#コミュニティアート
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英国と静岡の例から考える、アートプロジェクトの「成果」と「社会的意義」(「Artpoint Meeting #12 “わたしたち”の文化をつくる─成果の見方、支える仕組み─」 レポート前編)|アーツカウンシル東京
7月にアーツカウンシル東京で行われた第12回「Artpoint Meeting」のレポートを書きました。ゲストは英国のアーツカウンシルやコミュニティアートを研究する小林瑠音さんと、アーツカウンシルしずおかの鈴木一郎太さんです。
後編はこちら。
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仙台のコミュニティアートを見学
Aug 10th, 2017
今日午前中はインドネシア・アチェから来た4人に長町遊楽庵びすた〜りでのアートインクルージョンの展示替え作業を行なってもらいました。 その後、いっしょにアート企画を行なっている何軒かをまわり、仙台長町の商店街で2010年から行なっているコミュニティアートの取り組みについて肌で感じていただきました。 今年12月にアチェで行う「アチェコミュニティアートプロジェクト」を中心となって支えるメンバー。今回、ご近所感覚の手作りでやっているこうした取り組みから、大きな予算で動いているアートプロジェクトまで視察してもらう予定です。
午後は仙台市中央にあるアートインクルージョンファクトリーへ。アートを仕事にする福祉サービス事業所です。ケムさんからアチェについて、場所やシンボル、食べ物などの紹介があり、アートインクルージョンファクトリーからはどんなアート活動をしているのかを何人かが紹介。身体表現プログラムにも参加してもらいました。
その後、東松島市宮戸島へ。明日は「宮戸祭り」でアチェ名物「ミーアチェ」やコピー(コーヒー)を作る「アチェ屋台」と おめんやいろいろ身につけるものを作って「宮戸の精霊になろうワークショップ」を行います。
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9 Days in Aceh (10)
7月16日土曜日、アチェ2日目
こどもの頃、「ドラえもん」を読んでいるとのび太がよく散歩をするシーンが出て来て不思議に思ったのを覚えている。あれは一体、何をしているのだろう、と。目的もなく何かをすることが理解できなかったのだ。それはこどものころだけでなく、大人になって相当たってからも同様だった。 「コミュニティアー���」と呼ばれる今のような活動をするようになって、私はよく散歩をするようになった。それはその地域のことを調べるという目的をもった散歩なので、のび太の散歩とは結局のところ根本的に違ったものなのだが、それでも誰とどこでどんなタイミングで出会うかわからずに行うまち歩きは、私には十分過ぎるほどにそれまでの自分を解放する行為に思えた。 一番最初に行ったまち歩きは2005年の暮れに、宮城県北部の温泉地・東鳴子温泉で行ったものだ。私はどこへ行くともなくその温泉街という���きとは全くかけ離れた通りを歩き、たまたま出くわしたおじさんに自分のとっておきの宝物みたいなものを見せてもらい、何かとても満足したのを覚えている。それ以来、私はいろいろなまちで、そこで出くわす人に話を聞いたり、いろいろなものを見せてもらうまち歩きを繰り返してきた。本当に感動的な出会いや深い話に出くわす一方、おかしな感じになったり、時にはどやされることもあったり、この10年で私は普通の人がおそらくは人生の最初の方で経験しておくべきことをまとめてやったような気がする。それほどに私のそれ以前の人生は、貧しく、単純なものだった。
アチェで最初の朝、目覚めると私はさっそくまち歩きをしてみることにした。渡辺さんから朝食はホテルが用意していると聞いてはいたものの、どこかで食べてみようとカメラを肩からさげて「グリーンパラダイスリゾート」を後にした。実はそのホテルに届いているアチェ・スタイルの朝食はとても美味しいもので、その翌日から私はそれを心待ちにするようになるのだが。 まだ新しい朝の光の中で見るアチェの家々は本当に美しかった。門や扉の洗練されたデザインや色合い、効果的な色の使い方など、目を見張るほどで、私は前日からつづいていた疑問——外国の風景を見慣れていないからこんなにも素晴らしいと思ってしまうのか、それともアチェという地域がデザイン性に優れた地域なのか——に判別がつかないまま、気に入った建物の写真を撮り続けた。
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しばらく歩くと大通りにたどり着いた。魚屋野菜などを売る店が何軒か並んでいる中に、麺を出す店があった。日本的な感覚からすると、店頭のガラス張りの屋台に投げやりな感じに麺が積み上げているのは「準備中」な感じに見えたが、中をのぞくと開放的な店内では男たちがコーヒーを飲みながらテレビを見上げ、しっかり営業中のようだった。 コーヒーを入れていたおばさんが奥からやって来て何やら話しかけてきたが、全くわからない。わからな過ぎてお互い大笑いした。それから居合わせたおじさんたちも手伝ってくれて、身振り手振りで店先の屋台の上の焼きそばとコーヒーを注文し、大きなソファーに腰掛けてせんべいのようなものが乗った焼きそばを食べながらコーヒーを待った。出勤途中の女性が立ち寄ると、おばさんはコーヒーをビニール袋に入れてくるくると回してその口を閉じていた。 前日、ハナフィさんに連れられて入ったワルン・コピーで飲んだコーヒーは、ハナサカ(砂糖抜き)を注文したので、運ばれてきたコーヒーはいわばアチェで最初に飲んだアチェらしい甘いコーヒーだった。 私は飲み物は苦いものが好きだ。甘いものは好きだが、甘い飲み物はほとんど飲まない。しかしその甘いコーヒーは、何かとてもこの土地に似つかわしいように思えた。おそらく日本に戻れば私は甘い飲み物など飲まないだろう。しかしここでは甘い飲み物を普通に美味しいと思える自分を当然のことと感じた。そもそも食というのは、その土地と一体となったものだ。そこから切り離されたものを口にすることを常態としている私に対して、ずっとその甘いコーヒーは説得力や必然性を持っているように感じられたのだ。 そして��のワルン・コピーの隣に並ぶ店先の野菜や魚のなんと見事で美しいこと。私は宿へと戻る道をたどりながら、街道沿いの開き始めた雑貨屋でちょっとしたものを買ってみたり、少し大きなワルン・コピーを見つけ、もう一杯コーヒーを飲んでみたりした。何かそこにはとてつもなく豊かな時間が流れていて、私はそれをどう表現したものかと途方に暮れはじめていた。
