#ドイツ:1300〜
Explore tagged Tumblr posts
Photo
✿ ヴァイツェン | Weizen ・14世紀から続くドイツ伝統の白ビール、ヴァイツェン。ベルギーでは白ビールをオレンジピールなどで風味付けをしていますが、ドイツのヴァイツェンは、ヴァイツェン酵母によるバナナやクローブのような香りが特徴です。またホップが少ないことから苦みが少なく、舌触りも濃密で「まるで飲むパンのようだ」と言われることもしばしばです。 ・ヴァイツェン(Weizen)はドイツ語で小麦を意味します。通常ビールの麦芽は大麦を発芽させたものですが、ヴァイツェンでは50%以上小麦麦芽が使われています。ヴァイツェンはヴァイスビア(Weißbier)とも呼ばれ、こちらはヴァイス(weisw=白)ビア(bier=ビール)の名前の通り白ビールという意味。小麦は大麦に比べタンパク質が多い上に、ろ過しないため白く濁っていますが、特にろ過したものは「クリスタルヴァイツェン」と呼ばれます。
#ヴァイツェン#weizen#白ビール#ヴァイスビア#weißbier#ドイツ:ビール#ドイツ:アルコール#アルコール#ビール#飲み物#飲み物:ビール#2020〜#ドイツ#ドイツ:2020〜#飲み物:ドイツ#飲み物:アルコール#ビア#ヴァイス#ドイツ:1300〜
0 notes
Quote
■ 日本は昔から(相対的に)人口が多かった。 1800年の日本の人口は2900万人で、 人口大国のロシアやフランスに匹敵した。 1940年にはイギリスが4800万人、 ドイツが6900万人だったのに対し、 日本は約7200万人だった。 日本は少なくとも1800年以降、 世界で最も人口の多い国の1つであり続けた。 1600年まで遡ってもやっぱりそうで、 徳川幕府はスペインが800万人、 英国が400万人、ロシアが900万人の時に、 幕府の人口は1300万人だった。 +134
【���外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「安定した社会が要因だ」 地理的条件が最悪の日本が繁栄した事実に外国人が困惑
0 notes
Text
「青花の会骨董祭2024」おすすめ品2点目『西欧中世古陶小壷』の紹介です。
ドイツのピングスドルフというところで、1100-1300年頃に作られた高さ8.6センチほどの小さな壷です。
黄色味のある胎土と朱で描かれた紋様が特徴です。所謂ライン炻器の一種で9世紀後半には誕生したと言われています。ライン川交易を通じて、古くから英国、スコットランド、スカンジナビア諸国、オランダなどに輸出されていたようです。食物の保存や飲用に用いられていたと思われます。素朴な無骨さが、中世陶器の特徴を良く示していると思います。
4枚目はWikipediaの〝Pingsdorf ware〟を引用しました。中の写真はその特徴をよく示していると思います。
皆様のお越しをお待ちしております。
〈青花の会骨董祭2024〉
日時
6月7日(金)16-19時*内覧会(青花会員及び御招待者)·販売有
6月8日(土)11-18時
6月9日(日)11-17時
会場
√K Contemporary 東京都新宿区南町8
入場料 1000円
*2日間(6月8·9日)共通·小冊子付·再入場可
*青花会員は無料です
*入場券は8日午前11時より会場受付で販売します
#青花の会骨董祭 #青花の会骨董祭2024 #Pingsdorfware#西欧中世
#古陶 #ドイツ#ピングスドルフ #pingsdorf #ギャラリーウチウミ #galleryuchiumi #ライン炻器 #german
instagram
0 notes
Text
攻撃目標には、ルール工業地帯のメーネダム、ゾルペダム、エーデルダムなどが選ばれ、今から約80年前の1943年5月17日、第617中隊は「チャスタイズ」と命名されたこの作戦に、特別改造の「ランカスターB.マークIII スペシャル」(タイプ464 臨時改造型)19機で出撃。見事ダムの破壊に成功しています。そのため、第617中隊は「ダムバスターズ」の愛称で呼ばれるようになりました。
この攻撃の結果、ダムは決壊。下流域約80kmにおよぶ地域に大水害が生じ、死者約1300名、操業が停止した軍需工場約125か所、流された橋25本、一時的に使えなくなった農地約3000ヘクタールという大損害をドイツに与えました。しかし、イギリス側も出撃した19機の「ランカスター」爆撃機のうち8機が撃墜されています。
0 notes
Text
2023/05/08
ゴールデンウィーク明けの月曜日が世界で一番自殺が多いらしい。しかし今年も生きて月曜日を越えることができた。今日、わたしは月曜日5限に取っていた教科を放棄することにした。ものすごく興味があった西洋文学という授業。月曜5限に選択で授業を入れるなんてなかなか唆られるものではないとしないだろ。わたしは早��きが大嫌いだけど、好きなもののためならできる質らしい。去年も前期後��共に月曜の1限に選択を入れていた。しかし、西洋文学への期待値が大きすぎたのか、授業を受けて拍子抜けた。目から鱗が落ちた。拍子抜けしすぎてギックリ腰になった。はっきりいうと全く面白くなかった。爺(先生)が「わたしははっきり言って文学史というものが嫌いだ!」と声高に宣言し、私とは相容れないなとは思ったけど、授業全てをドイツ語で話すなんて聞いていない。わたしは時間は有限であることを知っているため早々に放棄することにした。私を構成する一部だから、必要なもの以外は切り捨てていく。幸せの選択をするのは結構勇気がいる。幸福を手に入れるには体力を消耗するし、犠牲を払わなければいけない。罪悪感を多少は感じつつ、3限で終わりを迎えた今日、せっかく時間が空いたのだからと新しいお皿を見に行った。アカシアのサラダボウルと美味しいネギキムチを買った。1300円のキュートなハンドソープも手に入れた。さっきまで抱いていた罪悪感は計6000円という犠牲で帳消しにすることができた。今日からマスクをしなくてもよくなったけどまだまだ怖いよ。シトラスレモンの香りを手に纏わせ、菌とさよならをする、ね。
0 notes
Text
2022年12月6日
FIFAワールドカップ カタール2022 ラウンド16 日本代表 1(1 PK 3)1 クロアチア代表@アルジャノブスタジアム(Al Janoub Stadium)アル=ワクラ市 42523人/43分 前田 大然、55分 イバン ペリシッチ
Japan manager Hajime Moriyasu bows to the fans to thank them for their support
浅野拓磨
クロアチアに敗れた日本代表の選手たちが一夜明けて取材に応じました。 森保一監督のコメントです。
【W杯】海外では「DEATH NOTE」恐怖の的…「森保特製ノート」コクヨが作製検討(日刊スポーツ)
「森保特製ノート」ができる。日本代表の森保一監督(54)が、試合中に愛用する大手文具メーカーのコクヨ株式会社(本社・大阪市東成区)のノートに注目が集まる中、同社が森保監督用のオリジナルノート作製を検討している。惜しくも史上初のベスト8進出はならなかったが、1次リーグでドイツ、スペインといった強豪国を破って決勝トーナメントに進出したことへの感謝を込めた。2つのパターンを構想しており、森保監督が続投すれば、4年間にわたり贈る計画もある。
森保監督に、ビッグなサプライズだ。文具メーカーのコクヨが、同社のノートを愛用する指揮官に感謝のプレゼントを届ける意向を示した。「死の組」を首位通過した活躍に、オリジナルノートの作製が持ち上がった。
担当者は「自社のノートを使って世界で戦っている森保監督の姿には、とても誇らしい気持ちになりました」と感謝する。2種類のパターンを構想しており、本人の意向を考慮して、世界に1つだけのノートを贈るプランだ。
デザイン案は<1>日本代表エンブレムの八咫烏(やたがらす)<2>サムライブルーのユニホームをベースにする。日本代表を象徴する図柄をモチーフにする考え。贈る期間については「(続投すれば、その在任)年数に応じてですが、ぜひ4年は贈らせてください」と約束した。森保監督とは直接的��接点はないが今後、コンタクトできる道を探っていく。
