た道を引き返しますか?みなさんが決めてください。」
そう言われて私は即座に、引き返すのだけは嫌だ!と思った。それと同時に、道が危険と聞いてわくわくしている自分がいた。リスクを楽しむなんておかしい。でも何時間かかったとしても、危険だとしても、前に進みたいと思った。戻ることはしたくなかった。  その先にどんな素敵な場所があるのだろう、どんな達成感を味わうのだろう・・・そう考えると、早く前に馬を走らせたくなるのだ。  その時、ああ、この気持ちこそがシルクロードを渡った人たちの原動力だったのか���て思った。彼らにとって大事なのは、行けるかどうかじゃなくて、行きたいかどうか。そしてその行きたいところへ自由に馬を走らせることが、どんなに気持ちのいいことか。  私はまだまだ未熟で、完全に馬を乗りこなすことはできなかった。でもあの快感はやみつきになる。ずっと馬に乗って、もっと奥地へ、もっと人が足を踏み入れない場所へ行きたいと思った。人間の好奇心というのは、いつの時代も共通しているらしい。  私はシルクロードに触れて、何にも縛られない自分の純粋な好奇心を発見した。そしてこの気持ちを、日本でも大切にしたいと思った。
私たちが暮らす今の社会では、やりたいことがあっても、リスクを怖れてどうしても制限がかかってしまうことがある。でもその中を突き進んで何かに辿り着こうとすることは、命懸けでシルクロードを渡るのと同じでわくわくすることなのではないか。とりあえず行ってみよう、やってみようってすごく大事。奔流はこのことを教えてくれた。  日本人はどちらかというと保守的な人が多い気がする。だから私は、この好奇心のままに動くというわくわく感をもっと多くの人に伝えたい、そう思ってこの文章を書かせてもらった。少しでも多くの人が、奔流に興味を持ってくれますように。
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剥ぎとる
シルクロードが好きだった。日本を出てみたかった。知らないことを知り、見たことのないものを見たかった。大学3回生の春、この夏が最後だと思い、参加を決めた。「感じる」旅にしようと思った。先入観とか知識とかプライドとか、余計なものは捨てて、ありのままの自分で勝負したい。初めての海外、知らない人たち、中国語も分からなかった。他のどんな感情よりも怖さが先行していた。出港して、海の色が変わっていくにつれ、固く緊張していた心がだんだんほぐれていった。大きな世界の小さな自分を感じていた。
まるで自分が子どもにかえったようだった。素直に喜び、歌い、踊った。そして、子どもになった私は、草原や砂漠に、人の心に、美しいものに触れるうちに静けさを求めるようになった。聞いて感じているだけで満足だった。一言でも言葉を発したらうるさいような気がした。砂漠の風の音が心に染みた。自分の中で燃えている炎があった。
乗った時急に背が高くなった気がした。視点が高い。遊牧民はこれを毎日見ているのか。自然を征服したような気がする。馬で駆ける。心地よい緊張感が体をまとっている。ぴりりとした空気。油断は許されない。砂ぼこりがもうもうと巻き上がる。圧倒的な迫力。すごい。馬の脚が砂にめりこむ。穴を飛び越え、よける。躓きそうになる。しかし馬はどんなに疲れていても止まらない。走り続ける。すごいことをやっている実感があった。馬とともに何かを飛び越えた気がした。叫びたかった。ためらいや躊躇など遥か遠くに行ってしまって、そのときやるかやらないかだけしかなかった。それまで馬と私の間にはなにもなかった。そこでつながりができた。張さんに、私が乗って馬は重くないのかと聞いた。張さんはふっと笑って、「重いよ」と言われた。そうか、重いのか。馬は私の重さを引き受けた。私はその重さを分かって乗っていただろうか。
私の馬は1日目、全く走ろうとしなかった。それは私が馬がかわいそうだと思って接していたからだろう。馬が痛いだろうと手綱を緩め、出発の時も腹を強く蹴ることはしなかった。馬を心の底で怖がる気持ちを「馬がかわいそう」という態度で覆い隠していた。しかし、一日走って分かったことがあった。馬は犬や猫のようなペットではない、中途半端な感傷や動物愛護の視点からは何も見えてこない。態度を変えた。何よりも指示を明確にしようと心がけた。甘さを捨てた。2日目、馬は見違えたように指示に従うようになった。同じ馬とは思えないほど。馬の目。優しく、そしてさびしそうな目。静かに遠くを見つめている目。馬には私の気持ちなど全てお見通しだったのだ。未熟な心の乗り手になど従うものかと。冷静に、しかし情熱的に、自分のはやる心を抑えて手綱を引く。
多くのことを気がつかないままセーブして生活していたことに気がついた。感動することを、そのまま受け止めることを忘れていた。できないと思ってやらなかったことが多すぎた。最後なんかじゃなかった。もう始まっていた。始まりだった。やりたいことをやるために生きているんだと分かった。もっともっと自由に生きたいと思った。
本当に生活に必要なものってもっと少ないのかもしれない。ただ頼りになる自分があればいい。旅はまだ終わらない。
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旅と日常
 結局、奔流は自分に何を教えてくれたのか、それについて綴っていこうと思うのですが、この文章から私の考える馬との旅の意義、そしてそこから浮かび上がる日常での生の有り様を汲み取って頂けると幸いです。
 日常とは飽きるものです。私は生活の中での刺激のなさにうんざりしていましたし、何に対しても無感動のきらいがありました。生きている実感がないというのが適切であり、自分が存在しているといえるのかわかりませんでした。でも、それが他者への不信から生じる私の反応だということは自分でもわかっていました。今のままでは無感動の日々が続いてしまうため、何かに能動的に関わらなければと思い、偶然にも参加することとなったのがこのグレートキャラバンだったのです。馬や中国にこだわったわけではないのですが、結果としてこの旅は強い影響を与えてくれました。
 「馬に乗ると見える世界が変わる」と旅の中で何度か耳にしましたが、ただ物理的に視点が高くなるというわけではありません。馬上での視点は遊牧民やシルクロードの商人の視点であり、そこにおいて私は日常の自己を超越しています。つまりこの自己の他者化、相対化が可能となっているのです。新疆での馬の旅は、日本で生活を送る私を見つめる良い機会となりました。遊牧民としての可能性にある私、もはや旅の生活を新鮮な刺激とは認められない私はいたのです。しかし興奮させる刺激とは感動に必要なのでしょうか。いえ、そうとはいえません。旅の中で私は懸命に食べ、馬に意志を伝え、仲間と語りました。食事、乗馬、団欒、睡眠の繰り返しの中でも私は生きている実感をもつことができました。これは馬との旅の中でだけの感覚では決してないはずです。
 旅は普段の倦怠から逃れるリフレッシュの場ではなく、むしろ日常を見つめる時間を提供する積極的な意味をもった場であり、逆説的ですが普段よりも自分の日常に近寄れたように思えます。食事、勉学、音楽、睡眠に満たされた毎日に自覚的、能動的に生きることが実存感覚と密接しており、行動の内容よりも自分の主体的な在り方こそが重要なのだと、馬の背中で気付きました。他者から受け取るときも然りです。他者から伝達されるというのではなく、他者から受け取るといった主体性が肝要であるはずです。馬と同様に世界はそれに語りかけることなしに乗りこなせません。世界の中にあっても、その美しさを感じるには能動性が必要不可欠なわけです。
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中国の夜から
 中国でわたしは闇に包まれた。光といえば星以外に見当たらず、目を開こうが閉じようが大差はなかった。そこにあったのは恐怖と同居する心地よさであった。
 人はわたしを他の誰でもないわたしとしようとする。ここにいるのが自分でなければいけない理由、すなわち他人に決して取って代わられることのない自分の確証を欲するのだ。なぜなら、その確証を得られなければ、わたしとしての存在を否定され、何者でもない誰かであることを認めざるを得なくなるからだ。この欲求に基づく行動は光を求める行為といえよう。より強い光の中に自己を置くことで、わたしの輪郭はより鮮明に浮かび上がり、外界とわたしとの差異をよりはっきりと確認することができる。ここに今確かにいるという感覚は得られるだろう。
 ところで、奔流の重要な語句の一つに「人馬一体」というものがある。「自分の行きたいと思うように馬が進んでくれた」と誰かが言っていた。しかし、騎手と馬との意志の一致という意味は、この言葉に似付かわしくない。この言葉が指し示すのはもっと高度な次元での「一体」ではないのかと考えた���果、「人と馬との存在の一致」と説明する考えに至った。
 人の視点からすると、人は自己であり、馬は他者である。だが不思議なことに乗馬を媒介としてそれらは溶け合う。ここにおいて人は乗馬中にも関わらず、馬に乗っていない。自己も他者もいなくなっているが、代わりに「自己と他者」という一つがいる。この状態こそが「人馬一体」ではないか。わたしはもはや自己ではなくなっている。冒頭で闇について触れたが、この存在の溶け合いは闇に身を置くことを比喩としても差し支えないだろう。闇の中では自分の手すら見えず、自己と他者には境界が見当たらない。自己と他者は混ざり合っているのだ。その時、確かに自己を保持し続けられない恐怖はあるが、同時に世界に拡散されるような快感すらある。