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西村知巳 Tomomi Nishimura
東京と高知に拠点を持って活動している。 写真に文章を添える作風が特徴的。 集団制作「キクプロジェクト」などで、映像制作にも取り組んでいる。
1978年 山口県生まれ 2002年 東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻卒業 2004年 映画美学校ドキュメンタリー初等科修了
主な個展 2020年 「コミュニティアート」 久通地域総合コミュニティセンター、すさきまちかどギャラリー (高知)
2019年 「AWARE」switchpoint(東京)
2018年 「写真占い」ArtCenterOngoing(東京)
2012年 「アニマ」3331Gallery(東京)
主なグループ展
2021年 「10年目の今、考える」藁工ミュージアム(高知)
2020年 「超たまたま」シャトー2f(東京)
2019年 「イノビエンナーレ」いの町(高知)
2019年 「CSP6」東京造形大学付属美術館(東京)
2019年 「Nnrikabe」てつおのガレージ(栃木)
2016年 「ネオシチュアシオニストの前日」URANO(東京)
2015年 「ヤマガタ・ラフカット!」 山形国際ドキュメンタリー映画祭(山形)
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・ 4/24(金)チェルベロコーヒー、 本日12時〜18時営業いたします。 4 /24.25.26.27. . 全品テイクアウト対応 🍛🍰🥤☕️ . 25日発売のほっとこうち5月号に 掲載されました。 #ほっとこうち #ほっとこうち5月号 #高知テイクアウト --- 現代地方譚7 タベルノアイダ http://machikado-gallery.com/artist_in_residence/ 1月に連動展示をおこなった 「現代地方譚7」の記録冊子が届いています。 ご自由にご覧ください。 . すさきまちかどギャラリーでは 26日まで西村知巳「コミュニティアート」を開催中 --- 【本日のカレー】カレー3種類 750円 ・チェルベロオリジナルカレー ・クリームチキンカレー(黄) ・スパイシーチキンカレー(赤) . カレーテイクアウトも 緊急事態対応で750円です❗️ ハーフ&ハーフ(あいがけ)もできます。 容器ご持参歓迎❗️ TEL088-879-6820 #テイクアウトしよう . 【スイーツ】 パウンドケーキ 5種類 1枚200円 ・バナナとクルミ ・リンゴとレーズン ・ジンジャー ・コーヒー屋さんのコーヒーパウンド ・さつまいもとココナッツ .
【ホットコーヒー】400円 チェルベロブレンド (ブラジル.グァテマラ) ブラジル樹上完熟(ブラジル) ロロサエ(東ティモール) ドミンゴ(コロンビア) モンターニャ・ベロニカ(ペルー共和国) ブルボン・クラシコ (ブラジル) ジェニュイン・キリマンジャロ(タンザニア) ウエウエ・テナンゴハニー(グァテマラ) . アイスコーヒー 500円 ・ストロングブレンド ・ライトブレンド . [コーヒー豆]チェルベロブレンド 600円 . ドリンク🥤もテイクアウトできます 400円〜 ・自家製コーラ ・チャイ(ice・hot) ・ミルクジンジャー(ice・hot) ・みかんジュース ・アップルサイダー ・ジンジャエール —- [高知家の底力TSUNAGU掲示板] https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/128/tsunagu.html [高知の食卓] https://kochi-takeout.jp/2020/04/15/page/2/ [食べログ] https://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39006768/ [高知のテイクアウト情報] Facebook https://www.facebook.com/groups/214632269968646/ --- #チェルベロコーヒー 木金土日月曜=12-18時 780-0056 高知市北本町3-11-35 http://cerberus-coffee.info/ 問088-879-6820 . #昭和モダン #高知カフェ #高知ランチ #珈琲 #パウンドケーキ #高知スイーツ #カレーテイクアウト #高知カレーテイクアウト #カレー #自家製コーラ #チャイ #ミルクジンジャー . #添加物不使用 #テイクアウト #p有り #お子様連れok #ベビーカーok #犬同伴ok . (Cerberus coffeeチェルベロコーヒー) https://www.instagram.com/p/B_WZoEZnQ8W/?igshid=1fqg8ef3voeb7
#ほっとこうち#ほっとこうち5月号#高知テイクアウト#テイクアウトしよう#チェルベロコーヒー#昭和モダン#高知カフェ#高知ランチ#珈琲#パウンドケーキ#高知スイーツ#カレーテイクアウト#高知カレーテイクアウト#カレー#自家製コーラ#チャイ#ミルクジンジャー#添加物不使用#テイクアウト#p有り#お子様連れok#ベビーカーok#犬同伴ok
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@kshimoyama(下山浩一🌘コミュニティアート)
理不尽な生活指導は正すべき。
しかし、注目すべきは
↓
署名活動に協力した家庭用品のプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(P&G)
都立高の頭髪黒染め指導、反対署名1.9万人 都教委「中止」明言(毎日新聞) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190730-00000025-mai-life
Twitter for iPhoneから
https://twitter.com/kshimoyama/status/1156139998954938369
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【研究報告】 「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(3)