森保監督も愛用するキャンパスノートは、1975年から手掛ける同社のロングセラー商品。直近の年間販売冊数は約1億冊に上り、使いやすさや耐久性を売りに親しまれてきた。「森保監督のように折り返して使っている方でも、紙が全くバラけることがないのも特徴です」と話す。
指揮官が試合中に何度もメモを取る様子が国際映像で映し出され、今や世界から注目を浴びる森保ノート。スペイン、ドイツとW杯優勝国を倒したこともあり、海外では「DEATH NOTE(デスノート)」と呼ばれるほど恐れられている。各国の反応の大きさについて、コクヨ社の担当者も「日用品にこんなにスポットライトが当たるなんて」と驚きを隠さない。
SNS上でも話題に上り、同社は「森保監督が使っているから、と購入した人の投稿を見る機会も少なくないです」という。4年に1度のサッカーの祭典がもたらしたインパクトは計り知れない。ノートに対する注目度が上がることを喜びつつ、指揮官が手にする自社製品が、今後も日本の活躍にひと役買うことを願っていた。【平山連】
◆森保監督とノート 収穫と課題を書き残すため、コクヨ社のキャンパスノートを愛用している。複数色のボールペンを使い分け、試合中はポジティブ要素を青、課題などは赤で記す。代表監督就任から現在までに使ったノートは5冊ほど。カタールでは、サムライブルーをほうふつとする鮮やかな青を使用している。
W杯クロアチア戦 世帯視聴率34・6% 瞬間最高���延長突入の場面で38・3%!深夜に熱狂、高視聴率(スポニチ)
サッカー日本代表がクロアチア代表と対戦したFIFAワールドカップ(W杯)決勝トーナメント1回戦を生中継したフジテレビ(5日午後11時40分~6日午前2時10分)の平均世帯視聴率が34・6%(ビデオリサーチ調べ、日報データ、関東地区)だったことが6日、分かった。個人全体視聴率は20・2%。6日午前2時10分~3時までの世帯視聴率は30・5%で、個人は17・5%。瞬間最高の世帯視聴率は6日午前1時48分と51分、後半アディショナルタイムに突入した直後と、後半が終了し延長戦が決まった場面で38・3%だった。23時以降スタートの番組としては同局歴代最高の数字となった。
1次リーグE組を1位で突破した日本は5日、初の8強入りを懸けて決勝トーナメント1回戦でF組2位通過のクロアチアと対戦した。前半43分、FW前田大然(25=セルティック)の大会初ゴールで今大会4試合目で初めて先制したものの、後半10分に追いつかれ、延長戦でも決着がつかずにPK戦に突入。1―3でクロアチアに敗れ、アジア勢として3チーム目となる8強入りはならなかった。
11月23日にNHK総合が生中継した1次リーグ初戦のドイツ戦は平均世帯視聴率35・3%で、平均個人視聴率は22・1%。27日にテレビ朝日が生中継した第2戦、コスタリカ戦の平均世帯視聴率は42・9%で、今年放送した番組の最高をマークした。平均個人視聴率は30・6%。瞬間最高の世帯視聴率は27日午後8時53分、後半のアディショナルタイムが過ぎた試合終了の場面で53・8%だった。今月2日のフジテレビが生中継した第3戦のスペイン戦は早朝も世帯視聴率22・4%、平均個人視聴率は11・8%と高い数値をマークした。
日本代表戦の視聴率で過去最高は02年日韓大会のロシア戦(フジテレビ系)で記録した66・1%(02年6月9日午後8時)。
【今大会前のサッカーW杯関連の高世帯視聴率】(関東地区 ビデオリサーチ調べ)
66.1% 日韓大会・日本×ロシア(02年6月9日午後8時放送開始 フジ)
65.6% 日韓大会・ドイツ×ブラジル(02年6月30日午後8時57分 NHK)
60.9% フランス大会・日本×クロアチア(98年6月20日午後9時22分 NHK)
60.5% フランス大会・日本×アルゼンチン(98年6月14日午後9時22分 NHK)
58.8% 日韓大会・日本×ベルギー(02年6月4日午後6時53分 NHK)
57.3% 南アフリカ大会・日本×パラグアイ(10年6月29日午後10時40分 TBS)
52.7% ドイツ大会・日本×クロアチア(06年6月18日午後9時35分 テレ朝)
52.3% フランス大会・日本×ジャマイカ(98年6月26日午後10時52分 NHK)
49.0% ドイツ大会・日本×オーストラリア(06年6月12日午後9時50分 NHK)
48.7% ロシア大会・日本×コロンビア(18年6月19日午後9時53分 NHK)
サッカーW杯クロアチア戦、日本はPKで敗北 ABEMA視聴者数は2300万人超え(ITmedia NEWS)
試合を配信していた動画サービス「ABEMA」の視聴数は、試合終了直後の午前2時46分時点で約2343���まで増加。2日のスペイン戦で記録した1700万人を大きく上回った。
日本は前半に得点。前田大然選手がシュートを決めたものの、後半に1点を返された。ABEMAでは、日本が先制点を決めた直後にアクセス制限を実施。その後しばらく、一部のユーザーがアクセスできない状況が続いていた。
W杯、日本は賞金17億8千万円 16強で前回より増額(共同通信)
【ドーハ共同】サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会で5日の決勝トーナメント1回戦で敗退した日本は、賞金1300万ドル(約17億8100万円)を受け取る。同じくベスト16だった前回ロシア大会の1200万ドルから100万ドル増となった。参加費の150万ドルは変わらない。
今大会の賞金総額は4億4千万ドルで、優勝は前回より400万ドル増の4200万ドル。準優勝は3千万ドル、ベスト8は1700万ドルで、1次リーグで敗退したチームには900万ドルが与えられる。
【本日(12/6)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で4571人感染 4人死亡(NHKニュース)
広島県では6日、新たに4571人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、4人が亡くなったと発表されました。 1日の感染確認が4��00人を超えるのは9月2日以来、およそ3か月ぶりです。
感染が確認されたのは▼広島市で1830人、▼福山市で855人、▼呉市で303人、▼東広島市で296人、▼三原市で234人、▼尾道市で226人、▼廿日市市で17��人、▼庄原市で130人、▼三次市で74人、▼府中町で62人、▼安芸高田市で51人、▼府中市で48人、▼海田町で45人、▼世羅町で36人、▼熊野町で31人、▼大竹市で30人、▼江田島市と竹原市でそれぞれ27人、▼神石高原町で23人、▼北広島町で21人、▼大崎上島町で20人、▼坂町と安芸太田町でそれぞれ14人、それに、▼島根県から訪れた1人のあわせて4571人です。 4000人を超えるのは9月2日以来およそ3か月ぶりです。 また、1週間前の火曜日を708人上回りました。 これで県内での感染確認はのべ55万4208人となりました。 また、県内では患者4人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は891人となりました。
新型コロナ 県内の病床使用率 47.2%(5日)(NHKニュース)
県内の医療体制です。5日時点で病床の使用率は47.2%です。(確保病床数776床、入院患者366人)。
このうち重症患者用の病床使用率は12.0%です。 (確保重症病床50床、重症の入院患者6人)。 軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1240室を確保し、314人が過ごしています。(利用率25.3%)。 直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は715.90人です。 県は、国が新たな対応方針の運用を始めたことを受けて、保健医療体制の負荷の状況などをもとに、感染レベルの分類をこれまでの0から4の5段階から1から4の4段階に変更しました。現在、広島県の感染レベルは、発熱外来を受診する患者が増えるなど、保健医療の体制への負荷が高まり始めていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】147人死亡 13万7193人感染 (6日)
厚生労働省によりますと、6日発表した国内の新たな感染者は空港の検疫などを含め13万7193人となっています。また国内で亡くなった人は147人で、累計5万608人となっています。