 大衆社会、没個性、一般人などの言葉に対してわたしは悪い印象を抱いていて、人は何者でもない自分であるべきだと考えていた。そして今もそう考え続けている。だが、ただ単に光を求め、それを浴びて生きるというのも違うように思えてくる。「人馬一体」が代表するような自己と他者との存在の関わりの肝要さを発見したからだ。ここで注意したいのは、闇にある自己と他者の関係は自己の埋没とは区別されなければならないところである。溶け合いと埋没という語からもその相違は歴然としている。埋没の際には自己は自己としてあり続けるのだが、世界でそれは覆われ視界に入っていないだけのことなのだ。この状態の快楽と闇での快感もまた区別しておきたい。快楽は自己を埋没させることで得られた、これもまた自己を表面的に覆う快に過ぎないが、快感は自己と他者という一つの存在で湧き上がり、その存在の内部で揺蕩っている快である。エピクロスが唱える「心境の平静」は、わたしがここで述べた快感から基づくものであると認識し、わたしは彼に賛同の意を表する。
 蓋し、存在は自己の唯一性を追求するものであり、その活動の結果として自他をより強烈に色分けしてゆく。そのことについて反対はしないし、わたしも例外でなくそのような存在であることを否めない。問題はその自他の完全な分離から感じる不快である。ここでいう不快とは疎外や孤独を感じていることなど、状況に応じて生じる好ましくない感情を指していると考えてもらいたい。自ら望んだ結果であるにも関わらず、不快を感じるとは皮肉なものだ。わたしはこの不快を見てみぬ振りをする仕方ではなく、根本から快に覆す可能性を「人馬一体」の中に見た。逆説的ではあるが、存在が自己を自己とあらしめんとする際には、同時に自己と他者の綜合が存在の精神の涵養という面において必要となっているのである。
絹の闇は優しく、世界は一つとなる。
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旅が好きになった。
この安全で,快適な日本を出て,旅に出る。それは非常に馬鹿げていて,非常に贅沢なことなのかもしれない。
でも,旅は人を強くする。
どんなトイレでも使えるようになるし,並の不潔さには慣れる。どこででも眠れるようになるし,寒さだって我慢できるようになる。つまり,不自由さに直面して,それを乗り越えられるようになる。
文化交流とか,他者の理解ってこういう所から始まるのかな,とふと思うことがあった。自分が感じている不自由さも,原地の人にとっては既に「住めば都」状態なのだ。そんな生活は不自由なようで,実は意外な喜びに満ちている。食事のおいしさ,水の気持ちよさ,音楽の美しさ,本当にたくさんあった。だから,社会の教科書を開くだけでは違う国の生活は理解できないのだと感じた。そこは,ただの不自由な汚い世界ではないし,ロハスで優雅な自然生活,というのももちろん幻想だ。現場で自分が感じる様々な感覚が積み重なって初めて,文化は交流し,現地の人を少しは理解できるようになるのかな。とにかく,自分から一方的に持ったイメージなんて大した物でないのだと思った。
現場主義の重要性,なんて表現をしてしまうと思い出は一気に乾燥して,変なゼミ資料みたいになってしまうのだけれども。でも,グローバル,なんてキーワードのもとにズームアウトしすぎると,案外こういう所から足下を掬われるのかもしれない。
ここまでだったら,別に一人旅でも感じられたかもしれない。でも,集団の旅だからこそ起こる出来事だってある。
精神的,肉体的疲労の前ではその人の持つ内面の多くが表に出てしまう。集団生活の中で,強さ,弱さ,色々な側面が,乱暴に暴きだされる。テント移動,薪集め,緊急の対応。どれだけ状況を良くしたいのか,全体の中で自分には何ができるのか。リーダーとかフォロワーとか,さんざん講義され,勉強してきたかもしれない。でも案外,乱暴で粗野な形をとってそれらは試されるのだ。都会のビルのなかでは,なかなかその人の内面なんて閉じ込められたままだ。だから,一回旅に出て,自分の内面,他人の内面がぶちまけられる様子を目にうつして,(すごく恥ずかしくなったりして),そしてまた成長できたらいいのかなと思った。
そして,その人の内面がさらけ出される状況では本当に暖かい触れ合いだってあるのだ。
疲れて,自信も持てず,旅に不安を感じていた時。自分にできることはないのかと探して,それはあまりに小さい気がしてどうしようもなかった時。そんな時に,ふと一緒に食事を食べてくれたり,お茶をもってきてくれたり,そういう経験の中で僕はとても人間的な暖かさを感じた。
誰かにそんな暖かさを,僕もあげられるのだろうか。
なんて原始的な強さ,優しさなんだ。
旅に出て,感じて,そして帰ってきて研鑽する。また旅に出て,感じて・・・
とても健康的で,生産的な生活だと思う。
どうやら,本当に旅が好きになってしまったようだ。
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馬と人との関係は何か。 馬は私達に何を与えてくれるのか。 現代社会での日本の馬の役割は昔のように移動や仕事としてではなく、ほとんどが人間社会に組み込まれ、人間によって飼育され管理されている。馬といったら何を想像するかと日本人に聞けば、ほとんどの人が競馬か乗馬と答えるだろう。それは、私達が身近に馬に接することができるのは競馬や乗馬くらいしかないせいではないか。「馬で旅にでる」という感覚は交通機関が発達している日本で持つのは難しい。魅力的でちょっと好奇心をくすぐるこの言葉、「馬で旅をする」これだけを頼りに私はこの旅に参加した。それは想像を超えるものであり、期待以上の満足感と喜びで満たされた。 今回のキャラバンはかつて交易の路シルクロードに添って歩んでいく。それは、日本のコンクリートではなく、道があるわけでもない。ゴールもなく右や左、振り返っても前も後ろもない世界であった。道無き道を自ら決めて進んでいくのである。ひたすら自分の信じた道を進み行き、道標となっていくのだ。バインブルグ高原では遠くの小高い山々に囲まれ馬で群れとなり、時には馬の腰まで浸かる川を渡り、時には息を飲むほど美しい川に映る夕日を見た。ゴビ砂漠では越えても越えても続く砂漠の山を、埃を被りながら何十頭もの馬で一列になり、何時間もの間進み歩いた。この中で馬と自分だけの道を切り開いていくのだ。 このキャラバン中は何十頭の馬の群れの中でも乗り手は馬のことも考えながら、各々のペースで進み行く。馬を休ませるのも走らせるのも自分次第なのである。 これは日本の乗馬クラブでは決して出来ないことである。まず、馬の数をそろえることから難しいだろう。 もちろん日本の乗馬クラブの外乗も素晴らしい点はいくつもあるが、ある程度決められた大きな柵の中を、誰かが何度も通った補正された道を歩いている気がしてしまう。しかし、ここは違う。キャラバンは全く異なる。何も囲われていない地を自分で決め進んで行く。しかも自分だけのペースで。また、このキャラバンでは決められた馬に乗るわけもなく、同じ乗り方を教わることもない。乗る姿勢や馬をきれいに見せることを習うわけでもない。 参加者全員が自分の道を自ら決め、馬から乗り方を教わり、身につけていく。ただ、自分の好きな道を好きな乗り方で馬と決めていく。それだけだ。たとえ初日に馬に乗る事が困難であった人も時を増すごとに自分の持ち馬を知り、試行錯誤しながら人馬一体に近づいていく。ここも日本の乗馬と異なる点である。一時間ほど馬に乗り、また午後に他の馬に乗るというのではなく、同じ馬に1日中朝から夕方まで縦の揺れの中にいるのだ。しかも数日間。だからこそ、人からではなく馬から教わることで身体を通して学ぶことができる。私はこれがグレートキャラバンにしかないもので、一番の魅力な点だと思う。大自然の中で人が自然と馬に慣れて、乗り方も道筋も自分と馬で決めていくのだ。今までずっと出来無かったことで、挑戦したいことの一つが叶えられたのだ。
この感覚は一ヶ月、二ヶ月経った今も覚えている。このキャラバンに参加して馬の大切さと騎乗の楽しさと喜びを再び実感することができた。想像以上の実体験があったからこそ帰国してからの寂しさと空虚感は大きかった。見えるようで見えない道を進む乗馬と普段の生活を照らし合わせて日本の日常生活に戻った。いつかまたこのキャラバンが開催されれば参加したい。完全にキャラバン中毒になってしまったようだ。
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なんで今私ここにいるんだろう?って自問自答しながら旅を続けて
時には酒におぼれた夜もありました。
でも最終日、ハッと気付いたんです。これは“トキメキ体験ツアー”だと。
奔流にはいろんな人間が集まる。入れ替わりもあるが最大で70人の人間が
同じ土地で、同じ空気を吸い、同じ飯を食べ、同じ生活をする。
70人の人と一気に知り合えるなんてそうそうない。
旅で出会った全員と仲良くなれたわけじゃないし、
一言二言しか話さないでよく知らないままの人もいるけど、
とにかく奔流にはいろんな人間、いろんな考え方、いろんな知識を持った人がいるなぁ、って��ごく刺激になった。
70人も集まれば、その中でそりゃあ魅力的な人もいたし、気が合う人が現れ、
彼らと話していると楽しくって嬉しくって、毎日トキメキだらけだったように思う。
帰国後facebookで友人ポチからの質問に
「自分が失ったらいけないものは何?」という項目があったんだけど、
それ、自分の場合は“トキメキ”かな、と。
トキメキって恋愛感情ももちろんあるけど
人間として好きになったり、見た景色にときめいたり、
羊のお尻にキュンキュンしたり、いろんなものにときめくことが
私の中ですごく大切なことなんじゃないかって考えた。
ときめくって言葉を辞書で引いてみた。
“期待や喜びなどで胸がどきどきする”“心が躍る”
ドキドキしたり、ワクワクするようなことが無くなった毎日だったら
楽しくないじゃないか。生きているのに。旅行はドキドキワクワクが倍増する。
しかもツアーは奔流。ときめかない訳がない。
お金に換算するのはえげつないけど、結局自分の勘違いでこの旅に20万という大金を払って良かった、と思う。
旅が終わってからも、ときどき集まって遊んでもらって、ずっとつながっている感じ。
今もすごく楽しい。奔流友達大好きです。
一言で言うと、
奔流中国、ありがとう!!