国際芸術交流展&シンポジウムの記録カタログ『アートはまちをすくわない?』国立大学法人富山大学芸術文化学部、2018年3月発行 「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(3) *(1) (2) [日時・場所] 2017年12月16日(土) 14:00-16:15 重要文化財武田家住宅(富山県高岡市太田) 17:00-18:45 富山大学芸術文化学部H290教室(高岡キャンパス) [座談会メンバー(敬称略)] 高橋裕行:「のと里山空港アートナイト2016」キュレーター 吉田有里:アートコーディネーター、Minatomachi Art Table, Nagoya/港まちづくり協議会 西島治樹:美術家、富山大学芸術文化学部准教授 松田 愛:近現代美術史・アートマネジメント、富山大学芸術文化学部講師 3-1. 10年後のアート 最後に、10年後のアートをキーワードに、アートやそれぞれの仕事に携わる中での、今後のヴィジョンについて話を聴いた。 次世代が必要とするクリエイティビティを育てる 高橋:やはり多かれ少なかれ、オリンピックが終わった後に、地盤沈下というか、揺り戻しみたいなことが起きる可能性は高いと思うのと、僕らが高齢化する、団塊ジュニアが高齢化した時が、逆三角型ピラミッドになるので、非常に、下を支えるのが大変になるんですよね、若い人たちが。なので、ますます日本は厳しい運営を迫られると思うんですよ。財政的にも、経済的にも厳しいと思うんですよ。その中でアートというのはどう生き残っていくのかということだけれど、で��考えてみると、今よりももっと悲惨な時代にもアートはずっとあって、形は違えども。だから、やはりアートは残るだろうなとは思うけれど、でもやはり今とは違う形かなという気もしています。 そういえばこの間、オリビエ・メシアンのコンサートを聴きに行ったんですよ。1945年に初演されていて、ナチスから解放されたパリで初演されたという作品ですけれど、そういう作品を聴いたんですね。そういう祈りを込めたような作品があって、そういう悲惨な状態だからこそ必要とされるアートというのがあるんだろうなとは思ったりします。 個人的な話をすれば、僕は今のところ、さっき言った3つの、アートマーケットと、学校・アカデミズム、とエンターテインメント・広告と、どこから仕事が来ても、今の状態だったら受けます。基本的に受けようと思っていて、エンタメだからやらないとか、教育はやらないとか、あるいはアートマーケットだからやらないということはなくて、どれが来たとしてもオファーが来たらやるつもりでいるんですよ。その中で、何かしら、どれも一長一短あるので、完璧はないですよね。どれも、純粋100%アートというのは、どの場所でもできないので、お互いにできることとできないことがあって。でもその中でも、今現在、やはり教育の場というのは、自分は合っているなとは思っています。なぜだかはわからないけれど、なんとなくそう思っていて。次世代が必要とするクリエイティビティを、作品という形とはまた別のものかもしれないですけれど、そういう能力が育つといいなあと思っていて。柔軟に考えるとか。そう、「cocoiku」で言っているのは、未知の状況に接した時に、ひるまないというか、冷静に判断して一歩踏み出せる力というようなことを言ってるんですけれど。アーティストってそういう力があるなと思っていて、そういう人が増えるといいなと思うんですよ。皆が横並びで、お互いの出方を見計らっているような社会よりは、やはり出る人がこうポンと球を蹴り出すような瞬間がたくさんある社会の方がいいなと思うので、そういう人が増えるお手伝いができたらいいんじゃないかなという風に、抽象的には思いますね。 個人とは何かを問う「最後の署名性」 高橋:カタストロフみたいなものまで含めて、今のまま戦後社会が続くとは思えないというとこもあって。何かしら、大地震とかもあるかもしれないし、そういう中にあって、意味のあるアートというのかな。それは何も社会派のアートだけじゃなくて、単に美しい音楽とかでもいいんですけれど。そういうものが残っていくんじゃないかなという気がしますね。 松田:そうですね。そういう時こそ、社会派のアートに限らない、色々なアートが求められると思います。 高橋:社会派のアートというと、この間、名古屋でIAMASの三輪先生のオペラを観に行って来ました。それは17年前に初演されたオペラの再演ですけれど。そう、今やっていて、今度大阪でやるんですけれどね。その頃、サリン事件や酒鬼薔薇事件などがあって、そういうものの影響を受け��つくられた作品で、14歳の少年が、インターネットから送られてくる信号のようなものに感化されて、そこにある神を見てしまって。結局そこに入れ込んでいって、最後は身を捨てて、自分を全部データ化して、インターネットの世界に放流して、自分は死んでしまうという儀式をするんですよ。というオペラなんですけれどね。 当時の衝撃と今の衝撃で比べると、今の方がやはり・・・17年前の方が、なんていうのかな。今はもう世の中がそれに近づいちゃっているというか、作品に近づいてきてしまっている。だからそういう事件が起きてくると、フィクションの力が弱まらざるを得ないというか、リアルが衝撃的すぎると。まあ、だからこそ逆に距離をとるというフィクションが大事なのかもしれないですけれど、なかなか虚構と現実の距離が縮まっているなあという気はします。911以降って、映画のようなことが現実で起きるようになっていて、だからその、昔はこんなことは起こんないよねというフィクションで安心できたものが、これもあり得るし、あれもあり得るし、というような世の中になってきた中で、ただ、そういう作品をつくれるのは、アートという領域があるからなので、あれは劇場というシステムがなかったら、非常に表現しづらいものになるので、社会運動をするのか、それとも、なんでしょうね。社会運動っぽくなりますよね。もし、アートというものがなければ。真剣にそういう人が救おうという運動をするとか、あるいはなんでしょうね。どういう方法があるかな。まあ、本当の宗教をつくるとかね、例えばね。そういう方法になってくるじゃない。もしアートという領域がなかったら。 松田:はい。 高橋:という意味でいくと、そういうアートがあるからこそ表現できるものというのも、まだまだたくさんあるなという風に思いますね。 あとテクノロジーの進化でいくと、10年後というとどうなるかなあ。もっと、AIとかIoTとかね、もっと普及した時代になるわけですよね。そういう中で、人間性というのが、人間しかできないと思われていたことが疑われる時代じゃないですか、今ね。機械でもできるし、人間なしでも社会は回るというような。そういう時代にあって、人間・・・なんだろうな、主体性? 何かをつくろうとか、意欲とかそういうものって弱まらざるを得ないかもなあという気はちょっとしますね。システムとして、円滑に動くようになってくると、それに依存する生になるじゃないですか。