東京都 新型コロナ 19人死亡 1万5501人感染確認 前週比821人増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 新たに7956人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は232万352人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて6783人です。
0 notes
Photo
I went to Komatsu-an in Ogikubo, Tokyo, and had a pork cutlet rice bowl set with morisoba noodles (large portion of pork cutlet rice bowl) for 1,300 yen. It's been a while since I've been to Asagaya for business. After wondering whether I should go to Takano, Agemonya, or even Taro-ken for curry, I decided to go to Komatsu-an in Ogikubo. I wanted to have a pork cutlet bowl, and I missed good soba noodles. Since “Shirakame" stopped operating at night in Corona, and "Fuji Soba" stopped operating late at night, we were out of soba. + The mori-soba at Komatsu-an in Ogikubo was as good as I expected it to be. The thick "Tokyo-flavored" soba sauce was a nice touch. Following the example of Mr. Meitei in Soseki Natsume's "I am a Cat," I dipped a little bit of it in the noodle sauce and sipped it all at once. It's delicious. Food to be savored through the throat. Don't chew your soba too hard! You're not even a German designer living in Kyodo! That's disgusting! And the soba water with noodle soup (the aroma of the broth rises up!) I had a bowl of katsu-don (pork cutlet rice bowl) with soba-tsuyu instead of soup. The pork cutlet rice bowl. It's a thicker version of katsudon with a "Tokyo taste" and "strong" flavor. + I enjoyed the katsudon set. I'm full, satisfied, and superimposed! 荻窪「小松庵」で、カツ丼セットもりそば(カツ丼大盛)1300円。 所用で久しぶりの阿佐ヶ谷。「タカノ」にしようか「あげもんや」か、はたまた「タロー軒」のカレーも捨てがたい・・と迷った挙句、荻窪「小松庵」。カツ丼も食べたかったけど、うまい蕎麦が恋しかったから。コロナで「しらかめ」さんが夜営業やめちゃったし、「富士そば」が深夜営業やめちゃったので、そばにあぶれている。 + 荻窪「小松庵」のもりそばは、期待通りに美味かった。濃いめの「東京味」のそばツユがいいねえ。夏目漱石「吾輩は猫である」の迷亭先生に倣って、ちょっとだけ麺つゆにつけて一気に啜る。美味いねえ。喉ごしで味わう食べ物。そばをぐちゃぐちゃ噛むんじゃねえ! 経堂在住のドイツ人デザイナーでもあるまいに!汚らしい! そして、麺つゆのそば湯割り(ダシの香りが立ち昇る!)を吸い物代りにして、カツ丼。安定のカツ丼。コロモ厚めのカツ丼。これまた「東京味」で「味濃いめ」のカツ丼。 + カツ丼セット堪能。 満腹満足、重畳重畳! #カツ丼 #もりそば #小松庵荻窪 #小松庵 #荻窪 #しらかめ #富士そば #タロー軒 #あげもんや #麺スタグラム #丼スタグラム #ドイツ人デザイナー #経堂 #breadedporkchops #katsudon #ricebowl #dippingnoodles #soba #japanesefood #tokyo #japan #germandesigner #germandesignerinkyodojapan #kyodo (そば処 小松庵) https://www.instagram.com/p/CSwLYmbl6yf/?utm_medium=tumblr
#カツ丼#もりそば#小松庵荻窪#小松庵#荻窪#しらかめ#富士そば#タロー軒#あげもんや#麺スタグラム#丼スタグラム#ドイツ人デザイナー#経堂#breadedporkchops#katsudon#ricebowl#dippingnoodles#soba#japanesefood#tokyo#japan#germandesigner#germandesignerinkyodojapan#kyodo
5 notes
·
View notes
Text
しかし、マスコミのAZ社製ワクチンに対する扱いについて、僕は常々疑問だった。
「米当局、AZ社製コロナワクチン治験の結果を疑問視」
「EU、AZ社を提訴」
ファウチ「米国にAZ社製コロナワクチンは要らない」
「AZ社製ワクチン、欧州で一時停止」
AZ社は米当局やEU当局からやたらと目の敵にされている。なぜだろう、と思っていた。治験データのごまかし(cherry picking)くらいはどの製薬会社もやっている。血栓症の発生率についても、AZ社製がやたら批判されているが、ファイザー製だってモデルナ製だって似たり寄ったりである。しかし、なぜかAZ社だけが叩かれている。
この疑問に答えてくれた人がいる。以前「コロナワクチンにプリオンが仕込まれているのではないか」という仮説を教えてくれたフリーライターのH氏である。
H氏いわく「簡単に説明すると、ファイザーは2014年にAZ社を693億ポンドで買収する提案をしました。しかしAZ社はこれを拒絶し交渉は決裂しました。
怒ったのはビル・ゲイツです。ゲイツは2002年からファイザー株を大量に保有する大株主です。つまり、ファイザー社は半ばゲイツの私物です。コロナワクチンは「ファイザーかモデルナか」みたいな雰囲気ですけど、どちらにせよ、ゲイツの掌の上、というわけです。ゲイツとしてはAZ社も傘下に置いて製薬業界への支配を強めたかったところ、強く反発された。そのときの恨みがあるんです」
なるほど、おもしろい。製薬会社と一口に言っても、一枚岩ではない。世界中のマスコミが珍しくコロナワクチン批判をしたのも、ゲイツが恨みを抱くAZ社製ワクチンだったからだ。結局すべては、ゲイツの指示のもとで動いている。
H氏「おもしろい話ついでに、こんな話はどうでしょう。
ドイツの活動家がこんな提言をしています。
https://www.samueleckert.net/isolat-truth-fund/
「コロナウイルスを分離/純粋化でき、その���在を証明できるのならば、科学的証拠として文書化して送ってほしい。そしてそれが正当なものであれば、150万ユーロ(1億9600万円)支払う。すでにその賞金も用意している」
実はドイツでは、過去にも同様の問題提議がありました。医師のグループが「HIVウイルスや麻疹ウイルスの存在証明ができるのなら賞金を出す」と。そのときの賞金は日本円で1300万円でしたが、まともな論文はひとつも送られて来なかったそうです。今回のコロナウイルスの存在証明を求める活動家も、この医師グループとつながっています。
これ、おもしろい試みではありませんか?