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一人対一頭
馬は私をドキドキさせるのだ。
自分を乗せて歩き始めたとき、ものすごいスピードで駆け出したとき、馬が止まらないとき、馬上で出発を待つとき、
馬上だけではなく、馬のそばにいるどの瞬間にも心は高揚していた。
一方でケガや死に対しても警戒している。相手は動物なのだから。
調教によってある程度の扱い方や性質は把握できているため、「乗り物」として支配することは可能であるが、自動車や自転車とはわけが違う。個々の性格も違う、替えの部品なんてない乗り物の中では危険性に溢れた存在なのだ。
そんなリスクと同時に、生きた彼らとやりとりにドキドキするのだ。
乗れば彼らが呼吸をし、熱を持っていることがわかる。生きているのだから当たり前なのだけど馬に乗ることが同じ生物とのやりとりであることが実感できて嬉しいのだ。
乗馬キャラバン一向を後ろから眺めていると、一人対一頭とのやりとりが50以上の群れをなして走っている光景は圧巻だった。
もちろん自分の力だけで馬を走らせていたわけではない。馬の習性をよく利用した遊牧民達の下でキャラバンは統率されていた。
遊牧民の人が走りだせばまわりの馬が走りだし私の馬も勝手に走り出す。そんなときはいつもぐっとたずなを後ろに引き、減速の指示をする。 もっと一人対一頭のやりとりをしたいからだ。
群れの後方まで下がったところで走れと馬のおなかを蹴る。「待ってたぜ」と言わんばかりに馬はスピードを上げて駆け出す。
草薮や他の馬に激突しないようにコースを考え指示して、減速させないように馬の跳ねるテンポに合わせて体を動かす。
スピードへの恐怖はいつだってあるけれど、スピードを恐れたら姿勢が乱れて馬の走りを阻害するので走る速度を上げることに集中する。
自分の体が限界を超えたっていいからもっと走れと感じていた。
駆け足の間は否が応でも馬と自分のやりとりが激しくなるのだ。
広い砂漠の真ん中で群れから離れ、物理的にも精神的にも一人対一頭になれる機会があった。
この馬はこの砂漠を抜けるために必要な手段であるし、私は馬にとって最適なルートと走りを選択しなくてはいけないことを感じて馬で旅をしている実感が深まった。
そんなドキドキさせる行動と環境がこの旅に求めていたものなのだ。
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奔流とは (張宇氏のFBより) 奔流は毎回必ずしも同じ形でない。だけど、奔流は目指す形がある。屈折しながらもいつか必ずそれに成るように努力する頑な姿勢が、それが奔流である。 奔流の理解は必ずしも同じものでない。そこにそれぞれ人間の生い立ちがある。だけど、泥でも沼でも、奔流を汚すことができない清らかなところ、それが奔流である。 奔流に求めるものは必ずしも同じものでない。奔流が求められるものを応えるために存在したわけでもない。だけど、奔流は、もっとも大切なものに気づかせてくれる。「人」の中のなにかを呼び起こすことができる。 奔流が必ずしもすべての人は必要とは感じない。大樹でも、野薔薇でも、弱草でも、必要とする人もしない人も居ると同じように。だけど、そもそも奔流がだれかが必要のために存在しているわけではない。奔流は尊厳のために存在している。 奔流は自由である。社会主義の崩壊と同じように、奔流の自由は、人々はより強い人間を目指す、より賢い社会を目指す、ことが絶対必要条件である。だから、自己堕落が奔流じゃない。 奔流はまた必ずしも自由ではない。自由を選択する人には最大の自由がそこにあると同時に、自由を選択しない人にも自由でなくても生きていける道はそこにある。 奔流は、傲慢、貪欲、堕落愛、原始的、保守的、非民主的である。 奔流は、尊厳、渇望、ブラトン式愛、固執、超時代的、反政治的でもある。 奔流は一種の無為の中で為したものである。
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記憶は草原の風のように、砂漠の砂のように消えていく。 もう忘れてしまったことがたくさんある。 音も、景色も、日程も、遊牧民の名前もすべて曖昧になってしまった。 しかし、形のない大きな感動は、今も心に焼き付いて離れない。 いつかまた同じ場所に戻ったとしても、同じ記憶は蘇らないだろう。 生きものは、常に変わってゆくのだから。 人間であっても、動物であっても、植物であっても。 自分が変わる。仲間が変わる。自然は秒単位で移り変わり、二度と同じ景色を作り出さない。 馬と私、息を切らせて駆け抜けた。愛おしくなったりいらついたり、まるで人間同士のように。 人間と人間、音楽や景色を通じて、ことばに出来ない感覚を共有した。ぐっと本能的に、まるで動物のように。 まためぐり合うとき、私たちは必ずどこか変化していて、同じような感覚は戻らないかもしれない。 それでもまた、新鮮な喜びを見つけ合えるようなお互いでありますように。 キャラバンは終わらない。
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世界で一番海から遠い場所               
 焚き火を囲む宴会の活気を遠くに聞きながら��地平線の彼方まで広がる草原の暗闇に一人ぽつんと仰向けになり、広大な星空を眺めていると少し離れた暗がりからぬっと人が現れて宴の方へと帰っていった。どうやら用をたしていたようだ。キャラバンの旅では男女問わず青空トイレが基本、とはいえとうとうライトも持たず星の明りのみを手がかりに用を足せるようになったんかぁ、なんてその人の耐性にいたく感服してしまう。しかし暫くしてから「柵の近くでしたから踏まないようにね!」っと大声で後発のトイレ隊に注意を促すのが向こうから聞こえると、ドキっとしながらつくづく思う「ちょっと遠いし汚いが便所はあるからそこでしたらいいのに。」と。言語を絶する大草原、彼方に霞む荘厳なる山々、息をのむ満天の星。ここはバインブルグ、トイレからも最も遠い場所。
 この旅に参加しようとした動機が何だったのか忘れてしまった。というよりそんなもの端からなかったと言ったほうが正しいかもしれない。別段見たいものがあったわけでもやりたいことがあったわけでもない。ただどっかに行きたかった。だから道中で知り合った仲間が堅牢で明確な参加理由を持っていることを知って感心しつつも幾分ばつが悪かった。この旅で生まれて初めて馬に乗った、数日乗っただけでえらそうなことは言えないけれど馬を操ることは自分自身をコントロールすることのように思える。不安や恐怖、焦燥や慢心といった雑念を心から取り去り馬に心を開くことが重要で、それが上手くいかないと馬も言うことをきかない、しゃくしも馬もとはよくいったもの。もしかしたら乗馬は禅のようなもので張宇氏の言う「人馬一体」とはその一つの境地であるのかもしれない。馬との旅はこれまでの自分の旅の中でも最も自己と向き合った旅だったかもしれない。
帰ってきた今、今回の旅を思い返せば旅に出る前に思っていた以上のものを得られたと思う。美しい風景とか異文化体験はもちろん、乗馬の感動、個性豊かな人達との新たな輪、信じられない程険しい山道を車で十時間かけて越えても折れない心、腹ブレーク。キャラバンでは信じられないようなハプニングが平気で起る。追い詰められたら人間誰でも地が出るもんで、そこでホントの自分に気付く。本性を鍛えるには、安全でルーティンな日々や紋切り型の海外ツアーでは決して成し得ない。やっぱり追い詰められなきゃいけないと思う。
驢馬が旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないと言う。例え驢馬は驢馬でもきっと旅に出る前よりもたくましい驢馬になって帰ってくる。そんなお金じゃ買えない価値がある、自分だけの旅は是非奔流中国で。
「驢馬が旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。」そんなアイロニカルな
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590co · 5 years ago
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BlackWing Pencil Volume edition
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グラミー賞、エミー賞、ピューリッツァー賞など名だたる賞の受賞作品にも、ブラックウィング602から生み出されたものは多数あります。 ジョン・スタインベック、スティーヴン・ソンドハイム、レナード・バーンスタインらは作品の執筆にブラックウィング602を好んで使っていたことが知られています。 バッグス・バニーを筆頭にルーニー・テューンズのキャラクターたちを生み出したチャック・ジョーンズも、ブラックウィングの愛用者でした。 ブラックウィングのルーツはエバーハード・ファーバー社が初めてモデル602を紹介した1930年代にまでさかのぼります。 それ以来、長い年月を重ねてユニークな長方形の消しゴム付き鉛筆は上質の代名詞と言われるまでになりました。度重なる企業買収の結果、1998年に生産中止を余儀なくされてもなお、ブラックウィングペンシルが忘れ去られることはありませんでした。 事実、熱狂的なファンが未使用のブラックウィングペンシルを求めるあまり、eBayではこの鉛筆が1本40ドルにまで高騰したのです。 そんな中、パロミノブランドの鉛筆の品質がブラックウィング602と非常に近いということがアーティストたちの間で囁かれはじめました。 そこでパロミノブランドの創始者であり、19世紀半ばから家業の鉛筆産業に携わっていたチャールス・ベローズハイマーは立ち上がりました。 2010年、彼は自社の持つユニークなコネクションを生かしてカリフォルニア産のインセンスシーダーと日本製の高品質な芯を結び付け、ブラックウィングペンシルを再び市場へと送り出したのです。この鉛筆はユーザーや国内メディアの注目を浴びて絶賛されました。ここ数年でブラックウィングは単なる鉛筆からひとつのカルチャーへと成長しました。 あらゆる創造、独創の味方であり、すべてのクリエイティビティを肯定する精神文化。 これはとりわけアメリカ国内の学校において顕著です。 実際ブラックウィングの収益の一部は、幼稚園から高校までの子供たちの音楽教育・芸術教育のために活用されています。
現在、店頭でお買い求め頂けるBlackWing volume editionと限定もの。 一番上の2015年から2019年まで。 下から2番目はTWAホテル限定 一番下は2019年ブラックフライデー限定
【PALOMINO】BLACKWING 155
“A tribute to the Bauhaus School and its legacy of craftsmanship”
ブラックウィング155は、バウハウスと受け継がれるクラフトマンシップへの敬意を表して制作されました。柔らかい芯と初登場となる黒い消しゴム留めを用いた鉛筆に、バウハウス・スタイルの特長であるシンプルな図形と色からインスパイアされたデザインを合わせました。 このバウハウスはわずか155名の卒業生しか輩出していないにも関わらず、その哲学は世界中の芸術家に計り知れない影響を与えています。
【PALOMINO】BLACKWING 42
“Breaking down barriers”
ブラックウィング42はジャッキー・ロビンソンへの賞辞です。バランスの良い芯、真っ白な木軸、ブルーの箔押しと消しゴムにロードグレーの金具、そして象徴的な赤い42。42という数字はジャッキーの功績を称えるだけではなく、障壁に妨げられず自らの情熱や創造を追い求める人々への賞辞でもあります。
【PALOMINO】BLACKWING・10
“A Tribute to Investigative Journalism”