やはり、スマホがないと、1日とても不安というような感じになってくるじゃないですか。意思をもって電話番号を覚えるというようなことはなくなるわけじゃないですか。それがどんどん進んでいくという感じはあるかなあ。自動ドアだと思って、開かない時のショックのようなものってあるじゃないですか。 松田:あります。 高橋:自動ドアのようなものがなければそんなことは起きないんだけれど。 吉田:確かに。それに自分が支配されているという。 高橋:あと、もう1つ思ったのは、アートの力の1つは個人で考えるということなので、皆が繋がる社会になってくるから、どんどんものも人も、どんどん横につながっていくという社会になった時に、最後の拠り所である個人とは何なのかというのを問う1つの・・・。近代が生んだ���のじゃない? アートって。the ARTって。だから、やはりそれはちょっと残り続けるのかなと思っています。そういう時代になっても、全部集合知のような時代になっても、やはり個人というのがいるんだ、あるんだと感じさせてくれるものに、そういうものに価値を持てるものの1つとして、アートは残っていくような気はしますね。 全部横連携で、グループで何でもやりましょうとなってくるじゃないですか。今後ますますそうなると思うんですよ。分業と協働がどんどん進むと。アート自体もそういう要素が入ってくると思うけれど、やはり最後の署名性というか、この人発のようなものが残り続けるんじゃないですかね、アートにはね、という気がしますね。いかに集合的な制作をしている作家でも、やはりこの人の作品というところが最後に残るじゃないですか。そういう署名性というのは、ある意味、それをなくすと、アートじゃなくなる、逆に言うと。あのシンポジウムのスライドでも最後に若干入れていましたけれど、いわゆる完璧な日常になってしまう、日常に行き過ぎると。アートじゃないアートというようなことを言っているうちはいいんですけれど、それではアートという言葉が消え去って、ただの日常になってしまうし、ただの人間関係になってしまうという。アートという言葉をとっちゃうとね。 松田:高橋さん、そのスライドは今日つくってきていただいたスライドですか? 高橋:今日つくったというか、前回のシンポジウムでも使ったんですけれど、ありますよ。前回のプレゼンテーションの時に、最後にチラッと見せて、すごく早口で話して、あそこの議事録にも載っていましたけれど。これですね。 いわゆる近代の作品というのは、自律していて、完結していて、完全で、作家の独創性により、非日常性が担保されているという閉じた作品【12】。いわゆる作品性、署名性というのが確保された状態が近代のアートだとして、川俣正さんがやっているようなアートは、自律性というのに対して文脈上、その場所場所で変わっちゃいますよというサイトスペシフィックを入れたり、完結性というものに対してワーク・イン・プログレスでずっと変わっていくんですよと、プロセス重視ということを言ってみたり。完全性に対して、仮説的なもので一時的なものなのでなくなってしまいます、いつまでも残り続けるんじゃなくて、これが完全な状態ですというのが確保されないということで、作家の独創性もあるけれど、協働制作によるものですよということで、完全な非日常ではなくて、日常性の延長で誰もができるようなものですよ、というようなことを言っていると。木工工作などは誰でもできるので、独創性がなくてもできますよというようなことを言っていて。これをちょっとずらしたようなことを、全部これ(閉じた作品)に対する批評的な態度のようなことをやっているんだけれど、これをあまりに延長し過ぎると、多分、「極端に開かれた作品」と勝手に書いていますけれど、完全に文脈によって決定され、始まりも終わりもなく、作品であることがわからず、クラスターなど匿名な状態で生成され、限りなく日常に近いという、アートなのか何なのかわからないものになってしまう。例えばピクシブとかね、割とそれに近いと思うんですけれど、ニコ動とか。 そういうものは、近代のアートに対するアンチなんですけれど、でもこれはやはりアートと呼ばないだろうと僕は思うんですよ。こういう風に、ずらすことがまだ可能だが、��こまで行ってしまうと、ただの日常の営為になってしまうんじゃないか。署名性がなくなりきっちゃったアートというのは。編み物とかね、例えば。みんなやったりするじゃない。それをアートと呼ぶかというと、呼ばないじゃない。やはり何かしら近代の刻印があって、権威性かもしれないですけれど、それって。美術館に最終的に保存されるという。あるいはアートワールドが保証している権威性かもしれないですけれど。 そういうものを振り払いきっちゃうと、アートという言葉を完璧に脱色してしまうと、そうなっちゃうだろうな。ただの行為になってしまうので、それは、よくないんじゃないかな。アートという言葉は残した方がいいんじゃないかなという風に。ということは、近代性をどこかでもつということなんですけれど【13】。 松田:「極端に開かれた作品」まで行くと、ピクシブもしくはコミュニティアートのように、作家ではない人がつくるような? 高橋:作家ではないアートになるんじゃないかな。匿名でもいいというね。名を出す必要がないという。でも繋がりはあるよと。レコメンデーションというか、お互いに評判の経済は回っているよという状態。でも署名性がない。どこまでが作品なのかもよくわからない。こんなことを考えるので、逆に言うと、日本において���のような近代性をもつということはどういうことなのかなというのは、常に引っかかり続けるというか、輸入のものであるので。 吉田:そうですよね、浮世絵などは違いますよね。もっと・・・。 高橋:開いていた。個人主義であるとか、完全性であるとか、永遠性であるとか、独創性であるとかというものを信じられるという態度というのは、日本に元からあったものじゃないですよね。 松田:そうですよね。 高橋:でも非常に有効に社会批評として機能するので、持っておいた方がいいコマの1つだなという風に思っているんですよね。 松田:近代性? それ抜きには考えられないですね。 高橋:それ抜きには考えられないけれど、時代はさっき言ったAIやIoTなどで、だんだんこっちに向かって行っているんですけれど。どんどん個人性とか主体性が薄れていくようになっていっていると思いますけれど、システムが支配するようになっていくと。10年後、ポスト・オリンピック・・・。 松田:作家性がそれほど重要視されないコミュニティアートなど、そういうものにも今、可能性が見出されていると思うんですけれど、どうなっていくんでしょうね。やはり作家性というのは残っていくのか。 高橋:作家性の残滓は絶対残ると思う。やはり、あなたと私は違う人間ですねというところからスタートするのがアートなんじゃないかなと。同じですね、というところからスタートすると何か違う気がする。