だって、このパンデミックの基本中の基本ですよね。ウイルスが存在するのかしないのかって。当初、武漢の患者からとったウイルスが新型コロナだと言っていて、でも結局それも後に撤回されました。厚労省も「正確な存在証明はできない」と堂々と述べています(笑)
そしてそうなれば、これも根本的な話ですが「では存在証明すらできないウイルスのワクチンって一体何なんだ?」というところにぶち当たります。
これ、ドイツだけではなく、世界中の学者、研究者に対して挑戦状を叩きつけているわけです。しかもかなりの金額の賞金までくれる。
毎日テレビに出演してコロナ不安を煽るのに忙しい日本の教授や先生方も、ぜひこの証明に挑んでみるといい。我が国にも無数のコロナ患者があふれているという設定ですから、ウイルスの採取に不自由はないはずでしょう?(笑)
ちなみに、このドイツのサイト、開設から1か月以上経ちますが、未だに誰も存在証明できていないそうです(笑)」
存在しないウイルス、あるいは少なくとも、存在証明できないウイルスのために、ワクチン接種や外出自粛などが行われている。
一瞬信じられないような話だよね。
「大きな嘘であっても、それを何度も繰り返すことだ。そうすれば結局みんな騙されるだろう」
ゲッペルスの言葉だけど、日本語では、誰が訳したのか、「嘘も百回言えば真実になる」という名訳がある。
これを地で行ってるのが、今の世界なのよ。
https://note.com/nakamuraclinic/n/n5a9f1f7f3be3
7 notes
·
View notes
Link
中国江蘇省の「南京大虐殺記念館」が2017年12月14日、リニューアルを終えて一般公開を始めた。 しかし、産経新聞の河崎真澄記者の報道(2017.12.15)によると、「南京大虐殺の史実を世界に周知させた」として顕彰された朝日新聞の本多勝一元記者らの写真と資料が撤去されていたことが分かったという。 河崎記者は日本軍が朝鮮半島で女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言報道が「虚偽だった」と朝日新聞が認めたことなどから、同紙の過去の報道の信頼性に疑念をもたれる恐れがあると判断した可能性があるとしている。 一方、習近平主席が2015年の公式訪英時、エリザベス女王主催の晩餐会で「日本侵略者の暴行を暴く記事を発表した」などと英国人記者を称賛して中英の友情物語として紹介したことがある。 ところが、岡部伸(産経新聞ロンドン支局長)氏の調査で件の記者は南京に行っていなかったことが判明した。筆者はこの失態の影響もあるのではないかと思料している。 嘘は大きければ大きいほど愛国心が強い証とされた「愛国虚言」ゆえか、本多氏のルポルタージュ「中国の旅」(1971年)以来、「南京大虐殺」は拡大の一途をたどり独り歩きしてきたが、展示品の撤去や事実を確認しない虚偽の紹介は、矛盾の露呈ではないだろうか。 ■ そもそも「南京事件」とは何か 支那事変(日中戦争、日華事変とも呼称)は、��京近傍の盧溝橋事件(1937年7月7日)で始まり、3週間後の29日には日本人居住地を守っていた中国の守備隊が反乱を起こし、250人余の猟奇的殺害、処刑を行う通州事件が起きる。8月9日には上海に拡大した。 「中国に深入りするのは泥沼に踏み込むようなものだ」と不拡大を主張していた参謀本部の第1部長石原莞爾少将や慎重論の米内光政海相も堪忍袋の緒を切らし、作戦を限定する方針のもとに上海への出兵に同意する。 9月にかけて2個師団強(第3・第9師団、1個支隊)が松井石根大将を総司令官とする上海派遣軍として派遣された。 他方、蒋介石の中国側はドイツから招いた将軍の指導下にチェコ製機関銃を配備するトーチカを構築して、75個師団(約75万人)の大兵力を布陣していた。 日本側は苦戦を強いられ、11月には予備役まで招集した第10軍(第6・第101師団、1個支隊)を増派、北支から第16師団も転用して上海派遣軍に編入し、中支那方面軍(司令官松井大将)を編成した。
5個師団基幹でも総兵力は約7万人で、国民党軍の10分の1以下でしかなかった。 蒋介石は住民を盾にする戦術を採り、住民を巻き添えにしたくない日本軍は至る所で思わぬ抵抗を受け、20キロを進むのに1か月余を要した。 その後の南京までの三百数十キロの追撃が30日であったことからも、上海戦の激烈さが分かる。 日本軍が南京攻略戦を開始したのは12月8日である。蒋介石は前日に南京を脱出する。 松井方面軍司令官は9日1600に翌日正午までの停戦命令を出し降伏を勧告するが返答なく、10日1300に攻撃を再開した。 日本軍の攻城に耐え切れず南京防衛軍司令長官の唐生智が12日夜脱出すると、13日早朝に南京は落城する。その後城内の掃討戦を行い、17日に松井司令官を先頭に入城式を行う。 日本軍の意向もあって、12月23日には早くも南京市自治委員会が成立し、翌1938年1月1日を期して発会式を挙行している。 城壁上に上がった陶錫三会長は城下に集う民衆に対して「ここに敵の主都は甦生へのスタートを切った」と宣言する(「アサヒグラフ」昭和13年1月26日)。 「南京事件」と言われたものは、米人宣教師たちが後々の布教のために、「城内における日本軍の暴行」をでっち上げ、国際世論や南京市民の支持を得るプロパガンダであったとされる。 従って、城内の暴行報告は日本軍の南京入城(12月13日)から翌38年2月上旬までの約6週間であった。 しかし、この間の暴行報告を見ても強姦、掠奪、放火などで数も多くなく、虐殺と思われるような事象は見られない。
事実、南京戦以前は100万人いた市民の多くは戦火の拡大と共に脱出した。 残った20万人もドイツ人ジョン・ラーベを長とする国際委員会が設定した安全地帯(安全区や難民区などの呼称もあり、皇居前広場の約4倍)に収容され、安全区外の城内にいる市民はほとんどいない状況であった。 しかも、城内の人口は日本軍の入城後も減ることはなく、2月頃は25万人と推定されるまでになっていた。 この時点で南京市民虐殺30万人説は成り立たず、「南京大虐殺」の虚構は崩れ去る。 しかし、大虐殺は「あった」派は満足せず、何時しか上海戦から南京攻略に至るまでとしたり、南京攻略戦以降の数か月にわたる期間などとするように変化させていく。 また、歴史家で「日本『南京』学会」理事でもある冨澤繁信氏は、大虐殺の出発点となった6週間内の「南京安全地帯の記録」を丁寧に翻訳・研究し、安全地帯の記録で「兵士」と書かれているのを一方的に「日本軍兵士」とする恣意的誤訳などを指摘している。 ■ 本多氏『中国の旅』での記述 日本軍が南京に近づく状況を本多氏の『中国の旅』は、「ここに至るまでに、すでに膨大な数の住民が殺されています」と書いている。 日本軍が入城すると、10万人以上いた蒋介石軍の高級将校は家族を連れ、また主な将校らも北側の2つの門から逃げ出し、門を閉め外から錠をおろして遮断する。 そこに大衆が押し寄せると、「日本軍は機関銃・小銃・手榴弾などを乱射した。飢えた軍用犬も放たれ、餌として食うために中国人を襲った。二つの門に通ずる・・・大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した」。 日本軍は「二つの門を突破して、南京城外へくりだした。長江ぞいに下流(北東)へ、・・・と虐殺をすすめ、さらに南京城北7キロの燕子磯では10万人に及ぶ住民を川辺の砂原に追い出しておいて、機関銃で皆殺しにした。・・・このときまでに、南京城内も合せて約20万人が殺されたとみられている」と記している。 本多氏に語る姜根福氏は「アヒルがたくさん浮いているかのように、長江の水面をたくさんの死体が流れていた光景が、今��もはっきりとまぶたに浮かびます」と語る。 続けて、「虐殺は大規模なものから一人、二人の単位まで、南京周辺のあらゆる場所で行なわれ、日本兵に見つかった婦女子は片端から強姦を受けた。紫金山でも2000人が生き埋めにされている。こうして歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで2カ月ほどつづけられ、約30万人が殺された」と語るのである。