ブラックウィング10は、真実を報道し続け市民の代弁者であったネリー・ブライへ、また同様に彼女のような調査報道記者へ贈る賛辞です。新聞紙のようなマットグレイの木軸にダークグレイでロゴを刻印し、シルバー の金具にはダークグレイの消しゴムを合わせました。この鉛筆に使用したエクストラファームの芯は、レポー トパッドへ素早くメモを取るにも、新聞のクロスワードパズルを完成させるにも最適な硬度です。モデルナンバーの10は、数多の人々に衝撃を与えた調査報道記事のためにブライ女史が費やした10日間にちなみます。
【PALOMINO】BLACKWING・811
“Library of the Hope”
ブラックウィング811 は、図書館とそこに象徴される希望に対する賛辞です。 エメラルドグリーンのグラデーションと金色の金具は、世界中の図書館でホールを照らす独特な緑のランプにインスパイアされた組み合わせ。特殊なトップコートで仕上げたこの鉛筆は暗闇の中で燐光を放ち、文字通り光となります。モデルナンバーの811 は、図書分類法のひとつであるデューイ十進分類法におけるセクションのひとつを指した数字で、そこにはマヤ・アンジェロウを含む多くの偉大な作家の著作が収録されています。
【PALOMINO】BLACKWING・4
“Tribute to Mars and Rober Mission”
ブラックウィング4は、火星そのものと2020 年のローバーミッションへの賛辞です。火星の地表から着想を得た錆色の木軸と砂状のテクスチャーに、砂丘を想起させるブロンズの金具。このカラーの金具がブラックウィングに使われるのは初めてです。クリーム色の箔押しと消しゴムをあしらい、ブラックウィングの柔らかい芯を組み合わせました。
【PALOMINO】BLACKWING・33 1/3
“バイナルとアナログな音楽体験に称賛を”
ブラックウイング33 1/3はバイナルを称えて製作されました。マットブラックの金具と木軸に、���じくブラックの箔押しと消しゴムが付いています。鉛筆を握る位置に施された光沢のある黒箔は、レコード盤の溝からインスパイアされたものです。また、数字の33 1/3はレコードの回転数を表わしています
【PALOMINO】BLACKWING・10001 (壱万壱)
Blackwing10001(壱万壱)は宮本先生のパズルだけでなく、あらゆる教育や学習のためのクリエイティブなツールへの敬意から誕生しました。 10001はアラビア数字表記と同様、漢字で表記しても回文になりますが、 これは宮本先生がとても気に入っている合致でもあります。 硬めの芯を赤味がかった木軸と組み合わせ、ゴールドの箔押しを施したBlackwing10001は、“合格鉛筆”にあやかって、ユニークな五角(ごかく)の形に仕上げました。
【PALOMINO】BLACKWING 54
理性の支配をしりぞけ、夢や幻想など非合理な潜在意識の世界を表現することによって、人間の全的解放をめざす20世紀の芸術運動シュールレアリスムの複数人で言葉を出し合って創作していく「Exquisite Corpse(美しい死体)」という技法を使用して、このブラックウィング54は生まれました。 最初に鉛筆を5つの成分(グラファイト、ラッカー、インプリント、金具、消しゴム)に分けました。 次に各コンポーネントをブラインドで選び組み立てました。 完成した鉛筆はローズ色の軸、ティールのインプリント、シルバーの金具、ブルーの消しゴムと極めて硬い芯で構成されています。 No.54はパリの(54 rue due Chateau)「Exquisite Corpse(美しい死体)」発祥地に因んでいます。
【PALOMINO】BLACKWING 16.2
ブラックウィング16.2は、数学者にして作家、予言者でもあったエイダ・ラブレスへの敬意を表して発表されました。ホワイトの木軸にマットブラックの金具を合わせたデザインは、初期のパソコンのシンプルな造形にインスパイアされたものです。 文筆にも計算式の記述にも最適な、硬めの芯を使用しました。 16.2という数字は解析機関のデータ容量であった16.2KB(平均的なスマートフォンのデータ容量の0.00005%)に由来し、ブラックウィングロゴの反対面には彼女がサインに用いたイニシャルであるAALを表す二進法記号が型押しされています。
【PALOMINO】BLACKWING 1
ブラックウィング1はガイ・クラークと彼の完全に不完全なスタイルへのオマージュです。 ブラックウィングでは初の丸軸に木目が透けて見えるグレーのウォッシュコート仕上げ、ガイの好んだ青いワークシャツにちなんだブルーの消しゴム。 そしてソングライティングに最適な、バランスの取れた芯。
【PALOMINO】BLACKWING 73
その土地で生まれた芸術や文芸、歌などを理解することなく、土地やそこに住む人々を完全に理解することはできません。 カリフォルニアに位置するタホ湖の自然の神秘は、その最たる例です。数えきれないほどのアーティストによる作品が、この場所は息をのむ自然の美しさと予測できない危うさが共存する場所であると物語っています。 つまりタホ湖は古くから続く「守られた自然界」と「文明世界の浸食」の戦いの最前線にあるのです。 人間の生活環境が変化した結果、湖の特徴的な深い青色は1960年代から失われ始め、1997年にはその透明度は66.6フィートにまで低落しました。 けれども、行政やNPOによる保全活動が功を奏し、湖はようやく美しい透明度を取り戻しつつあります。 ブラックウィング73はこのように芸術文化や社会に強く影響を与えるタホ湖に敬意を表して発表されました。 ナンバーは、近年計測された透明度である“73フィート”に由来しています。
【PALOMINO】BLACKWING 205
紀元前138年、中国の探検家、張騫(ちょう けん)は遠征隊を率いて西方へと出発しました。 この旅は13年にも及び、彼の足跡はアジア・ヨーロッパ間の交流を開拓する交易路、シルクロードの基盤となりました。 シルクロード貿易で取引された品物のうち最も有名なもののひとつに翡翠が挙げられます。 翡翠は元来の美しさはもとより、持ち主の旅路を守り、創造力と精神の機敏さを強めると信じられていたのです。 ブラックウィング205には、それぞれ“緑翡翠”と“白翡翠”をイメージしたカラーの鉛筆が6本ずつ入っています。 金の金具に黒の消しゴム、硬めの芯を使用し、翡翠の中でも最も人気のあるジェイダイトの相対分子質量(205.03)にちなんだ205のナンバーとブラックウィングの文字をゴールドで箔押ししました。
【PALOMINO】BLACKWING 1138
ジョルジュ・メリエスによる約13分間の映画、「月世界旅行」は、上映時間、入り組んだセットと精巧な衣装、そして物語性、すべての面で画期的でした。 この作品は世界初のSF映画であるというだけでなく、物語性を持つあらゆる映画の礎であるとも言えます。 ブラックウィング1138は「月世界旅行」とすべてのSF映画へのオマージュとして発表されました。 「月世界旅行」のコマをバーコード状になるまで圧縮したもの(ムービーバーコード)が、縞模様のテクスチャで木軸の上に再現されています。
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mononekochan · 5 years ago
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彼方の星
星送り企画内イベントの作品まとめです。
【小夜】
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【古太万】
 皆を帰し、静まり返った神殿の廊下を歩く。踵の高い派手めな赤いヒールの靴は固い床を衝突するたびにいい音を鳴らす。人のいない建物はしんと静まり返り、男の足跡をよく響かせた。  だが、普段よりもどこかもの寂しく感じるのはこの静けさのせいではない。廊下を包む薄暗さのせいだ。明かりは一つ残らず消え去り、今は窓から入る月明りが石造りの床を照らしている。消灯時間というにはまだ早い。普段であれば廊下にも点々と火が灯っているはずだが、今日は全て消えている。
 今日は特別な日なのだ。
  扉を潜り抜け芝の生い茂る丘に出る。神木が根を下ろすそこは、周りより少し高い位置に存在し、普段であれば人々の営みが灯篭のように点々と見えるはずだ。しかし、今日はどこも暗く静かな景色が広がるばかりであった。 「みな明かりを消して星を見上げている」  この夜に灯りを灯す者など誰もいない。真っ暗な地上から見上げた空には普段気づくこともない星々が沢山に散らばっている。  男はしばらくその星々を見上げると、神木の根元に腰を下ろした。空を見上げても生い茂る葉に遮られて星はほんの少し姿をちらつかせるだけだ。 「��れでいい。あまり見えすぎると、貴方が埋もれてしまうよ」  幼い頃のように神木に身を預ければ、見たい星だけが良く見えた。の島の数多の記録の中から、男が望む記録だけが呼び起される。
 「大事な師匠の記憶と、他の星の区別がつかないだなんて、ずいぶんと薄情な弟子だな。君は」  彼方の星を眺め静かに過ごす時間に、すっと水を差すような声が一つ降った。 「うるさい奴め」  その聞きなれた声が誰のものかなど、男にはすぐわかる。振り向けば思った通り、水色の短い髪を編んだ女がこちらを見下ろしていた。 「お前は一体何をしに来たんだ」  大きなため息を隠しもせず、問う気も無しに男が問えば、女はケロッとして答える。 「君がまた神木の下で丸まっているんじゃないかと思って見にきただけさ」 「もうここへ来てもおやつは貰えないぞ。食いしん坊め」  綺麗に舗装された未知のように平坦なその声が、どこか揶揄を含んでいるような気がして、少し嫌味を返してやる。だがそんな嫌味一つでは彼女には効きはしない。男のささやかなとげなど耳に入りもしなかったかのようにきれいに無視され、腕で押した暖簾のように張り合いのない返事が返ってくる。 「それはそうさ。もう彼方の星の話だ。今は君の手元にあるけれどね」 「そうだな。まぁお前には大した価値のない歴史さ」  躱されることなど端からわかりきっていた男は、それ以上噛みつくことなく軽く握った手を開いた。すべての明かりを消したはずの島にうすらぼんやりと光を放つそれは、今しがた彼が掘り起こした思い出の星だ。 「何度も飽きないことだ」  幾度掘り出しても光が衰えることはない。他人からすれば飽きるほど見たようなその星を今年もまた瓶に一つ放��込む。 「思い出は常に新しい色を持つものだ。今この時に見る思い出は、今しかこの色をしていないんだよ」  だから常に新しいのなのだ。それが記録として本当に正しいものであるかはわからないけれど、それが人の記憶なのだ。  今日という日を生きて、今年という年を生きて、また新しい思い出で瓶は満たされる。毎年決まったように引っ張り出すこの思い出だって。去年とは違う新しい思い出として神木を育むはずだ。  この島の歴史を散りばめて過去から続く星空も、きっと今しか見ることのできない光を放っている。
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mashiroyami · 6 years ago
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Page 106 : 壁の外