【12】「閉じた作品/開かれた作品/極端に開かれた作品」。2016年の国際シンポジウム「アートはまちをすくわない?」における高橋裕行氏の講演スライドより抜粋。©2018 Hiroyuki Takahasi All Rights Reserved.
【13】スライドについて説明する高橋裕行氏(富山大学高岡キャンパス)。 「思考のトレーニング」としてのアート 松田:吉田さんにも聞いていいですか? 10年後と言っていますけれど、吉田さんの目指すヴィジョンについて聴かせてください。さっきおっしゃっていた、アーティストが社会の中で・・・。 吉田:職能を生かす。それは1つあるかなと思います。やはりアートや表現というものは、本質的なものなので、なくなっていかないと思います。それをどういう風に、私の立場で言うと、守ったり、広げたりしていくことができるかなと思っています。だからその、先ほどの出会い方の設計とか、わからないということ、考えていかなくなったこと、AIが出てきてもっと普及して、皆が個人個人の判断をしなくても生きていけるようになった時の、危険な感じもあるし、よい面もあると思うんですけれど、そういう意味においては、やはりアートの有効な部分というところは、きっとあるなと思っています。どのようにそれをつなぐことができるかという事を、日々色々考えながらやっていきたいなと思っています。 地域という場所、地域というか、美術館という箱の中じゃなくて、美術館もとても重要な場所だと思っているんですけれど、やはりもう少し日常的な場面でどう表現と出会わせていくかというようなことは、どの状況になっても変わらないと思うので、地道に続けていくことが、少し役に立つ一つのことかなと思ってはいるんですけれど。 どうなんでしょう。10年前を振り返ると、やはり、10年前というか2000年代以降を考えると、国際展が増えたり、そういう事で状況も変わってきた部分もあるでしょうし、でも芸術祭のようなものは、結構もう飽和してきて、オリンピックが終わったら、本当に減っていったり、消えていったりするんじゃないかなとは思います。 松田:残るものは残って、消えていくものは消えていくというような感じですね。 吉田:そういう時に、どのように新しい可能性や方法が出てくるかは、実践を通して追求し続けていけたらよいとは思っています。でも10年前って、iPhoneはまだなかったですか? 高橋:3がありました。 吉田:3はあった? 今回、ミュンスターはアプリがあって、iPhone仕様になっていました。Googleで場所を調べて周りました。 松田:紙のマップですか? 吉田:ですよね。10年で大きく色々なことが変わるんだなと、ミュンスターを通して実感した部分もあります。次の10年、全く違う世界が見えるんだろうなと、リアルには思ったので。もしかしたらもう、皆わざわざ足を運ばないということもあるのかもしれない。展覧会を見に行かなくても体験できる何か。アートって自分のうちで見るもので、わざわざドイツまで行って見にいくことがもう起きないかもしれないし。私は自分の目で見て体験したいですが。 西島:早い乗り物になるんじゃないですか? 吉田:早い乗り物? 全て見なくとも体験できるというようになったりして。 西島:こんな時代だけれど、まだロダンを見たいというような人はいますよね? 吉田:それはそうです。 西島:だから10年前と今も・・・。 吉田:変わらないものもあるし、変わるものもあるし。でもわざわざ見に行くというのは大事な事かもしれません。10年経ったあとも、適応能力を見せつけるための思考のトレーニングをし続けるというのには、アートはとてもよい媒体なのではないかと思います。 コレクティブ、美術館、大学、街それぞれの役割 吉田:この間、ベトナムのアート・コレクティブ(共同体)[註10]をつくっているグエンさんという人が名古屋に来てくれたんですけれど。政府に追われて、何度も場所を変え、解散させられている。それでも活動しているし、大学より機能しているという話をしてくれたんです。だから、強いと思います、アーティストは。状況に応じて自分たちの道をつくっていけると思うので、そういう意味では、どうなろうと適応していくとは思いますけれど。 松田:その、どのような状況にも適応していく強さ、そういう力を育むことができるのは、アートのもつ大きな可能性だと思っています。今日は教育の話が要所要所で出ましたけれど、学生だけではなくて、社会のあらゆる人々にも、そういう事を、教育を通して伝えていけたら、伝えていかなくてはいけないと、私の立場からは思います。 吉田:大学は大学でとても有効で、美術館も美術館でちゃんと機能していて、やはりそうして、現実に起こっていることとアートと接合するところで、街の中で行われていくものや、クリエイティブシティなど、そういったものが有効な部分もあって、それぞれに良さがあると思います。コレクティブの活動が、大学に行ったことと同じとは思えないので、やはりそういう意味では、アーティストが社会にいて、アートがどのような機能をもつかというようなことをずっと考え続けることは、時代や国の背景など、社会において全く文脈が違えば違うと思うので。そういう意味では、今日は日本という文脈で考えましたけれど、また10年後、誰にもわからないですけれど、希望はあると思います。 松田:はい、希望はありますね。 吉田:そういう思考のトレーニング、ずっと考え続けるということが大事なのかなと思いました。 松田:では、次の座談会は10年後に。今日は寒い中、長時間にわたり、本当にありがとうございました。最後に希望のもてるお話ができてよかったです。 ---------
[註10]アート・コレクティブとは、コラボレーションなど、集団で制作を行うアーティストの共同体のこと。『美術手帖』2018年4・5月号(vol.70, NO.1066)では、「ART COLLECTIVE アート・コレクティブが時代を拓く」と題する特集が組まれ、日本のアート・コレクティブの歴史と現在について、��介されている。[註10]本文へ戻る
[関連リンク] 【研究報告】「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(1) 【研究報告】「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(2)
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Starting
昨日は久しぶりにインドネシア・アチェのハナフィさんと打ち合わせ。「アチェ=ジャパン・コミュニティアート・プロジェクト2018」へ向けた準備はもう始まっています。