このわずかな引用でも異常な殺し方が見られるが、姜が伍長徳さんから聞いた話として次のような記述がある。 「(日本兵は)逮捕した青年たちの両手足首を針金で一つにしばり、高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた」 「・・・下で火をたき、火あぶりにして殺した。集めておいて工業用硝酸をぶっかけることもある。苦しさに七転八倒した死体の群れは、他人の皮膚と自分の皮膚が入れかわったり、骨と皮が離れたりしていた」 「(化学工場では)強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食った」 残酷な殺し方が出てくるが、日本人にはなじめない方法ばかりである。 中国の古典『資治通鑑』にはこうした殺し方が記述されていると言われ、正しくこれらは中国4000年の歴史でしかないようだ。 なお、南京は幾度も事変に見舞われ、その度にこうした殺戮が繰り返された都市でもある。 ■ ごまかしに終わった藤岡氏との誌上討論 「週刊文春」(2014.9.4号)が「朝日新聞 売国のDNA」で、「本多氏は事実とかけ離れた『南京大虐殺30万人説』を流布させた人物だ」として、上述の「歴史上まれに見る惨劇・・・」を引用したうえで、藤岡信勝拓殖大学客員教授の「この記事は本多氏が中国共産党の案内で取材し、裏付けもなく執筆したもので、犠牲者30万人などは、まったくのデタラメです」とのコメントをつけていた。 このコメントに対し、「週刊金曜日」編集部から「週刊文春」編集部に「公開質問状」が届く。 両者の意を受けた両編集部が相談した結果、誌上での公開討論を5回行うことになるが、藤岡氏の第1信に対する本多氏側の「週刊金曜日」からは本多氏とA記者が対談する変則的な形の第1信が届く。 これでは2対1の討論で、しかも討論相手の本多氏の発言は10%位(全5信の文字数6000字中の比率)でしかないという。
藤岡氏が「本多氏との誌上討論には同意したが、正体不明の『A記者』なるものと討論することを承諾した事実はない」から「心底驚き、呆れた」「卑怯であり卑劣である」「責任逃れ」だと詰るのも頷ける。 平行線というか不毛に終わったように、日中間の最大の歴史戦は南京事件である。 当時、南京に派遣された特派員は朝日新聞約80人、東京日日(現・毎日)新聞約70人、同盟通信社約50人など、総計200人超とみられ、また「アサヒグラフ」などの写真報道も盛んに行われた。 こうした資料が「南京事件」を全くと言っていいほど扱っていないのは、そもそも事件は「なかった」という最大の傍証ではないだろうか。 筆者がJBpress『欺瞞にみちた創作か、本多勝一氏の「中国の旅」―「柳条湖」をルポルタージュで「柳条溝」とした顛末から読み解く』に見たと同じく、当時の史料や関係者の発言などよりも中国側が長年にわたってシナリオを練り脚色した言説を信じるという「本多ルポルタージュの破産」(殿岡昭郎氏)ではないだろうか。 ■ 記者たちは真実の報道を怠ったのか 南京城を陥落させるまでの数日間は城外で激戦が続くが、入城後に市民を虐殺したという報道はほとんどない。 20万人と言われた市民のほぼ全員が安全区に避難し、安全区以外の城内外にいたのは中国の兵士だけであったとみられているからである。 石川達三など一部の作家が日本兵士の悪逆非道ぶりを見たように東京裁判前に新聞に書いたが、後に「大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。・・・(自分が以前書いた)あの話は私は今も信じてはおりません」と否定している。 当時の各新聞やアサヒグラフ、支那事変画報(朝日版、毎日版)などが報道している内容は、平和な日常が返ってきたという印象の記事や写真がほとんどである。 しかし、8年後の南京裁判と東京裁判で、突如として20万とも30万とも言われる虐殺を日本軍がやったとして被告席に立たされる。 戦闘に関わった万を数える将兵や当時現地で取材したほとんどの記者たちも、初めて聞く話に驚き、狐につまされた感じであったと述べている。
前述の通州事件はたった1日の出来事で、記者らしい記者もいなかったが、翌日からは各紙が報道した。 一方、6週間にもわたった南京戦では200人を超す内外記者・カメラマン、作家・画家、内外の外交官などが居合わせながら、誰一人として「虐殺」など語らなかったのだ。 松井石根・中支那方面軍司令官は入城に先立ち9日、唐生智・南京防衛司令官あてに降伏の勧告を行っている。 主旨は南京には歴史遺産が多くあり破壊するに忍びないし、また罪のない民衆が傷つくおそれがあるので南京を開放せよというものであった。 しかし、指定時刻になっても南京城からは何の反応もなく、勧告を無視したので攻撃命令が発せられた。日本軍は激しい攻城戦を繰り広げながら包囲網を確実に狭めていった。 南京を逃れて重慶に政府を移転した蒋介石さえ、内外への宣伝と支援要請のため開いた300回もの記者会見で「虐殺」には言及していない。 のちに政権を取る���沢東も「自分が政権を取れたのは皇軍のお蔭」とは述べるが、虐殺非難など一切しなかった。 「虐殺」ほど世界を驚かし、同情を誘い支援要請に好都合な宣伝であろうに、「一切しなかった」、いや「できなかった」のはなぜか。答えは言うまでもないであろう。 ■ 暴虐を働いたのは支那兵だった 1937~38年の日中戦争当時、蒋介石や国民党軍の行動を実見した米国人ジャーナリストのフレデリック V. ウイリアムズは、『中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実』(田中秀雄訳)で、蒋介石の国民党が米国を巻き込んで、残虐極まる中国軍���糊塗して、悪逆非道の日本軍とするプロパガンダ大戦略を練り展開する状況を記している。 本多氏の「中国の旅」は、中国にとっては「飛んで火にいる夏の虫」を捕えた場外延長戦ではなかったのだろうか。 宣伝に長けた中国共産党のプロパガンダで、仕組まれた成果は「南京大虐殺記念館」の建設(1985年)にも繋がっていったのであろう。 大阪朝日新聞(12年12月10日付)は、「負傷兵締め出し」「非人道極まる支那軍」の見出しで、ニューヨーク・タイムス南京特派員の9日の報道を転載している。
日本軍に圧迫されつつある支那兵が化学戦研究所や金陵公園内の政府要路の大人たちの広大美麗な邸宅に放火しているというのである。 同時に、中国人負傷兵が城内に入って中国軍から手当てを受けるのを締め出すために門を閉ざしたと伝える。 それどころか、城内で治療を受けていた負傷者までが城外に追い出され、自力で城壁を迂回して揚子江へ出るか、野垂れ死にする以外にない状況に置かれたとの報道である。 日本軍との城外での熾烈な戦闘の一方で、支那軍自身が自国民や負傷兵士を手当てするどころか、死に至らしめている状況を作り出していたのである。 同紙はまた、「狂ふ支那軍の大破壊」「外人の軍事専門家呆れる」の見出しも掲げ、中立国の軍事専門家がニューヨーク・タイムス南京特派員に語ったことを報道している。 それによると、「日本軍の空襲砲撃の与えた損害は殆んど軍事施設に限られてをり、これを全部合わせてもなほ支那軍自身の手によってなされた破壊の十分の一にもたらぬであろう」というのである。 「支那軍は退却に当たり、不毛の原野や残煙立ち昇る廃墟を後に残して、これを日本軍に占領させた方が、ただ空しく退却するよりは、彼らの威信を高めるものだと信じてゐる」からだという。 そして「今や日本軍の進撃を前に奥地に殺到する避難民は数百万に達してゐるが、支那政府が彼らを救済しようとしても何事もなしえぬ今日、彼らは如何にこの冬の衣食住を得んとするか、これは想像に余りあるものがあらう」とも述べる。 日本軍の手の届かないところで、南京市民や負傷兵たちがほかならぬ中国軍によって死に追いやられている状況を遺憾なく示していたのである。 このように、中国政府や中国軍は、市民たちをあっさり棄民として見捨て、われ先にと安全なところに逃げて行った。 日本軍が入城した時に見た死体などの光景は、中国軍が自国の市民を死に追いやった姿であったのだ。 姜根福が語った「南京城内も合せて約20万人が殺されたとみられている」というのは、中国軍の仕業であったことが図らずも証明されるのである。