 鈍い予兆はありながらも、裏表、白黒ひっくり返るように、不意に意識を手放した彼女にその直前からの記憶は一切無い。意識を手放したという実感も無かった。どのように倒れ込んだのかも、どれほどの時間そうしていたかも。冷たい秋風が肌を撫でる。絵に描いたような穏やかな昼下がりの光景では、何もかもが知らん顔をして、小さな旅人を気に留めなかった。  ただ三匹、孤独な旅路で傍に寄り添っている従者を除いては。  太陽と月に見初められた二匹の獣は、自力でモンスターボールから出る術を心得ている。黒の団との邂逅で破壊された古い物から真新しい物へ住処を変えても彼等の前では意味を成さない。  意志を失った腕から滑り落ち、道路へと転がったアメモースがぽつんと鳴く。呼びかけるように何度か心許ない声をあげるけれど、乱れた髪の被さった顔は、半分地面に伏せ、もう半分、血の気の無いその顔は、まるで反応しない。アメモースは頭と胴体を道に擦り付けるように前へ進もうとするが、三枚の翅は地を這うためには発達していない。その場でもがいているばかりだった。しかし、ふっと身体が急に軽くなる。息が止まる。浮かび上がったのだ。それは、進化して以来彼が当たり前に享受してきた感覚とは異なる。決して自力のものではない。しかし彼はどこか切実に懐かしい、胸の奥が焦がされるような驚きを覚えた。  若い主人の隣に降り立ったエーフィが涼やかな表情で発動したサイコキネシスでアメモースを傍に寄せると、すっかり青白くなった顔を覗き込んだ。意識を失うと、恐ろしいほど強ばっていた表情が弛緩している。苦しみも痛みも切り離している。皮肉なことにこの方が余程年相応の無垢な顔つきだった。試しに砂で汚れた頬を舐めてみるが、少しも動かない。  心細い鳴き声がエーフィの喉から漏れる。  遅れて、黒き三匹目が閃光に包まれて姿を現す。  誰もが、不安な顔つきで彼女を見下ろした。皆、彼女を本来のおやとしない。思いがけぬ離別を経験してきたポケモン達だった。  今度は、と。  三匹でそれぞれどのような想像が脳裏を過ぎったかは定かではない。しかし、彼女が彼等に対し無力であるのと同様に、彼等もまた彼女に対して無力であった。  このような事態に陥るのは初めてではない。まさにキリで殺意のある電撃に襲われ一度、そしてキリから首都にかけた道中でまた一度、そして首都にて屋上から飛び降りた、わらっていた、思い出すのもおぞましい一度。今までと明らかに異なるのは、この場に人間が居ないという点だ。溜息をついて、戸惑いながらも肩を貸した少年はもうどこにも居ない。  周囲を見回してもだだ広い小麦畑があるだけで、古い民家がぽつんぽつんと点在しているだけ。道路のすぐ近くにいる分、道を誰かが通りさえすれば気付かれるだろうが、気配は無かった。  居ても立ってもいられなかったのか、エーフィは階段を登ろうとし、すかさずアメモースが制するように声をあげる。最も間近で一連の流れを見た彼は、現在最有力の助け船が彼女に手を差し伸べる光景を想像できなかったのか、迷いが無かった。  苦渋の表情を浮かべ、エーフィは渋々踵を返し主人のもとに戻る。  倦ね果てたように、三匹はラーナーを囲む。  彼女の周りに薄い膜が張られている。壁に等しい膜。透明で、傷だらけで、目には見えないけれど、すっかり心を閉ざしてしまった証。より明確となった境界線。内部に踏み入れることを決して許さない。踏み入れるのも戸惑われるほどの拒絶だった。それは分け隔てなく、ポケモン達にすら向けられている。  それでも、知っている。深い悲傷に呑まれて壊れかけても、或いは既に壊れてしまっていたとしても、剣難な旅路をたゆまず歩もうとしたことを、傍らに添い続けてきた彼等は知っている。  いつか気付いてくれるだろうか。  いつかまた振り返り笑ってくれるだろうか。  たとえ本当のおやでなくとも、ラーナーこそ、今の彼等の居場所だった。  エーフィは、彼女の身体に自らの身体を寄せる。温めるように懐に身を入れると、瞼を閉じた。  倣うように、ブラッキーは背中に回り、ぴたりと体毛を当て��。  労りに満ちた光景を、アメモースは少し距離を置いて見つめていた。  彼女は一向に目を覚まさない。  風が凪ぎ、西日が強くなり、影が伸び、ブラッキーの光の輪がぼんやりと発光し始め丘が薄いオレンジ色に染まっても、変わらずに。  進行も後退もせぬ時間を過ごしているうちに、アメモースは安息の眠りについていた。他の二匹も、うたた寝に転じようとしていた頃、徐に沈黙は裂かれた。  囚われた籠に手を伸ばしたように、丘の上からやってくる。実を言うと、あちらはずっと上から様子を窺っていたのだ。階段の上と下では随分長い距離が間にあり、ラーナーにばかり気を取られていた従者達は、上の方でささやかに、しかし浮き足立ったポケモン達には一切気付いていなかった。  階段をどたどたと忙しない足取りで小さな存在が降りてくる。紺色と朱色の、細かな鱗で覆われた獣は、一直線に迷いなく彼等のもとへやってくる。  突然の訪問者に、エーフィとブラッキーは咄嗟に立ち上がる。研ぎ澄まされた警戒心の強さは折り紙付きだ。鋭い視線を投げてよこすと、威嚇された小柄な獣はぎょっと身を振るわせ立ち止まった。ついでにやや遅れ、アメモースも何事かと目を覚まして辺りを見回す。  姿を現したのは、幼いドラゴンのようなポケモンだった。  緊張の種を蒔いた小さなドラゴンポケモンは、あどけない顔つきで毒気が無い。闘争本能とでも呼ぶような殺気立った気配は一切合切削ぎ落とされ、豊かな田舎風景に馴染む雰囲気である。それを嗅ぎ取れないほど、エーフィとブラッキーは鈍感ではなかった。とりわけ機微に聡いエーフィは無意識のうちに早々に力を抜いた。何故かと問われれば答えに戸惑うが、憎めない、ぽんやりとした気配を纏っている。有り体に言えば、ゆるかった。それが、一目で解ってしまうようなゆるさなのだ。  やがて、夕焼けの中をまた別の生物がゆったりと飛んでくる。夕陽よりも濃い朱色の体毛が印象的な鳥ポケモンは、ドラゴンポケモンより少し大きい体格だった。後を追う小鳥ポケモン達も野次馬のようにその場にやってくる。ポッポやチルット、ムックルにマメパトとその種類は多岐に渡り、瞬く間に階段下は賑やかになった。  何が起こっているのか理解できない一同は、間の抜けた展開に気圧されながら、ただ一つ主人の元からは離れまいと足下を確かにした。  小さなドラゴンポケモンがそろりと前に出て、階段を大きく逸れて草原を踏み、遠回りするようにラーナー達の周囲をなぞる。抜き足差し足忍び足、と、道路側に回る、その動きに合わせて一同の首が回り、目で追う。注目を浴びるドラゴンポケモンは、ラーナーの顔が見える場所に立つ。それから相手はラーナーに興味を示しているのか、一歩近づこうとしたので、とりわけ警戒心の強いブラッキーが厳しい視線と低い声音で相手を射抜いた。ドラゴンとしての威厳に欠けたその獣は、びくりと足を止め、冷や汗を垂らした。  直後、ぎゃあぎゃあと鳥ポケモン達が騒ぎ出した。今度はエーフィ達がぎょっと目を丸くする番である。  すぐにドラゴンポケモンが地団駄を踏みながらその野次に負けぬ叫びをあげると、高揚した喧噪が水をかけたように冷めるが、消しきれない残像の如き騒々しさが満ちる。沈黙に溶かすように、燃える炎のような羽毛の鳥ポケモンが呆れた声を零した。  意を決したようにドラゴンは一歩、また一歩と近付く。三匹はその様子を固唾を呑んで見守る。そろり、と鞠のような身体を傾け、黒く大きな瞳がラーナーの疲弊した顔を覗く。ぽやんと僅かに開いた大きな口内には、生え揃った牙が整然と並んでいる。体つきは幼いが、牙は立派なものだ。一噛みすれば只では済まず、いとも容易く骨を砕き肉を引きちぎるだけの迫力がある。が、じっと見つめる瞳に悪意は無く、存在するのは穢れを知らぬ無垢な興味に近い。  沈黙に耐えかねたのか、エーフィが鳴く。尋ねるような声音だ。対するドラゴンが返事をする。いくつかの会話がその場になされていくほど、彼等を纏う空気ははより一層温もっていく。  ぎゃ、とドラゴンポケモンが深く、全身で肯いた。  ぱっと表情を華やがせたエーフィは、希望を詰め込んだ笑顔でブラッキーを振り返った。やや不安を拭いきれないのか煮え切らない表情のブラッキーは、アメモースに赤い視線を流す。アメモースは状況を掴み切れていないのか、小首を傾げ瞳を瞬かせた。  事の顛末を見守り、やれやれと、俄にざわつく鳥ポケモン達の中でもリーダー格であろう朱い鳥を筆頭に、ポッポ達は羽ばたき、丘の上へと向かっていく。黄昏時に小さな影が群を成す。ドラゴンポケモンは階段を上がり、ぴょんぴょんと飛び跳ねて明るい声をあげながら彼等を促した。道案内をしようとしているのだろう。  エーフィは紫紺の瞳を輝かせ、念力を発動する。朧気な赤い光に包まれたラーナーとアメモースが同時に浮かび上がり、階段を登る。ドラゴンポケモンは超常現象に驚いたようだったが、エーフィが彼等をつれてこようとしているのだと察し、階段を先に登りだした。エーフィはブラッキーに声をかけ、一足先に道を行く。こうなれば流されるままに流される他無い。深い溜息をついて黒獣は後を追った。  静かな旅は繋ぎ留められていく。  長い石段を軽快な足取りで駆け登っていくポケモン達の小さな行列。夕空は光に当たる粒のような彼等を覗き込んだ。陸では穏やかな風を切り、たおやかな黄金を背に走っていく。空からは鳥ポケモン達が見守り丘の向こうへと吸い込まれていく。先導する陽気なドラゴンは時折振り返りつつ、まっすぐ女主人の家へと向かう。  丘を登りきると、ドラゴンポケモンは放牧帯を囲う柵の下を匍匐前進で潜り抜け、民家の裏へと回る。  遅れて民家の前へ来たエーフィは、念力をゆっくりと解いてラーナーとアメモースをその場に下ろした。ブラッキーと並び暫く待っていると、深い静寂のおかげで家の中の騒がしいドラゴンポケモンの声が外に漏れ出ているのがはっきりと聞こえてきた。  やがて、玄関扉が開く。  ザナトアは気絶しているラーナーとその三匹のポケモン達を見やり、一瞬驚愕の表情を浮かべ、すぐに今度は呆れた息をついた。 「面倒なことを」  苦い顔のザナトアとは裏腹に、その足下からドラゴンポケモンが顔を出し、あどけない溌溂とした表情でエーフィ達に声をかけた。こんな大きな捨て子はいらないよ、とザナトアは毒づきながらも、扉を大きく開いた。 「フカマル、中に連れてきな。その子も一緒だ」 < index >
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tokudakanpou · 5 years ago
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潜水
潜水 https://ift.tt/2yE8bx9
息を30秒止めろと言われたら、それは簡単。60秒と言われたら、辛いがそれでも出来るだろう。2分は真っ赤になってダウンする。
外出���粛の要請が出て1月も経っていないのだが、経済的に3ヶ月が限度だろう。ウィルスの年内収束は残念ながら期待も出来ないので、その後、どうなるのかというと、震災の後と同様に目を瞑って生活していく事になるのではないだろうか。
生きる事にはリスクがあって、その軽重には個人の価値判断があるけれど、社会的な足並みという点では自粛の限界は近いのではないか。現状、欧米の方が悲惨な状況なので、その様子見に入っている訳だが。
そういえば、コロナに罹患して隔離病棟にいる人をFaceTime越しにずっと見ている。大変、勉強になったのだが、不思議な病気だ。肺炎なのだが、体調を見ていると食べ物との相関が強い。例えば、正露丸事件とヨーグルト事件が印象的だ。両方、摂取後に咳込んで、死にそうですという連絡を受けたのだ。画面を見たら、胃が酷く張っていて、胸焼けを取る為の調整をしたら、それで呼吸が落ち着いた。
どうにも食べると体調の悪化する傾向が顕著だった。粗食をお薦めした。また、夕方以降に体調が悪化するので、朝・昼食べて、夜に食事を抜いてという食生活を守ると、大分、楽そうだった。今はすっかりお元気なので、一安心している。
ただ、公平に言うと、なにせ一人しか見ていないので、普遍性があるのかはサッパリ分からない。備忘録的な話題に過ぎない。
鍼灸 via 自由が丘 浜田整体 https://ift.tt/2IDQr79 April 25, 2020 at 02:41AM
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yukiosa-progress · 6 years ago
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30th Dec. 2018, Sunday
PLPロンドン_15週目_Yuki OSA
《旅の備忘録》
12/22 05:55 LTN → 09:50 BRI
N16のバスに乗って、旧市街手前で降ろしてもらう。バスの中の譲り合いや、チケットの受け渡しに南伊の人々の暖かさを感じる。
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歩いて15分ほどで大通り沿いにある宿の近くまで着いたが、Googleマップの場所に宿がなく、右往左往。近くのビルの警備員の人に聞いてみたところ、その人もわからず、一緒に探してくれる。キオスクの友人に聞いてくれたりして、地図のポイントがワンブロックずれていることが判明。御礼を言って別れる。