Kemarin saya melakukan pertemuan skype dengan Mr. Hanafi di Aceh, Indonesia. Persiapan untuk 'Aceh-Japan Community Art Project 2018' telah dimulai.
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石巻日日こども新聞とリボーンアートフェスティバル
Aug 12th, 2017
「宮戸祭り」から一夜明けた東松島市宮戸島を後にし、今日午前中はインドネシア・アチェからの4人と石巻日日こども新聞ワークショップに参加。お盆ということもあり、いっしょにずんだ作りを行いました。その後はこども記者による取材タイム。インドネシアはどんな国?夏休みはあるの?なぜ女性は髪を隠すの?
アチェ側からも「今までで一番たいへんだった取材は?」「得意な取材分野は?」などいろいろな質問が出されました。 最後にヒロキ記者が、石巻日日新聞の記者たちが震災直後に作った壁新聞についての説明を行い、アチェの人々は壁新聞について深い感銘を覚えるとともに、それをしっかり説明するヒロキ記者についても大きく動かされたようでした。 その後は石巻を会場に行われている「リボーンアートフェスティバル2017」を視察。アチェの4人には主催者からゲストパスをご用意いただき、今日は旧観慶丸をはじめとした石巻市中心部エリアの会場をまわりました。明日は牡鹿半島をまわります。
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9 Days in Aceh (4)
SIMカードを手に入れ、今度は滞在中に行う予定のワークショップの材料を探しに行くことになった。今回の滞在中、ランビラ村のTPMTおよびバンダ・アチェのKSAの活動内でアート・ワークショップを「やれたらやる」ということになっていた。 ランビラ村はバンダ・アチェから車で40分ほど内陸に入ったところにある田園地帯が美しい村だ。村にプレイステーションをやらせる「ゲームセンター」ができ、村のこどもたちがゲームやりたさに悪事に手を染める、というようなことがあった時、当時大学生だったひとりの女性を中心に、ボランティアによる学習支援などこどもたちへのケアが始まったという。それはTPMT(メンバーのひとりアミールは括弧して「Our Communal Learing Center」と書いてくれた)というボランティア組織として現在も15人ほどの若者たちによってつづけられている。 一方のKSA(Kogetsu School Association)は、2004年の震災以後、ほとんどの支援団体が撤退する中、いまだに現地支援を続ける日本の支援団体「特定非営利活動法人良心、市民の会」が、アチェの震災孤児支援団体「Lost Children Operation(LCO)」と��もに行う奨学金給付や語学教室「Kogetsu School(晃月スクール)」に関わるバンダ・アチェの若者たちによる団体だ。LCO事務所近くにあるペガンバダ中学の教室を借りて行われている「Kogetsu School」は、週3回、小学生向けに無償で日本語と英語の語学学習支援を行なっている。 地球対話ラボの渡辺氏さん初めてアチェを訪れたのは、2004年の津波直後、テレビの仕事でだったというが、東日本大震災後に縁あって宮城県東松島市宮戸島にあった今は閉校してしまった宮戸小学校と海外とを結ぶ事業を始め、2013年からはアチェとの交流事業を始めるにあたり、「良心、市民の会」・LCOと知り合い、KSAそしてTPMTの若者たちと活動をともにすることになっていったという。宮戸小学校からは、「島に閉じこもらず、外の世界に対して物怖じしないこどもに育てたい」という意向があった一方、TPMTやKSAからは「活動に関わる若者たちが、ボランティアをする中で日本と交流ができたり、日本を訪れることができれば、それはこうした活動をしていく上でとても励みになる」という言葉を聞き出した渡辺さんは、アチェの若者が宮戸島を訪れる交流事業を企画し、その資金を工面し、2015年には3名を宮戸島へ招聘。つづく今年2016年も同じく3名を宮戸島へ呼ぶ手はずを整えていた。
私たちはハナフィさんの案内で路地を少し入ったところにある一軒のかなり大きめの店にたどり着いた。アチェでは珍しくチープな看板は、私の期待を裏切らなかった。店内にはところ狭しと文具や画材、キラキラしたパーティグッズやおもちゃが並び、それは私が普段ワークショップグッズを揃えるのに使っている仙台や船橋の巨大なダイソーを思わせた。店内を見て回りながら、私の頭の中ではあまり性能のよくない計算機が「これは日本円だといくら」を計算していた。実際、この時の私は、アチェの物価をきちんと把握できていなかった。後々、おおよそ日本の4分の1から5分の1という結論に至るのだが、ハサミ1つで1万ルピアなど、あまりに桁の大きな数字は私の頭を混乱させていた。 結局、すぐにまた買いに来ることになるのだが、この時は下見だけに済ませ、我々は次に「毛糸」を探すことにした。毛糸も私がよく使う材料のひとつだ。話は2001年頃までさかのぼる。
大学を卒業して、一度は企業に勤めた私だったが、どうもそのあり方についていけず、2年弱で辞めてしまってからは、いろいろなアルバイトをしながら絵を描き始めた。絵はこどもの頃から好きだったし、つい最近思い出したのだが、デザインの仕事をしている自分を思い描いていたこともあった。しかし絵を描くというのは、普通の人が思っている以上に時間も労力もお金もかかる営みで、どんどんそれにのめり込んでいく自分がいる一方で、妻帯者として生活費を稼いでいかなければならない状況もあり、そのあたりのことを洗いざらい書こうとするとかなりの枚数になってしまうのだが、簡単に言うと私は最初からいろいろな意味で相当追い込まれていた。制作しながら私の頭の中は、何を表現しようとしているのかよりもずっと多く、なぜ私は何かを表現しようとしているのかに費やされていたように思う。というよりも、私には何かを表現することが許されているということを、つまりは私がこうしていることには意味があるのだという根拠を探し求め、自分を納得させることに多くの思考が割かれていたように思う。一言で言えば、アーティストではなかったということだ。