■ 全体的に平穏な南京城内 同盟通信社の前田雄二記者は開城と共に入城するが、「まだ戦闘は終わってはいない。城内の中国軍は統制を失ってはいたが、各要所に立てこもって一歩もひこうとしない部隊であった」と相手のタフネスについてもしっかり記録している。 そして「浅井、祓川、高崎などのカメラは、この市街戦をとり続けた」(『戦争の流れの中に』)と書いている。このように、城内の戦闘状況を撮りつづけていた同盟通信社のカメラマンだけでも3人がいたのである。 当時の新聞などは戦闘状況を報道しているだけで、「南京事件」を報じていなかった。先ほど述べたように、むしろ退却する中国軍の悍ましい状況を報道している。 当時のアサヒグラフなどの写真を見ても、大人も子供もにこやかな顔の写真が多く、日本軍の入城を歓迎したという話はあながち嘘でもなかったことが分かる。 そうした中で、蒋介石の宣伝戦に協力する外国人(特に米国人宣教師など)や外国メディアが外電で針小棒大に事件を仕立てて報じたわけで、実際に戦争に関わっていた将兵や数百人もいた報道記者たちにとっては、初めて耳にすることで吃驚仰天以外の何物でもなかったというのである。 戦後の中国共産党は、戦前・戦中の報道や東京裁判での判決などをベースに、日本に対し三戦でゆさぶりをかけているわけで、吟味なしに被災者たちの声を直接伝えることは、共産党の広報員になったも同然ではなかろうか。 今日においても日常的に、自己正当化や数値の操作などは共産党が得意とするところである。 南京の事象を日本軍の暴行として報道する外国人教授や米国人宣教師たちはどこにいたか、主として安全区に避難していた。 危険地帯を歩き回っている記者やカメラマンらの目と、安全区に保護されている欧米人の目と、いずれが信ずるに足るというのだろうか。 午後は残敵掃討戦になる。 「敵は陣地を放棄する時は建物に火を放つので、黒煙がもうもうとあがる。砲火と銃声がひびきわたり、市内には凄愴の気がみなぎった。住民の巻きぞえをくうものもあり、中国軍の遺棄死体は多数にのぼった」と前田記者は記す。 また「多くは兵服を脱いで住民に成りすました」とも述べている。 前田記者は13日から15日にかけ、何回となく南京城内を車で見て回っている。旧支局が安全区内にあったということで、15日には安全区に入っている。
「店はまだ閉じていたが、多くの住民が行き交い、娘たちの笑い合う姿があり、子供たちが戯れていた。生活が生き残り、平和が息を吹き返していたのだ。私は戦争で荒れた心が和むのを覚えた」という。 報道写真からもそうした情景をみることができる。 14日の状況について、東京朝日新聞(12月16日付)はどういう報道をしていたであろうか。 「中山路の本社臨時支局にいても、もう銃声も砲声も聞こえない。14日午前表道路を走る自動車の警笛、車の音を聞くと、もう全く戦争を忘れて平常な南京に居るような錯覚を起こす。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十数万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹き返して居る。兵隊さんが賑やかに話し合って往き過ぎる」 しかし、当然のことながらこの前後にも小競り合いの戦闘は継続しており、16日には日本兵が捕虜を銃剣で処刑している場面に遭遇する。 その後、下関の挹江門に回ると「まるで門をふさぐように中国兵の死体がぎっしり詰まっている」場面に出くわす。 また他の場所では銃で処刑しているところも見ており、別の記者が日本の兵士に勧められて中国兵を射殺もしている。 翌17日が入城式で、約100人の報道陣が集まり、その中には西条八十、大宅壮一氏などもいたという。 翌日、再度城内を車で走ると挹江門の死体はすべて取り除かれていたが、護送中に反乱を起こした「夥しい中国兵の死体の山が(揚子江岸に)連なっている」のを目撃している。 市民は安全区に保護されており、決して市民の死体などではない。 戦いの相手であった国民党が発刊した当時の国民党軍の行動記録にも不法殺害や虐殺などの字は見出せない。 前田記者たちは、同社の記者とは言うまでもないが、他の新聞社の記者らとも情報交換しており、自分一人の目で見たことではなく、南京戦場のあらゆるところから何百人もの記者らが見たり聞いたりした言行をベースに書いている。 前田記者が城内を実見した状況や当時の朝日新聞が報道した内容、また国際連盟での中国代表であった顧維均等の発言・討議と、宣伝戦を得意とする中国共産党の息のかかった人物から本多氏が30余年後に聞き書きした内容と、どちらの信憑性が高いかは一目瞭然ではなかろうか。
森 清勇
12 notes
·
View notes
Text
「驚くほど偽善的」欧米のウクライナ対応、中東からは怒りの声
Apr 11 2022
📷Nasser Shiyoukhi / AP Photo
欧米諸国はロシアのウクライナ侵攻から数日以内に国際法を行使し、ロシアに厳しい制裁を課した一方でウクライナの難民を手厚く受け入れ、その武装抵抗に喝采の声をあげた。ところが、こうした対応は中東の人々の怒りを買っている。国際紛争に対する欧米諸国の反応が明らかなダブルスタンダード(二重基準)だというのだ。パレスチナ暫定自治政府のマリキ外相は3月初旬、トルコで開かれた安全保障フォーラムの場で「70年以上も実現不可能と言われていたあらゆることが、1週間足らずで日の目を見た」とした上で「欧米の動きは驚くほど偽善的だ」と述べている。2003年3月に勃発したアメリカ主導によるイラク戦争については、特定の国が他国に違法に侵略したという���方があった。だが、アメリカに立ち向かったイラク人はテロリストの烙印を押され、西側に逃れた難民は安全保障上の脅威になり得るという理由で追い返されることもあった。バイデン政権は先月23日、ロシア軍がウクライナで戦争犯罪を犯したと宣言し、侵略者を裁判にかけるために他国と協力していくと発表した。だが、アメリカは国際刑事裁判所に加盟しておらず、自国や同盟国であるイスラエルを対象とする国際的な調査には断固反対の立場を取っている。2015年にロシアがアサド大統領側に立ってシリアの内戦に介入し、政府軍による都市への攻撃で住民を飢餓に陥れる動きを支援したとき、世界で怒りの声があがったものの具体的な行動はみられなかった。ヨーロッパに逃れようとしたシリア難民は命がけの航海で命を落としたり、西側文化への脅威というレッテルを貼られて追い返されたりした。イエメンでは、サウジアラビアが主導する連合軍とイランが支援するフーシ派の反政府勢力との数年にわたる過酷な戦争により、1300万の人々が飢餓の危機にさらされた。ところが、幼児が餓死するという痛ましい報告がなされても世界の関心は持続しなかった。かつてCIAと国家安全保障会議での勤務経験があり、現在はブルッキングス研究所のシニアフェローを務めるブルース・リーデル氏は、中東の人々が欧米をダブルスタンダードと見ていることを「もっともなこと」とした上で「アメリカとイギリスは、イエメンでの7年にわたるサウジの戦争を支援し、ここ数十年で世界最悪の人道的大惨事をもたらした」と述べている。パレスチナ人が将来の国家建設を求める土地をイスラエルが占領して60年が経過した現在、数百万人ものパレスチナ人が軍事支配下に置かれた先行き不透明な生活を送っている。パレスチナ人が中心となるボイコット運動を制限することを目的とした法律をアメリカ、イスラエル、ドイツは制定しているのに、マクドナルド、エクソンモービル、アップルなどの大企業がロシアでの事業を停止すると賞賛を浴びている。ウクライナの人々が火炎瓶を貯め込み、武器を取ってロシア軍と戦う姿に対し、世界中のSNSで賞賛の声があがっている。ところがパレスチナ人やイラク人がこれと同じことをするとテロリストとみなされ、正当な標的となってしまう。2003~11年にイラク反乱軍の一員としてアメリカ軍と戦ったシェイク・ジャバー・アル・ルバイ氏(51)は「当時同盟軍だったウクライナを含め世界中がアメリカの味方をしていたときも、我々は占領者に抵抗した。世界はアメリカ側に立っていたので、我々は賞賛を浴びることもなければ愛国的なレジスタンスとも呼ばれなかった」と話す。代わりに、反乱軍が持つ宗教的な側面が強調されたことについて「これはもちろん、私たちが劣った存在であるかのような印象を与えるダブルスタンダードだ」と���う。バグダッドで配送員をしているアブドゥラミーア・カリード氏(41)は、イラクとウクライナの抵抗運動には「違いがない」とみている。同氏は「強いて言うなら、アメリカが何千キロも移動してこの国に来たことを考えれば、イラクにおけるアメリカへの抵抗は正当化できよう。一方、ロシアの場合は、近隣地域で起きたとされる脅威に対処しようとするものだ」と話す。確かに、国連加盟国がほかの加盟国を侵略したウクライナ戦争と、内戦やイスラム過激派が関係することの多い中東の紛争とは大きく異なる点がある。