宿の中は旧式のエレベーター。それを取り囲むように階段が螺旋状に上がっている。エレベーターは少し乗るのが気が引けて、階段で登る。
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4階の宿に着く。両開き扉が狭い。片側だけ開いていて、肩幅ぎりぎりで荷物が引っ掛かる。
中には宿のおばさんと招き猫の人形が腕を振っている。受付前に立つイタリア人らしい長髪に少しパーマのイケメンがおばさんと話している。挨拶をするとその人もなんとフローレンスで学んだ建築家らしい。今晩エンジニアの友人とご飯を食べるけど一緒に来て語らわないかと言われたが、アルベロベッロに経つのでいけなかった。誘ってくれるだけで嬉しいと伝えた。またマテイラに行くことも伝えたら、マテイラは来年ヨーロッパのカルチャー首都に2019からなるという情報を教えてくれた。
部屋から若い女性がチェックアウトをして出て行く。
支払いを済ませると、おばさんが入浴用タオルを貸してくれた。優しい。お茶も飲まないかと言われたが、アルベロベッロ行きの電車が迫っていたので、丁寧に断った。
宿泊用の荷物を置き、手提げだけ持ちバーリの駅まで徒歩で向かう。10分ほどだが碁盤の目状の道はとても長く感じる。
駅に着いてみると掲示板に乗る予定の電車がなく焦る。駅員のおじさんに聞くと、違う駅だから地下を歩いて左に行けと言われたが、行ってみても何もない。引き返し通行人のおばさんに聞くがイタリア語でわからず。そうこうしているうちに、時間が迫りのこり3分。焦っていたところ、駅員の若い女性が地下に潜り反対側の車線のところが違う駅なのだと教えてくれる。ややこしい。
また地下に潜り反対側の車線まで走ってなんとか間に合うことができた。
12:03 Bari central→ 14:05 Alberobello
プッティガーノに着くとバス停があり、そこで待機。待つこと30分ようやくバスが来る。そこでもタバコを吸ったおばさんに助けられる。南伊の優しさに感謝。
アルベロベッロに到着。するも新市街に降ろされ場所不明。Wi-Fiもないので右往左往。ガソリンスタンドの売店のおじさんに教えてもらう。
トゥルッリの地域着。石積みのとんがり屋根状の家々が建ち並ぶ丘陵の眺めに感動。
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インフォメーションセンターを探していると、美味しそうなパン屋。朝から何も食べていなかったので、プンチャをオーダー。15cmほどの温められた丸く薄べったいパンに、トマト、モッツァレラチーズ、ベーコンが挟まっている。美味。
バンダナっぽい旧式の帽子を被ったパン屋のダンディなおじさんに、インフォメーションセンターの場所を聞くと、何しに行くんだと聞かれ、地図をもらいにと答えると、うちにもあるからちょっと待ってろ、と引き出しを開けて地図を取り出すと、名所や巡った方が良いところを丁寧に教えてくれた。感謝。
プンチャを片手に食べながらトゥルッリの街並みを登る。石積みの狭い階段の両脇は、観光客向けの店で犇めいている。お土産には興味がないが、トゥルッリの内部が気になるのでいくつか入ってみる。とんがり屋根の裏側上部まで塗装されているところが多いが、石積みをそのまま見せているところも。円形の平面を長い二本の木製の梁が流れる。
観光店通りを離れ、住居群を歩くと、屋根の補修工事現場にあたる。しばらく眺めていると、その場で石を砕き、丁寧に石を積み上げていく技術はまさに職人技。1273年から続く技術の伝承。厚��大きさの違うライムストーンを使い分け積み上げていく。分厚く大きな石は円形の壁に使われ1.3~1.8mほどよ壁を形成する。その上に木製の梁を二本流しつつ、屋根が上に乗る。屋根は三層構造で、まずはじめに屋根の構造となる20cmほどの少し厚めの石を内部空間側の斜め状の角度に合わせカットしながらとんがり状に積んでいく。この角度には緩やかさ加減を徐々に変えて、長年の構造に耐えうる知識が詰まっているらしい。次に隙間を埋めるための砕けた細かい砂礫を詰め込んで、最後に薄い石板を瓦状に積んでいく。屋根の最上部には、十字架だけではなくユニークなシンボルが、キリスト教の様々な願いや想いを込めた形豊かなかたちで表現されていると同時にキーストーン同様の役割も持ち、屋根全体のアーチ構造の重しにもなっている。外壁を白く塗装するようになったのはいつからか不明だが、1つの家が同じ素材で出来上がっていく光景は感嘆に値する。しかもその素材は、同じ地域から産まれた石なのだ。風景に対して相性が良く感ずるのはそういう事由であると感心。
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17時過ぎに日が暮れて、そこからは夜のバスまでの6時間をどうするか考える。最近の色々な悩みなどを抱えつつ、思索に耽りながら直線上に歩き続けていると、大きなバシリカ様式の教会にあたる。中世の都市構成の誘導的意図を感じる。
中へ入り、お祈りなどをしつつ、座っていると、子供のためのクリスマス礼拝が始まる。賑やかな子供達が礼拝を済ませ帰っていく。
どれくらい座っていただろうか。気がつくと今度は大人たちのクリスマス礼拝が始まっていた。壮大なパイプオルガンの音や賛美歌の音、僧侶の聖書を読む声などが、幻想的に礼拝堂内に響き渡り、目を閉じて耳を澄ませる。
教会に滞在すること3時間半。とても心が落ち着いていた。
あてもなく夜の街を歩く。
夜のトゥルッリは、昼とは違った趣を見せる。月明かりと街灯に照らされた影の陰影が深いためか。
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子供達が夜にもかかわらず大人も伴わず出かけていく。街角には井戸水の蛇口があり、そこへ首を傾けて口を近づけ飲んでいる。私も飲んでみようか。
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20分ほど歩くと、広場にでる。広場はとても賑わっており、様々な店舗が出ている。
徐々に子供の数が減っていき夜も更ける。
23:25 Alberobello → 00:40 Bari
バスの中で寝過ごさないか心配であったが、なんとか宿に到着。
STAY@ Bari “MoViDa CaVour”
12/23
カフェでバスを待つ。本場のカプチーノは濃い。
クロワッサンも密度あり。
7:25 Bari → 8:35 Matera
マテーラに到着する。が、徒歩30分程度離れた新市街にて降ろされる。
途方に暮れていたところ、同じバスでバーリから来た、2人の若いカップルに話しかける。2人ともバーリで法律を学んでいて、来年就職らしい。今日はクリスマスイブ前日のワンデートリップにマテーラまで来たと言う。彼女の方は日本に二回も行ったことがあるらしく、話が弾む。旧市街広場までは道のりが同じで、一緒にローカルバスに乗り向かう。
旧市街着。カップルと別れる。
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別れ際に教会になぜドクロが彫り込まれているのかについて少し話した。
南伊では結構多いらしい。
STAY@ Matera “L'Ostello dei Sassi”  
宿着。荷物を置く。荷物といってもA4サイズのリュックだが、一日中担ぐのは応える。
15分ほど待つと受付の人が出勤してきたので、荷物を置いて良いかと聞くと、チェックインもできるということなので、そうする。イタリアのユースは一泊16ユーロくらいが相場で、どこも安い。
今回泊まるところは、マテーラ特有のサッシと呼ばれる岩窟住居をホステルに改装したところ。
荷物を置き、街へ出る。
光と影のコントラストが素晴らしい。街全体がどこを切り取ってみても彫刻作品として成り立つのではないか。
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階段の折り重なる迷路のような街路を歩き、散策する。
サンタルチ��教会を前に、殉難をあらわす聖杯のシンボルを目にする。この土地の人々が受けてきた、耐え抜いてきた苦悩や災難を思う。私事の悩みが小事に思える。
農家の家の跡、復元などを見つつ、土地の特性に合わせて工夫された生活様式を学ぶ。雪を貯めるシステムなども面白い。
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歩き続け、登り続け、大聖堂手前の高台の道の途中にあるカフェで立ち止まる。
昼もとうに過ぎていた。
喉がとても乾いていたため、カフェアメリカーノを頼むと、バシリーカ州産のクッキーを一緒に出してくれた。とても美味しい。
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1時間ほど座りながら景色を眺め、考え事をする。
続きの坂道を登ると、大聖堂があり、その眼下のもう1つの集落が見渡せる高台に着く。
日も上りきり15時くらいにはなっていたかと思うが、高台広場にあるベンチで、鞄を枕に横になる。
とても心地よい。
太陽と、風と、温湿度が最高のバランスでミックスされた感じ。
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その後は当てもなく歩き続け、日も傾き、そろそろ帰ろうかという気持ちがよぎった時に、ダリの作品である彫刻が見えた。
どうやら、サルバドール・ダリの美術館が岩窟住居の跡地に整備されているようだ。
ダリの天邪鬼というべきか、すべてに対する反骨主義の徹底した作品コンセプトに感銘を受ける。
時間の速度は個人の感情や心の景色、触感、聴感、嗅感、立場であったり、周りの環境であったり、すべてに触発されて、まったくもって安定したものではない。不合理、不条理という言葉を久しぶりに目にした気がする。合理的なものと非合理的なものの狭間。不条理は時に災難もあれば、圧倒的な美を生み出す時もある。それを取り持つ合理的な知性といったところであろうか。
また、女性の秘める美しさに対する彫刻表現にも驚嘆した。シュールレアリズムの作家についてはほかにあまり知らないが、コンセプトはとても強い不条理に対するメッセージやイデオロギーを持ち合わせているが、その反面コンセプトと作品自体の一貫性はとても強く感じると思う。これほど説明を聞いて、なるほど、と感じる芸術作品はあまりないと思った。
だいぶ遠くに来ていたのか、帰路がかなり長く感じる。
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旧市街を出ると、新市街との境界沿いの細長い広場に出る。そこを東の端にある宿まで、歩いていく。
途中で突然名前を呼ばれ、誰かと思��振り向いたら、今朝のバーリから来た法律を学ぶ学生カップルであった。どうやら彼らは30分後のバスでバーリへ帰るらしい。一日中誰とも話していなかったからか、珍しくとても話したい気分ではあったが、彼らのバスの時間もあるため、惜しみつつお別れをした。
宿に荷物を置き、寒さに耐えられる服を着込み、夜の街へ再び出かける。
ラビオリを食べる。
量は少ないが、黒トリュフの香りがとてもよい。
旧市街へ再び行き、今朝とは違うルートで歩く。
満月である。
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ふと、隙間風を感じる。
崖沿いの厚さのある石積みの手摺に腰をかけ、崖に足を投げる。
12/24
08:35 Matera → 12:20 Naples
朝起きて、30分程度歩く。
バスを待つ。
ナポリへ向かう。
マテーラは高木と呼べる木々がとても少なく、そのために岩窟住居が発展していったのかもしれないが、西へ向かうにつれて、風景が変化し、木々が増えていく。
太陽の照らす芝に寝そべる牛を見る。
ナポリに昼に到着する。
いつものようにインフォメーションセンターで地図を貰うべく、探すが一向に見つからない。
昼も食べてから宿に行こうかと思っていたが、仕方なく、歩き始める。
街が汚い。
パリ北駅などの治安の悪さと同質の雰囲気を感じる。
足早に歩き続ける。
いつのまにか道幅がとても狭い旧市街へ。