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鹿児島の皆様朗報です♡ この度、私の地元である鹿児島県薩摩川内市にて、mashu出店します!! そして、ワークショップもさせて頂きます!! 初めての地元でのイベントでとてもワクワクしてます♡♡♡ ワークショップご希望の方は是非ご連絡下さいませ☻☻☻ #mashu #mashu出店 #薩摩川内市 #ワークショップ #Repost @ririy0628 with @get_repost ・・・ 💎チェコガラスアクセサリー💎 \work shopお申込み受付中/ 🌝✨✨🌙✨✨🌙✨✨🌝 コミュニティアート イベント \detach’デタッチ’/ ■2018.7.1 sun 10:00〜16:00 ■薩摩川内市 向田アーケード liven +(リブンプラス) ✨🌙✨✨🌙✨✨🌙✨✨🌙 上記のアートイベントでチェコガラスアクセサリーのワークショップを開いて頂きます🌟 💎アクセサリーアーティスト mashuこと 車田真純さん 東京を拠点に活躍中! この度、初めて薩摩川内市のイベントでワークショップを開いてくださいます💖 ワークショップは、事前にお申込みが必要です 今回、たくさんの方に体験して頂きたい思いから無理を言ってたくさんの時間枠を設けて頂きました! 💎チェコガラスアクセサリー💎 ワークショップ リング ¥2000 ネックレス ¥2500 各5人まで 🌞DMでご連絡お待ちしております🌞 ①10:15〜10:30 ※残りお一人 ②10:40〜10:55 ※残り4人 ③11:40〜11:55 ④13:00〜13:15 ⑤13:40〜13:55 💎お好きなチェコガラスを一つ選んで頂いて、リングやネックレスを作って頂きます。 所要時間は、10〜15分✨ 初めての方もすぐに作ることができます��� 複数のお写真をアップしておりますのでご覧になってみてください🌟 当日は、他にピアス等、販売も行われます ご存知の方も多いかと思いますが、 チェコ共和国は、ガラス製品が有名ですよね🌝✨ アーティストの車田さんは、美しいチェコガラスの性質を知るため実際に現地へ足を運んでいらっしゃいます 彼女の作品の多くは、美しくカットされた レクタングル(長方形)のガラスを用いてアクセサリーを作っていらっしゃいます✨ お写真に載せておりますように、ネックレスのアジャスターは、黒色の真鍮(しんちゅう)といわれる素材 こちらの真鍮は、肌に身につけているうちに、次第に素材の色に変化が出てきます🤩 銅のような色に変化していく、その過程をも楽しめるのです✨ ヒト・モノ・コト をアクティブに! アクティブな菌を拡散していく🍄 美しいアクセサリーから生み出される、人のご縁を結び繋げていく 彼女の魅力がたっぷりと詰まった作品はもちろんのこと アーティスト本人がレクチャーして下さるこの特別な機会をどうぞお見逃しなく!! お早めにお申し込み下さいませ✨ お待ちしております #event #kagoshima #mashu #コミュニティ#アート#薩摩川内市 #FMさつませんだい#hairroom cocoa
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また、長年、社会実践を行う美術の問題について考えてきたグラント・ケスターは、『関係性の美学』に一定の評価を与えつつも、ブリオーが論じる作家の作品の多くは、脚本に基づいて演出されているため、ブリオーの主張とは異なり、作品の形式が開かれていないと指摘する。そして、ブリオーは、伝統的なアヴァンギャルドの系譜学に関心があって、それらをアクティビズムやコミュニティに根ざした実践の伝統から引き離そうとしており、「過去七〇年間以上のそーシャリーエンゲイジドアートの複雑性と多様性を伝えることができていない」と主張する。 ケスターは、ビショップにも批判的である。ビショップは、鑑賞者に人種的・階級的他者を直視させるトーマス・ヒルシュホルンやサンティアゴ・シエラを評価するが、彼らの作品は、多様な鑑賞者の差異を消去して鑑賞者を一般化してしまうとケスターは指摘する。ヒルシュホルンの《バタイユ・モニュメント》を訪れた者はみな「観光客」にされてしまうのだ。ビショップは、鑑賞者の能動的な参加を表面的には主張しつつも、実際は、鑑賞者の反応を予め想定して作られている作品を評価しており、鑑賞者を信頼していないのだとケスターは避難する。代わりに、ビショップが特権的な地位を与えるのが美術家である。ビショップが評価するパーシティパトリーアートは、美術家が先導する前衛的でエリート主義的な活動だとケスターは論じる。ケスターにとって、ビショップは、社会的な介入を行う美術を評価しているようでいて、実際は、美的なプロジェクトとアクティビズムに基づく活動を峻別し、前者の側に立って後者を不当に貶めている批評家である。ケスターは、美術家、鑑賞者、参加者のヒエラルキーを維持した美術の解釈を批判し、平等や社会的靭帯を推進する活動を行うコミュニティアートに可能性を見出している
加治屋健司「地域に���開する日本のアートプロジェクトー歴史的背景とグローバルな文脈」、p117『地域アート』
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日本から見たタイのコミュニティアートのいま 4/22 江之子島文化芸術想像センター http://www.enokojima-art.jp/e/event/2017/04/12/5492
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宮戸島のアチェ屋台
2017年8月11日(金)
今日はほぼ一日中雨が降っていましたが、宮城県東松島市宮戸島での「第7回宮戸祭り」は雨など全くものともせずに行われました。 朝食の後、「アチェ屋台」の買い出しに出かけ、ミーアチェ(アチェ焼きそば)150食分の食材を買い込み、午後から練習をかねたまかない作り。祭り自体の開始は4時からでしたが、その前からお客さんが集まり始め、3時くらいから屋台はスタート。 インドネシア・アチェでレストランを営むパンリマさん、奥さんエエンさんと大学生ウィルダさんがとにかく大活躍。これに地元石巻専修大や尚絅学院大、東北学院大の学生も加わって、まさに日本ではここだけというミーアチェ屋台チームができ��がっていきました。 一方、アチェでよく見かける派手に高いところからドリップするコピー(コーヒー)をアチェで英語を教えながら大学院に通うケムさんが見よう見まねで開始。しかし数をこなすうちにまるでアチェの街角にいるかのような自然な入れ方にまで到達しました。大学院を出て職が見つからなかったら、彼はワルンコピーを始めるでしょう。 私はと言えば、芸大大学院生村上愛佳氏とともに「宮戸の精霊になろう」というワークショップを射的と輪投げ屋台の隣で実施。そのあまりにふわふわしたテーマに誰ひとり精霊になるこどもはおらず、みんなその場にある材料を紙にはりつける場になりました。 7時半からはお待ちかねの花火。こどもに後片付けも手伝ってもらって今年の「宮戸祭り」は終了しました。 とにかくずっと降りっぱなしでしたが、会場内はずっとひとでいっぱい。こどもたちとも何かを貼り付けながらあっという間に時は過ぎてしまいました。 震災復興のために駆けつけてくれたボランティアのみなさんへどうにかして感謝の気持ちを伝えたいと始まったという「宮戸祭り」。こんなに降りっぱなしの中で何かをやったのは初めてでしたが、それはイベントとはまったく意味を異にするものだからこそ、成立することなのだとわかりました。私もそういう思いでいろいろなことに臨みたいと思いました。