カーネギー国際平和基金のシニアフェローで、共和・民主両党の政権で中東顧問を務めたこともあるアーロン・デビッド・ミラー氏は「一般的に、中東紛争は極めて複雑だ。決して中世ヨーロッパで演じられていた寓話的な演劇のように、単純な話ではない」と語る。同氏によると、ロシアが隣国に攻撃的かつ破壊的な戦争を仕掛けたと広く見られているウクライナ紛争は、道徳的な判断が容易にできるという点で極めてユニークであるという。中東で近い例を挙げると、1990年のイラクによるクウェート侵攻がある。当時アメリカがアラブ諸国を含む軍事同盟を結成し、イラク軍を追撃した。それでもミラー氏は、アメリカの外交政策が「異常であり、一貫性がなく、矛盾、さらには偽善に満ちている」ことを認めている。アメリカがアフガニスタンに侵攻したのは、現地のタリバンにかくまわれていたオサマ・ビンラディンが計画したとされる9.11テロへの対抗措置のためだった。イラクが大量破壊兵器を保有しているという誤った判断でアメリカは戦争を正当化したものの、この侵略によって、国際法を無視し人道に対する罪を犯した残忍な独裁者を打ちのめした。だが、多くのイラク人やほかのアラブ人からすると、アメリカの侵攻はその後数年にもわたる宗派間の抗争と血みどろの悲劇につながる理不尽な災難であった。外交問題評議会のシニアフェローで、アメリカのイラク侵攻時にホワイトハウスの顧問を務めていたエリオット・エイブラムス氏は、ロシアの侵略に立ち向かうウクライナ人と、アメリカ人と戦ったイラク反乱軍は同じではないとしている。イスラム国(IS)集団を引き合いに出しつつ「イランやISのためにアメリカ軍と戦ったイラク人は、自由の闘士ではない。このように道徳的な意味での区別をするのは偽善的ではない」と述べている。イスラエルとパレスチナの間で起きた紛争の歴史は、イスラエルが東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザ地区を占領した1967年の第三次中東戦争より1世紀以上も前にさかのぼる。世界の多くはこれらの地域をパレスチナ領とみており、イスラエルが進める入植地建設は国際法に違反する行為であるとされた。イスラエルはこの紛争を領土問題と位置づけ、パレスチナ人がユダヤ人国家の生存権を認めないところに問題があると非難している。エルサレム・ポスト紙は先月1日付の社説に「イスラエルの防衛戦争をロシアの隣国侵攻に例えるのは、文脈を理解できない人がすることだ」と記している。ロシアのシリア介入は、ISを含む複数の分派が残虐行為に手を染めた複雑な内戦の一部の動きにすぎない。ISがシリアとイラクの大部分を占領したとき、押し寄せてくる難民の波に紛れて過激派がヨーロッパに流入する事態を多くの人が恐れた。だが、中東の人々は、アラブ人やイスラム教徒の移民が冷遇されるのを目の当たりにしてきた。これは、普遍的な権利や価値を信奉していると主張しているにもかかわらず、依然として文化的な偏見を欧米諸国が抱いていることを示す証拠であるという。中東はいつも暴力にまみれているという考え方が広く浸透しているため、彼らの苦しみが軽視されていると感じている人は多い。多くの困難な紛争を作り出し、それが永続する責任を西側が負っていることは意識されない。パレスチナ外交研究所でアドボカシー・ディレクターを務めるイネス・アブデル・ラゼック氏は「植民地主義の産物に、私たちが殺害され、家族を悲しませることがあっても、西側と比べるとごくありふれた光景だという考え方がある」と述べている。
0 notes
Text
訪問つづき2
探し直しにあたり、優先事項を整理しました。
1. バスタブがあること:当初から譲れない
2. 冷蔵庫と冷凍庫が十分大きいこと
※冷凍庫の高さが15cmくらいしかないことも稀ではないので注意
3. 立地はGross Basel, SchutzenmattparkからKannenfeldpark付近
※Basel SBB、Euro Airport, 会社へのアクセス全てがよいため
4. 近くのスーパーに清潔感があること、十分な大きさであること
また、家賃の予算上限を1300 CHFから1500 CHFに引き上げました。
日本の家賃の感覚から考えるとひっくり返りそうだけど、QOLと収入からの割合を考えると、ここがボーダーラインです。
そもそも、面積が小さくても家賃は決して安くなく、質ががくっと落ちました。
24日に1軒、25日にもう2軒、28日にもう3軒の計6軒。
この間に、会社の人から新築、家具付き、市内中心部のアパートなどなど固まりつつあった理想とは異なる方向性の物件を教えてもらいました。
判断軸が大きく揺さぶられた1週間。
でも、25日にここならいいかも!と思える場所に出会えて、本当に安心しました。
応募した翌日には受け入れOKの返答をもらえたのですが、残り3軒の訪問があったため、返答期限を延ばしてもらえないか頼み込みました。
28日の訪問では、間取りも立地もよく、家具も譲り受けるてくれると言ってくれた方に出会い、判断を待っててよかったーと思いました。
ということで、第一候補を28日の物件として応募し、ルンルンで週末を迎えました。
だがしかしbut
週明けになって、返答が遅いなと思っていた矢先、受け入れ不可の返答が。
想像以上に焦りました。
25日に気に入った物件の返答期限は切れていたからです。
まだ空きがあるかどうかをステファニーに確認してもらいました。
全ての候補地は訪問しているし、残る選択肢はこの1軒のみだったのです。
(万が一を考えてラウンド3の候補リストを作成)
幸いにも、まだ空きがあり、やっと住める場所を決めることができました。
安心できたのもつかの間、またまた大量のドイツ語資料とデポジット送金等々の事務関連、家具手配の仕事たちが山積み。
でも屋根と水と電気、熱を手に入れることができて本当によかった・・・・・・・・・。
0 notes
Text
2022年3月27日
2021-22 Yogibo WEリーグ第15節 サンフレッチェ広島レジーナ 0-1 三菱重工浦和レッズレディース@広島広域公園第一球技場 903人/86分 清家貴子
ウクライナ人の半数「武器を手に戦う」 世論調査(AFPBB)
【3月27日 AFP】ノルウェーのオスロ国際平和研究所(PRIO)が行った世論調査で、18~55歳のウクライナ国民の約半数が、ロシアから国を守るため戦闘に加わる用意があることが26日、明らかになった。男性は70%、女性も30%が武器を手に戦うと答えた。
PRIOはウクライナの世論調査会社インフォサピエンス(Info Sapiens)の協力を得て、ロシアの侵攻開始から2週間が経過した3月9~12日に調査を実施。オンライン形式で1000人以上(男女比は半々)に4種類の抵抗の仕方について意識を聞いた。
49%が「戦争が続けば、ロシア軍や親ロシア派との野戦に参加して抵抗に協力する」と答えた。
また、約47%が「ウクライナ軍の要塞(ようさい)化された防衛陣地で戦闘に参加し、抵抗に協力する」と回答した。
「ウクライナ軍への非軍事的支援(食料、情報、弾薬の提供など)を通じて抵抗に協力する」は80%、「ウクライナの戦争犠牲者を助けるボランティアとして奉仕する(負傷した市民や兵士の看護など)」は75%だった。
調査では、自身や身内がロシアの攻撃で直接被害を受けた場合、抵抗運動への参加意欲が高まることも分かった。調査時点では、5人に1人がロシア軍や親ロシア派から直接攻撃を受けたことがあると答え、抵抗の意志が最も強かった。
PRIOは���ウクライナ人の士気は驚異的だ」としている。
ロシア軍象徴「Z」表示を禁止 ドイツの2州、違反なら禁錮刑も(時事通信)
【ベルリンAFP時事】ドイツのニーダーザクセン、バイエルン両州は26日、ウクライナに侵攻したロシア軍がシンボルマークとして使っている「Z」について、公の場で表示することを非合法化したと明らかにした。
ウクライナ侵攻を支持するためデモで掲げたり、車や建物にペイントしたりすると、最高3年の禁錮刑や罰金が科される可能性がある。バイエルン州のアイゼンライヒ法相は「ロシア軍の『Z』を使うシンパたちは、犯罪行為の是認により訴追される恐れがあるということを知らなければならない」と述べた。
「Z」の文字は最初、ウクライナに侵攻したロシアの軍用車両に記され、その後、モスクワの車や街角、衣服、インターネット上で広く見られるようになっている。
【本日 (3/27)の広島県内の感染状況】(広島県)