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歩いていると、上の方から名前を呼ぶ声が聞こえる。ユースホステルを利用して、こんなことは今までなかったから正直驚いた。
むしろ、呼んでもらえなかったら入口を見つけられなかった、と後から思う。
STAY@ Naples “Giovanni's Home”
3階に上がり、ジョバンニの家に入る。
70過ぎの小太りな優しいお爺さんといった印象だ。
奥の方で、1人の青年が手作りパスタを、丁寧にトレイの上に並べている。
ジョバンニ曰く、今からこのパスタを茹でて、宿泊している皆んなとランチを食べるという。
もちろんお前も食べるよなと言われ、驚く。
状況が読めない。
奥の青年は誰なのか。
ジョバンニは荷物をとにかくロビーにおいて、キッチンに来いと言う。
バシリーカ州特有の、とてもシンプルなパスタを作ると言う。Stracinati con i peperoni cruchi e mollica と言うパスタのようだ。ドライチリペッパーと乾燥したパン屑を使うガーリックとオリーブオイルの効いた素材の味がわかるパスタ。
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その後、シンガポール人の2人が宿に帰ってきて、さっきパスタを並べていた青年(ブラジル人のジョアオと言うらしい。彼も私の2時間ほど前に到着し、突然パスタ作りを手伝わされたと言う)と、ジョバンニと私のその日宿にいたメンバー全員で出来上がったパスタを頂く。
とても美味しい。
話が弾み、全員の距離がぐっと縮まる。
今日がクリスマスイブであることを忘れていた。
その後、ジョアオとともに、ジョバンニからのナポリレクチャー(とても歴史に対しても話が深く、地理学的な観点から、火山の種類、彫刻芸術、現代建築家の作ったメトロの駅まで話が及ぶが、とにかく話が長い。)を聞く。
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16時前になっていた。
ジョアオとともに街に出る。
ジョバンニお勧めの教会や円形競技場が住宅に変化したところ、地下通路などを探してみるが、どこもクリスマスイブのため閉まっていた。
途中雨が降ってきた。
やたらとジョアオはセルフィを撮っている。
彼からすれば私はやたらと路地を撮っている、と思っただろうか。
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旧市街はどこも開いていないから、海でも見に行こうと言うことになり、海岸沿いの城や広場などを眺めつつ歩く。
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彼とビールを片手に海沿いで飲む。
In to the wildの映画の話で盛り上がる。
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さておき、彼はなんと19歳。私より10歳も若い。political science の中のstates sienceという、地方行政のマネジメント、デモクラシー、それらの歴史を学んでいるという。特に中世が好きらしい。シンガポール人にあとでブラジルの政治は酷いよねとからかわれていたが、そんな事はない、夢のある学問だと思う。
12/25
8:30 Naples → 10:00 Amalfi
アマルフィ着。
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クリスマスなのでナポリにいても仕方がないと思いアマルフィに来たが、ここもほぼ閉まっている。
一件だけ海岸沿いに開店しているカフェを見つける。
とりあえずエスプレッソ。
海と崖と集落の奏でる光景が素晴らしい。
1時間ほど座りながら景色を眺める。
ガラガラだった周りの席も、客で賑わいを見せる。そろそろかと思い、立ち上がる。
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クリスマスで唯一開いているのは教会。アラブシシリア様式の縞模様の入った列柱廊のある大聖堂に繋がる大階段を登る。
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天気が良い。
太陽がクリスマスを祝福している。
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教会に入るとミサの最中であった。
アルベロベッロの経験でクリスマスミサの流れや、お祈りの仕方なども分かっていたので、参加する事にした。
特に隣の人々と握手をして、隣人を愛し助け合うことを確認することがとても良い。
太陽の差し込む礼拝堂と、とても美しい歌声に、本当に自分でも驚いたが、涙が止まらなかった。
ハンカチで顔をふく姿が周りの人々には不思議だったかも知れないが、感動したのだから仕方がない。
ミサの後、街に出た。
観光客の姿が朝よりも増えている。朝閉まっていた店もぽつぽつと開いていた。2割弱の開店率といったところか。
中央通りを登っていくと紙に関する美術館があるとの情報を得たので登っていくが、見当たらず。当然のように閉まっていて見つけられなかっただけなのか。
その代わり、その道を登り続け、途中から獣道に変わる。
渓谷が深くなってゆく。
地元の人がBBQをした跡などがあったが、基本山道で枝を避けながら進んでいく。
渓谷の反対側は陽があたり、レモン畑が傾斜地に並んでいる。
どうにか反対側へ行く事はできないかと思い、渡れる橋を探すが見当たらない。
まっすぐ行くと、唯一昔の水道橋のような廃墟が現る。入口手前まで歩いて行ったが、昼にも関わらず、先が見えない暗闇。
仕方なく引き返す事にする。
アマルフィの街は、渓谷の中央に車が一台通れるくらいの幅の一本の道が海岸まで貫通していて、基本的にその道沿いに商店や薬局、クリニック、教会、ホテルなど小さいながらに隣りあいながら並んでいる印象だ。その道から一つ脇に入ると渓谷の両側に登るような感じで入り組んだ階段状の通路が張り巡らされている。通路の幅は人1人が歩ける程度なので80センチくらいだろうか、すれ違うのは肩を傾けなければいけない。とにかくこの通路が面白い。階段を登っては等高線に並行に歩き、また登る、を繰り返す。陽が当たるところもあれば、洞窟状に家々の下をくぐり抜けるものもある。
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どのくらい登っただろうか、階段の両脇は家や高い壁で囲われているので、自分のいる場所を把握するのが難しい。
谷側の廃墟の壁の柵状の開口部から、明るく漏れる光があった。
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覗くと廃墟の中には陽が溢れんばかりに入り込み、青々と茂る草の上に寝そべる一匹の猫がいた。最初警戒していたが、やがて堂々と再び寝そべりこちらを眺める。こちらも優しく見つめ返す。
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猫を側に、頭をあげて目の前を見ると、廃墟の谷側の壁は崩れほぼ在らず、アマルフィ全体の街並みが見渡せた。
先程のクリスマスミサを受けた教会やその塔も見える。渓谷の反対側の家々もよく見渡せる。
足元にはレモン畑も広がっている。
そこからは素晴らしい景色が続いていて、等高線状に歩みを進める。
テラスがあり、そこの手摺に腰掛ける。
誰も来ない。
洗濯物を干しているおばさんが家の中の誰かと話をしている。
犬が吠える。
猫が足元のレモン畑をこっそりと通り抜ける。
波の音がざわざわと耳に届く。
すべての音が陽の光と調和しているように感じる。
傾斜地の家々が開けている狭い通路をそれらの音が風に乗って通り抜けてくるかのような感触。
もちろん陽で暖められた風の音だから、気温は寒いが暖かく感じる。
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夕日が沈み、中央広場に行く。
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16:45 Amalfi → 18:15 Naples
待ち合わせ時間の15分前に運転手が来ていた。
礼をいい、ナポリまで乗せてもらう。
途中アマルフィ側では沈んでいたように見えた太陽が山を越えると、まだそこにいて、ナポリの街を紅く照らしていた。
ヴェスーヴィオ火山の稜線が綺麗に浮かび上がっていた。
尾根と谷側をぐるぐると回りながら降りていくので、同じ景色を微妙な高さの違いと、刻一刻と太陽が下がっていく時の変化を感じながら降りるのが面白い。
STAY@ Naples “Giovanni's Home”
ナポリの中央駅で降ろしてもらい、宿まで30分ほど歩いて帰ると、パスタ(ペンネアラビアータ)を全員分の量をまとめて料理している最中だった。
宿泊する人が昨日の3人から6人に増えている。
全員男。
バーリで農業を学ぶイラン人、アメリカ人、耳の聞こえないフィンランド人だった。
夕食は筆談で盛り上がり、さすがアメリカ人はデリカシーないこともずばすば聞くんだなと、思いながらも夜は更けた。
普段はお酒が禁止なホステルだが、今日はクリスマスだからと、解禁してみんなで瓶ビールを開けた。
即席の旅のチームを結成し、明日のポンペイ日帰り計画の予定を立てている。どうやらみんなは明日7:30の列車に乗るらしい。早起きなのにこの時間まで起きていて大丈夫か。
私はすでに別行程で予約を取っていたので、フィンランド人と筆談を続ける。
12/26
朝10:20のバスだったので、8時頃には宿を出て、ナポリの街を散策することにした。
朝起きた時には即席チームメンバーの姿はなかったので、無事起きれたのであろう。
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8時半からカペラ・サンセベッロがオープンするということなので、行ってみた。
噂には聞いていたが、とても地味な路地裏にチケット売り場と入口がある。
フリーメイソンの集会所としての教会でもあったらしい。
路地裏に着くとまだ10分くらい時間があったので、周辺をふらついていると、お馴染みのペペロンキーホルダーを大量に持ったおじいさんがいたので、五つお土産用に購入することにした。
ペペロン=チリペッパーはナポリの特産品であることを、ここに来て初めて知った。
カペラ・サンセベッロに入ると、教会としてはかなり小振り���側廊もなく、長方形の中廊のみがある小さな空間であったが、中は至極の彫刻であふれていた。時間を忘れて作品の前に立ち尽くす。
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他にナポリでは古代地下通路なども見てみたかったが、時間が無いため諦める。
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Half day Pompeii tour from 10:20
ポンペイ着。
ギリシャ人達がクリスチャンニズム以前に神達を祀っていた神殿がバシリカといい、それがローマ人によって教会として使われるようになったという話を聞く。
他にも2度のヴェスーヴィオ火山の噴火の話、2万人いた都市の4千人しか遺体が見つかっていない話、都市の1/3は未だ地中に眠っていること、ローマ人の円形劇場の一日の使い方、パン窯がシェルター兼保存食置場になっていたこと、ローマ人は朝7時から13時までの6時間しか働かず、その中に1時間の昼食時間が含まれており、ロバの馬車で渋滞を作りながら、商店のカウンターに並んだ話、商店の昼食のテイクアウト皿はパンで出来ていて、それを奴隷達に食べ終わった後に与えていてそれがピザになったのでは説の話、仕事が終わるとスパに並び、風呂に入り家に帰っていた話、風呂場のトイレのお尻を拭くスポンジは一つしかなく、遅くいくと他の人が使ったやつで尻を拭かなければいけないことからsomeone’s spongeということわざができた話、下水処理設備が無かったため、道路の車道を垂れ流しで、膝高さ程度の歩道が整備されて道を渡るときは飛び石が使われていた話、その飛び石はロバ二匹に馬車を引かせていて120センチの車輪幅でそれが今でもヨーロッパの鉄道規格として使われている話、娼婦館のレッドライトの起源の話など、いろいろ驚くべき話を英語フランス語スペイン語を使い分けるガイドから聞き、ポンペイで半日過ごす。