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Kehm's Tohoku Report 04
Day 4 in Japan
We left our hotel at 10.00. We headed to Minayonomori Elementary School in order to describe Aceh, including its life, tradition, and children games. We wore Batik on this occasion. Before heading to the school, we bought our obento since we would not go back to the hotel for lunch.
We arrived at the school at 10.40. We were welcomed by the school principle and several teachers. There was a student of Shensu University helping us, Otomo san. Meanwhile, the students who would become as the audience in this programme were the six-year students. We were guided to examine the infrastructures of this extraordinary school. Why do I tell such complement? The school materials are mostly made by wood. The wood has really good smell. Mr. Panlima said that the smell of the material might make the students smart.
There was a mistake made by me. I did not bring the power socket converter for my laptop. We were realised this constraint. Thank heavens that the staff had similar charger. Then, we did initial presentation in front of the teachers.
We initiated the presentation at 13.00. I could see that the students were enthusiastic and enjoying our explanation. Thank goodness (again). Our presentation was done and everything run properly as our expectation. After the event was done, we were escorted to walk around the school again by the principal, teachers, and HOPE group (a non-governmental organisation doing various programmes related to the social, economy, and education). We thanked all of those for allowing us to do the activity.
Next, we had a tour to Nobiru Museum. This museum was managed by the people living in Higatsumatsushima. The community bought this property from the government since they wanted to show for everyone how the victims of Tsunami in 2011 felt and survived from the disaster. This museum was drown for 3,7 metres when the waves attacked. Moreover, it has a video documentation of the tradegy, so the visitors might see the comprehensive information.
Last, we got back to the hotel at 17.30. Wirda, Daichi, and me were taking photos at the dock near to the hotel. As usual, Mr. Watanabe, Mr. Panlima, Daichi, and me enjoyed the marvelous dinner cooked by Oba chan in the hotel. Conversely, Wirda and Mrs. Een seemed disliked the foods :D
Tomorrow we will go to Sendai again. Mr. Watanabe said that there would be two girls from a local university volunteering themselves for tomorrow's programme. I cannot wait to meet them.
Kamarullah Gani Higashimatsushima, 9 August 2017
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