東京都 新型コロナ 9人死亡7844人感染確認 前週比1300人余増加(NHKニュース)
北海道・浦河町で震度4の地震 津波の心配はなし 気象庁
気象庁によれば、27日午前8時15分ごろ北海道浦河町で、十勝地方南部を震源とする最大震度4の地震がありました。この地震による津波の心配はありません。
0 notes
Photo
『Day2167-5-089』 New items for the online shop. ドリップバッグを含む新しいセット商品をネットショップに追加! 今月は、ウォッシュドとナチュラルという、コーヒーチェリーの精製方法の違う豆の飲み比べになります。 コーヒー豆とドリップバックと2種類のセットをつくりました。 以下、詳細欄に記したもの。 今月は、コーヒー豆の精製方法に注目し、果肉がついたまま果実ごと乾燥させるナチュラル(エルサルバドル・ゴビアド農園)と、コーヒーの果実の果肉を除去した上で豆だけを水洗いし乾燥させたウォッシュド(ルワンダ・アバトゥンジ農園)の風味の違いをお楽しみいただきたいと思います。 ナチュラルと呼ばれる精製方式は自然乾燥式とも言われ、コーヒーチェリーをそのまま天日干しで乾燥させ、最後に脱穀します。コーヒーチェリーは多くの酵母を含んでいて果実がすぐに発酵してしまうため、乾燥した地域でないとうまく精製できません。 ウォッシュドと呼ばれる精製方式は水洗式とも言われ、主に湿度の多い地域で採用されています。コーヒーチェリーの果肉を機械で取り除き、種子を水の入った発酵槽に浸して、ミューシレージ(粘液質)の発酵を促します。その後、種子をきれいに水で洗い、乾燥させます。 ナチュラルのほうが簡単な設備で精製できる一方で、ウォッシュドの方が豆を均一に乾燥することが可能だそうです。 そして、肝心のコーヒーの味にどう影響を及ぼすかというと、ナチュラルはコーヒー豆の甘みやコクがより豊かでワインのような風味が出ると言われています。今回選んだエルサルバドルは、まさにワインのような香りが広がります。 一方で、ウォッシュドの方は、ナチュラル式よりもすっきりとクリーンな味わいに仕上がるそうです。今回選んだルワンダ・アバトゥンジ農園は、花や柑橘系のような上品な香りと甘味とピュアな酸味が特徴です。 ぜひ、飲み比べてください。 ◯エルサルバドル・ゴビアド農園 ワインのように濃厚で甘みが長く続く広がりのあるコーヒー アウアチャパン西部アタコは、標高が高く、コーヒー栽培にとても適した土地として知られています。標高1300mでコーヒーは生育しており、約12ヘクタールの農園では、主に品種ブルボン、パーカスがインガのシェードツリーの下で育っています。ゴビアド農園で収穫されたコーヒーはエルカルメン農園が所有するか工場で処理され、アフリカンベッドにて約14日間乾燥されます。乾燥後約1ヶ月間熟成され輸出されています。 エルサルバドルと言えば、オリバー・ストーン監督の映画「サルバドル・遥かなる日々」が思い出されます。米国人フォト・ジャーナリストのリチャード・ボイルが、エルサルバドル内戦を取材した際の自らの実体験を描いた小説を映画化。 僕はアメリカのミズーリ大学でジャーナリズム学部報道写真学科の学生だったころ、授業で見ました。 このコーヒーを飲むと、映画を見終わった後の甘酸っぱさを思い出します(コーヒーのテイストとは関係ありませんが)。 品名 エルサルバドル・ゴビアド農園 生産国 エルサルバドル 地域 アウアチャパン西部アタコ 生産者 アルファロ一族 品種 オレンジブルボン/レッドブルボン 規格 SHG 標高 1300メートル 精製方法 ナチュラル 乾燥方法 天日干し 保管方法 定温倉庫 ◯ルワンダ・アバトゥンジ農園 花や柑橘系のような上品な香りと甘味。アバトゥンジ特有のピュアな酸味が広がります。 ここは1904年にドイツ人宣教師(ジャーマン・ミッション)によってコーヒーが持ち込まれたルワンダ・コーヒー発祥の地。豆はロングベリーのブルボン。現地では「イカワンデンデ」と呼ばれています。 報道カメラマンの僕としては、ルワンダといえばルワンダの大虐殺をどうしても思い起こしてしまいます。1994年にフツ族とツチ族の民族対立から端を発して、50万〜100万人の犠牲者が出たと言われています。映画「ホテル・ルワンダ」や「ルワンダの涙」をご覧になられた方も多いかと思います。 そんなルワンダでは今、コーヒーで復興を遂げようと国をあげて栽培に取り組んでいるそうです。僕はそんなコーヒーを応援したくなるのです。 品名 ルワンダ スペシャルティコーヒー アバトゥンジ農園 生産国 ルワンダ 地域 西部州ルシジ郡ニャカニニャ 生産者 アバトゥンジ農園 農園主:ピエール・ムニュラ 木の品種 ブルボンロングベリー 規格 スペシャルティーグレードA スクリーン 15up 標高 1750メートル 年間降水量 2200ミリ、 農園面積 6ヘクタール 精製方法 フルウォッシュド 保管方法 定温倉庫 #rurallife #slowlife #notslowlife #countrylife #snowcountry #田舎暮らし #スローライフ #ノットスローライフ #5歳 #fiveyearsold #あおの棚田米 #棚田 #移住 #コーヒーとタープ #自家焙煎 #microroastery #microroaster #古民家暮らし https://www.instagram.com/p/CasOubUPZFD/?utm_medium=tumblr
#rurallife#slowlife#notslowlife#countrylife#snowcountry#田舎暮らし#スローライフ#ノットスローライフ#5歳#fiveyearsold#あおの棚田米#棚田#移住#コーヒーとタープ#自家焙煎#microroastery#microroaster#古民家暮らし
0 notes
Text
Le Nom de la Rose
『薔薇の名前』 ※ネタバレ
クリスチャン・スレーターがとにかく若かった。
内容は1300年代頃の北イタリアの教会での思い出話って感じ。
とりあえずショーン・コネリーと一緒に歩くスレーターが、
自分の先生である彼を「マスター」と呼ぶのだが、
なんでか なんか スターウォーズ見てるような感じに(笑)。
作品は、教会で起きるミステリーの真相を暴く為にショーンとスレーターが
奮闘するって感じの話。独特の雰囲気を持ってる映画で、
何だかヤツハカムラを見てる時みたいな(笑)。
特に良い映画なのでオススメすると言うわけでもなくと言う感じ。
元々はウンベルト・エーコと言う方の小説。舞台は1327年。
北イタリアのカトリック修道院で、美しい青年が死んだ事をきっかけに
次々と殺人事件が。さて悪魔の仕業か何か知らんが、その事件の謎を解くのが、
フランシスコ会修道士バスカヴィルのウィリアム(ショーン・コネリー)と、
ベネディクト会修練士メルクのアドソ(クリスチャン・スレーター)。
名前も知らない貧しい女性と深い関係になり恋に落ちるアドソが、
結局最後まで女性の名前を知らないままと言う展開だったから、
タイトルの意味は純粋に女性の名前の事を言ってるのかと思ったりもする。
やや調べて見た所 何だか私に理解は難関な感じだったので深くは触れません(笑)
ちなみに途中に登場する男色の丸い太った色白の男の気持ち悪さと言ったら無い。
あのタイプの気持ち悪さって後味悪い。Storyは一応、ハッピーエンド?
主���は死なないし 女性は助かるしで とりあえず。
それにしても こんな時代から、手にキスをする仕草が見られる。
まだアメリカ大陸も発見されていない時代から・・・!!歴史古・・・!
製作 1986年
製作国 フランス・イタリア・西ドイツ
監督 Jean-Jacques Annaud
0 notes
Text
日本人が知らない「海外現地ニュース」に腰抜けたw 7選
これが世界か…!!日本じゃなかなか経験できない海外の現地情報をお届け!カルチャーショックってこのことよ…。 1. 33歳年収1300万のドイツ人同僚が、今年は忙しくて12/24〜1/3までしか休めないと言い残して昼2時で帰宅した。 — 犬束 (@RENGOKU_11) December 22, 2021 2. 【豆知識】フィンランドでは、マリオとルイージのソーセージが買えます pic.twitter.com/yrg1RsNJGK — nin.iwsk (@nin_iwsk) July 17,…
View On WordPress
0 notes