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フロリダに家族を置いて一人旅をしているお爺ちゃんのジョンと仲良くなる。
ジョンが奥さんにハート型のお土産を買っている。
ナポリに到着。
PLPで同僚のマリアと15時に海岸沿いのピザ屋で待ち合わせ。
時間通りに着くが、一向に現れず。
30分ほど待ち、仕方がないので道行く子供連れのピンク色のダウンジャケットを着たお母さんに、iPhoneのネットワークをシェアしてもらい、WhatsAppでマリアに連絡する。
どうやら車で来ており、駐車場が激混みで見つからないとのこと。
マリア到着。
まだ駐車場が見つからないらしい。
車に移動。
マリアの妹のリザが助手席に座っている。
リザめちゃくちゃ美人。
2人ともナポリ生まれで、クリスマスに合わせ実家に帰省しているとのこと。
リザはマドリードでエクスペディアでイタリア担当の企画マネジメントをしている���しい。
ファッションも好きで、将来は自主ブランドを立ち上げたいらしい。確かにオシャレ。
車を止めて、ピザ屋を探す。
当初の行こうとしていた店はすでにいっぱい。
ウェイティングリストも一杯で名前をかけないほどの人気店。
仕方なく、3人で海沿いを歩く。
雲ひとつない快晴の天気だ。
時間は4時を回り、太陽はすでに夕日と呼べるほど空を紅く染めている。
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リザが足を止め、店のウェイターに声をかける。
他にも列を作り並んでいる客がいるにも関わらず、即座にテラスの座席に案内してくれる。
これが美人の力か。
男一人旅にはありえない光景を目の当たりにする。
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マリアが赤ワイン大好きなので、MOIO57(モイオ チンクエットセッタ)という赤をボトルで頼む。
運転大丈夫?と聞きつつ、イタリアはいいのよ、と自慢気。
ダメだろ、と思いつつ聞き流す。
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ここまでパスタしか食べておらず(ラビオリ、ストラッシナーティ、パスタグリル、タッリアテッレ、ペンネアラビアータ、トルティーニといった感じ)、ようやくピザを食べることができた。
1人ひとつづつ注文し、みんなで分ける。
3時に遅い昼飯をブランチ的に食べようと言っていたのが、もはや夜飯も兼ねることに。
定番のマルゲリータは最高。
シシリアーナピザは旧シチリア王国の南イタリアならではのピザで、マルゲリータと同じトマトベースだが、茄子や諸々地域の野菜が使われていて美味。
そしてホワイトベースのサルシッチャ&フリィアリエーリ パンナ プロスキュート エ マイスは、リザの好物らしく、スパイシーなソーセージと青物の葉とチーズが相まってとても美味しい。
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そのあと店を変えて、リモンチェッロを3つ食後酒としてみんなで飲んで、お別れ。
バスの出発時刻に遅れそうで走ることになったが、なんとか間に合いローマ行きのバスに乗る。
21:00 Naples → 23:30 Rome
ローマ23:30着。
バスターミナルなのでタクシーなども見当たらず、ローカルバスもこの時間だけに止まっている。宿までの地図も分からず、仕方なしにターミナルの誘導員の黄色いジャケットを着たおじさんに、タクシー乗り場知らないかと聞いてみると、まってろといい、バスターミナル外の柵側の暗闇にひたすら誰かの名前を呼び続ける。
そういうシステムか、と思いつつ、暗闇から現れたタクシーもどき運ちゃんらしき人を紹介される。
まぁ他に手段がないから仕方ないと思い、値段と行き先を交渉する。一応値切り交渉は成功。
英語があまり喋れないらしく、なぜかフランス語で道中会話。ローマの治安情報や、ローカルバスの乗り方や、オススメのレストランなどを聞く。
宿に到着。
STAY@ Rome “The Yellow”
イエローホステルは受付ロビーと宿泊部屋、バー、などが普通の二車線道路を向かい側に挟んで、道路やテラス席などを取り囲むように構成されている。
先程まで暗く治安が悪そうに感じたローマの街がこの道の中央の一画だけ明るくかつWi-fiも飛び、人で溢れ、とても安全に感じた。
6人部屋の二段ベットの下に荷物を置き、バーで1人IPAを飲みながら、明日の飛行機までの時間とルートを考える。
プライベートな悩みも相まってすこし孤独モード。
周りはパーティらしく、おそらく知らない人同士が出会い話し盛り上がっているが、混ざる気になれず、地図を眺める。
1時半に就寝。
12/27 
8時前にチェックアウトをし、荷物を預け街に出る。
道端の地元民が行きそうなカフェでエスプレッソを飲む。
パンテオンに向かう。
30分程度の道のりを50分程度かけて歩く。
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途中トレビの泉をたまたま通り過ぎたが、朝にもかかわらず、観光客が中央でセルフィーを撮らんと押し合いしている。
昔は泉の水の循環システムってどうしていたんだろうか、などぶつぶつ考えながら通り過ぎる。
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パンテオン着。
9時開館と書いてあったが、すでに開いている。
人少なめ。
1時間以上滞在する。
太陽の動きを見る。
想像していたよりスケールがとても大きく感じた。
重機ない時代にどうやって施工したんだろうか。
そして幾何学の床モチーフ含め、厳格な構成美を体感する。
あとで帰り道にもまた来よう、陽の光がどう動いているのか確かめようと思い、パンテオンを出る。
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人通りの少ない裏路地やノヴァ広場、駐車場などを抜けて、エンジェル橋を渡りながらバチカンに到着。
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サン・ピエトロ広場は確かに大きいが思っていたよりもヒューマンスケールよりかな、と感じつつ列に並ぶ。
途中のインド人らしき自称ガイドが、列に並ぶと数時間入れないけど、ガイドツアーチケット(75€)買えば並ばずに入れるよ、と言っていて胡散臭いなと思っていたが、案の定、何のことない30分ほど並べばセキュリティゲートに着き、無料で入れるではないか。
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並んでいる途中、そのチケットを買ったであろう人が列を抜かして行ったが、セキュリティゲートの手前で止められて結局並ばされていた。詐欺なのか。騙されなくて良かった&よく教皇のいるバチカンの目の前で詐欺ができるもんだ、と感心しながら並ぶ。
広場と反対に教会の建物自体は若干のオーバースケール感を感じた。ただ中の光の取り入れ方は計算され尽くしているように感じ、来場者が神秘性を感じるように光の移動と芸術品の配置や側廊のリズムなどが決められているように感じた。
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ただアマルフィで感じたような涙は出なかった。権力的な威圧感も同時に感じたからだろうか。
建築が言葉なくも語りかける空間の性格みたいなものに、この旅の中で敏感になっているように感じた。
クーポラに登る。
ひたすら螺旋階段をあがり、最上部に到着。サン・ピエトロ広場だけでなく、ローマ全体が見渡せる。素晴らしい都市軸。
すべての道はローマに通ずという言葉があるけど、正確にはローマのどこを目指しているのだろう、バチカンか、でもそうも見えなかったなぁ、などとぶつぶつ言いながら螺旋階段を降りる。
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帰り道パンテオンに立ち寄る。
正午過ぎの光。
奥まで入り込んでいたが、不思議なことに、朝よりも全体が暗く感じた。
なぜだろうか。
コントラストを強く表現して、神秘性を高める効果���狙っているのだろうか。
ちなみに中央の屋根のガラスはもともとガラスだったのだろうか、勉強不足だからあとで調べよう、などと思いつつ宿へ荷物を取りに帰る。
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昼食をとりつつ、空港までのバスを待つ。ローマはFCO空港まで1時間ほどかかる。
遠いいが、国際線なので早めに到着。
18:00 Rome FCO → 20:40 Croatia ZAG
STAY@ Zagreb “Hotel Central”
クロアチアの首都ザグレブに着く。
22時前にホテルに着き、MJS同期2人と待ち合わせ。
3人で夜の広場を巡る。
三ヶ月振りの再会で、近況を話し合う。
やはり楽しい。
12/28 Zagreb
朝からマーケットや旧市街を巡る。チェッダーチーズというヨーグルトを固めたようなチーズが有名らしく、同じ商品を10人くらいのお爺さんお婆さんがそれぞれ違う屋台を出して、売っている。買う人はどこを選べばいいのやら。
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クロアチアの伝統料理を食す。サルマという名のロールキャベツうまし。
チーズと薄肉ポークのハムカツにチェッダーチーズをすこし付けて食べる料理もうまし。まさにハムカツだよね、といって盛り上がる。
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午後4時のバスでプリトヴィッツェ国立公園へ向かう。
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12/29 Plitvice Lake,  Dubrovnik
朝8時15分に宿の主人に車で国立公園第二入口まで送ってもらう。
5時間歩く。
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虹鱒の唐揚げが有名らしいが、食べることができなかった。
ザグレブ経由で、ドブロブニクへ向かう。
ドブロブニクの宿23時着。
夜の城壁で囲われた街を散策���
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12/30 
朝、日の出を海岸沿いから眺める。
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カフェで朝食を食べ、城壁を巡る。
一周するのに約2時間。天然の要塞と人工の石積みと自然の美しさを兼ね備える素晴らしい都市である。
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その後ロープウェイで山頂まで登り全体を見渡す。
クロアチアの国旗が快晴の空をはためいている。
旅もここまで。
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ドブロブニク特有の海鮮料理をみんなで食し、お別れ。
次会うのは9ヶ月後になるか。
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後ろ髪引かれる思いの中、空港へ向かう。
ロンドンへ向かう。
16:30 DBV → 20:45 LHR
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